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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

かつてのプロレス常打ち会場だった津市体育館が9月をもって閉館へ

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かつてのプロレス常打ち会場だった津市体育館が9月をもって閉館へ

三重県のかつてのプロレス常打ち会場だった津市体育館が10月に大型スポーツ施設「サオリーナ」の開業に伴い、9月に閉館することになった。

津市体育館は2007年3月25日にDRAGON GATEがビックマッチ(メインは獣神サンダー・ライガーvsドン・フジイのオープン・ザ・ドリームゲート選手権)で使用されたが、それ以降は郊外のメッセウイングみえや四日市オーストラリア記念館(現在は閉館)など使用されることが多くなり、老朽化もあって使用されることはなかった。

自分が同会場を初めて訪れたのは1992年4月の新日本プロレス、このときはトップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニアの公式戦として獣神サンダー・ライガーvsエディ・ゲレロ、エル・サムライvs保永昇男が行われ、エディは新日本初来日、サムライは凱旋帰国したばかりだった。エディはライガーを追い詰めながらもコウモリ吊りに逆転負け、サムライは保永の丸め込みの前に敗れた。

同年12月にW☆INGも観戦、W☆INGは自分が始めてみたインディー団体で、大観衆の中でプロレスを見るのは当たり前だと思っていたが、客席は空席だらけで「自分は恵まれていたのかな」という印象を受け、また有刺鉄線デスマッチを初めて生で見て血まみれとなったW☆ING金村(金村キンタロー)が自分の目の前に倒れてきたことに衝撃を受けた。

最後に会場を訪れたのはDRAGON GATEの前身である闘龍門で2000年頃と記憶しているが当時は望月成晃、横須賀享(ジミー・ススム)神田裕之(ジミー・神田)がヒールユニットM2Kを結成していた。

訪れたのは3回だけだが、自分にとっても思い出深い会場はない、閉館までには津市体育館のことは振り返りたいが、思い出深い会場が消えていくのは寂しいとしか言いようがない。
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