伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

 略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

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投票ありがとうございました

11月の月間MVP、ベストバウト、ベスト興行&シリーズ賞の投票受付は午前0時をもって終了しました、投票ありがとうございました。 

投票結果は11日の新日本プロレス「WORLD TAG LEAGUE 2017」福岡大会終了次第、Teitter上で先行発表

当ブログでは11日午後23時00分に発表します。

今年も金沢"GK"克彦さんのトークイベントに参加しました!

 今年も26日カウント2.99「金沢克彦さんトークイベント」を参加するために、大阪千日前を訪れた。


 今年は西名阪自動車道が夜に通行止めとなるため、近鉄特急にて伊賀から大阪・なんば移動も、今年も例の如く道に迷ってしまう。昨年は酔っ払いの女性に絡まれて難儀したが、今年は金沢GK直接本人出くわしてしまい、道案内される始末、本人は打ち合わせのため別場所へ移動も、大変迷惑をかけてしまった。


 1年ぶりにカウント2.99を訪れたが、向かいにあった元道頓堀アリーナが完全に別の看板が立ってしまっており、以前の形ではなくなってしまっていた。


 5:00ごろにトークイベントがスタートし、金沢GK本人はケンドー・カシンのマスクを被って登場、金沢GK本人によるとカシン本人から直に借りたものだそうだ。


 話の内容は脳腫瘍の手術を受けたときの闘病記や、1・4新日本プロレス東京ドーム大会の展望で2時間使ってしまい。柴田勝頼、藤田和之、プロレス大賞の話、そして「1984年のUWF」を斬るなど予定されていた時間を軽くオーバーしてしまい。9時過ぎに終了、金沢GK本人もワインを飲んでいたものの、今回は酔えなかったそうだ。自分は大慌てで近鉄・なんば駅へと向かい、コンビニで軽く食事をしてから、近鉄特急に飛び乗って帰宅。慌しい一日となった。


 今年で2年連続での参加となったが、大変参考にさせてもらい、本当にありがとうございました。

9月で閉館する津市体育館を訪れました!

 9月9日、今月末日をもって閉館する津市体育館を訪れた。

津市体育館  
館内は卓球大会が開かれており、学生達が多かったが、入口フロア右側に三重県のプロレスマニア・真柄力也さんが「閉館までず~っとプロレス展」の展示物が公開されていた。
 


 津市体育館は昭和41年にオープン、三重県におけるプロレス常打ち会場でTV中継も入ったことがあったが、2007年3月25日DRAGON GATEがビッグマッチを以降、建物の老朽化で使用されず、三重県の常打ち会場は津市では郊外のメッセウイングみえ、四日市ではオーストラリア記念館に変わるも、オーストラリア記念館も閉館となり、津市ではメッセウイングみえで開催されるのみとなった。メッセウイング・みえも屋内総合スポーツ施設「サオリーナ」及び県内の武道拠点となる「三重武道館」と合体した施設である津市産業・スポーツセンターに生まれ変わる。


 津市体育館ではテレビ中継が入っても昭和50年代で行われたタイトルマッチは国際プロレスを含めて3回だけ、全日本プロレスでは昭和52年1月22日に行われた高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)、サムソン・クツワダvsクルセイダー1号&2号によるアジアタッグ選手権、新日本プロレスでは昭和55年の藤波辰己vsスティーブ・カーンのWWFジュニアヘビー級選手権、国際プロレスではラッシャー木村、グレート草津vsブロンド・ボンバーズ(ハリウッドブロンドス)によるIWA世界タッグ戦のみ。


 昭和58年5月16日には第1回IWGPも行われ、アントニオ猪木は公式戦でラッシャー木村と対戦、昭和56年から抗争を繰り広げた猪木と木村だったが、国際軍団もアニマル浜口の離脱で規模縮小、長州力の台頭で2人の抗争は完全に旬が過ぎており、試合も僅か7分2秒で猪木が延髄斬りで勝利を収めているも、その裏では長州と浜口が津大会をボイコットして姿を消す事件が起きていた。平成6年に太陽ケアことマウアケア・モスマンのリングネームで志賀賢太郎相手にデビュー戦を行ったのも津市体育館だった


 津市体育館で行われた前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアント戦の記事やチケット半券、取り組み表も展示されていた。三重県の常打ち会場と言われながらも名勝負などなかったことを考えると、前田vsアンドレのいかにインパクトが大きかったか、実況の古館伊一郎氏は「凡戦」としていたが、これだけ後になって語り継がれる試合になるとは古館氏や解説を務めていた山本小鉄氏も思ってみなかっただろう。


  
 
  

 


 自分が津市体育館を訪れたのは1992年4月19日の新日本プロレスだったが、初めてみたインディー団体は同年12月に開催されたW☆ING、3回訪れただけだが、思い出深い体育館が51年の歴史に幕を閉じようとしている。

かつてのプロレス常打ち会場だった津市体育館が9月をもって閉館へ

三重県のかつてのプロレス常打ち会場だった津市体育館が10月に大型スポーツ施設「サオリーナ」の開業に伴い、9月に閉館することになった。

津市体育館は2007年3月25日にDRAGON GATEがビックマッチ(メインは獣神サンダー・ライガーvsドン・フジイのオープン・ザ・ドリームゲート選手権)で使用されたが、それ以降は郊外のメッセウイングみえや四日市オーストラリア記念館(現在は閉館)など使用されることが多くなり、老朽化もあって使用されることはなかった。

自分が同会場を初めて訪れたのは1992年4月の新日本プロレス、このときはトップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニアの公式戦として獣神サンダー・ライガーvsエディ・ゲレロ、エル・サムライvs保永昇男が行われ、エディは新日本初来日、サムライは凱旋帰国したばかりだった。エディはライガーを追い詰めながらもコウモリ吊りに逆転負け、サムライは保永の丸め込みの前に敗れた。

同年12月にW☆INGも観戦、W☆INGは自分が始めてみたインディー団体で、大観衆の中でプロレスを見るのは当たり前だと思っていたが、客席は空席だらけで「自分は恵まれていたのかな」という印象を受け、また有刺鉄線デスマッチを初めて生で見て血まみれとなったW☆ING金村(金村キンタロー)が自分の目の前に倒れてきたことに衝撃を受けた。

最後に会場を訪れたのはDRAGON GATEの前身である闘龍門で2000年頃と記憶しているが当時は望月成晃、横須賀享(ジミー・ススム)神田裕之(ジミー・神田)がヒールユニットM2Kを結成していた。

訪れたのは3回だけだが、自分にとっても思い出深い会場はない、閉館までには津市体育館のことは振り返りたいが、思い出深い会場が消えていくのは寂しいとしか言いようがない。

「証言UWF 最後の真実」が今日発売…これで謎が解けるのか?

今日(一部ではもう発売されているが)宝島社から『証言UWF 最後の真実』が発売される。きっかけは『1984年のUWF』(柳澤健著/文藝春秋)への賛否だったが、前田日明を始め更級四郎、杉山頴男、ターザン山本、藤原喜明、山崎一夫、新間寿、上井文彦、中野巽耀、宮戸優光、安生洋二、船木誠勝、鈴木みのる、田村潔司、垣原賢人、川﨑浩市、尾崎允実らUWFに関わって人たちが証言するのだから、いかに『1984年のUWF』に対する反響が大きかったかよくわかる。


『1984年のUWF』は結局買わなかったというか、Numberの連載もある程度読んでいたし、この内容だと間違いなく誰かが反発すると思っていたが、斎藤文彦氏などが案の定猛反発、買おうか買わないかと考えているうちに結局買わなかった(笑)


自分的には『証言UWF 最後の真実』が興味があるというか、UWFというムーブメントを見てきた人間の一人として、UWFという理想が崩れたのか知る権利がある。自分にとってUWFは馬場・猪木の時代を変えてくれると信じていたムーブメントであり、青春の1ページだった。いずれ各自の証言を照らし合わせて検証していくつもりだ。


ただ気になったのは証言者の中に高田延彦の名前が入っていなかったこと、おそらく断ったのか?高田の中ではプロレスは卒業・封印なのかもしれない。

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