ジョー大剛
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
ジョー大剛
10月の月間MVP、ベストバウト、ベストシリーズ&興行の投票受付中です!投票はこちら→:https://t.co/HpgZqNVYdN 投票よろしくお願いします!
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年11月2日
国際プロレス、新日本プロレスで外国人ブッカーを勤めたジョー大剛さんが大腸癌で死去した。享年75歳。
大剛さんは東京プロレスでデビューした後で崩壊に伴って国際プロレスに移籍、将来のエース候補として期待を寄せられていたが、1974年に海外武者修行先でのカナダで交通事故に遭い、右脚を切断。レスラー人生は絶たれたが、その後で外国人ブッカーに就任、ジプシー・ジョーやアレックス・スミノルフなどを発掘して国際プロレスに送り込み、国際プロレスも破格なブッキング料を取るAWAから大剛ルートに乗り換えた。
国際プロレス崩壊後は、社長だった吉原功氏が新日本の顧問に就任したことで、大剛氏は当時WWFとの提携が切れ外国人ルートが弱体していた新日本プロレスの北米支部長に就任、キングコング・バンディ、ハクソー・ヒギンズ、ビリー・ジャック、コンガ・ザ・バーバリアン、、クラッシャー・バンバン・ビガロ、ビシャス・ウォリアー、後にレザー・フェイスに変身するコーポラル・カーシュナー、後にジ・アンダーテイカーに変身するパニッシャー・ダイス・モーガンを発掘して新日本に送り込み、トレーナーとしても海外武者修行にきた天山広吉、小島聡、真壁刀義、大谷晋二郎、吉江豊、デイビー・ボーイ・スミスJr.などを鍛え上げた。
大剛氏も1990年代の新日本プロレスの立役者の一人だった。ご冥福をお祈りします。
今朝、西村修さんから大剛鉄之助さんの訃報を聞きました。
今から24年前の1993年の6月に、海外武者修行でヨーロッパに行きました。
そして、大剛さんに出会い、言葉では言い尽くせない程たくさんの事を学びました。
まだ信じることが出来ませんが、心よりご冥福をお祈り致します。合掌。
— 天山 広吉 (@TENZAN323) 2017年11月5日
本日の会場入り直前で、テンザンから大剛さんの訃報を聞きました。
私にとってもテンザン同様、海外遠征時で大変お世話になった方です。
厳しくも優しい、もう一人の父親のような存在でした。
思い出が尽きませんが…ご冥福をお祈り致します。
— 小島 聡【SATOSHI KOJIMA】 (@cozy_lariat) 2017年11月5日
「細い身体だな!」など僕に罵声ばかりだった大剛さん。しかしながら約4ヶ月マンツーマンで稽古をつけてくださり、僕が帰国する際、空港で「お前は本当に頑張ったな!」と握手してくださった。大剛さん!厳しい指導を本当にありがとうございました!大剛鉄之助さんの御冥福を心よりお祈りいたします。
— 大谷 晋二郎 (@otani_shinjiro) 2017年11月5日
コメント
ただいまコメントを受けつけておりません。
コメント