大阪プロレス
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解散説を全面否定・・・期限付きスポンサーを獲得した大阪プロレスが再出発へ
(週刊プロレスモバイルより)
14日午後2時より、大阪プロレスがあと6日で離れる常設会場「ナスキーホール・梅田」で、新体制に関する会見をおこなった。出席したのは阪上雄司会長のほか、新体制になっても大阪プロレスに残留するくいしんぼう仮面、タコヤキーダー、そして新たにスポンサードするベラジオコーポレーション株式会社の吉田拓明専務取締役の4人。
1月25日にナスキーホールからの撤退を発表した際、一部で「解散」と報じられて注目を集めたこともあって、スポーツ紙だけでなくテレビ局やセット紙、地元紙など8社が集まった。阪上会長が経緯を説明する形でスタート。以下は会見での出席者の発言。
大阪プロレス・阪上会長「本日は報告ごとがありまして、こうやって集まっていただきました。今日は、少し前に大阪プロレスの今後について、一部であたかも大阪プロレスがなくなって潰れてしまうんじゃないかという報道があったんですが、私も大阪プロレスで(経営にタッチして)7年目になるんですが、なかなか自分の口からいろんな状況を話すというのは一度もなかったですけど、今回はあまりにも大きく誤報といますか、いろんな報道がなされましたので、改めてそれの訂正と、4月29日で15周年に入っていく大阪プロレスの今後についていい話というか、新しい前向きな話になりましたので、このような場を設けさせていただきました。
先ほどもお話しいたしましたように、大阪プロレスは4月29日で15周年を迎えることになります。この関西、特に大阪を中心にですが、関西を代表するエンターテインメントの一つとして、創業者のスペル・デルフィンさんが作った団体で、今までやってきました。私の方は2007年から今まで7年間、引き継いでやってきてるんですけども、この大阪プロレスの特長としましては、お笑いを中心としたプロレスの団体として、両サイドにいますくいしんぼう仮面、タコヤキーダーのような大阪にちなんだユニークなキャラクターを中心にやってきた団体なんですけども、一つ特徴がありまして、大阪プロレスは現在60も70もあるプロレス団体の中で、地域密着として、しかも吉本興業さんのように自分達の小屋を持ってやっていくスタイルで、定休日以外は毎日、大阪プロレスのレスラーに会える、週末の土・日はずっと大阪プロレスはここでやってるよという常設会場を持った団体としてやってきました。
私が2007年に引き継ぐ前に、実は創業者であるスペル・デルフィンさんがフェスティバルゲートでやってられたんですが、その時にいくつかスポンサーがあった中で、スポンサーをしてました私どもの会社にも相談がありまして、フェスティバルゲートを出て行く際に、このエンターテインメントを続けていくのが苦しい、経営状態が大変であると相談されて、私はその時に、『大阪プロレスは大阪の文化やし、何とか残さないあかんのじゃいのかな?』ということで、2007年に私が経営を見ると。それまで経営を見たスペル・デルフィンさんにやっていただくということで、私は会社を引き受けて、『私が大阪を見よう』『もう1回、大阪を盛り上げよう』といこうとで会社をM&Aさせていただきまして、引き継いできたわけなんですが、気付けば経営を私の方にお願いしてきた前任の社長は、残念ながらあんまり報道されてませんが、1年足らずですべて放棄して出て行かれましたので、私の方が経営者でいながら、いろいろ現場の指揮も執りながらやってきたんですけど、やはり今の世間のエンターテインメント、スポーツ界がそうであるように、地域密着でやっていくプロレスはなかなか厳しい経営状況の中で、こうやって自分たちで立派な常設会場を持ってやっていくのはしんどい。
僕らの使命は何なのかなっていうのは、僕はプロレスラーでないので、この大阪プロレスというものを守っていく。選手たちがプロレスができる環境を残し続ける。そして大阪プロレスを愛してくれてる地域の皆さんに、お年寄りからお子様まで笑っていただき、楽しんでいただける場を提供して、見ていただき続けるというのが、僕らの使命で。
そこで15周年を迎える大阪プロレスは、何か改革を起こさないと、このままではダメになっていく。それではダメだと決心しまして、会社としては“新生大阪プロレス”を作り出していかないといけない。そのためには、今までやってきたことはいいことも悪いことも含め、一度全部見直して改革しないといけない。そのためには当然、いろんな改革者が反発を食らうように、もちろんいい話ばかりじゃないです。やはり大阪プロレスはここにいて、(会場に)来てくれるお客さんだけを待っているようでは、関西を代表するエンターテインメント、地域密着と言いながら来てくれるお客さんだけをウェルカムするのではなく、僕ら自身が大阪、関西のいろんなところに出向いていって、その地域の皆さんを元気にしながら、大阪プロレスを理解してもらいながら、社会貢献などもしながら、大阪プロレスを今後、15年だけでなく20年、25年、30年と残していくために、活動していこうやないかと(案を)挙げたんですが、試合数も減りますし、一部の選手の退団となりました。
ただし、ありがたいことに、大阪プロレスを今後も残していこうやないかと、一部で報道されたようにいっぱい選手が辞めるんで大阪プロレスが終わるやないかというんじゃなくて、本当の意味で大阪の名物として残るために今後もやっていこうということに賛同していただいたのが、ここにいる選手だけじゃなくて、大阪プロレスの全盛期を支えてくれた初代えべっさんをはじめ、今一番勢いのあるDRAGON GATEさんのGamma選手であったり、いろんな大阪プロレスに熱い思いを持ってる選手が協力してくれることで、今後も大阪プロレスがいろんな地域で興行しながら、元気さ、明るさを提供できるというふうにやっていける形になりました。
ここで今回の、我々にとってはマイナスの報道ではあったんですが、『大阪プロレス解散』という記事を見ていただいて、今回同席していただいてますベラジオさん、大阪を中心にパチンコ店をチェーン展開しておられる会社の方から大阪プロレスに一本の電話がありまして、僕が2007年にそうであったように、エンターテインメントを掲げてやっておられる会社であるベラージオさんの方から『それほど大阪プロレスが今、大変なんであれば救ったれ。大阪に元気なもの、社会貢献できる地域を残さなあかん』ということで会社のトップの方から号令をいただきまして、電話がかかってきまして、こういう形でお会いさせていただくことになりまして、話がどんどん進んでいき、お互いに目指しているものは地域の活性化であり、社会貢献であったり、大阪を中心によくしていかなければあかんということで話が合って、29日から再出発する新生大阪プロレスの大会から1年間、全面的にバックアップしようやないかということで、名乗りを挙げていただきまして、今回、協賛企業として、スポンサーとしてお世話になることになりました。
こんな報道があって、大阪プロレスが頑張っていかなという中で、ほんとに明るい話題として、世間に『なんや、潰れるんか』といわれる中で、『違うねんで』と伝えていく中で、一番最初の明るい部分として参加していただくことになったんで、そういう報道を見られた皆さんに、これからの大阪プロレスの本当に内容のことと、こうやって一緒にやっていく、タッグを組んでいくことの発表をさせていただこうということで、お越しいただきました」
ベラジオ・吉田専務「私達の会社といいますのは、まだ創業から14年という、まだまだ若い企業だと思うんです。パチンコ店というのも衰退の時代を迎えておりまして、私達が持ってます店舗はすべて駅前の小規模店舗で、私達は出店して増やしてまいりました。そうやって出店してきました理由といたしましては、大型店舗が当たり前の時代にあって、私達は地域密着、駅前を大事にして、ここまで(会社の)規模を大きくできてきたと思っております。もう一つ、私達の経営理念といたしまして、“驚きと感動”というのを非常に大事にしております。先ほど大阪プロレスの方からもありましたようにエンターテインメント…我々のパチンコ店もただお金を入れて勝った負けたで帰っていただくのでなく、何かしらお客様とのつながり、心の触れ合いを求めていくエンターテインメント性を重要視して少しずつ大きくしてきたというのが私達の会社であります。そういう中で今回、大阪プロレスからおうかがいした中で、地域密着であるとか、エンターテインメントであるとか、そして驚きと感動という部分で、ぜひ私達も大阪プロレス様という大阪の文化、究極のエンターテインメントというものをぜひ、力を合わせて無限の感動を目指していきたいという思いから今回、このようにスポンサーという形でご協力させていただくという形になりました。私達も地域密着で、地域貢献、大阪プロレスさんと一緒に駅前のお客様であるとか、お年寄りの方とかお子様に喜んでいただける興行を、私達としてはご協力させていただこうと考えております」
阪上会長「何回かお話させていただいて、これだけは誤解のないように最初にお話させていただきたいのが、こうやってベラジオさんからの好意で、一本の電話から始まってタッグを組むという話になったんですが、世間で言うタッグではなくて、今回はほんとに僕が大阪プロレスを引き受けたときとは違いますし、今回はスポンサーさんという形で入っていただくわけですが、お互いに“パチンコ業界だから”“プロレス業界だから”というふうに思われへんタッグを。会社ですから、どちらにもメリットがあるように頑張っていこう、お互いの名前、お互いの収益が上がるように活動していかないといけない。ただ、この二つが組むことによって、地域の方に対するアピールであるとか、社会貢献であるとか、できることはキッチリしながら、『大阪プロレスがしんどくなったからちょっとスポンサーで入ってくれたんや』という関係でないという確認を取った上で、スポンサーになっていただきましたし、我々も大阪プロレスとして、こんな一番悪い噂があって、一番団結して頑張らなという時に、一番に名乗りを上げて理解していただいた企業さんですから、もちろん大阪プロレスとしても全力でベラジオさんの様々な活動に力を貸していきたいと思いますし、つい先ほどもお話ししたんですけども、地域を元気にできるイベントがこういうタッグができたことによって生まれるのではないか、絶対やりましょうと話したところです。ほんとに単発でスポンサーになっていただいて、我々も1年間、救ってもらったとなるのではなくて、プロレス界を深く理解していただいたり、僕らが今やろうとしている改革、新生大阪プロレスというのが、一旦は思ってない報道がありましたが、結果的に大阪のため、大阪の文化、大阪名物となって、『あれ、よかったんちゃうの?』『あの一件があったから…』って、ベラジオさんに助けてもらいながら、ファンの方にも少しずつ理解してもらって、最終的には『大阪プロレスはあの形になってよかったね』と言われることを目指して、今後、20年、25年を迎えられるように頑張っていきたいと思います。僕が大阪プロレスをあきらめて、大阪プロレスという文化、大阪名物をなくすということは絶対ありませんので、その意気込みでこれからもやっていこうと思います。本当に大阪プロレスを愛してくれるファンの皆さんと、大阪プロレスを大事にしてくれてる選手には、一部報道で気分が落ち込むようなことがありましたが、そこだけは撤回してファンに元気なところを、逆に我々が見せていかないと。それがわれわれの使命。今後の大阪プロレスとべラジオさんとのタッグで、そうなっていくところを見守っていただきたいと思います」
大阪プロレスの阪上会長が会見を開き、デイリースポーツなどが報じた解散説を全面否定し、新スポンサー獲得による新体制で再出発、4月29日のIMPホール大会では新キャラクター6選手がデビュー、大阪プロレスOBの初代えべっさんこと菊タロー、Gamma、マグニチュード岸和田、HUB、NOAHからは原田大輔、小峠篤司の参戦が発表された。
13日道頓堀プロレス、大阪ボディーメーカーコロシアム第二競技場大会でビリーケン・キッドとThe Bodygardが道頓堀プロレスに宣戦布告するという形で参戦を表明、ゼウスは全日本プロレス、タイガースマスクも大日本プロレスやWNCなどフリー活動を開始し、クワイエット・ストームはNOAH参戦をアピールするなど、所属していた選手達はそれぞれの道を歩みだした。阪上会長も肖像権関係もあってフリーとして残留したくいしんぼう仮面らと共に大阪プロレスをリセットして再出発するという選択をした。ただ新しいスポンサーも一年間の期限付き、一年の間でどこまで大阪プロレスを再建するのか、一年は長いようで短い・・・PR -
残留は4選手・・・大阪プロレスの所属選手の大半が退団へ・・・・
<週刊プロレスモバイルより>
1日、ナスキーホール・梅田で開催された大阪プロレス「ミニミニホリデーパラダイス」の全試合終了後、ブラックバファロー副社長をはじめ、えべっさんを除いたこの日出場した日本人全選手とビリーケン・キッド、ゼウス、The Bodyguardが登場。バファロー、ゼウス、Bodyguard、松山勘十郎がリングに上がり、ほかの選手がリングサイドを囲む中、バファロー副社長が今後に関する発表をおこない、4月20日付での自身の副社長辞任と大阪プロレス退団、および同日付でのタイガースマスク、ビリーケン・キッド、ゼウス、The Bodyguard、松山勘十郎、クワイエット・ストーム、三原一晃、瀬戸口直喜、織部克巳、米田太陽、宮尾信次郎リングアナ、吉野恵悟レフェリーの退団をファンに報告した。
バファロー「大阪プロレス副社長、ブラックバファローから発表がございます。大阪プロレス、来季から選手の契約が変わります。所属選手を1人も抱えない、全選手フリーな団体として阪上会長が運営していく団体となります。それに伴いまして、4月20日付で副社長を辞任させてもらい、大阪プロレスを退団させていただくことになりました。すでに本人がHP上で発表してますように、タイガースマスク選手が退団、ほかにも数名、退団選手がいます。ここで発表させていただきます。ビリーケン・キッド、ゼウス、The Bodyguard、松山勘十郎、クワイエット・ストーム、三原一晃、瀬戸口直喜、織部克巳、米田太陽、リングアナ宮尾信次郎、レフェリー吉野恵悟。以上が退団選手であります。
私、ブラックバファローはまだ、プロレスの活動をもう少し続けていこうと思っておりますので、応援よろしくお願いします。大阪プロレスで15年、阪上会長をはじめ選手、関係者、スタッフ、そしてファンの皆さんに支えられた15年でした。本当にありがとうございました。
大阪プロレスは契約状態こそ変わりますが、この大阪の地で阪上会長がプロレスの活動をしていきます。新しい大阪プロレスを作り出していくために、これから頑張っていくと聞いております。選手、スタッフの皆さんのご多幸をお祈りします。今の体制の大阪プロレスの最終戦、最後の試合は4月29日、IMPホール大会ではありません。4月29日のIMP大会は新しい大阪プロレスの新しいメンバーで未来を見据えた大会になると聞いております。今季のメンバーの大阪プロレス最後の試合はこのナスキーホールが閉館する最終日、4月20日、日曜日を予定しております。もしかしたら諸事情で若干、前倒しになるかもしれませんが、このナスキーホールの閉館予定日、4月20日が今現在、このメンバーの大阪プロレスの最後の大会であります。4月20日まで、あと少しではありますが、皆さん、よろしくお付き合いください。ありがとうございました」
ゼウス「このリングの上で闘ってきたゼウスを最後まで応援していただき心より感謝いたします。ありがとうございました。応援してくれる皆様がいたから、本当に頑張って、プロレスをここまでやってこれました。そしてもちろん、私ゼウスは、これからもっともっと、プロレス界を、そして大阪、関西を盛り上げるために退団するのです。(ここから地声)決して、大阪プロレスが嫌いで退団するのではございません。大阪プロレスが大好きで、ここまでプロレスをやってまいりました。そしてこれからも、この大阪プロレスが大好きであります。この自分の心の中の大阪プロレスをこれからもとことんやり抜き、日本のプロレス界、関西、大阪のプロレス界を盛り上げていくために、今後もゼウスはこれまで以上にどんどん、どんどん前へ前へ活躍して、プロレスをやってまいりますんで、皆さんこれからも、よろしくお願いします」
勘十郎「闘龍門時代からずっと参戦させていただいて、それを含めた約8年間、大阪に来てからたくさんの方たちと出会い、たくさんの人たちに応援していただきました。拙者を応援していただいたすべての皆様に、本当に心からお礼を申し上げます。拙者にもプロレスラーとしてまだまだいろいろとやりたいことがありまして、その夢を追っていきたいと、そういう道をこれから歩いていくことにしました。松山勘十郎は大阪が好きです。大阪でプロレスをこれからもやっていきたいと思います。プロレスが好きです。何があってもプロレスは絶対やめたくありません。死ぬまでプロレスは絶対にやり続けたいと思っております。皆さんどうか、今後ともよろしくお願いします」
Bodyguard「大阪プロレスでデビューさせていただき、そして活躍の場を与えてくださって、ほんとに感謝しております。ありがとうございます。今まで専属フリーという形で大阪プロレスに契約してきたんですけど、これからは完全なフリーとしてまだまだプロレスを頑張っていきますので、皆さん、応援の方、よろしくお願いします。今後はプロレスだけでなく、芸能の仕事もどんどんやっていきたいと思ってます。4月の4日、5日、6日は、ABCホールで演劇俳優としてのデビューも決まってます、よろしければそちらの方もよろしくお願いします。4月29日の周年(大会)には出ませんけども、4月20日、最後の興行までは精いっぱいやりますので、これからもよろしくお願いします」
吉野レフェリー「先ほども退団選手の中に自分の名前がありましたが、自分の場合は去年1年間、フリーではありましたが、この大阪の常設会場がなくなるということで、僕自身、生まれも育ちも大阪ですし、デビューしたのもこの大阪プロレスです。そしてはっきり言ってこの7年間、自分をここまで育てていただいたのも、ファンの皆さんのお陰だと思ってます。自分はまだまだここで止まるつもりはなく、もっともっと大きな世界へ邁進したいと思いまして、いろんな団体に事前には話していたんですが、この4月から自分の活動の拠点を東京に移すことになりました。東京のいろんな団体で、フリーとして活動を広げていって、なおかつ芸能の仕事も、昔やっておりましたが、そんな仕事も。もっともっといろんな人に楽しんでもらうような、笑顔をともにできるような、そんな存在になりたいと思い、大阪から離れる決断をいたしました。ただ毎月のように、いろんな団体さんの大阪大会で、大阪に戻ってくることがあると思いますんで、そのときは是非ともご声援の方、よろしくお願いします。まずは7年間、本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします」
宮尾リングアナ「私は2003年にこの大阪プロレスに入社させていただきまして、今年で11年を迎えることになりますが、この11年間、選手、スタッフ、そして関係者、ファンの方に支えられ、やってこれたと思います。私は大阪プロレス、そしてプロレスが大好きです。私は大阪プロレスを退団した後は、大阪でプロレスを陰から支える存在として、いろんな活動をしていきたいと思います。まずはこの11年間、この大阪プロレスを、そして私たちを応援していただきまして、本当にありがとうございます。私は大阪が大好きなんで、そして大阪プロレスが好きで、プロレスが好きで、大阪という土地も大好きなんで、私は大阪に残って、大阪のプロレスシーンを陰から支えていこうと思ってます。ここに来られている方は、大半が大阪の方だと思いますが、またいろんな会場でお会いできる日をお待ちしています。本当にありがとうございました」
タコヤキーダー「今、諸先輩方がたくさんの挨拶をされた最後に自分が話させてもらうのは…。自分はこれからも大阪プロレスで試合をします。ここでデビューさせてもらって、この大阪プロレスはすごくお世話になりました。だから自分は、この大阪プロレスが大好きです。諸先輩方も大好きです。そんな大好きな諸先輩方がいた大阪プロレスだからこそ、自分が大好きな大阪プロレスだからこそ、そして9年間、自分のことを応援してくださる、この会場に足を運んでくださって大阪プロレスを応援してくださる皆さんが見に来てくれる大阪プロレスを、これからもずっとずっと続けていきたいと思ってます。先ほど挨拶された諸先輩方は4月20日でこの大阪プロレスを離れられます。でもここにいる選手、スパイダーのほかにも大阪プロレスに残ってます。その選手と4月29日の周年(大会)では、新しい大阪プロレスを皆さんに見せたいと思ってます。これから新しい大阪プロレス、もっともっと頑張るんで、楽しい大阪プロレスにしていきたいと思いますんで、皆さん、これからも応援よろしくお願いします。今日はご観戦ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします」
挨拶を終えるとレフェリー、リングアナを含めた全選手がロビーに並んで観客を送り出した。フリー契約になってからも大阪プロレスに残るのは、タコヤキーダー、アルティメット・スパイダーJr、くいしんぼう仮面、えべっさんの4選手のみ。現体制での最終戦が4・20梅田になることが発表された。
大阪プロレスが3月1日ナスキーホール大会後に重大発表を行い、かねてから退団を表明していたタイガースだけでなくビリーケン・キッド、ゼウス、The Bodyguard、松山勘十郎、クワイエット・ストーム、三原一晃、瀬戸口直喜、織部克巳、米田太陽、宮尾信次郎リングアナ、吉野恵悟レフェリーが退団、タコヤキーダー、アルティメット・スパイダーJr、くいしんぼう仮面、えべっさんの4選手が残留も所属ではなくフリー扱いとなることが発表された。新体制も副社長だったバファローは辞任、阪上会長自ら大阪プロレスの看板を背負うことになった。
大阪プロレスは旗揚げしてから14年、一時は大阪ボディーメーカーコロシアムに進出するまでパワーを持っていたが、道頓堀プロレスと分裂してからは坂道を下るように転落、正直言ってここまで厳しい状況にまで陥るとは思っても見なかった。
大阪プロレスの今後に関しては未定、4月20日のナスキーホール閉鎖(前倒しになる可能性もあり)と29日にIMPホールで15周年記念大会を控えているのみ、だがIMPホール大会も大阪プロレスの現状を考えると開催されるかどうかわからないと見なければいけない、残る選手も所属でないことから今後も厳しいだろうが、去っていく選手やスタッフの今後もどうなるのか・・・どちらにしても茨の道である。
<追記 デイリースポーツより>
経営状態が悪化している大阪プロレスが、事実上の“解散”となることが1日、分かった。この日の試合終了後、ブラックバファロー副社長がリングに上がり、今後の体制について「所属選手を一人も抱えない、全選手がフリーな団体として、阪上(雄司)代表が運営・経営をしていく団体となります」と発表した。当面は大阪プロの看板は残るものの所属選手はゼロ、レフェリーやリングアナらも解雇となり、団体は形骸化することになる。
現体制での活動は本拠地会場・ナスキーホール閉鎖予定日の4月20日までで、旗揚げ15周年記念大会(4月29日・IMPホール)には現所属選手はほとんど参戦せず、新体制での興業となるという。しかし5月以降の興行日程は発表されておらず、先行きは不透明なままだ。旗揚げメンバーでもあるバファローは「阪上会長をはじめ、選手、関係者、スタッフ、そしてファンの皆さんに支えられた15年でした」と声を詰まらせた。この日、団体の未来を担うはずの阪上雄司・代表取締役会長は、会場に姿を見せることはなかった。
デイリースポーツ、またスポーツナビで大阪プロレスが事実上の解散へと報道された、選手は残留する選手がいるといってもフリーで所属はゼロ、レフェリーやリングアナも解雇、重大発表の場には阪上会長も現れず、5月以降も白紙・・・解散と受け止められても仕方がない。大阪プロレスはとりあえず4月まで存続する、最後までしっかり頑張って欲しい。四月二十日付で大阪プロレス副社長を辞任・退団することになりました。15年間ありがとうございました。大阪プロレスは、今後もこの大阪の地で活動を続けていきます。私もまだもう少しプロレスを続けます。大阪プロレス、ブラックバファロー、今後とも変わりなくよろしくお願い申し上げます。
— ブラックバファロー (@blackbuffalo37) 2014, 3月 1今日ブラックバファロー副社長から発表があった通り、4月20日を最後に大阪プロレスを退団することになりました。 退団した後は、フリーとして活動していきます。 4月20日まで、そしてその後も変わらぬ応援をよろしくお願いします!明日からも変わらず暴れたおすぞ!
— 三原一晃 (@oneshoulder_k) 2014, 3月 1発表しました通り私、吉野恵悟は4月中旬より活動の拠点を東京に移し、東京在住のフリーレフェリーとして活動し、より多くの団体やプロモーションで活動出来るように精進すると共に、芸能活動にも力を入れて参ります。大阪にもちょくちょく帰って来ますのでどうぞこれからもよろしくお願いします。
— 吉野 恵悟(Keigo Yoshino) (@keigoyoshino) 2014, 3月 1今日は色々ありましたが…僕は一生くいしんぼう仮面でやって行くから…それだけです。さぁ今日もAM3は夜8時からやっておりますよ~(^-^)近々もしかしたら近所に2号店も出すかも?そんな訳で今後とも応援宜しくお願いします(^-^)/
— くいしんぼう仮面 (@kuisinbokamen) 2014, 3月 1 -
タイガースマスクが東京進出のため大阪プロレス退団へ
(タイガースマスクのブログ「オレ、すごくなるから」より)
皆様にご報告がございます。
タイガースマスクは13年間お世話になっておりました大阪プロレスを4月20日付で退団することになりました。
今日まで応援していただいた皆様には心から感謝しております。
昨年より、私事で東京からの参戦に深いご理解をしてくださった、団体の代表、選手の皆様関係者の皆様にも大変感謝しております。
今後、私は東京を中心にタイガースマスクではなく、新たな自分を見つけ活動していきたいと考えております。大阪プロレスの益々の発展と皆様方のご多幸を願っております。
来る、4月29日の松下IMPホールでの15周年記念興行までは全力で戦っていきますので、最後まで応援よろしくお願い致します。
大阪プロレスのエースの一角であるタイガースマスクが4月29日のIMP大会をもって退団することを表明した。実はナスキーホールが閉鎖が決定したときにブラック・バファローを始め所属選手が再建をコメントする中でタイガースだけが(特選格闘技 ロープブレイクタイムより)「MUSAKU(無策)。」としかコメントしなかったのが気になっていた。
タイガースマスクは大阪プロレスからデビューした生え抜きでビリーケン・キッドと共に大阪プロレスのエースの一角を担い、また第5回スーパーJカップにも出場し、またDRAGON GATEとの対抗戦ではブラック・バファローと共に先陣を切って活躍した。
大阪プロレスもタダスケがWWE入りを目指すため退団が決定、ここに来てエース格であるタイガースの退団は手痛い・・・盟友であり副社長であるバファローも今の大阪プロレスの現状を考えると送り出すしかなかったのだろうが、経営難の露呈、常設会場からの撤退、そして主力選手の離脱、大阪プロレスの今後にかなり厳しさを感じる。 -
4月いっぱいでナスキーホール梅田が閉館へ・・・表面化した大阪プロレスの経営難1月25日大阪プロレス梅田大会「ミニミニホリデーパラダイス」の全試合終了後、メインを終えた選手と入れ替わりに阪上雄司会長がリングに上がると、以下の通り挨拶を行った。
阪上会長「皆さん、こんにちは。楽しんでいただいた後に、少し長い話になるかもしれませんが、私の方からご報告があります。少しだけお時間をよろしくお願いします。大阪プロレスは今年の4月29日をもちまして、15周年を迎えることになりました。ありがとうございます(場内拍手)。私の方も2007年から、大阪プロレスを何とかフェスティバルゲートを体験した後、創業者のスペル・デルフィンの方から引き継ぎまして、常設会場にこだわり、そして地域密着で大阪プロレスを続けたい。ただし、今の状態では非常に苦しい、大変だということで、私も当時、大阪プロレスのスポンサーをさせていただいた1人なんですけども、いろんなところへ相談があったなかで、何とか大阪で非常にかわいがってもらってる大阪プロレスを1年でも2年でもそういう形で残したいということで、全然プロレスをわからなかった私が、頑張る選手たちを見て、協力させていただこうと思って大阪プロレスの代表に就かせていただきました。
ただ選手たち7名も、スタッフも非常に頑張ってくれましたが、この毎日、皆さんの前でリングで闘うという、常設会場を持ってやっていくというスタイルは、やはりわれわれ大阪プロレスでは残念ながら限界が来ました。そこで、大阪プロレスはある一つの大きな決断をさせていただこうと思い、今後、4月の周年以降、5月からはプロレス団体のほとんどがそうであるように、大阪を中心ではありますが巡業させていただき、こうやって楽しんでいただき、かわいがってくれるお客さんの前で、1試合でも大会を開けるように頑張っていこうと思うんですが、スタイルを変えて、また新たな挑戦をさせていただきたいと思います。
私はまだ7年目なんですが、15年、大阪プロレスをやってきて、当然、まだ若かった選手たちも、先輩のレスラー、ベテランのレスラーは年齢を重ねました。その分、若いレスラーはどんどん実力をつけて、今も頑張ってます。大阪プロレスは、皆さんに支えてもらって今まで頑張ってきた団体なんで、私もこの4月末以降、もう1度、イチ営業マンとなってポスター張りや大阪プロレスの宣伝、興行のためのチケットの販売やプロモーションといったことをやらせてもらって、ここにいる皆さん、大阪プロレスを楽しみにしてもらってる皆さん、そして1大会でもリングの上がりたい選手たちのために私のできることをもう1度、1からやらせてもらい、大会を開いていきたいと思います。
そして当然、がむしゃらにやるだけではなく、今現在、私もいろんなところにお力を借り、行動をとって、新しいプロジェクト、新しい企画も今後、考え、まだ今すぐに発表はできませんが、必ず、皆さんにかわいがっていただいた大阪プロレスの火を消すことなく、私も先頭に立って、これから4月以降も頑張っていきたいと思いますので、どうか皆さん、少しでも大阪プロレスに力を貸していただきますよう、ご協力いただきたいと思います。選手たちはよく頑張りますし、本当に1試合でもできるようにと、今でもプロレスを愛してるレスラーはたくさんいます。なので、1年の間に1大会1大会増えていくよう、私が先頭に立って努力してまいりますので、どうか皆さん、よろしくお願いします。お時間取っていただいて、ありがとうございました」
阪上会長が試合後の挨拶で正式に大阪プロレスは常設会場であるナスキーホール梅田から撤退、会場も閉鎖することを発表した。館内は週プロモバイルで橋爪哲也氏のコラムで報じた影響か、またリークされる前に薄々わかっていたファンもいたらしく批判や混乱もなく覚悟して聴いていたという。(大阪プロレスもそれが狙いで橋爪氏にリークしたかもしれないが)
理由は大阪プロレスの経営難、ナスキーホールは大阪プロレスが利用するだけでなく各団体にも貸し出して同団体の利益にしていたが、空牙ら大阪プロレス離脱組が旧ムーブ・オン・アリーナこと道頓堀アリーナを復活させたことで各団体の利用が道頓堀アリーナに流れてしまい、ナスキーホールの使用数が激減、また離脱組が道頓堀プロレスも旗揚げしたことで大阪プロレスも集客に苦しんでいたという。団体にとって常設会場も経費がかかるだけに大阪プロレスにとってはナスキーホールの閉鎖は苦渋の決断だったと思う。
これからは巡業スタイルで大阪プロレスは興行を継続するが、ただ気になったのは今大会にDRAGON GATEの岡村隆志社長が来場し阪上会長と共に会場を後にしたという。ドラゲーも神戸に常設会場もある、同じ常設会場を持っていた阪上会長に対して労いの意味で現れたのか?それとも何があるのか… -
大阪プロレス、道頓堀プロレス両団体が常設会場から撤退へ・・・
(週プロモバイル 元Fight野郎のプロレス外電より)
さて、東京に次ぐ激戦区といえるのが大阪。ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育会館)は“西の殿堂”ともいうべき存在であり、同体育館の第2競技場もすっかり定番会場となっている。
周辺にも大阪城ホール、なみはやドーム(門真市)、ベーコム総合体育館(兵庫県尼崎市)、ワールド記念ホール(神戸市)などプロレス向きの会場が点在。小規模とはいえ、キタ(梅田地区)には大阪プロレスがホームとするナスキーホール・梅田、ミナミ(なんば地区)には道頓堀プロレス、DOVEプロレスがホームとする道頓堀アリーナといった常設会場が存在し、インディーや女子団体が東京から遠征して同所で定期的に興行を打つほか、選手プロデュース興行も単発で開催。さらに最近では、区民センターや区民ホールでも興行が行われている。
そんな大阪のプロレス地図が大きく塗り替えられる事態が発生。というのは、大阪、道頓堀両団体が常設会場を離れるというのだ。(大阪プロレスは4月、道頓堀プロレスは3月2日をもって)
事情はそれぞれ異なるも、春先には大阪から手軽に使用できる会場が消える。両会場に定期的に進出していたインディー&女子団体にとって、使い勝手が良かったのはリングが常設されているから。音響などの設備も整っており、リングやイスを運搬しなくていいし、リングを持たない団体ならレンタルする必要もない。極端に言えばタイツとシューズさえ持って来れば試合ができた。
今後、両団体は近隣会場を渡り歩いての巡業形式で活動を継続していくとのことだが、常設会場があったからこそ地域密着型をアピールできたし、運営基盤を築けた。
両団体がこの事態をどう打開していくか。それ次第では浪速のプロレス熱が一気に冷めてしまう危険性さえはらんでいる。
フリーライターで週刊プロレスの遊軍記者である橋爪哲也氏が週プロモバイルにて連載しているコラムで、大阪プロレスが常設会場である梅田ナスキーホール、道頓堀プロレスが常設会場である道頓堀アリーナから3~4月をもって撤退することを報じた。
大阪プロレスは2012年11月から旧ムーブ・オン・アリーナ(道頓堀アリーナ)から現在へのナスキーホールへと常設会場を移転したが昨年3月に大阪プロレスが分裂、空牙ら離脱組が道頓堀アリーナを常設会場として復活させ9月に道頓堀プロレスを旗揚げ、キタの大阪プロレスとミナミの道頓堀プロレスが張り合うことになってしまった。
大阪プロレス、道頓堀プロレスによる南北戦争が勃発した際に懸念していたのはファンが二分されることによっての共倒れ、分裂の結果が双方共常設会場を手放すではシャレにもならない。
今後どうなるかは双方共正式発表待ちだが、両団体の今後はかなり厳しいものを感じる、また会場もどうなるかもわからない、どちらとも存続は難しいかもしれないが・・・・ -
大阪南北戦争
デイリースポーツより
大阪のプロレス界が大きな動きを見せている。昨年11月に本拠地をミナミからキタに移した大阪プロレスと、団体を離脱しミナミへ“Uターン”した元大阪プロ選手。かつての仲間同士で観客を奪い合う状況に、ファンも「どちらを応援すればいいのか」困惑する。今、浪速のマットに何が起こっているのか。突如として始まった仁義なき“南北プロレス戦争”をリポートする。◆古巣に“反旗”…新団体旗揚げへ
ことし4月末、大阪プロから主力6選手が一挙に離脱した。そのうち若手の原田大輔は大手団体・ノアへの移籍が発表されたが、トップレスラーだった空牙(クーガー)ら、残りの5選手は退団理由も、去就も明かされることはなかった。
様々な憶測が飛び交う中、5月下旬、空牙が6月の自主興行4大会開催を発表。しかしその内容はファンが驚きと戸惑いの声を上げるものだった。出場選手には大阪プロ離脱選手の名が並ぶばかりか、昨年10月に閉鎖されたはずの大阪プロ旧本拠地・道頓堀アリーナ(旧ミナミムーブオンアリーナ)を再生して使用するという。しかも、4大会のうち3つが大阪プロの興行と同時刻の開催。「時間が重なったのはたまたま。ケンカをふっかけるつもりはない」と空牙は言うが、のちに発表された7・8月の日程でも、やはり大半が大阪プロの興行とバッティング。観客の奪い合いは確実で、古巣に反旗を掲げたとされても仕方のない状況だ。
ミナミの“プロレス復興”は、会場周辺の商店街からの願いでもあったという。空牙も「プロレスを大好きな全ての人たちがここ(道頓堀アリーナ)に集まってもらって。選手、スタッフ、関係者、お客さん、みんなでこのリングを作っていきたい」と力を込める。23日の興行は満員には届かなかったが上々の客入り。質の高い試合でファンをうならせ、大いに盛り上がった。「完全否定はしない。そういう方向で進めている」と、近い将来の新団体旗揚げも見据え、第一歩として新組織『道頓堀エンターテイメントシステム』を発足させる。今後はキタの大阪プロ本体と、ミナミの“新・大阪プロ”とのさらなる競争激化は必至だ。
◆「最低限のルール」バッティングに不快感
ミナミを迎え撃つ、大阪プロの選手兼副社長ブラックバファローは「ビジネスとしてやっているわけですから」と、元同僚の行動に一定の理解を示しつつも「お客さんのことを第一に考えれば、開始時間までバッティングしているのは非常識。最低限のルールとして」と不快感を隠さない。
大阪プロは空牙らの離脱直後は観客数が落ち込んだが、様々な営業努力によって客足を取り戻しつつある。本拠地ビルに同居するライブハウスや大衆演劇場とのコラボイベントを立て続けに計画するなど、新規客獲得へ他ジャンルへの積極的なアプローチを続ける。一方で常連客の満足度を高めるため、興行後に出場選手がビルの1階まで移動し観客を見送るサービスを始めた。マンネリ感から脱却するため導入した所属選手プロデュースデーは「普段は見られないカードが見られる」と好評だ。
ファンからの意見も取り入れていく。「早すぎる」との声が多かった平日興行の開始時間を、7月3日から30分繰り下げて7時にするほか、生ビールとセットの割引チケットを新設し、会社帰りのサラリーマンの取り込みを狙う。夏休み期間中には小学生を入場無料にする恒例企画も開催予定だ。「14年間やってきた強みがある。常連さんはもちろん、一見さんが来やすい状況を作りたい」とバファロー。抜群の知名度を生かしたPR活動を展開し、ミナミの新興勢力をけん制する。
◆会場の他団体誘致でも火花
選択肢が広がったのはファンだけではない。プロレスファンが多い大阪は、年間を通じて多くの団体が遠征してくる“ドル箱”。興行の成否は会場選びも重要になる。レンタル料の安い公民館などもあるが、選手らに大きな負担がかかる「リング設営」から開放されるリング常設会場は大きな魅力だ。これまで大阪のリング常設会場といえば、ほぼ大阪プロレスの現本拠地・ナスキーホール梅田の一択だったが、道頓堀アリーナの復活は現状を大きく変える。
ナスキーホール梅田は、映画館跡地を改築しただけあり、ひな壇状の客席からはどこからでも観戦しやすいのが特徴。音響や空調もよく、観客、レスラー双方から好評だ。大きな弱点のない会場だが、固定式の座席、約350という客席数は、人気団体でなければ満席にするのは厳しい。
一方、席によっては観戦しづらいが、一体感があり約250席という手ごろな広さ、客席レイアウトも変更可能な道頓堀アリーナは、小規模団体にとって理想的だ。使用料が比較的安いのも魅力で、アリーナ復活を聞きつけ、早くもいくつかの団体が興行開催を決定している。当面は空牙の協力者らで管理するという。
「元所属選手の動きというより、正直、会場貸しのライバルが現れた点を強く意識している」とバファローも警戒感を強める。観客だけでなく、他団体の誘致でもキタとミナミのつばぜり合いが続く。
やがて勝者と敗者が生まれるのか、双方が疲弊するのか。それとも相乗効果で業界が盛り上がるのか。盛夏を前にして“大阪南北プロレス戦争”のゴングが打ち鳴らされた。
大阪プロレスを退団またフリー契約を解除された空牙、信玄(元・秀吉)、政宗、HAYATAらが道頓堀アリーナ(旧ムーブ・オン・アリーナ)を拠点として新団体設立に動いていることが報じられた。
4月末に空牙らJOXER勢は原田大輔と共に大阪プロレスを退団した、原田はNOAHへ移籍のための退団だったが、空牙らは大阪プロレスに対して含むことがあっての退団、その結果キタ(梅田)の大阪プロレスに対してミナミ(難波)を拠点とした新団体設立とは・・・大阪プロレスは実質上分裂したということなのか。
大阪にも様々な団体があるが大阪プロレスの域には達していなかった、空牙らの新団体は大阪プロレスを凌ぐものなのかどうかもわからない、しかし大阪プロレスの創始者でありながら遠ざけられていたスペル・デルフィンを起用するなど、大阪プロレスに対してかなり含むものがあったのではと思う。
競争相手が出来るのは喜ばしいのだが、双方の関係を見ると喜ばしくもなく、潰しあいに発展しなければ良いのだがと思ってしまうが・・・・