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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

4月いっぱいでナスキーホール梅田が閉館へ・・・表面化した大阪プロレスの経営難

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4月いっぱいでナスキーホール梅田が閉館へ・・・表面化した大阪プロレスの経営難

1月25日大阪プロレス梅田大会「ミニミニホリデーパラダイス」の全試合終了後、メインを終えた選手と入れ替わりに阪上雄司会長がリングに上がると、以下の通り挨拶を行った。

阪上会長「皆さん、こんにちは。楽しんでいただいた後に、少し長い話になるかもしれませんが、私の方からご報告があります。少しだけお時間をよろしくお願いします。大阪プロレスは今年の4月29日をもちまして、15周年を迎えることになりました。ありがとうございます(場内拍手)。私の方も2007年から、大阪プロレスを何とかフェスティバルゲートを体験した後、創業者のスペル・デルフィンの方から引き継ぎまして、常設会場にこだわり、そして地域密着で大阪プロレスを続けたい。ただし、今の状態では非常に苦しい、大変だということで、私も当時、大阪プロレスのスポンサーをさせていただいた1人なんですけども、いろんなところへ相談があったなかで、何とか大阪で非常にかわいがってもらってる大阪プロレスを1年でも2年でもそういう形で残したいということで、全然プロレスをわからなかった私が、頑張る選手たちを見て、協力させていただこうと思って大阪プロレスの代表に就かせていただきました。

ただ選手たち7名も、スタッフも非常に頑張ってくれましたが、この毎日、皆さんの前でリングで闘うという、常設会場を持ってやっていくというスタイルは、やはりわれわれ大阪プロレスでは残念ながら限界が来ました。そこで、大阪プロレスはある一つの大きな決断をさせていただこうと思い、今後、4月の周年以降、5月からはプロレス団体のほとんどがそうであるように、大阪を中心ではありますが巡業させていただき、こうやって楽しんでいただき、かわいがってくれるお客さんの前で、1試合でも大会を開けるように頑張っていこうと思うんですが、スタイルを変えて、また新たな挑戦をさせていただきたいと思います。

私はまだ7年目なんですが、15年、大阪プロレスをやってきて、当然、まだ若かった選手たちも、先輩のレスラー、ベテランのレスラーは年齢を重ねました。その分、若いレスラーはどんどん実力をつけて、今も頑張ってます。大阪プロレスは、皆さんに支えてもらって今まで頑張ってきた団体なんで、私もこの4月末以降、もう1度、イチ営業マンとなってポスター張りや大阪プロレスの宣伝、興行のためのチケットの販売やプロモーションといったことをやらせてもらって、ここにいる皆さん、大阪プロレスを楽しみにしてもらってる皆さん、そして1大会でもリングの上がりたい選手たちのために私のできることをもう1度、1からやらせてもらい、大会を開いていきたいと思います。

そして当然、がむしゃらにやるだけではなく、今現在、私もいろんなところにお力を借り、行動をとって、新しいプロジェクト、新しい企画も今後、考え、まだ今すぐに発表はできませんが、必ず、皆さんにかわいがっていただいた大阪プロレスの火を消すことなく、私も先頭に立って、これから4月以降も頑張っていきたいと思いますので、どうか皆さん、少しでも大阪プロレスに力を貸していただきますよう、ご協力いただきたいと思います。選手たちはよく頑張りますし、本当に1試合でもできるようにと、今でもプロレスを愛してるレスラーはたくさんいます。なので、1年の間に1大会1大会増えていくよう、私が先頭に立って努力してまいりますので、どうか皆さん、よろしくお願いします。お時間取っていただいて、ありがとうございました」


 阪上会長が試合後の挨拶で正式に大阪プロレスは常設会場であるナスキーホール梅田から撤退、会場も閉鎖することを発表した。館内は週プロモバイルで橋爪哲也氏のコラムで報じた影響か、またリークされる前に薄々わかっていたファンもいたらしく批判や混乱もなく覚悟して聴いていたという。(大阪プロレスもそれが狙いで橋爪氏にリークしたかもしれないが)

 理由は大阪プロレスの経営難、ナスキーホールは大阪プロレスが利用するだけでなく各団体にも貸し出して同団体の利益にしていたが、空牙ら大阪プロレス離脱組が旧ムーブ・オン・アリーナこと道頓堀アリーナを復活させたことで各団体の利用が道頓堀アリーナに流れてしまい、ナスキーホールの使用数が激減、また離脱組が道頓堀プロレスも旗揚げしたことで大阪プロレスも集客に苦しんでいたという。団体にとって常設会場も経費がかかるだけに大阪プロレスにとってはナスキーホールの閉鎖は苦渋の決断だったと思う。

これからは巡業スタイルで大阪プロレスは興行を継続するが、ただ気になったのは今大会にDRAGON GATEの岡村隆志社長が来場し阪上会長と共に会場を後にしたという。ドラゲーも神戸に常設会場もある、同じ常設会場を持っていた阪上会長に対して労いの意味で現れたのか?それとも何があるのか…
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