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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

 略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

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「ゴング格闘技」休刊…「ゴング」の名前が再び消える…

格闘技専門雑誌である「ゴング格闘技」が休刊することが明らかになった。


2007年に日本スポーツ出版社の事業停止に伴い、プロレス誌である「週刊ゴング」と格闘技専門誌の「ゴング格闘技」は休刊となったが「ゴング格闘技」だけは発行元を移して復刊、2010年にベースボールマガジン社の「格闘技通信」が休刊に追いやられてからは、唯一の格闘技雑誌となっていた。


2014年に「ゴング」も復刊したが、親会社であるアイビー・レコードが出版業撤退のため休刊、そして「ゴング」格闘技も休刊となると「ゴング」の系譜を継いでいるのは年に4回に出版している「Gスピリッツ」のみとなるが、「ゴング」の名のつくものは消えることになる。


「ゴング」も復刊したが、親会社側は思ったより売れなかったということで撤退してしまい、今回の「ゴング格闘技」の休刊、残念でもあるが、「ゴング」というブランドが消えるというのは寂しいとしか言いようがない。

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蝶野正洋が休業を宣言・・・・遠くなる90年代のプロレス

<東京スポーツより>
“黒のカリスマ”蝶野正洋がプロレスラー休業を宣言。今後は社会貢献とプロレスを融合させたイベントプロデュース業に専念する意思を固めた。


 現在、蝶野は代表理事を務める一般社団法人ニューワールドアワーズ(NWH)スポーツ救命協会を通じて、「AED救急救命」「地域防災」の啓発活動を行っている。昨年5月には秋口をメドに「防災イベントの客寄せパンダ」として、2年ぶりのリング復帰プランを明かした。だが現状は、試合から遠ざかっているものの、蓄積されたダメージの影響は大きく「リングに上がれる状況ではない」という。


 プロレスラー休業。今回の決断の裏には、レスラーとしての矜持(きょうじ)の問題がある。「新日本プロレス在籍時代はメジャーの誇りを持っていて、それをキープするためには、年間で最低100試合以上をこなさないと、という考えを持っていた。いまはそれに達しておらず、プロレスが本業になっていない」


 また、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』の解説者として、新日本プロレスの最前線で活躍する選手たちの活躍を見るにつけ「選手たちは本当に頑張っている。こっちが線を引かないと迷惑だろうし。名前ばかり残って、彼らの老害にならないようにしないと」との思いもある。


 テレビ朝日といえば、3月12日に放送された『プロレス総選挙』が、当初はゴールデンタイム放送予定ながら、ワールドベースボールクラシック日本戦が延長に突入し、時間帯が大幅にずれ込みプロレスファンの怒りを買う騒動になった。これについて蝶野は「ファンの気持ちは分かるけど、自分としては特集を組んでもらえただけでうれしいね。テレビ朝日がそういう体制にあるというのは、業界にとってはチャンス。俺がいた頃の10年前、20年前にはなかったこと。業界はその風を読むべき」との見解を示した。


 休業を宣言した蝶野は、復帰の時期については明言を避けた。だからといって今後、プロレスとの接点がなくなるわけではない。「いまの自分は、アパレルとタレントのマネージメントをしている『アリストトリスト』の経営と、救急救命と地域防災の社会貢献活動が2本柱。ただ、プロレスに携わらなくなるというわけではなく、ここ何年か考えていたプロデュース業に専念したい」


 では、本人が考えるプロデュース業とはどんなものなのか。具体的には、NWHスポーツ救命協会の社会貢献活動とプロレスのジョイントを指すもので、公益財団法人日本消防協会の消防応援団を務めている蝶野は「お手伝いをしている消防のイベントは、街頭で消防団員募集のチラシを配る活動から大きな防災イベントまで、規模に大きい小さいはあるけど、大きなイベントにはプロレスを組み込んでいきたい」とコメント。今年中には、消防の広報、プロレスの社会貢献につながる地域防災イベントを開催する方針だ。


 蝶野が考えるプロデュース業はもう一つある。nWoグッズだ。nWoといえば、蝶野が中心となり、1990年代後半に日米で一大ムーブメントを起こしたユニットで、Tシャツについては記録的な売り上げを誇り、日本国内で40万枚近く売り上げたといわれている。現在、アリストトリストはWWEとライセンス契約を結び、nWoグッズの企画・販売を行っており、nWo JAPAN結成20周年にあたる今年は、nWoグッズのバリエーションを増やしていく予定だ。


 蝶野正洋が正式にプロレス休業宣言し、イベントプロデュース業に専念することを明かした。昨年は実戦復帰プランを明かしていたが、蓄積されたダメージは半端なものではなく、実は今年も2月8日に開催されたPRE-WRESTLING MASTERSも盟友である武藤敬司からオファーを受けていたものの断っていた。


 復帰時期も明言せず、引退もしないが川田利明みたいに「限りなく引退に近い休業」という形となるが、蝶野がいつ試合をしたのかを憶えていないぐらいに試合をしてないことが本当に当たり前のようになってしまっている。休業を決意した理由と体力的なものと、実戦から離れてしまっているのもあったからかもしれない。


 蝶野が決意したのであれば仕方がないが、残念なのは全日本プロレスの四天王(三沢光晴、川田、田上明、小橋建太)を含め90年代に活躍している選手で現役を続けているのは武藤や獣神サンダーライガーぐらいになってしまったこと、改めて90年代が遠くなったことを感じてしまう。

ビックバン・ベイダーが心臓の病気で余命2年の宣告を受けていた!

 新日本プロレス、全日本プロレス、NOAH、UWFインター、WJ、ハッスル、WWE、WCWで活躍したビッグバン・ベイダーが心臓の病気であと余命あと2年の宣告を受けていることをTwitterで告白した。


 ベイダーは昨年デビュー30周年を迎え、今年も新日本プロレスにも参戦しているウィル・オスプレイとも対戦して健在ぶりをアピールしていたが、その後交通事故に遭い顔面を負傷するなどトラブルもあった。


 ベイダーも今年で61歳、体調との戦いもあっただろうが、現役を続けていたことは喜ばしいことだと思い、また藤波辰爾もドラディションにオファーをかけることを示唆していた。


 おそらく現役続行に関しては医師からはドクターストップがかかっていると思う。自分もここは養生して欲しいし、生きながらえて欲しい。

パーキンソン病と闘うマサ斎藤がリング復帰へ・・・・

<東京スポーツより>
パーキンソン病と闘うプロレス界のレジェンド・マサ斎藤(74)が、大阪でリング復帰を果たすことが本紙の取材で明らかになった。元新日本プロレス取締役の上井文彦氏(62)がプロデュースするプロレス興行(12月2日、大阪・城東区民センター)に“メーンイベンター”として登場するというのだ。上井氏は「マサさんのための大会です」と言い切り、斎藤も「這ってでも大阪に行く」と話している。


 大会名は「STRONG STYLE HISTORY〜Go for Broke!! Forever〜」(ストロングスタイルヒストリー〜ゴー・フォー・ブローク・フォーエバー)。斎藤のレスリングスタイルと口癖が大会名にされていることからも、斎藤が主役ということがわかるだろう。


 大会をプロデュースする上井氏は「長年プロレス界に多大な貢献をしてきたマサさんにプロレス界は何の恩返しもしていない。ないがしろにしすぎ。パーキンソン病と闘っているマサさんをプロレス界全体でバックアップしてほしいんですよ。その呼び水になる大会にしたいんです」と趣旨を語る。


 6〜7試合が行われる予定で、アマレススタイルからロープを使わない第1次UWFスタイル、総合格闘技的なものと、まさに斎藤が歩んできた格闘人生を再現する構成になるという。そして斎藤はメーンイベント終了後にリングイン。不屈の闘志で病魔と闘う姿を披露し、口癖である「Go for Broke!!」を観客とともに叫ぶ段取りだ。


 上井氏からのオファーに斎藤は「16年もパーキンソン病を患っているので、いつどうなるかわからないが、当日は這ってでも大阪に行く」とキッパリ。現在はリハビリにさらに気合を入れて取り組んでいるそうだ。2020年東京五輪に何らかの形で関わることが目標の斎藤にとっては、この大会が大きな心の張りとなったのは言うまでもない。


 当日、会場にはプロジェクターが設置され、弟子のスコット・ノートンをはじめとする斎藤ゆかりの人物からの応援メッセージが紹介される予定だが、実際に会場に駆けつけるメンバーも豪華版だ。まず、元新日本プロレスの過激な仕掛け人・新間寿氏(81)。斎藤とは立場こそ違え、新日マットを盛り上げた盟友と言えるだろう。


 さらに初代タイガーマスクの佐山サトル氏(58)、初代ブラックタイガーの“ローラーボール”マーク・ロコ氏(65)、3代目タイガーマスク、5代目ブラックタイガーが登場。悪性リンパ腫を2014年に発症した元新日本プロレスの垣原賢人氏(44)もミヤマ仮面に扮して「忍者体操」を披露する。
 そして、レフェリーのひとりとして参加するのが保永昇男(61)。ジャパンプロレス以来、斎藤と行動をともにしてきた保永は「マサさんのためなら、ひと肌もふた肌も脱ぐ」と上井氏に約束したという。


 まさに多士済々。しかも「ストロングスタイル」という芯が一本通った侍ばかりだ。上井氏は「ストロングスタイルが全盛だったあのころを再現しますよ。マサさんもプロレスラーだから、リングに上がれば元気になる」と目を輝かせる。師走の浪速は、マサ斎藤とストロングスタイルの復活祭になりそうだ。


☆うわい・ふみひこ=1954年4月4日、山口県下関市生まれ。77年、新日本プロレス入社。85年、新日本を退社してUWFに移るも翌年復帰。営業、渉外、マッチメーカーなどを歴任。87年のアントニオ猪木VSマサ斎藤の巌流島決戦を企画したほか、星野勘太郎総裁率いる魔界倶楽部の生みの親でもある。2004年に新日本を退社。「UWAI STATION」などを旗揚げしたが、08年の西口プロレスの興行を最後に活動を休止していた。


☆まさ・さいとう=本名は斎藤昌典(まさのり)。1942年8月7日、東京都中野区出身。明大卒。64年東京五輪レスリング日本代表。翌年、日本プロレス入り。68年に渡米し、全米でトップヒールとして活躍。82年以降は長州力の維新軍、ジャパンプロレスに参加。87年にはアントニオ猪木と巌流島で決闘した。99年に現役を引退。全盛時は180センチ、120キロ。得意技はバックドロップ、監獄固め。


 パーキンソン病を患い、闘病中のマサ斎藤が上井文彦氏がプロデュースするプロレス興行でリング復帰することを東京スポーツが報じた。


 斎藤の近況はダイヤモンドリング閉鎖後は夫人と共に東京へ転居、パーキンソン病の治療しつつトレーニングを続け、「東京オリンピックでは聖火ランナーを務める」とトレーニングをしている姿を披露して健在ぶりをアピールしていた。


 <パーキンソン病とは>
パーキンソン病の症状 パーキンソン病では、主に、手足がふるえる(振戦)、動きが遅くなる(無動)、筋肉が硬くなる(固縮)、体のバランスが悪くなる(姿勢反射障害)、といった症状がみられます。 これらによって、顔の表情の乏しさ、小声、小書字、屈曲姿勢、小股・突進歩行など、いわゆるパーキンソン症状といわれる運動症状が生じる、近年はWWF王者だったペドロ・モラレスも同じ病気で闘病中だという。


 斎藤は新日本での引退後にパーキンソン病を発症、WJプロレス参加後に症状が現れはじめ、WJプロレス崩壊後は表舞台から消えるも、佐々木健介が健介オフィスをオープンさせた際に斎藤をアドバイザーとして招聘、その際にパーキンソン病であることを告白した。


 東京オリンピックの聖火ランナーの話のときは20年まで頑張って欲しいなと思っていたが、リング復帰を果たせるまで体に自信が出来たということか、斎藤も74歳なだけにあまり無理はして欲しくないが・・・


 大会には初代ブラックタイガーであるマーク・ロコ氏も来日、今月末に発売される「Gスピリッツ」ではインタビューが掲載されるという。ロコ氏も引退後には表舞台に出ることはなかったが、WWEヨーロッパ遠征の際にはNXTでGMを努めるスティーブ・リーガルと対面するなど健在をアピールしていた、初代ブラックタイガーもダイナマイト・キッドに次ぐ初代タイガーマスクのライバルの一人でタイガーマスク時代の生き証人の一人、あの時代のことをどう振り返ってくれるのか・・・

拳剛も離脱…デビュー20周年のTARUは一人でブードゥー・マーダーズを背負っていく

9月2日 「TARU20周年興行~悪そうなヤツは、だいたい友達~」新宿FACE 266人 満員


<アピール、コメントなどは週プロモバイルより>
◇第1試合◇
▼悪そうなヤツらの華麗なルチャ/20分1本
○ツトムオースギ ヘラクレス千賀(5分37秒 ウラカンラナ)佐藤悠己 XCHANGO


◇第2試合◇
▼喧嘩上等!!悪そうなヤツらの因縁対決!/20分1本
○フジタ“Jr"ハヤト(11分47秒 片エビ固め)X拳剛
※ヘルム


(試合終了後)
ハヤト「第2試合で空気も読まず、勝っちまって、しかもマイクを持つなんて、本当にありえないんですけど、ちょっとだけ時間をもらいます。まずTARU選手、20周年おめでとうございます。そしてこんな素晴らしい大会で、こんな俺を使っていただきありがとうございます。きょう試合が組まれて、試合が終わったら、勝っても負けても言おうと思っていたことがあります。拳剛、みちのくプロレスに来て、俺たちBADBOYと一緒に、組みますか? 組みませんか? いや、組みましょう。たまたま、見てくれもこんななんですけど、同じような匂いがプンプンしますし、この次の次、BADBOYほかの3メンバーも出るんで、俺と組んでセコンドにつこうか。どうですか?」


(TARUが花道に来る。)
TARU「拳剛、情けないのうオマエ。負けたんか? オマエみたいなもんはブードゥ・マーダーズに必要ないんじゃボケ! オマエはさっさとどっかいってまえ、ボケアホ!」


 【試合後のハヤト、拳剛】
ハヤト「この対戦カードが組まれて、その前からもZERO1の会場でちょくちょく会ったり、舎人興行で対戦相手としていたりしてて、拳剛がケガして帰ってくるまで待っていようと思ってたら俺もケガして、タイミング的に俺がちょっと早く復帰して、いつか帰ってきたら熱い試合ができればいいなと思ってて組まれた試合で。試合するまではもちろん負けちゃいけないし、負ける気もないし。かといって胸を貸すつもりもないし。みちのくにBADBOYというユニットがあって、似たような雰囲気で、似たような面構えで負けん気も強いし。BADBOY4人でやってきて、別に4人でもいいかなと思ってたけど、新しい顔が入ればみちのくも盛り上がるし、メンバーに入れたいのは誰だろうと思ったら拳剛だった。俺たちよりももっともっと上の先輩たちと一緒に動いてきて、やりにくかった部分もあるだろうし、俺らが誘ったことによってそこから抜けなきゃいけない。今日一番大変だったのは拳剛だと思うし。でもあれぐらい上の先輩たちと一緒にいたら、そこを立てるためだけのレスラーになってしまうから。俺たちは、俺らみたいな中堅ぐらい…自分の中では若手だと思ってるけど、中堅になりつつあるレスラーぐらいのところが目標じゃ、俺たちの上には到底勝てないよ。俺らがガキの頃から見てた人たちを倒して、『オッサンお疲れでした』って言ってあげた方がいいと思うし。そういうためにBADBOY、いやみちのくプロレスってレベル超高いから。みんないろんなところでもまれて、いろんな人たちとやってもまれて負けて悔しい思いして。そこで得たうれしかったこともあるだろうし。そういったレスラーと試合した方がためになると思って誘った。プライベートは仲いいし。でも仕事になったらそこは関係なくできちゃうところもBADBOY寄りだと思うので。俺が誘えば来てくれると思ったし、今日に関してはBADBOY4人揃ってるんで。アニキたちのセコンドについて、すぐそこで勉強ができるいい機会なんでよかったですよ」


拳剛「紅白プロレスでBADBOYとブードゥーの抗争というのがあって、それ以前にも舎人一家興行で村上和成&フジタ“Jr"ハヤトvs長井&拳剛という試合があって、そこで初めて試合してんけど、この人は半端ないなという印象で、今日までフジタ“Jr"ハヤト、一切衰えることなく、やっぱり強いし、BADBOYというユニット素晴らしく魅力に感じます。ブードゥーもずっとそうやったけど、BADBOYは仲良しこよしだけのユニットじゃないから、みんなそれぞれがライバル。俺がここに入るからって一切、俺は下手に回るつもりないし、ほかの4人よりも俺が一番強いって自信もって言えるように、これからも頑張っていくつもりやし。BADBOYだけじゃなくみちのくプロレスも俺が引っ張っていくつもりで東北参戦、今日決意しました。オジキああやって言ってたけど、ホンマに今日までこんな出来損ないの俺をよく面倒見てくれたなと思います。オジキがいたから今の俺がいるし、ブードゥーでやってきたことに自信もってるから。もちろんみちのくには凄ぇ先輩いっぱいいるの知ってるよ。でも俺だってDIAMOND RING、ZERO1、天龍プロジェクト、メビウス、ダブ、いろんな団体に上がってきて経験に自信持ってるし、それを東北でみせるだけです」


ハヤト「まぁ、勝手に俺が言っちゃったんで、みちのくには何も言ってないんで。でもいいんじゃないですか、みちのくも俺とか卍とか、南野タケシ、Ken45°に任せてると思うんで。みちのくも試合いっぱいあるし、そこでいろいろ勉強してもらえればいいなと思いますし。みちのくの今のチャンピオンはやばいからね。それはたぶん一番知ってると思うし、みちのくのトップになって帰ってくると言った以上、卍丸とは同じチームだけど、やらなきゃいけない時もくるし。これからみちのくプロレスが面白くなりますよ。こういう場を借りてみちのくの宣伝をしちゃう俺とか、やばいですよね。空気を読まない。みちのく最強のチームなんで、ようこそ(と拳剛と握手)」


拳剛「TARUさんとはこれでお別れということになりましたけど、TARUさんへの恩は忘れてないんで、何かあったら俺はいつでも力を貸しに帰ってくる。ありがとうございました」


◇第3試合◇
▼悪そうなヤツらはランバージャックSM&カマ地獄スペシャル4WAYマッチだ!/無制限1本
○関本大介(11分25秒 ジャーマン・スープレックス・ホールド)×忍
※あと2人は大鷲透、円華


◇第4試合◇
▼悪そうなヤツら集結!バッドボーイvs魔界水軍 仁義なき戦い/30分1本
九鬼義隆<葛西純> 村上武吉<真霜拳號> ○俵藤太<バッファロー>(12分24秒 エビ固め)XKen45°卍丸 南野タケシ
※スピアー


◇第5試合◇
▼THE 女子プロ…金曜日の悪そうな女たち!/30分1本
○ジャガー横田 藪下めぐみ(分秒 ラ・マヒストラル)ダンプ松本 ×ライディーン鋼


◇第6試合◇
▼クソ感謝。〜20年の軌跡〜/60分1本
○ウルティモ・ドラゴン KAMIKAZE TAKAみちのく(17分51秒 ラ・マヒストラル分秒)×TARU 諏訪魔 菅原拓也


(試合終了後)
TARU「どいつもこいつもクソヤローが! 京平、足痛い言うたやろ! ロープ触ってるやろ! クソ、オマエ呼ぶんじゃなかったわ(場内笑)。20年の恨み、きょう晴らすことないやろ! 俺もオマエも、十分あの事件で反省しとるのや。まあ、最後にマイクを持って何かしゃべって、きょう来てくれたクソヤローどもに何かしゃべらなアカンから言うけど、オマエらその前にきょうはこの俺と、組んでくれた諏訪魔に拍手! 諏訪魔、よう来てくれた。ありがとう。それと菅原、いつも俺を見守ってくれて、ありがとう! きょうはホントに俺の20年ということで、20の成人式いうことで、KAMIKAZEのアニキ。いつもはこっち側にいるけど、敵になってくれて思いっきりやってくれてありがとう! やっぱりアニキは年下やけどアニキやね。これからもずっとアニキでおってくれ。久しぶりやったな、涙出そうになったわ。ROD、TAKAみちのく。久しぶり、ブーブーモーモーズ聞いたわ。言っとくで、ブードゥ・マーダーズやからな。それよりきょうは俺の大師匠…そう、こうやって20周年、オマエらの目の前にこうやって足痛めたけど、立てたのは、この人のおかげや。ウルティモ・ドラゴン校長、ありがとう!(ウルティモはソンブレロをTARUの頭に)一番似合わへんやつや(苦笑)。どうでもええから、きょうは被っとくわ。
いろんなことあって20年、きょう一日でオマエらに伝えることはすげえ難しいし、限られた時間でやらなアカンのもホント悲しいけど、そのへんプロレスファンの、TARUファンのオマエらやったらわかってるやろ。20年は一生に一回しかないからな。きょう来た客は、来なかった客に、思いっきり自慢したれや。普段はのう、ヒールでブーブー、ブーブーモーモーズじゃないけど、言うとるけどよ。きょうだけはオマエら全員にクソ感謝や。ホントおおきに。そういうことできょう集まってくれた選手、一回全員集まってくれや。こんなことはめったにないからよ。(選手たちがリングへ)悪い者ばかり集まって語ることもないから、写真に収めてきょうの記念に持って帰ってくれ。拳剛もみちのく行って頑張れよ


【試合後のTARU&諏訪魔&菅原】
TARU「せっかくの20周年、俺が勝ってみんなに『これでこそブードゥー・マーダーズ』ってみせたかったけど、拳剛にあんだけ言って俺がこのザマで申し訳ないけど、これもプロレスっちゅうことで、今日は役者が多いわ。俺の出る幕やなかった。でもあんだけ足痛い、体硬いからやめろって言ってんのに、(和田京平レフェリーは)ロープ握ってもブレークせんかった。あれワザとや。20年の恨みやな。(諏訪魔と菅原に向かって)今日はホントありがとう。来てくれてうれしかったわ。この3人揃ったらホンマならプロレス界で最強やけどな。校長にも負けんつもりやったけど、校長は華あるな。俺も衣装にスパンコールつけるか。今日は感無量や。おおきに。みんながいたから俺の20周年ができたっちゅうことは間違いない。そういうこっちゃ。二人に俺の悪口を聞いてくれ


諏訪魔「ヒールの20周年、どうなのかなって思ったけど、めちゃくちゃのヒールっぷりの試合になるのかなって楽しみにしてた。そこはヒールを越えた男の背中をみせてもらって勉強になりました。まだまだ20周年目指して頑張りたいと思います


菅原「20周年っていったらイチ通過点で、これから憎き大仁田もいるし、これを通過点にこれからまだまだTARUさんと一緒に生きたいと思います。おめでとうございます」


――20周年を迎えられた秘訣は?


TARU「金村キンタローが俺に『プロレスラーは絶対引退したらあきませんよって言っておいて、引退するからな。でも藤原組長、藤波さん、みんなまだ頑張ってるからね。俺みたいな中堅クラスがブーブー言うとったら申し訳ないから、今の若い奴らにもっと怖いジジイをみせてやらんと。女子の試合も凄かったでしょ。本当の女子プロレス。今日の興行、俺は見てて楽しかった。こういう面白いのがあるからまたプロレスやろうと思うし。楽しい時の感覚が忘れられへんし、生きがいがあるからやってると思うし」


――これからも生き方は変わらない?


TARU「もちろんや。ヒール一本で。たまにバッファローと外れたみたいなことやってるけど、それも全部ヒールの肥やし。いかに悪いことするにはどんだけいい人ぶるかも勉強やし。生きてること全てが勉強。生涯ヒールや。腕に彫ったろか『生涯ヒール』って」


――25周年、30周年を目指す?


TARU「月並みな言葉でみんな目指すって言って、やれたらありがたいことやけど、俺は地震4回も経験してるからね。いつ何時、死ぬかわからんからね人間は。今こうやってインタビュー受けとっても、この帰りに交通事故にあって死ぬかもしれん。だから明日のことはわからへんから、今全てを全力で生きようと。この年になって、20年を迎えて毎日毎日、目覚めたら頑張ろうと思いますよ。体が痛くても。拳剛もみちのくに行ってどこまでやれるかわからへんし、自分が試したいことを自分で確認してやっていかんとあかんし、俺もそうやって自分で確認してやってきた20年やったから。かわいい子には旅をさせよというか、そういう感じであいつにも飛び出してほしい。ブラザーもそうやったし。ブードゥーってユニットやけど、仲良しこよしやないからね。自分が思ったところに行ったらええし、何か困ったことあったら言えばええし。BADBOY、まれに見るええチームやと思う。だから勉強してきてほしい」


※拳剛がやってきて
拳剛「オジキ、今日までありがとうございました!」


TARU「いつまでもブードゥーにおってもしょうがないしな、俺は弱い奴、好きやないねん。東北でも行って勝手に死んだらええと思うわ。それがお前が選んだ道やからな。どこでも行ってこい。金輪際、ブードゥーには戻ってくるなよ」


拳剛「頑張ってきます! お世話になりました!(と去るTARUの背中に向かって一礼)」


 TARUのデビュー20周年記念興行が開催され、メインは主役のTARUが元VMの諏訪魔、ZERO1や超花火で共闘している菅原と組み、闘龍門からの縁であるウルティモ、菅原同様ZERO1や超花火で共闘しているKAMIKAZE、全日本プロレス時代ではRODとして敵対していたTAKA組と6人タッグで対戦、TARUの指名で和田京平がレフェリーとして裁いた。
 試合はTAKAのマイクアピールでTARUが奇襲をかけて試合開始となり、諏訪魔とKAMIKAZEが場外でイスチャンバラを展開、リングに戻るとKAMIKAZEは諏訪魔に急所蹴りで悶絶させる。主役のTARUはウルティモをラフで捕らえ、諏訪魔や菅原と共に集中攻撃を加える。
 しかしウルティモもコルタバで反撃するとKAMIKAZEはTAKAと共にTARUを捕らえ、ウルティモはジャベで捕獲するなど集中攻撃を加える。
 必死でロープに逃れたTARUは諏訪魔に交代、諏訪魔はエンジン全開で試合を盛り返し、TAKAにブレーンバスターで投げたところで菅原に代わるも、TAKAが串刺しニーで応戦する。 
 終盤にTARUが登場するがウルティモがドロップキック、打撃のコンポ、ソバットで動きを止めると、TAKAはスーパーKやセカンドロープからのムーンサルトで援護、TARUは踵落としやトラースキックで応戦するが、TARUドリラー狙いをウルティモが逆さ押さえ込みで切り返すと、TARUがクリアしたところでラ・マヒストラルで3カウントを奪い、TARUはデビュー20周年を勝利で飾ることが出来なかった。


 試合後は京平レフェリーに悪態をつきつつも5選手に感謝の言葉を述べた。 


 TARUを生で初めて見たのは闘龍門JAPANから、TARUはCIMA、SUWA、スモー・フジ(ドン・フジイ)らと行動を共にCRAZY MAXの一員として活躍し、時にはCIMAらのマネージャー兼まとめ役、選手としては“ハリウッド”ストーカー市川相手にコミカルプロレスを展開していた。
 そんなTARUが闘龍門JAPANからDRAGON GATEに団体が変わると退団、退団理由はウルティモ・ドラゴンが団体運営から撤退、またCIMAとの確執と言われているが明らかにされず本人も口にするつもりはない。


 そして2005年に戦場を武藤敬司体制の全日本プロレスへと移してヒールユニット“ブードゥー・マーダーズ”を結成、最初はジョニー・スタンボリーと二人だけで始めたユニットだったが、次第にチャック・バルンボなど外国人選手を引き込んでいったが、同じくDRAGON GATEを去っていった近藤修司と"brother"YASSHIが合流、2006年1月に小島聡の保持していた三冠統一ヘビー級王座にも挑戦して敗れたものの、試合後には諏訪間幸平が突然小島に襲い掛かりVMへと合流、リングネームも諏訪魔に改めた、この時期のVMはベストメンバーであり全盛期だったと思っている。


 その後小島やジョー・ドーリングも加わるなどしてメンバーが入れ替わり、諏訪魔も近藤もVMから離れYASSHIも一時的にマット界から去っていったが、TARUは必死でVMを継続させた、しかし2011年に平井伸和への暴行事件が明らかになると全日本はVMを強制解散させ、TARUはプロレス界から去るもTARUは事件が起きようが起きまいが、全日本でのVMは行き詰まっており、解散か全日本からの離脱の選択肢しかなかったという。


 2012年にリング復帰を果たしたYASSHIの呼びかけでVMがフリーのユニットとして復活、TARUもリング復帰を果たしたがYASSHIがVMを離脱してしまうと、拳剛と二人だけのユニットとなり、現在は個々の活動が中心となってしまったが、拳剛もハヤトの誘いを受けてBAD BOYS入りを決意しみちのくプロレスへ参戦することになった。


 TARUは愛弟子・拳剛にエールを送って大会を締めくくったが、リング復帰やVM復活のきっかけを作ったYASSHIも去り、拳剛もTARUの元を去って、VMはTARU一人だけとなった。


 TARUにとってVMとは何かというと、自分の育てたユニットであり、自分の居場所、武藤敬司体制の全日本プロレスが生みの親なら、TARUが育ての親でもある。


 VMはTARUが一人で背負うことになったが、TARUがいる限りVMには終わりはない。


 TARU選手デビュー20周年、おめでとうございます

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