訃報
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山本KID徳郁
山本KID徳郁を応援して下さった皆様へ
山本KID徳郁(享年41歳6ヶ月)が、本日9月18日に逝去致しました。生前に応援、ご支援をして頂きました関係各位、ファンの皆様に本人に変わり御礼申しげます。
尚、山本家、家族、友人への取材等はご遠慮頂き、ご配慮頂けますようお願い申し上げます。
KRAZYBEE
— KRAZY BEE OFFICIAL (@KB_official) 2018年9月18日HERO'S DREAM、そしてUFCで活躍した山本KID徳郁が死去した。享年41歳。山本は先月ガンの闘病中であると公表しており、海外にて療養生活を送っていた。
山本KIDは修斗で総合格闘家としてデビュー、HERO'Sに参戦して宇野薫や須藤元気を降し、また宮田和幸戦でか開始早々から飛び膝蹴りを浴びせて4秒殺と速攻勝利を挙げることで、たちまちHERO'Sの看板選手となり、またMMAの枠組みにもとらわれず、K-1 MAXにも出場、2004 Dynamite!!では魔裟斗とも対戦、レスリング出身だったこともあって2008年の北京オリンピックに出場するためにレスリングに出場するなど幅広く活躍するなど、格闘技界の大スターにのし上がっていった。
格闘技って全然知らない僕だけど、山本キッドさんってこの試合がすごく印象に残ってる。カッコよかったなあ。
R.I.P pic.twitter.com/fA1WfPmZR0
— Tatsunon (@ta2non) 2018年9月18日HERO'SがDREAMになると、山本は下火になる日本の格闘技界に見切りをつけるようにして、UFCと契約するも、負傷も重なって思うような活躍が出来なかったが、今思えばUFCと契約した時点で実力的にピークが過ぎていたのかもしれない。
その後東日本大震災チャリティーイベント『NIPPONFIGHT』で魔裟斗と対戦したが、UFCと契約したまま干された状態となり、沖縄に移り住んでからは事実上のセミリタイアとなっていた。
41歳での死は早すぎるとしか言いようがないし、山本KID自身も引退しておらず、後進の指導も含めて、やりたいことはいっぱい残っていたと思う。山本KID徳郁は格闘技界の大スターであり、格闘ブームの立役者の一人だった。
ご冥福をお祈りします
すごくショックだ。。。ご冥福をお祈りします。。。おつかれさま。 https://t.co/c5xNLyrYM7
— 鈴木みのる (@suzuki_D_minoru) 2018年9月18日早すぎる‥
心よりご冥福をお祈りします pic.twitter.com/nXYoeW63TU
— 丸藤 正道 (@noah_marufuji_) 2018年9月18日It’s heartbreaking...#RIP Norifumi “KID” Yamamoto
ご冥福をお祈りいたします。
— Shinsuke Nakamura (@ShinsukeN) 2018年9月18日今から33年前、スーパータイガージムにアマレスの練習で家族と共に来ていました。
彼は妹の面倒をよくみる優しい子でした。
たまたま昨夜、知り合いに彼の容態を聞いたばかりだったのですが。残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
https://t.co/JZhZlIBRae
— 北原光騎 (@kohki_capture) 2018年9月18日大学の時、柔道場にレスリングシューズで入ってきたキッド。
普通ならば注意するところキッドの肉食動物のような歩みに見とれてしまった。
ずっとかっこよかったよなあキッド。
ご冥福をお祈り致します。
山本KID徳郁さん41歳で死去 - Yahoo!ニュース https://t.co/I1soMNHK40 @YahooNewsTopics
— 関根シュレック(Sekine Shrek hideki)ビッグボディ (@Shrek3613) 2018年9月18日KIDさん日本の格闘技を盛り上げてくれて本当にありがとうございます。
自分より大きい選手を倒していく姿に体の小さかった僕はたくさん勇気貰いました。
これから引き継いでもっと盛り上げていきます。
天国でゆっくり休んでください。
ありがとうございました。 pic.twitter.com/FV8yEYq4mr
— 武尊 takeru (@takerusegawa) 2018年9月18日早すぎる… https://t.co/ehd9fr7rHJ
— 石森太二 (@taiji_ishimori) 2018年9月18日お悔やみ申し上げます.
何ていったらいいか …
さようなら私の友人。
I am glad to have known you Nori. Until the next fight, OK?
RIP https://t.co/btaOxtFJb9
— Josh Barnett (@JoshLBarnett) 2018年9月18日RIP.... Norifumi “Kid” Yamamoto pic.twitter.com/K8OJblm0ip
— Dana White (@danawhite) 2018年9月18日ご冥福をお祈り致します。
山本KID徳郁さん死去 41歳 2018年9月18日 https://t.co/lIkWUjThwH
— 永田裕志 (@nagata769) 2018年9月18日KID選手。
お会いした時に
日本の格闘技盛り上げてよ、君なら行けるよ
と言ってくださいました。
絶対盛り上げます。
ありがとうございました。
— 那須川 天心 (@TeppenTenshin) 2018年9月18日山本“KID”徳郁選手のご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。KID選手が世界の格闘技界に残した功績に心から敬意を表します。どうか安らかにお眠り下さい。残された我々はKID選手のファイティングスピリットを継承し、これからも全力で日本の格闘技界の発展の為に精進して参ります。#rizinff pic.twitter.com/d76tEa4uxp
— NOBUYUKI SAKAKIBARA (@nobu_sakakibara) 2018年9月18日KIDさん。
同世代のファイターにとってもスターであり憧れの存在でした。
ご冥福をお祈りいたします。
— 川尻達也tatsuya kawajiri (@CRUSHER_MMA) 2018年9月18日訃報すぎた。格闘技を超メジャーにしてくれたkidさん。ご冥福をお祈りいたします。
なんも言われん。ただただ残念
— 長島☆自演乙☆雄一郎 (@jienotsu) 2018年9月18日KID、こないだまで元気だったのに、、、
なんと言っていいかわからないが、
KIDの分まで格闘技の夢や希望、少しでも繁栄できるようがんばって生きていくしかない。
ご冥福をお祈りいたします
— 桜井マッハ速人 (@s_mach_hayato) 2018年9月18日RIP Kid Yamamoto . You gave us some really great fights pic.twitter.com/bkhVnLIBm4
— Davey Boy Smith Jr. (@DBSmithjr) 2018年9月18日娘のキッズレスリングの会場でご挨拶させて頂きましたが早すぎますね。。。ご冥福をお祈りいたします。
山本KID徳郁さん死去 41歳 | 2018/9/18(火) - Yahoo!ニュース https://t.co/aZY9xIS95x @YahooNewsTopics
— 高木三四郎 SanshiroTakagi (@t346fire) 2018年9月18日RIP Kid Yamamoto. Thank you for the inspiration.#KidYamamoto https://t.co/Hz1x03mVH5
— TOA Henare ヘナーレ (@HenareNZ) 2018年9月18日KIDくん。
あなたと一緒に戦った事。
あなたと一緒に練習した事。
あなたと一緒に仕事をした事。
あなたと一緒に笑った事。
一生忘れません。
安らかにお休みください
— 秋山 成勲 추 성훈 (@akiyamayoshihir) 2018年9月18日KIDさん、早すぎるよー!
お別れも出来ず残念でなりません。
心からご冥福をお祈り致します。
— 吉田沙保里 (@sao_sao53) 2018年9月18日ご冥福をお祈り致します。https://t.co/VmF0AqyuPa
— 近藤 朱里 syuri kondo (@syuri_wv3s) 2018年9月18日えっKID選手。最高にカッコ良くて時代のひとでした。あんなに強かったのに…。最後まで戦い続けたのだと思います。どうかゆっくりとおやすみください
— sayoko mita (@345m) 2018年9月18日KIDさん。KIDさんがいたから、たくさんの総合格闘技の軽量級選手が世の中に出て、格闘技で食べていくことができました。みんなの恩人です。心から感謝しています。ずっと追いかけ続けていました。本当に憧れでした。心よりご冥福をお祈りします。ゆっくり休んでください。
— 所英男 (@tokorodays) 2018年9月18日共に日本の格闘技界を盛り上げてきたKIDくん。自分より若い仲間を失うのは本当に辛いです。
今年の5月に電話でQUINTETの話をしたのが最後になってしまいました。
心よりお悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/Ba58kBci3g
— SAKU39 Official (@KS_SAKU39) 2018年9月18日ご冥福をお祈りいたします。 https://t.co/G7TseVHg1P
— 秋山準 (@jun0917start) 2018年9月18日マジかよ…
ご冥福をお祈り致します。
ショックだなぁ… https://t.co/OvQhXr5oZu
— 竹田 誠志 (@crazykid0813) 2018年9月18日人が亡くなったことに関して気軽にコメントを出せない。生死に関しては自分でも整理できていないし、答えもまだない。なのでコメントをお断りしました。ごめんね。
— shinya aoki 青木真也 GO!! (@a_ok_i) 2018年9月18日山本KID君の訃報に愕然。同世代のリアルヒーロー。大ファンだった。直接の面識はなかったのだけれど、真夜中の渋谷でクレイジービー軍団と氣志團がすれ違った際、「氣志團〜ッ!」と親指を立てて声を掛けてくれた事がとても嬉しかった。沢山の勇気をありがとう。どうか、どうか安らかにお眠り下さい。
— 綾小路 翔 (@ShowAyanocozey) 2018年9月18日巌流島が終わって、身体が動かない。やっと振り返ろうと思った矢先、山本KIDの訃報が。頭の中が真っ白だ。#巌流島
— 谷川貞治[巌流島] (@SadaharuTany) 2018年9月18日午後からずっとマスコミからKIDについての問い合わせが。思い出すと00年代、本当に色々なことがあった。格闘家の死の中でも、アンディ・フグと山本KIDは関わりが大きかった分、私にとっては特別な感情が。二人とも伝説になった。心よりご冥福をお祈りします。#巌流島
— 谷川貞治[巌流島] (@SadaharuTany) 2018年9月18日PR -
ビジャノⅢ
新日本プロレスに来日し初代タイガーマスクとも何度も対戦したビジャノⅢ(本名 アントゥーロ・ディアス・メンドーサ)さんが脳卒中で死去した、享年66歳。父はアメリカでUNヘビー級王者になったレイ・メンドーサで1973年に現在の兄のビジャノⅠ、ビジャノⅡにならってビジャノⅢに変身、初代タイガーマスクとは1981年6月24日の蔵前国技館と対戦。この試合は「水曜スペシャル」の特番枠で放送され(新日本プロレスワールドでも視聴できます)、その後も新日本に来日して初代タイガーと対戦した。
自分が印象に残った試合は昭和57年9月2日、福岡で行われた初代タイガーとの試合で、タイガーが保持していたWWFジュニアヘビー級王座がかけられた。初代タイガーがWWFジュニア王座を奪取後は、ビジャノⅢはなかなかベルトへの挑戦する機会が与えられなかったこともあって、やっと巡ってきたチャンスだった。
試合は初代タイガーが序盤から飛ばしてリードを奪ったが、側転してからのクロスボディーを放った際にタイガーは足を負傷、これを逃さなかったビジャノⅢは猛反撃してタイガーを苦しめたが、最後はタイガーがジャーマンスープレックスホールドで3カウントを奪い勝利、薄氷の防衛だったが、ビジャノⅢが最もタイガーを苦しめ、あと1歩まで迫った試合だった。
その後ビジャノⅢは11月に地元メキシコで初代タイガーの保持するWWFジュニア王座に再度挑戦したが王座は奪取ならず、初代タイガーとも対戦することはなかった。
ご冥福をお祈りします。
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マサ斎藤さんの告別式に長州、健介が揃った…通夜にはアントニオ猪木も来ていた!
7月14日に亡くなられたマサ斎藤さんの告別式が営まれ、武藤敬司とフロリダ時代の盟友だったザ・グレートカブキさんが弔文を読んだ後は、マサさんと共に外国人選手を発掘してきたブラット・レイガンス、WCW元副社長だったエリック・ビショッフ氏からもお悔やみのメッセージが届けられた、告別式にはマサさんとは疎遠となっていた長州力がタイガー服部レフェリーと共に列席、長州とは疎遠となっていたカン、健介&北斗夫妻も列席し、出棺の際には長州と健介が距離は取っていたものの棺をかついた。
長州の維新革命は維新軍団の前身である革命軍からスタートし、マサと長州、カン、小林邦昭がメンバーだったものの、カンは最初から長州に賛同していたわけでなく当時の新日本に不満があって共闘していたに過ぎなかった。考え方の違う長州とカンを取りまとめていたのもマサさんだった。
3人はジャパンプロレスへ移籍も、カンがWWFへ行っている間にジャパンプロレスは分裂、長州とマサさんは新日本へ戻ったものの、カンは日本マット界に嫌気を差して引退、それっきり長州とも会おうともしなかった。また健介もWJが経営悪化の際に金銭トラブルで長州と袂を分かっていたが、昨年からは距離は取っていたもののTV番組で競演する機会もあり、健介側も長州との和解に応じる構えを見せていた。
長州は健介、カンとのこういった形での再会をどう思ったのか、亡くなったマサさんが引き合わせてくれたことから、「もう昔のことだから」と和解して欲しいが…
最後にアントニオ猪木は告別式には列席しなかったが、上井文彦さんによると
猪木は通夜には斎場の前までは駆けつけていたが、斎藤倫子夫人にお悔やみの電話をかけるだけで留まり、猪木の出したTwitterも本人から出されたものだという。なぜ猪木は列席できなかったのか。猪木は引退してもプロレスラーであり、いつまでも元気というイメージが付きまとっている。またマサさんは猪木にとっては東京プロレスからの関係で、敵対しても信頼しきっている間柄、本当は駆けつけたかったが、戦友を亡くしたことで落胆し元気でなくなっている姿を見られたくなかったのでは…、差し出がましいがこういったときは思い切り泣いてもいいと思う。多分猪木のことだから人知れず泣いているのかもしれない…
自分にとってのマサさんは長州力の革命軍から知って、長州とのタッグではハイジャックパイルドライバーを含め様々な連係技を披露して、タッグマッチのあり方を変え、猪木との巌流島だけでなく、90年代は深夜枠に移行するまではワールドプロレスリングは土曜4時で時折りゴルフ中継が入るなどして不定期の放送で、その中でマサさんは実況の辻よしなり氏、解説の柴田惣一氏と共に解説を務め、苦境だったワープロを盛り上げてくれた。新日本にとっては最大の功労者、またマサさんが亡くなったと同時に80~90年代のプロレスが昔になっていく、マサさんの死は残念でもあり、寂しくなる。
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マサ斎藤
日本、アメリカと股にかけて活躍し、新日本プロレスではアントニオ猪木との巌流島の対決を繰り広げた。マサ斎藤さんが死去した。享年75歳。マサさんは2000年頃にパーキンソン病を発症も、その後は2020年に開催される東京オリンピックの聖火ランナーとして走るためにトレーニングを行うなど闘病を続けていた。マサさんは1965年に東京五輪レスリング日本代表として活躍した後で日本プロレスに入団も、相撲の縦社会的な日本プロレスに馴染めず、アントニオ猪木の旗揚げした東京プロレスへ移籍、だが半年後に分裂した際にはアメリカへ渡りフリーの一匹狼として活躍、高千穂明久とのタッグではフロリダマットで一世を風靡した。新日本や国際プロレスにも参戦して、ヒロ・マツダとのコンビで坂口征二、ストロング小林組から北米タッグ王座を奪取、昭和58年からは長州力率いる革命軍の影の総帥としても暗躍したが、主戦場はあくまでアメリカに置いていた。
長州がジャパンプロレスに移籍した際には、マサさんも追随する、ケン・パテラによる器物は損事件に巻き込まれて実刑判決を喰らい1年半収監されるも、マサさんは刑務所生活を長年に渡って蓄積されていた身体へのオーバーホールとして肉体改造にあてた。出所後は長州の新日本Uターンでの先兵となって、新日本に戻った。
猪木との巌流島での決闘の後は、長州の現場監督就任に伴い、外国人ブッカーに就任してWCWとのパイプ役となり、「ワールドプロレスリング」ではテレビ解説を務めたが、エル・サムライやマスクマン時代だったペガサス・キッドを本名で言ってしまうこともあって、実況の辻よしなりさんを困らせるも、現役選手としてはAWA世界ヘビー級王座も奪取するなどして活躍した。
1999年に現役を引退したが、この前後で既にパーキンソン病を発症し、それでもWJプロレスを旗揚げした際には外国人ブッカーに就任も、WJプロレスが崩壊後は長州と疎遠となり、佐々木健介の招きで健介オフィスのアドバイザーに就任、だが健介オフィスがプロレス興行から撤退後は闘病に専念した。
マサさんは2016年12月2日、大阪城東区民センターで行われた上井文彦プロデュース興行「Strong Style History~Go for Broke!! Forever~」でリングに上がった際に海賊男に扮した武藤敬司の強襲に応戦、レスラーとしての意地を見せつけた。自分もVTRで見たが、マサさんがこれだけ厳しい状況になっていることは思って見なかった。
この興行に際し長州は「なぜ公の場にマサさんを出したんだ!」と上井さんに怒るも、上井さんは「じゃあ、あなたがマサさんに謝ればいいじゃないですか」とたしなめた。だが長州は謝る意志はあったがきっかけを作れないまま・・・、長州にとって一生の後悔だと思う。
自分もマサさんが東京オリンピックの聖火ランナーとして走る姿を見たかったし、それまで元気でいることを信じていた。残念としか言いようがない。
ご冥福をお祈りします
【訃報】マサ斎藤さん逝去 https://t.co/0l4mHODu0n #週プロモバイル
— 週刊プロレス (@shupromobile) 2018年7月16日マサ斎藤選手の訃報に接し、心より哀悼の意を表します。思えば斎藤選手とは、東京プロレスからの長きにわたるご縁であり、巌流島での2人だけの決闘は忘れることができません。私のライバルとして、五輪代表選手として、尊敬できるレスラーでした。
ご苦労さまでした。
アントニオ猪木
— INOKI ISM (@ISM_CORALZ) 2018年7月16日尊敬するマサ斎藤さんが亡くなられた。お互いにアメリカマットで活動していたこともあり、一番話が合う大先輩だった。豪傑な中に繊細な心を持ったマサさんは、とてもチャーミングな方だった。お元気になられたらマスターズにもお声掛けしようと思っていただけに…悲しい。どうぞ安らかにお眠り下さい。 pic.twitter.com/e9KljevUUT
— 武藤 敬司 (@muto_keiji) 2018年7月17日尊敬するマサ斎藤さんの悲報
強豪外国人選手,WCW,nWo…困難な海外渉外、マサさん無くして新日本の成功はなかった。
「世界のマサ斎藤さん」の
御冥福をお祈りします。
マサ斎藤さん死去…猪木と“巌流島の戦い”パーキンソン病闘病中 : スポーツ報知 https://t.co/dGnDeb8LN6
— 蝶野正洋/Chono Masahiro (@masahirochono) 2018年7月16日新日本プロレスの歴史を語るうえでは欠かせない方でした。「Go For Broke!」、監獄固め、維新軍、ベイダー、TV解説、たくさんの記憶が蘇ります。
『ご冥福をお祈りします』
マサ斎藤さんが死去 アントニオ猪木氏と巌流島で死闘(東スポWeb) - Yahoo!ニュース https://t.co/o8KeYvj6wH
— 新日本プロレスリング新日企画 (@njkikaku) 2018年7月16日マサ斎藤さんの訃報を目にしました。
私が海外遠征を終えてからは、解説者としてお世話になりました。
いつも辛口でしたが、山本小鉄さんと同様、愛のある叱咤激励だったと解釈してます。
長年、闘病生活を続けながらリングへ上がろうとする姿に勇気づけられていました。
ご冥福をお祈り致します。
— 小島 聡【SATOSHI KOJIMA】 (@cozy_lariat) 2018年7月16日マサ斎藤さんのご冥福をお祈りいたします。
マサ斎藤さんが死去 アントニオ猪木氏と巌流島で死闘(東スポWeb) https://t.co/PgnZZCg9V0
— 永田裕志 (@nagata769) 2018年7月16日マサ斎藤さん、直接の接点はほぼ無かったがマサ斎藤さんのプロレス界への功績はすごいものだと思う。勝彦も北宮もマサ斎藤さんがいたから今ここにいる。
ご冥福をお祈り申し上げます。 https://t.co/yyD25znIvj
— 丸藤 正道 (@noah_marufuji_) 2018年7月16日残念です。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
マサ斎藤さんが死去 アントニオ猪木氏と巌流島で死闘(東スポWeb) - Yahoo!ニュース https://t.co/a9AJjvrAPk @YahooNewsTopics
— 内田雅之 (@masa_uchida) 2018年7月16日僕がプロレス界に入り、一番始めに付き人につかせていただいたのが、マサ斎藤さんでした。マサ斎藤さんの付き人生活は数日で終わったのですが僕にとっては幸せな時間でした。マサ斎藤さんの御冥福を心からお祈りいたします。
— 大谷 晋二郎 (@otani_shinjiro) 2018年7月16日マサさん、いろいろと沢山の
ご指導ありがとうございました。
心から、お悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/GRD93ikEAL
— 金本浩二 (@k_kanemoto) 2018年7月16日マサ斎藤さんの突然の訃報、驚きと悲しみで言葉がありません。つい3週間前にNumberで、必死にリハビリする姿を取材させてもらったばかりなのに……。マサさんは生涯最大の敵パーキンソン病を相手に、まさにGo for broke!の精神で18年間闘い抜いてくれたと思います。心よりご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/IZ1p5YAZxl
— 堀江ガンツ (@horie_gantz) 2018年7月16日お会いしてみたかったです https://t.co/PiBdstVglB
— Hideki suzuki (@hidekisuzuki55) 2018年7月16日Rest in Peace the legendary Japanese wrestler Masa Saito #goforbroke pic.twitter.com/wxyI1GD82Y
— Shinsuke Nakamura (@ShinsukeN) 2018年7月16日R.I.P マサ斎藤
— グンソ@ダブプロレス公式 (@dove_proresu) 2018年7月16日あーぁ、マサさんが亡くなったのか。
プロレス学校時代、当時18才だったかなぁ、よく声をかけて頂き、いろんなアドバイスをしてもらったこと思い出したよ。
その時は嬉しかったなぁ。
ご冥福をお祈りします。
— 金原弘光 (@kane8ra) 2018年7月16日WWE is saddened to learn that Masa Saito, a former World Tag Team Champion and AWA Champion, has passed away. https://t.co/YiuOumxhAq
— WWE (@WWE) 2018年7月16日RIP Masa Saito. May your reigns of terror never be forgotten. pic.twitter.com/WzwyH1dBva
— Samoa Joe (@SamoaJoe) 2018年7月16日Great memories. pic.twitter.com/5BBmK8LrlI
— Eric Bischoff (@EBischoff) 2018年7月16日Do yourself a favor and watch a few Masa Saito matches today. Man... he was awesome. Go For Broke. RIP. pic.twitter.com/pDHB5L78cN
— KASSIUS (KASH-US) (@KassiusOhno) 2018年7月16日Masa Saito was in the first tag team match I ever saw on TV 1981.
I was fortunate to be a fly on the wall while him and Nick Bockwinkel (I was the 3rd wheel) had lunch at our hotel in Tokyo in 2006. I was floored by how nice of a man he was.
A true legend. Rest well. pic.twitter.com/IVQ73OrTL0
— Steve Corino (@WWECorino) 2018年7月16日久しぶりに描いてみたら描けたよ、マサさん…。ありがとう、忘れません。 pic.twitter.com/D0Tc5epxEQ
— 森田まさのり (@HITMANmorita) 2018年7月16日【獄門鬼よ永遠に】
味のプロレスをマサ斎藤に捧ぐ。。 (╥_╥)
マサさん・・大好きだった。涙#プロレス #味のプロレス #マサ斎藤 pic.twitter.com/Tvg2bG2gRs
— アカツキ@6/30書籍発売!! (@buchosen) 2018年7月16日★近年は、取材でマサさんの御宅にお邪魔させてもらった。最後にお会いしたのは16年5月だった。言葉は出にくかったけれども記憶力は抜群だし、日系人レスラーのスニーキーな所作やタックルに入る動作を身振り手振りで説明してくれる時の動きは現役当時のものだった。もっとお話を聞きたかった。合掌。 pic.twitter.com/C1Msrq3dXz
— 小佐野景浩 (@osano2) 2018年7月16日今の自分の力ではどうにもならない理不尽な暴力に巻き込まれた時、神様が現れ「今、誰になりたい?」と問われたら「マサ斎藤!」と即答する。
マサ斎藤さんとはそんな存在。
男子力の究極形態。
— 村田晴郎 (@MTharuo) 2018年7月16日ビッグバン・ベイダー、誕生。たけしプロレス軍団。 pic.twitter.com/7vHcdmb6VP
— ターザン山本! (@tarzany) 2018年7月16日 -
ビッグバン・ベイダー
(日刊スポーツより)
新日本プロレスと全日本プロレスで活躍し、IWGPヘビー級王座、3冠ヘビー級王座両方を外国人として唯一、獲得した米国人レスラーのビッグバン・ベイダーさん(本名・レオン・ホワイト)が、18日午後7時28分(現地時間)、米国で亡くなった。ベイダーさんの公式ツイッターが発表した。63歳だった。公式ツイッターによると、ベイダーさんは1カ月前に重症の肺炎にかかり、懸命に闘病を続け、一時は回復に向かったものの、亡くなったという。新日本プロレス、WCW、UWFインターナショナル、WWE、全日本プロレス、NOAH、WJなど日米股にかけて活躍したビックバン・ベイダーさんが肺炎で死去した。享年63歳。
1987年12月に新日本プロレスに初来日し、IWGPヘビー級王座を奪取してから新日本のトップ外国人に上り詰めてから、Uインターでは世界ヘビー級、全日本では三冠ヘビー級、アメリカWCWに進出してWCW世界ヘビー級を獲得するなど様々なタイトルを獲得してきた。
ベイダーが最後に来日したのは昨年4月のDRADITION、自分も大阪大会を観戦したが、以前より身体が一回り小さくなって、年齢を感じさせてしまった。このときも後楽園大会で藤波辰爾のボディースラムが崩れたことで頭部を強打、体調不安が心配されたが、3戦だけのツアーは無事完走、大阪大会後の藤波とのトークショーでも貴重な証言を聞くなど良い体験をさせてもらった。
DRADITIONのときも余命宣告を受けていたこともあって最後の来日と銘打たれていたが、本当にDRADITIONが最後の来日になるとは思わなかった。NOAHに来日した際に、甲冑を着けて入場したものの、最前列で見ている子供の頭をなでるなど優しい一面を見せたことも、今となっては良い思い出となった。
ご冥福をお祈りします
ベイダー追悼 / 藤波辰爾がベイダー招聘へ・・・ベイダーと飛龍革命: https://t.co/U5j7ZOx9a6
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2018年6月20日ベイダー追悼 / チャンピオンカーニバルヒストリー⑨小橋が念願の初優勝!四天王プロレス時代の突然の終焉: https://t.co/PlimfbFvZn
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2018年6月20日ベイダー追悼 / 初めてのDRADITION・・・藤波と生誕30周年ベイダーのストーリーはまだまだ続く: https://t.co/Vd5Nnsn6f9
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2018年6月20日It is with a heavy heart to inform everyone that my father, Leon White, passed away on Monday night (6/18/18) at approximately 7:25pm. pic.twitter.com/dP4CNaMuXa
— Big Van Vader (@itsvadertime) 2018年6月20日WWE is saddened to learn that Leon White, better known to WWE audiences as Vader, passed away Monday night at the age of 63. https://t.co/UNIbdS680I
— WWE (@WWE) 2018年6月20日試合ではデカくて怖くて激しい人だったけど、普段はとっても優しい人でした。俺が試合中に膝の靭帯を切って動けなくなったとき救急車が来るまで裏で「大丈夫だ」って言って抱き締めてくれた。
ご冥福をお祈り申し上げます。
合唱。 https://t.co/LaoZWh9EYq
— 丸藤 正道 (@noah_marufuji_) 2018年6月20日ノアに入団して
すぐくらいにやったシングルマッチ。
瞬殺で悔しい思いをしたけれど
今思うと良い経験させていただきました。
巡業中に食事に誘ってもらったり、
一緒に甘いサワーで乾杯したり
とっても可愛がってもらいました。
ベイダーさんありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
— モハメド ヨネ (@muhammad_yone) 2018年6月21日
— Cody Hall (@Cody_Hall1) 2018年6月20日また一人、ノア創成期を支えてくれた方が旅立ちました。
いつも「今日のレフェリーはお前か?」と聞いてきて「イエス」と答えるとニコッとするとあの顔は今も忘れられません。
ベイダー選手のご冥福をお祈りいたします。#RIPVader #皇帝戦士 #VaderTime #noah_ghc pic.twitter.com/IR2Zo0sAc9
— 西永 秀一 (@shu_nishinaga) 2018年6月20日ベイダー選手が亡くなったとニュースが入って来ました。
1997年9月のFMW川崎球場大会の試合終了後にベイダーさんが僕の控室に来てくれお互いに”今度はリングで会いたいな”と熱い握手をして別れましたが、1年も経たないうちに全日本プロレス東京ドーム大会で対戦した事を思い出します。
合掌
— 小橋建太 (KENTA KOBASHI) (@FortuneKK0327) 2018年6月21日【訃報】ビッグバン・ベイダーさんが逝去https://t.co/3CuJsHlKpt#njpw pic.twitter.com/Bttwl89aLs
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) 2018年6月21日ベイダーさんが頻繁に来日していた頃、私はヤングライオン(若手)でした。
なので、当時の外国人トップのベイダーさんと闘った経験はなく、いつもセコンドから羨望の眼差しで見ていた記憶があります。
こんなにデカくて動けて強い人、いるんだ…という印象があります。
御冥福をお祈りします。
— 小島 聡【SATOSHI KOJIMA】 (@cozy_lariat) 2018年6月22日Leon White entertained (and intimidated) audiences all over the world with his size, strength, and agility. Saddened to hear of his passing and our thoughts are with his family at this time. #RIPVader pic.twitter.com/5jtryoSvpI
— Triple H (@TripleH) 2018年6月20日沢山の思い出があります。
謹んで御悔やみを申し上げます。#ajpwtv #ajpw #ミドルエッジ https://t.co/3VnLBaZ02W
— 大森 隆男(Takao Omori) (@omoritakao) 2018年6月20日一度対戦させて頂いたのが貴重な体験です。
ご冥福をお祈りします。https://t.co/khwl8UEXhw
— 石川修司 (@g0925union) 2018年6月21日僕がプロレスを好きになった憧れの人。試合で組んだり、会場で一緒にトレーニングしたり、アドバイスを頂いたりした時は本当に嬉しかった。凹むわ。早すぎる。 pic.twitter.com/4lJQGA1LeI
— 浜 亮太(大日本プロレス) (@hamachanko) 2018年6月21日ビックバン・ベイダーさんの訃報に際し、心より御冥福をお祈りします。
2011年3月27日(日) 東日本大震災の年に、靖国神社奉納プロレスに参戦してくれました。ありがとうございました。 #pwzero1 #ビックバンベイダー https://t.co/A5PWKBgZ07
— プロレスリングZERO1 (@ZERO1_Wrestling) 2018年6月21日俺の師匠と言っても過言じゃない、ベイダーが亡くなった。日本に来る度、付き人させていただき、アメリカ行った時も自宅に連れて行っていただき、めちゃくちゃ可愛がってもらってた人でした。安らかにお眠りください。
去年の4月に付き人させて頂き、沢山話しました。本当にありがとうございます。 pic.twitter.com/zG5TVoEccj
— 橋本友彦 (@apache84tomo) 2018年6月20日日本プロレス史上最強ガイジンレスラーの思い出は尽きません…ご冥福をお祈りします/プロレスラーのビッグバン・ベイダーさん死去(日刊スポーツ) https://t.co/g2sSFX3IrN
— ジャン斉藤 (@majan_saitou) 2018年6月20日It's with sad condolences to hear that my long time friend @itsvadertime has passed away. He was a great person to manage and a great human being. pic.twitter.com/R7itvDEdpe
— Harley Race (@8XNWAChampion) 2018年6月20日Sorry To Hear About The Loss Of Another Great! Rest In Peace My Friend! pic.twitter.com/O0NvIINS3l
— Ric Flair® (@RicFlairNatrBoy) 2018年6月20日REST IN ABSOLUTE POWER
Leon "Big Van Vader" White is probably my favorite big man in wrestling of all time, especially his Super Vader run in UWFI
It will forever be VADER TIME.
Thank you big man. #VaderTime #BigVanVader #LeonWhite #Vader pic.twitter.com/Bu5fJP5nI2
— Josh Barnett (@JoshLBarnett) 2018年6月20日NEW, The Jim Ross Report Show is LIVE!
Vader Tribute#RIPVader @wwe @njpwglobal
@AXSTV @ringofhonor @RondaRousey
https://t.co/YM9cPpOEWv
— Jim Ross (@JRsBBQ) 2018年6月20日6月18日にベイダーことレオン・ホワイトさんが亡くなった。昨年4月にインタビューした時に「恐れて生きることを私は拒絶する。今の私に恐れはない。あとどれぐらい生きられるかわからないが、これは私の人生だし、自分の思うように生きる」と言っていたことを思い出す。ご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/8QxrtqKTJF
— 小佐野景浩 (@osano2) 2018年6月21日ベイダーさんは普段、温厚でとても優しい方でした。
試合中にベイダーさんのかかとが私の左足にあたり内出血してドス黒くなり、今でも少し跡が残ってるのがベイダーさんと私との証です。
御冥福をお祈りいたします。
— 福田明彦 (@noahhukuda) 2018年6月21日
— DRADITION【公式】 (@DraditionDragon) 2018年6月21日ビッグバンベイダーさんがお亡くなりになられたとの情報が入ってきました。
ご冥福をお祈りいたします。
— 永田裕志 (@nagata769) 2018年6月20日ベイダータイムが終わってしまった。
初めて見た時「こんなバケモノに勝てるやつがいるのか?」と度肝を抜かれたものだ。デカくて凄くて、どこから見ても、誰が見てもプロレスラーなプロレスラーでした。
皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、どうか安らかに。
— 村田晴郎 (@MTharuo) 2018年6月20日ベイダーさんのご冥福をお祈りいたします。https://t.co/ZsN4jxCZy4 pic.twitter.com/kv9j0yqCv3
— 高木三四郎 SanshiroTakagi (@t346fire) 2018年6月21日ベイダーさんが亡くなった…昨年の4月にドラディションで試合をし、試合後のセレモニーでも倒れて体調が悪そうだったけど、試合では元気いっぱいだったので大阪の試合後「See you!」「I hope so」と会話をしたのが最後になってしまいました。寂しいぞ皇帝戦士#RIPVader pic.twitter.com/zmD3gOnzcI
— ジェントル高久 (@gentle_1047) 2018年6月20日ビッグバン・ベイダーさん、Uインターの時にスタッフが足りなくて試合の後に成田空港まで送ったことを今でも覚えています。心よりご冥福をお祈りいたします。R.I.P. #RIPVader
— SAKU39 Official (@KS_SAKU39) 2018年6月21日中野坂上の安い居酒屋にて
ダンカンさんとキッドと東スポの人で
呑んで作ったたけしプロレス軍団!
ワクワクしたっけ!
そこにレオンホワイト
— 玉袋筋太郎 (@snack_tama) 2018年6月20日IGFの時にベーダーさんと仕事しました。当時の新日の話とか聞かせてくれました。IGFで来た時はまた日本人レジェンドたちと再開できて喜んでました。とても本当残念です。R.I.P.
— Simon (@iSimonWorld) 2018年6月21日オジちゃん pic.twitter.com/fX8JtLXMKB
— 玉袋筋太郎 (@snack_tama) 2018年6月20日 -
馬場元子
ジャイアント馬場さんの未亡人であり、元全日本プロレス社長だった馬場元子さんが死去した。先週には馬場さんの盟友だったブルーノ・サンマルチノさんが死去したばかりで、馬場さんのゆかりの人がまた亡くなってしまった。
元子さんは馬場さんにとって大事な片腕的存在であり、それが故に選手やスタッフに嫌われることが多かったが、馬場さんだけでなくファンに対して細かいところまで配慮していたのも事実だった。
自分も馬場体制時の全日本を何度も観戦してきたが、グッズ売り場の馬場さんのそばにはいつも元子さんがいて、それがまたいつもの全日本の光景でもあった。
馬場さん死去後は常に全日本から時の流れと共に消されようとしているジャイアント馬場を守ろうとしてきた。馬場さんの存在を守るために三沢光晴と対立し、秋山準に全日本プロレスを任せ、曙に"王道"の錦の御旗を譲り渡した。それは全て馬場さんの存在を守るためだった。
仲田龍さん、永源遥さん、ジョー樋口さん、ジャンボ鶴田、そして三沢…、そして元子さんと亡くなり、馬場全日本がもう昔になったとしか思わざる得ないし、もう懐かしいあの時代には戻れないことを改めて痛感している。
ご冥福をお祈りします
【訃報のお知らせ】
故・ジャイアント馬場さんのご夫人である馬場元子さんがご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。https://t.co/8TGYQoDozk pic.twitter.com/awAbDIIFu2
— 全日本プロレス/alljapan (@alljapan_pw) 2018年4月23日親族の方が大切なシリーズ中なのでシリーズ後にお知らせをと思っていたらしいのですが…今朝お聞きしました。残念です。
ご冥福をお祈り致します。 https://t.co/ZtwioEo2kc
— 秋山準 (@jun0917start) 2018年4月23日馬場元子さんの訃報をききました
あまりに突然の事で・・・
生前は大変お世話になりました
ここでは書ききれないくらい本当にお世話になった
改めてご冥福をお祈り致します。#ajpw #ミドルエッジ
— 大森 隆男(Takao Omori) (@omoritakao) 2018年4月23日馬場元子さんが ご逝去されたことを知り大変驚いています。
ご冥福をお祈り致します。
— 諏訪魔 (@suwama_H2) 2018年4月23日お会いする機会は多くはありませんでしたが、その際にはいつも笑顔で接していただいたことを覚えています。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 https://t.co/33GZC9AC9T
— 中島 洋平 (@nakajima_youhei) 2018年4月23日馬場元子さんのご冥福をお祈り申し上げます。大変お世話になりました。ありがとうございました。 pic.twitter.com/WKfVPIHi5a
— タイガー木原 (@tigerkihara) 2018年4月23日まだ僕が18,19の頃に地方でゲームセンターに一緒に行ってUFOキャッチャーとかやったのがとても良い思い出。
ご冥福をお祈りいたします。 https://t.co/PKwY0Jiv7x
— 丸藤 正道 (@noah_marufuji_) 2018年4月23日驚きました
心より、ご冥福をお祈りいたします。
https://t.co/VKPuQwKVLP
— 内田雅之 (@masa_uchida) 2018年4月23日元子さんには、ウラノと全日本プロレスさんに参戦時、お世話になりました。何もわからない2人に色々とご指導していただきました。残念です
ご冥福をお祈りします。
— Hi69 (@69HIROKI69) 2018年4月23日謹んでご冥福、お祈り申し上げます。
故ジャイアント馬場さん夫人・元子さん死去(東スポWeb) https://t.co/z1HgxOC7Si
— オッキー沖田01 (@okizoukantoku) 2018年4月23日元子さんには…本当に可愛がってもらいました
俺にとっては…第2の母親のような人でした…
心から…ご冥福をお祈りします
大仁田厚
「ジャイアント馬場さんの防波堤のような人だった」元子夫人の訃報受け、大仁田厚氏語る(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース https://t.co/9JckU8qn5W
— 大仁田厚 (@onitafire123) 2018年4月23日ご冥福をお祈り致します。
故ジャイアント馬場さん夫人・元子さん死去(東スポWeb) https://t.co/qq1BpYYxQF
— 永田裕志 (@nagata769) 2018年4月23日R.I.P. to Motoko Baba, wife of Giant Baba. I remember she would always send my Father gifts for my family growing up. A very influential woman in All Japans business pic.twitter.com/DOPd8dtbtu
— Davey Boy Smith Jr. (@DBSmithjr) 2018年4月23日馬場元子さんが亡くなったみたいだ…
当時元子全日本に入門した新弟子の中でも俺だけには厳しく当たりがキツい人だったが…
俺が馬場元子全日本プロレス、最後の新弟子だった
ご冥福をお祈りいたします
— タイチ (@taichi0319) 2018年4月23日馬場元子さんの訃報が、、、
KAIENTAIDOJOがまだ日本に上陸前に一期生ウラノとヒロキを全日本プロレスに上げてもらったことがありました
その後いろいろありましたが大変お世話になりました
ご冥福お祈りいたします
— TAKAみちのく (@takam777) 2018年4月23日Very saddened to hear the news that Mrs. Baba has passed away. Condolences to family & friends.
— Simon (@iSimonWorld) 2018年4月23日自分にとってプロレス人生の
父が馬場さんで
母は元子さんでした
馬場さんの時もそうでしたが
病んでる姿を誰にも見せたくない
誰にも知られたくない
最後まで元子さんらしです
長い間お世話になり
ありがとうございました
ご冥福をお祈りいたします pic.twitter.com/zfLXK9MKn1
— 麺ジャラスK 店長 (@orenooudou) 2018年4月23日今日、夢の中に元子さんが現れた。サンマルチノのことは元子さんのコメントが聞きたい。
— ターザン山本! (@tarzany) 2018年4月18日突然の訃報…元子さんは今、馬場さんと再会していると信じたいです。ゴングでバイトを始めた18歳の時からお世話になり、血気盛んな全日本担当記者や編集長時代にはお手を煩わせ、フリーになってからは何かと気にかけてくださいました。今はただ、ご冥福をお祈りします。
— 小佐野景浩 (@osano2) 2018年4月23日NOAH勢が大量離脱して、全日本が存亡の危機に陥った時に
元子さんがリング上から、マイクでまさかの天龍さんを呼び込んだ時は
あまりの感動に、不覚にも涙してしまいました。
— 山本雅俊 (@yamamosiki) 2018年4月23日Mrs. Baba past away. May she rest in peace.https://t.co/2hGYXJBTIB#AllJapanProWrestling
— 鶴田祐士Yüji Tsuruta (@YujiTsuruta) 2018年4月23日ある日、タバコのJTのロゴを見た元子さんに『パンチくんJTは何の略?』と聞かれ、あろうことか『ジョージ高野ですか?』とマジボケしてしまった私。『ジャンボ鶴田に決まってるでしょ!』と元子さん。完全に失言、怒られた。
#しかもジョージはGだし
— パンチ田原 (@punchtahara) 2018年4月23日 -
人間発電所 ブルーノ・サンマルチノ
WWE is saddened to learn that WWE Hall of Famer Bruno Sammartino has passed away at age 82. https://t.co/B8nUabP0oh
— WWE (@WWE) 2018年4月18日元WWFヘビー級王者で日本プロレスや全日本プロレスに来日したブルーノ・サンマルチノさんが死去した、享年82歳
サンマルチノさんは1963年5月17日に、ニューヨーク・マジソンスクエアガーデンでバディ・ロジャースをカナディアン・バックブリーカーで僅か48秒で破り、WWWF世界ヘビー級チャンピオンとなり、272キロと体重があるヘイスタック・カルホーンをエアプレンスピンで投げるなどして怪力で、7年8ヶ月の間、ニューヨークの帝王に君臨し若手時代からの友人であり出世を誓い合った最大のライバルの一人である、ジャイアント馬場さんとも対戦。
日本への初来日は1967年の日本プロレスで、この時は立場が入れ替わり馬場さんのインター王座にサンマルチノが挑戦も、この頃から腰痛に悩まされ得意のバックブリーカーを使わなくなっており、ベアバックを必殺技に使っていた。
1972年10月には全日本プロレスの旗揚げに参戦、後にWWFは新日本プロレスと業務提携を結ぶも、サンマルチノさんは馬場さんとの友誼を優先して全日本に参戦し続けた。しかし1976年4月にスタン・ハンセンとの防衛戦の際に、ボディスラムの受身に失敗して首を骨折、サンマルチノさんは2ヶ月で首が完治しないまま復帰するも、この首の骨折が選手寿命を縮める結果となり、1981年に引退を表明、現役最後の試合は1981年10月全日本プロレス蔵前国技館大会での馬場さんとのタッグでタイガー・ジェット・シン、上田馬之介組だったが、実はWWFのリングで息子のデビット・サンマルチノとのタッグで一時復帰をしたこともあるという。
その後ビンス・マクマホンと折り合いが悪くなり、WWFとは絶縁となっていたが、HHHとの交渉でWWEと和解、WWE殿堂入りを果たした。
自分がテレビでサンマルチノさんの試合を初めて見たのは、日本で行われた引退試合、そして生で見たのは1999年5月2日東京ドーム大会での「ジャイアント馬場引退試合」だった。
ご冥福をお祈りします
-
ドン荒川
新日本プロレス、SWSでは中堅で活躍したドン荒川さん(本名・荒川真さん)死去していたことが明らかになった。享年71歳。荒川さんは11月2日に亡くなっていたという。
、レスリング出身だが、レスリングの試合で松浪健四郎相手にドロップキックを放って反則負けとなる逸話を残し、荒川さんは1972年7月に新日本プロレスでデビュー、同郷で鹿児島出身の栗栖正伸とは『鹿児島選手権』と称され、前座ながらも激しい試合を繰り広げた。自分が知ったのはフジテレビのバラエティー番組「おれたちひょうきん族」での一コーナーである「ひょうきんプロレスアワー」では力道山に扮してお笑い芸人相手にお笑いプロレスを展開、(実はレフェリーとして永源遥さんも出演していたという)、この頃から黒のロングタイツを着用して"前座の力道山”として活躍しており、永源さんとのコミカルプロレスも新日本の前座の定番となり、アントニオ猪木も秘かな楽しみにしてたという。
そして1984年に長州力、前田日明ら新日本を退団し大量離脱したことを受けて、荒川は手薄となったジュニア戦線に借り出されてザ・コブラの保持するNWA世界ジュニアヘビー級王座にも挑戦するも、その直後に新日本はWWFとの業務提携を解消したことで、コブラの最後の挑戦者となった。しかしその反面「(ガチで)行け!!」と選手を焚き付けることも多く、長州ら長州軍団がUターンしてきたことに面白くなかった若手時代の橋本真也を炊きつけ、ヒロ斎藤とのシングルで橋本はヒロの技を一切受けず徹底的に痛めつけ、手の甲を骨折させてしまうい、これに怒った長州軍団が橋本を制裁(リンチ)する。今思えば長州らが戻ってきたことに一番面白くなかったのは荒川さん本人で新日本を離れる理由の一つだったのかもしれない。また永源さん同様タニマチとの付き合いも多く、長嶋茂雄さんとも顔なじみだったが、その顔の広さもあってメガネスーパーの社長だった田中八郎さんとの縁も出来た。
1990年に荒川さんはSWSに参加、ジョージ高野らの「パライストラ」に属したが、ここでも選手を炊きつけることが多く、北尾光司を焚きつけてビック・ジョン・テンタとのシュート事件を引き起こさせ、そのせいもあって天龍源一郎やブッカーだったザ・グレート・カブキからもとことん嫌われ、今でも天龍は荒川を嫌悪している。
SWS分裂後はどこも属さずメガネスーパー社員として残り、SWS所属として全日本プロレスやビックマウス・ラウドにも参戦、ユークス体制となった新日本にも2007年に参戦し、2011年に新日本での功績が認められてNJPWグレーテストレスラーズを受賞した。
近年表舞台にも現れず、アントニオ猪木のISM両国大会にも顔を出さなかったこともあって、荒川さんも現在の猪木の側近達に嫌われたのかなと思っていたが、病床だったとは思っても見なかった。猪木も荒川を可愛がっていたのもあって、一番悲しんでいるのは猪木本人なのかもしれない。
ご冥福をお祈りします。
(荒川さんの試合は新日本プロレスワールドにはなく、ビックマウスでの試合があったのでアップしました)ドン荒川さんがお亡くなりになりました。みちプロでは絡みはありませんが藤原組新潟大会でお酒を一緒に飲ませて頂きました。TAKA代表が「鮭茶漬け」を注文したら、荒川さんがイタズラした「日本酒入り酒茶漬け」が出てきて、豪快に笑いながら「完食しなさい」と語る姿が懐かしい
ご冥福をお祈りします
— 《公式》みちのくプロレス (@michipro_jp) 2017年12月1日 -
ジョー大剛
10月の月間MVP、ベストバウト、ベストシリーズ&興行の投票受付中です!投票はこちら→:https://t.co/HpgZqNVYdN 投票よろしくお願いします!
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年11月2日国際プロレス、新日本プロレスで外国人ブッカーを勤めたジョー大剛さんが大腸癌で死去した。享年75歳。
大剛さんは東京プロレスでデビューした後で崩壊に伴って国際プロレスに移籍、将来のエース候補として期待を寄せられていたが、1974年に海外武者修行先でのカナダで交通事故に遭い、右脚を切断。レスラー人生は絶たれたが、その後で外国人ブッカーに就任、ジプシー・ジョーやアレックス・スミノルフなどを発掘して国際プロレスに送り込み、国際プロレスも破格なブッキング料を取るAWAから大剛ルートに乗り換えた。
国際プロレス崩壊後は、社長だった吉原功氏が新日本の顧問に就任したことで、大剛氏は当時WWFとの提携が切れ外国人ルートが弱体していた新日本プロレスの北米支部長に就任、キングコング・バンディ、ハクソー・ヒギンズ、ビリー・ジャック、コンガ・ザ・バーバリアン、、クラッシャー・バンバン・ビガロ、ビシャス・ウォリアー、後にレザー・フェイスに変身するコーポラル・カーシュナー、後にジ・アンダーテイカーに変身するパニッシャー・ダイス・モーガンを発掘して新日本に送り込み、トレーナーとしても海外武者修行にきた天山広吉、小島聡、真壁刀義、大谷晋二郎、吉江豊、デイビー・ボーイ・スミスJr.などを鍛え上げた。
大剛氏も1990年代の新日本プロレスの立役者の一人だった。ご冥福をお祈りします。
今朝、西村修さんから大剛鉄之助さんの訃報を聞きました。
今から24年前の1993年の6月に、海外武者修行でヨーロッパに行きました。
そして、大剛さんに出会い、言葉では言い尽くせない程たくさんの事を学びました。
まだ信じることが出来ませんが、心よりご冥福をお祈り致します。合掌。
— 天山 広吉 (@TENZAN323) 2017年11月5日本日の会場入り直前で、テンザンから大剛さんの訃報を聞きました。
私にとってもテンザン同様、海外遠征時で大変お世話になった方です。
厳しくも優しい、もう一人の父親のような存在でした。
思い出が尽きませんが…ご冥福をお祈り致します。
— 小島 聡【SATOSHI KOJIMA】 (@cozy_lariat) 2017年11月5日「細い身体だな!」など僕に罵声ばかりだった大剛さん。しかしながら約4ヶ月マンツーマンで稽古をつけてくださり、僕が帰国する際、空港で「お前は本当に頑張ったな!」と握手してくださった。大剛さん!厳しい指導を本当にありがとうございました!大剛鉄之助さんの御冥福を心よりお祈りいたします。
— 大谷 晋二郎 (@otani_shinjiro) 2017年11月5日 -
ケンドー・カシンの生みの親 オットー・ワンツ
AWA世界ヘビー級王者となり、第1、2回IWGPリーグでヨーロッパ代表として来日したオットー・ワンツさんが死去した。享年73歳。2000年にCWAを閉鎖してからプロレス界からも去り、タレントとして活躍していたという。
ワンツさんの初来日は国際プロレスで、新日本プロレスには1976年1月にブルドック・オットーのリングネームで初参戦、1973年にはドイツを本拠地とする初代CWA世界ヘビー級王者となってからCWAのエース兼プロモーターとなり、1978年11月には1978年11月24日にはローラン・ボックが主催した欧州世界選手権シリーズではアントニオ猪木の挑戦も受けた。
1982年にはアメリカにも進出しニック・ボック・ウインクルを破りAWA世界ヘビー級王者となったが、1ヵ月半後にニックに奪還され短期政権に終わり、1983年に開催された第1回IWGPではヨーロッパ代表として参戦したが、猪木戦で負傷し途中帰国、第2回にもヨーロッパ代表として参戦したが、4勝7敗と不本意な成績に終わり、以降CWAの運営のためにヨーロッパマットに専念した。IWGP以降来日することはなかったが新日本との関係を続け、若手だった蝶野正洋、船木誠勝、天山広吉、小島聡、石澤常光などが武者修行としてCWAに送り込まれた。石澤はワンツのアイデアでケンドー・カシンに変身したが。それを考えるとワンツがケンドー・カシンの生みの親にあたる存在でもある。
今月末に津市体育館が閉館されるが、第1回IWGP津市体育館大会はワンツは途中帰国しており津市体育館大会には参戦していないだろう。しかしIWGPの証人が一人去っていったことには変わらない。
ご冥福をお祈りします
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UWF、リングスの名物リングアナ 古田信幸
声優で第2次UWFやリングスでリングアナを務めた古田信幸さんが気管支動脈りゅう破裂で死去した。享年59歳。
古田さんは声優で活躍されただけでなく、第2次UWFからリングアナを務め、選手コールや「五分経過!」など高く、大きな声で名物リングアナとしても活躍した。
UWFが三派に分裂後は前田日明が孤立する中で、唯一追随してリングス旗揚げに参加、その後前田に関わるイベントは古田さんがリングアナを務めていた。今年「証言UWF」が出版されたが、古田さんもUWFに関わった人物なのに、なぜインタビューがなかったのか不思議に思っていた。なぜ一人前田に追随して言ったのか聴きたかった。
ご冥福をお祈りします
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ドン・中矢・ニールセン
前田日明との異種格闘技戦で激闘を演じたドン・中矢ニールセンさんが死去した、享年57歳。ニールセンさんは17日発売の「逆説のプロレス」でインタビューに答えたばかりだった。
ニールセンさんの初来日は1986年10月9日、新日本プロレスで開催された「INOKI 闘魂 LIVE」で前田と異種格闘技戦で対戦、前田も1ヶ月前のオファーだったこともあって準備期間が少なく、新日本側に不信感を抱いている中でニールセンと対戦、ニールセンの打撃を喰らった前田はダウンするなど窮地に立たされるが、前田は逆片エビ固めでタップを奪い勝利、敗れたニールセンも高く評価され、またメインだったアントニオ猪木vsレオン・スピンクスの異種格闘技戦が大凡戦に終わったことで、なおさら前田vsニールセンが際立ちファンからの評価を受けた。
その後新日本マットに1988年に2度参戦し山田恵一、藤原喜明相手に異種格闘技戦を行い勝利を収めるが、肝心のキックでは1989年にケビン・ローズ、ロブ・カーマンに敗れて2連敗を喫し、K-1所属だった佐竹雅昭のキックデビュー戦の相手を務めるが1RKO負け、K-1にも参戦して佐竹と再戦するがまたしても1RKO負けを喫し、藤原組に参戦して藤原と再戦してレフェリーストップで勝利を収めるが、ウェイン・シャムロックには敗れた。そして1994年にリングスに参戦する予定だったが2度にわたってキャンセル、ニールセンの名前を聞くことはなく、引退後はタイにてカイロプラクティックを経営していた。
改めて振り返ると異種格闘技戦で強さを発揮しても、本業のキックでは結果を出せず、ある意味プロレスキラー的存在だった。そして「逆説のプロレス」でインタビューに答えていたときは元気そうにしているんだと思っていたが…57歳は若すぎるとしか言いようがない。ご冥福をお祈りします。
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倍賞鉄夫氏死去…言いたいことは全て墓の中へ持っていった
新日本プロレスの2代目リングアナであり、アントニオ猪木の元妻・倍賞美津子さんの実弟、そして猪木事務所の社長だった倍賞鉄夫氏が死去した。
自分がプロレスファンを始めた頃にはリングアナではなくフロント入りをしていたが幹部の一人として辣腕を振るい、新日本プロレスを支えてきた。
猪木が猪木事務所を設立すると社長に就任、藤田和之や小川直也を所属させ、猪木の懐刀の一人として外部から新日本を牛耳ったことで悪評を買ってきたが、実際は猪木のかかる経費の工面に苦労していたという。しかし猪木が猪木事務所が自分の金を不正に流用しているとして、サイモン・ケリー氏を使って、倍賞氏の留守中に権利関係を持ち出させてユークスに譲渡してしまうと、猪木事務所は閉鎖に追いやられ、自身の留守中に猪木の権利関係を持ち出された倍賞氏は東京ドーム大会のバックステージでサイモン氏に詰め寄ったが相手にされなかったという。
その後倍賞氏の消息は聞くことはなかったが、上井文彦さんによると脳梗塞で倒れ、口も利けないどころか、手も使えないなど寝たきりの状態となっていたという。上井さんは「倍賞さんに猪木さんのことを書かせたら、凄いこと本になっていたかも」と答えてくれていたが、結局言いたいことは言えないまま墓の中へ持っていってしまったと思わざる得なかった。
そして今の猪木は自身が作った団体であるIGF相手に不正を糾弾している、これを見て倍賞氏はサイモン氏に「オレの気持ちがわかったか!」と思い、猪木にも「また同じことを繰り返しているのですか?」と言いたかったのではないだろうか・・・
ご冥福をお祈りします
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ミスター・ポーゴ
新日本プロレス、国際プロレス、FMW、W☆INGなどで活躍し、大仁田厚の一番の敵役だったミスター・ポーゴ(本名・関川哲夫さん)が死去した。享年66歳。5月にポーゴさんは医療性脊椎後弯症のため入院、手術を受けていたが出血量が多く、手術は中断となって入院生活が続き、22日に再手術を受けていたが麻酔の際に不整脈が発生、脳梗塞も併発して危篤状態に陥っていたという。ミスター・ポーゴは1972年3月に新日本プロレスでデビューも、山本小鉄に疎まれてすぐ退団、その後海外を渡り歩き、1976年に一時的に国際プロレスに定着、1986年からはケンドー・ナガサキとのタッグで新日本に参戦、IWGPタッグ王座に挑戦、、途中からは若松市政をマネージャーに従えていたが、長州の提唱した世代闘争が起きてからは主軸から外れ、ナガサキや若松と共にフェードアウトしてからはプエルトリコを主戦場にしたが、プエルトリコマットの不振もあって帰国、地元のプラスチック成形工場で働いていた。
マット界から失業していたポーゴを大仁田が目をつけFMWに誘い、ヒール軍団のトップとなって大仁田と血で血を争う抗争を展開、今思えば敵役とはいえ遅咲きのブレイクだった。ポーゴはFMW離脱しW☆INGに参加し松永光弘相手にファイヤーデスマッチで対戦、この頃はベビーフェースとして活躍していたが、93年からはFMWに戻りヒールとして大仁田とのを再開、火炎噴射や鎖鎌を使って大仁田を苦しめ、様々なデスマッチで対戦した。
大仁田が2回目の引退後もしばらくはFMWに定着したものの、大仁田のいないFMWは肌に合わず、しばらくして離脱、大日本プロレスに参戦して松永との抗争を再開、初代BJWデスマッチヘビー級王者となって大日本デスマッチ路線の礎を築いた。
その後地域密着型プロレスWWSを旗揚げ、地元の伊勢崎を中心に活動していたが、近年は体調不良が目立つようになっていたが、現役はあくまで続けていた。
自分も新日本参戦時からポーゴを見てきたが、一番輝いていたのは大仁田体制のFMW時代、大仁田との戦いがあったからこそ今日のポーゴがあった、大仁田にとってのポーゴは敵対しながらも腐れ縁のような関係、またポーゴにも同じことが言える。タイガーマスクがダイナマイト・キッドが最大の敵役だったように、大仁田にとってポーゴは最高の敵役だった。
ご冥福をお祈りします
盟友ミスター・ポーゴさん亡くなる…
ポーゴさんとの長いプロレスの歴史が俺の頭を駆け巡った…
昨夜ポーゴさんから着信あったが出られなかったことが悔やまれる…
どう言っていいかわからない…
奥さんやお付きの人と話したが…
今は盟友ミスター・ポーゴさんの死に心からお悔やみ申し上げます pic.twitter.com/hMHKp9llFb
— 大仁田厚 (@onitafire123) 2017年6月23日ポーゴさんがお亡くなりになりました。
四国で監禁され、それがきっかけで後楽園ホールで初のメインにあがり、初の電流爆破もポーゴさんがいて、火を噴かれ、鎌で刺される事で、色んな恐怖心もなくなった。
心身共に成長させて頂き、ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/BJWIVQbsIU
— 田中将斗(Masato Tanaka) (@masato_dangan) 2017年6月23日ミスターポーゴさんが逝去されました。俺が高校生の頃、新日本プロレスのテレビでよく見ていてFMWに入門してからは全国を巡業しながらほぼ毎日ノーロープ有刺鉄線マッチで対戦させて頂きました。鬼神道でミクロや佐藤光留と異色マッチもやって頂きました。長い間お疲れ様でした。合掌。
— ミスター雁之助 (@MrGannosukeFMW) 2017年6月23日ユニオン初期に対戦させて頂きました。
ご冥福をお祈りいたします。
【訃報】ミスター・ポーゴさんが逝去 https://t.co/yCQm4gFeDH
— 石川修司 (@g0925union) 2017年6月23日悲しい事が続くね...こういう気持ちは嫌だね。なんとも言えないくらい悔しいよ。
— KAMIKAZE (@petakaziri1) 2017年6月23日残念です。。。
ユニオンプロレスやDDT×アプガの工場プロレスにも参戦して頂きました。ミスター・ポーゴさんのご冥福をお祈りいたします。
【訃報】ミスター・ポーゴさんが逝去https://t.co/OYC4Al3X4M
— 高木三四郎 SanshiroTakagi (@t346fire) 2017年6月23日2014年10月29日 昭和島宮地鉄工所でのアップアップDDTより。https://t.co/0uZiq8rewz
ポーゴさん、ありがとうございました。 pic.twitter.com/bT6jA2ccMP
— 高木三四郎 SanshiroTakagi (@t346fire) 2017年6月23日大会ニュース 2017-06-23: 訃報 https://t.co/mfJX3cz0JV #bjw
— 大日本プロレス BJW Official (@BJWOfficial) 2017年6月23日日本のハードコアレスリングを造り上げ、大日本プロレスの歴史を語るうえで欠かせない方です。
インパクトのある凶器の数々には度肝を抜かれました。
お会いしたことは無かったですが、本当に尊敬するレスラーの一人でした。
御冥福を御祈りいたします。 https://t.co/nVp2FOwRlt
— 佐久田俊行@大日本プロレス7.17両国 (@saku155cm) 2017年6月23日ザ・グレート・ポーゴとして初代BJW認定デスマッチヘビー級王者であられましたミスターポーゴ選手がお亡くなりになりました。数々の試合で魅了して下さいました。謹んで御冥福をお祈りいたします。写真提供 週刊プロレス pic.twitter.com/NbsF5J8Z4L
— 広瀬ちずる 大日本プロレス (@hirosenochiibjw) 2017年6月23日小林麻央さんの訃報を聞いたすぐあとにミスターポーゴさんの訃報が届く
ご冥福をお祈りいたします
— TAKAみちのく (@takam777) 2017年6月23日直接深い関わりがあったわけではなくても訃報を聞くと悲しみに陥る
人の死は回りにとても大きな悲しみを与えます
にも関わらず自ら逝く人が絶えない昨今
生きたくて生きれない人がいるのに、、、
死に急ぐ人にはそこをよく考えてみてほしい
今日も頑張りましょう
— TAKAみちのく (@takam777) 2017年6月23日自分が大日本プロレスに入門した時、団体のトップを張っていたのが、ポーゴさん、松永さん、中牧さんでした。
当時は『天と地』ほどの格差があり、お話する事もありませんでしたが、十数年経ってからWWSのリングで何度か対戦したり、タッグを組ませて頂きました。
ご冥福をお祈りします。
— 葛西 純 (@crazymonkey0901) 2017年6月23日https://t.co/WJXDC3ENds中学生の頃ポーゴさんを初めて見た時の衝撃は忘れられません。いちデスマッチファイターとして、そしていちデスマッチファンとしてご冥福をお祈り致します。
合掌。
— 竹田 誠志 (@crazykid0813) 2017年6月23日何度か会場でお会いした事はありますが、対戦させて頂いた事はありませんでした。
デスマッチの先人が築いた偉大な歴史。
しっかりと継いでいかなければならないと思います。
私は心に、身体に刻んで闘い続けます。
ご冥福をお祈り致します。
— 塚本 拓海(プロレスラー) (@Tsuka_Ikitsuki) 2017年6月23日また偉大なレスラーが亡くなられました…
ポーゴさんありがとうございました… pic.twitter.com/3RXIpO6QCG
— NOSAWA論外 (@NOSAWARONGAI187) 2017年6月23日ミスターポーゴさんが亡くなったと日本から連絡を頂きました。
ポーゴさん、若手の頃から色々可愛がって頂きありがとうございました。
ゆっくり休んで下さいね・・・
御冥福をお祈り致します。
— 菊タロー (@kikutarochan) 2017年6月23日Mr.ポーゴさんがお亡くなりになりました。みちのくプロレスにもたびたび参戦。悪の限りを尽くしました。
札幌でのビッグファイアーは忘れられません・・・
ご冥福をお祈りいたします。
— 《公式》みちのくプロレス (@michipro_jp) 2017年6月23日ミスター・ポーゴさんがお亡くなりになりました。
自分が練習生の頃、よくWWSにセコンドで行ってました。
控え室で『背中踏んでくれ。』と頼まれてマッサージした事や、ポーゴさんの車で後楽園ホールに行った事が懐かしいです…
ご冥福をお祈り致します。
— 守部宣孝 Moribe Nobutaka (@moribe_eg) 2017年6月23日ショック、、、
心よりご冥福を御祈りしますm(._.)m
【週刊プロレスmobile】【訃報】ミスター・ポーゴさん急逝(17/06/23 14:07) https://t.co/GhP5Gs64B9
— コマンドボリショイ (@piko3purej) 2017年6月23日言葉が見つかりません。
ポーゴさん、、、つい二ヶ月前WWSさんへ
呼んで頂いたときに御挨拶させて頂いたのが
最期になってしまいました。
心より御冥福をお祈り致します。
— 勝愛実@6月25日板橋大会 (@manami_purej) 2017年6月23日ポーゴさんに何度も容赦なく洗礼受けました。女子だからではなくレスラーとして胸をかして頂いた事に感謝です。もう暗黒街キャットファイトも無くなり、ポーゴさんからツムツムのハートが送られて来ないのかと思うと悲しくて悲しくて現実から目を背けたくなります。でも、もう痛くないよね?ポーゴさん pic.twitter.com/o1MmsJycgx
— ミス・モンゴル上林愛貴ラ・マルクリアーダ (@MALCRIAKYMON) 2017年6月23日ミスター・ポーゴ選手と大仁田厚選手が同じ時代にやりあってなければ今のプロレス界に当たり前のようにある幾つかのスタイル、価値観、面白さはなかったかもしれないし、プロレスラーの何人かは一般人として生活をしていたかもしれない。悲しいが堂々と天に登ってほしい。鎖鎌を持って。
— 村田晴郎 (@MTharuo) 2017年6月23日いま、思い出せる限りのポーゴさんとの思い出について書きました。< ワカッタラデテケ、と言ってポーゴさんは出ていってしまった - 逆エビ日記Ver3.0 (id:sayokom / @345m) https://t.co/FnQaGM8Ygk
— sayoko mita (@345m) 2017年6月23日ポーゴさん、結婚式の時はケーキ入刀用に鎖ガマを貸して頂きありがとうございました。いろいろ言いたいことや書きたことはありますが、あまりに唐突で言葉になりません。ご冥福をお祈りします。
— 須山浩継 (@suyamahakusyak) 2017年6月23日ポーゴ大王様、アップアップDDT(仮)で見たのが最後かなぁ。アプガ・まぁなの「群馬のおじさん」として登場&ビッグファイヤー。あれは盛り上がりましたね。
— 橋本宗洋 (@Hassy0924) 2017年6月23日さっき、ポーゴさんとお話ししました。
ポーゴさんは「俺が死んだ?馬鹿野郎。俺はこれから生き返るんだよ。当たり前じゃねえか大魔王が死ぬわけねえだろ。俺をなあ、死人扱いするなんてお前ら百万光年早いだよ。」
と、憤慨していらっしゃいました。
— 山本雅俊 (@yamamosiki) 2017年6月23日 -
阿部四郎
全日本女子プロレスでダンプ松本率いるヒールユニット「極悪同盟」寄りの不公平レフェリングを展開し、極悪レフェリーとして名を馳せた阿部四郎さんが肺炎で死去した、享年76歳。
阿部さんが活躍したのはクラッシュギャルズ全盛期の全日本女子プロレス、当時の自分は大阪に住んでいたが、全日本女子プロレス中継は全国ネットではなくローカル局であるサンテレビを通じて放送していたが、いつ放送するかわからず不定期で何ヶ月遅れでの放送だったリアルタイム性に欠け、一時は30分枠で関西テレビで放送された時期もあったが短期間で終わってしまったことから、クラッシュ全盛期の女子プロレスはミーハーな女子ファンの多さもあって入り込めず、たまに見る程度だった。
その中で阿部レフェリーはダンプ率いる極悪同盟の反則をわざと見逃し、ベビーフェースであるクラッシュをフォールするときは高速カウント、極悪同盟側がカバーされると超低速カウントとアンフェアぶりを徹底させたことでファンの憎悪を買っていたが、自分が見たときはこんなレフェリーがいるの?と思わせた。だがたまにベビーフェース同士の試合も裁くこともあり、そのときはきちんとしたレフェリングぶりを披露していた。
全日本プロレスの名誉レフェリーである和田京平レフェリーは「レフェリーはオーケストラで例えるなら、奏でる音楽を調節するための指揮者でなければならない」と答えたことがあったが、今思えば阿部レフェリーの極悪レフェリングぶりも、試合を盛り上げるために敢えて極悪寄りに調節して裁き、ファンを盛り上げていたのかもしれない。
晩年はIWA JAPANを中心に裁き、「めちゃ×2イケてるッ!」の「格闘女神MECHA」コーナーで岡村隆史扮するレフェリー「岡村四郎」との競演を果たして極悪レフェリングを披露したりしていたが、もうテレビで見ることはないとなると寂しくなる。
最後に阿部四郎レフェリーは極悪なれど、ファンをきちっと盛り上げた名レフェリーでもあった。
ご冥福をお祈りします。
長与千種 かつての怨敵・阿部四郎さん死去に「言葉にできません…」https://t.co/CpmIVBi0lS
— Marvelous(マーベラス) (@info_marvelous) 2017年4月25日あの阿部四郎レフェリーが亡くなった。幼年期から旅役者の生活をし、後にプロモーターになり全女では極悪レフェリーとして人気を博した。スターダムの興行も2度ほどやってもらったが、やる度に条件を変えて困った思い出がある。いつも同じことばかり言うが、でも憎めない根っからの興行師だった。合掌 pic.twitter.com/SARtyLtq8q
— ロッシー小川 (@rossystardom) 2017年4月25日阿部四郎レフェリー。極悪同盟に加担した悪の高速カウントで、どれだけ悔し涙をのんだ選手がいたことでしょう。本当に憎たらしかった。
“悪い奴ほどよく眠る” ということわざがありますが、本当の永遠の眠りにつかれてしまいました。
お疲れ様でした。ご冥福をお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/kKZBdwXVHj
— 竹石辰也*STARDOM (@take_stardom) 2017年4月25日いわき大会が最後のプロモート興行になっちゃいました…
立川出身って事で色々気にかけていただいて、全女辞めた後も大変お世話になりっぱなしでした。また元気にお会いできる事を願っていたのですが…
阿部四郎さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。
— あじゃ (@ajakonguraken) 2017年4月25日全女「極悪レフェリー」阿部四郎さん死去 肺炎のため76歳(東スポWeb) - Yahoo!ニュース https://t.co/uivO2foY6T #Yahooニュース
沢山お世話になりました!
ご冥福をお祈り致します
— 豊田真奈美 (@marukomariya) 2017年4月25日