訃報
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ワールドプロレスリングの名解説者 桜井康雄
東京スポーツ新聞社元編集局長でテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で解説者を務めていた桜井康雄さんが10日に死去したことが明らかになった、享年80歳。
桜井さんは心臓疾患を抱えており、ペースメーカーを手術を行ったが感染症を引き起こしたという。
桜井さんは自分がプロレスファンを始めた昭和56年から実況・古館伊一郎、解説・山本小鉄、桜井康雄とのトリオで金曜8時時代の「ワールドプロレスリング」を支えてきたが、力道山時代からプロレス記者ととなり、プロレス界の裏側を見てきた。
特にこの頃の東京スポーツはプロレス界に力を持っていた時代で、新日本が桜井さんなら、全日本プロレスは山田隆氏(故人)、昭和56年に崩壊した国際プロレスは門馬忠雄氏と東スポ系の記者がプロレス中継の解説を独占、猪木を押していた桜井さんはマスコミ側のブレーンの一人として新日本プロレスに携わっていた。
小鉄さんも2010年に死去、金曜8時の時代はもう昔になってしまった・・・
ご冥福をお祈りします
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ロン・バス
2月の月間MVP、ベストバウト、ベストシリーズ&興行の投票受付中です!投票はこちら→:https://t.co/QYlvokMQUX 投票よろしくお願いします! #プロレス月間MVP #prowrestling
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年3月3日全日本プロレスで活躍したロン・バスさんが死去した、享年68歳
ロン・バスさんは初来日は1979年の国際プロレスでラッシャー木村の保持するIWA世界ヘビー級王座に挑戦したが、1982年からは全日本プロレスに参戦、ジョージアで抗争を繰り広げていたスタン・ハンセンとウマが合ってブルーザー・ブロディが来日していないときは、正パートナーとなり、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組からインターナショナルタッグ王座を奪取、5日後には馬場&鶴田組奪還され、5日天下となったものの、超獣コンビには成しえなかった偉業でもあり、ハンセンにしてみれば全日本ではブロディ、テッド・デビアスに次ぐ安心して組めるパートナーだったのかもしれない。
その後ばったりと名前を聞かなくなっていたが、アメリカ各地にも転戦。WWFにも登場して、近年は引退していたものの、エキシビジョンマッチで試合を行っていたという。
ご冥福をお祈りします
全日本プロレスと国際プロレスに来日したロン・バスさんが亡くなったそうです。享年68歳このところ昭和で活躍した外国人レスラーの訃報が多く気が滅入ります。83年4月12日松山でハンセンと組んでインタータッグ王座奪取。ご冥福をお祈り致します。
— 飛龍革命 (@txmhg018) 2017年3月8日 -
イワン・コロフ
WWF、日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスで活躍しロシア人キャラで悪役レスラーとして活躍したイワン・コロフさんが死去した、享年74歳。
1971年にコロフさんはブルーノ・サンマルチノを破って短期政権ながらもWWWF(WWE)世界ヘビー級王者になったことでトップスターとなり、日本プロレスではジャイアント馬場さんの保持するインターナショナルヘビー級王座、国際プロレスではストロング小林の保持するIWA世界ヘビー級選手権、新日本プロレスではアントニオ猪木の保持するNWFヘビー級王座にも挑戦するなど日本でもトップ外国人選手として扱われた。
1978年3月に新日本に参戦するが、蔵前国技館大会で藤波辰己の保持するWWFジュニアヘビー級王座にエル・カネックが挑戦する予定だったが、カネックが当日になって試合をドタキャンし帰国していたため、既に前座で試合を終えていたコロフさんが代役を買って出てノンタイトルながら藤波と対戦、ドラゴンスープレックスで敗れるも、この試合が新日本でのラストマッチとなった。
コロフさんはその後日本マットから遠ざかるも、1990年1月に全日本プロレスに来日したが、自分はこの時でしか印象はなく、この時は高木功に付け狙われた天龍源一郎とや小橋健太の7番勝負がシリーズの中心で、ピークが過ぎていたのもあって目立った活躍はなかった。1992年にW☆INGにも来日してヘッドハンターズとも対戦したが、これが最後の来日となり2年後に引退した。
先日もWWFで活躍しキラー・カーンさんの現役最後の対戦相手となったジョージ・スチールさんも死去したが、往年の名選手の訃報が続いている・・・
ご冥福をお祈りします、
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チャボ・ゲレロ
元NWAインターナショナルジュニアヘビー級王者で新日本プロレスや全日本プロレスに来日したチャボ・ゲレロさんが肝臓ガンで死去した、享年68歳。
チャボは昨年8月に大仁田厚の「ファイヤープロレスリング」に来日し、また11月の全日本プロレスの両国大会でも参戦して元気に試合をしていたのだが、亡くなる1ヶ月前に肝臓ガンが見つかり入院していたという。
自分がチャボ・ゲレロというレスラーをTVで初めて見たのは全日本プロレスに移籍してからの昭和56年で、当時のジャイアント馬場体制の全日本プロレスが新日本のベルトだったインターナショナルジュニアヘビー級王座ごとチャボを引き抜き、この年の9月に福山でドスカラスと防衛戦を行ったが(結果は3本勝負で1-1の後で両者リングアウト)、初来日も意外にも全日本でアントン・ヘーシングと対戦していた。
昭和57年になると海外武者修行中だった大仁田に敗れベルト明け渡し、大仁田とのベルトをかけた抗争で全日本ジュニアを盛り立てていったが、大仁田が左膝蓋骨粉砕骨折で長期欠場となると、チャボの抗争相手は渕正信やマイティ井上に代わり、井上に王座を明け渡した後で、昭和60年10月に王者となった二代目タイガーマスク(三沢光晴)に挑戦して敗れたのを契機に役目を終えたかのように全日本を去り、二代目タイガーもこの試合を最後にヘビー級へ転向するために王座を返上、インタージュニア王座も封印され世界ジュニアヘビー級王座となった。
インタージュニア王座は元々新日本が作ったベルトでチャボが王者だった木村健悟を破って獲得したものだが、チャボ自身が持ち込んだベルトが全日本の意向で封印される、チャボはどう思ったのだろうか・・・
その後SWSやWAR、新日本プロレス時代のライバルである藤波辰爾が主宰する「無我」にも参戦、WWEではチャボ・クラシックの名前で登場しチャボ・ゲレロ・ジュニアのマネージャー役となって弟であるエディ・ゲレロと抗争を展開した。
11月の全日本両国大会に参戦しテーマ曲である「カリフォルニア・ハッスル」が流れたときは懐かしさを感じたが、突然の訃報は残念としか言いようがない
ご冥福をお祈りします
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泉田純全日本プロレスやNOAHで活躍した泉田純が死去した。享年51歳。自分は昨日まで泉田の名前すら聴きたくもなかったが、裏切られた気持ちが大半をしめていたからだった。
泉田に言いたいこと・・・闇を暴いてスッキリした?暴露本書いてみんなの悪口を書いてスッキリした?結局喜んだのは泉田一人だよ!トップに立てなかったのはNOAHのせいだって、努力しようとしなかった自分が悪いんだろ!三沢や同郷のよしみで面倒を見ていた菊地のことも悪く言って!
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年2月7日暴露本を書いた理由も目先の金欲しさでしょ!目先の金欲しさにみんなからの信頼を自分から捨てるようなマネをして!バカか!ふざけんな!と言いたいよ・・・
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年2月7日今でも泉田みたいなバカのために三沢が苦労してきたのかと思うと怒りたくなるし蹴飛ばしたくなる、ご冥福はお祈りしますぐらいは言ってやるけど、絶対に許したわけじゃないからな!
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年2月7日とTwitterで更新したが、言いたいことを怒りに任せて言って何が残ったのか、スッキリするどころか残ったのは空しさだけだった、その空しさはいったい何なのかずっと考えていた。泉田もおそらく誰かに印税のことを言われて、目先の誘惑に負けて書いてしまったんだと思う、けど書いて出版した後で泉田自身もスッキリしたのだろうか・・・?面倒を見た後輩達や、世話してくれた先輩達を悪く言ってどう思ったのだろうか・・・?自分はこう思う、最後に残ったのは空しさだけだったんじゃないのかと・・・人間は誰だって背負っている十字架というものがある、それは生きている限りは逃れられないものである、今回は泉田に怒ったことで批判を受けたが、泉田に対する複雑な感情が残っているうちは許すわけにはいかないし謝罪するつもりもない、だが受けた批判も敢えて十字架として背負っていくつもりでいる。ただこれだけは言わせてもらうご冥福をお祈りします -
"スーパーフライ”ジミー・スヌーカー
ただいま2016伊賀プロレス大賞投票受付中です 投票はこちら→ https://t.co/WJ3qCuAGPd 投票お待ちしています! #2016伊賀プロレス大賞 #prowrestling
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年1月13日全日本プロレス、新日本プロレス、WWEなどで活躍した"スーパーフライ"ジミー・スヌーカーが死去した、享年73歳。
スヌーカーは初来日は日本プロレスだったが、このときは目立った存在ではなかったものの、次第とアメリカで頭角を現してトップスターとなっていった。
全日本プロレスではブルーザー・ブロディとのタッグでザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)と抗争を繰り広げ、1981年の世界最強タッグではブロディとのタッグで初優勝を果たしたものの、新日本プロレスから全日本プロレスへ移籍してきたスタン・ハンセンのアシストがあっての優勝だった。
ブロディはハンセンと組むことになり、スヌーカーもWWF(WWE)に転出することになって仲間割れという形でタッグは解消、WWFでも当時の王者だったボブ・バックランドと抗争を繰り広げ、ドン・ムラコとの金網マッチで最上段からスーパーフライを投下することでトップスターへとなった。そしてWWFと当時提携を結んでいた新日本プロレスに参戦し、新日本に移籍したブロディとのタッグを再結成して1985年のIWGPタッグリーグに参戦して優勝決定戦にまで進出するも、ブロディと新日本側が揉めて優勝決定戦をドタキャンする事態を起こし、パートナーだったスヌーカーも巻き込まれる形でドタキャンをせざる得ず、ブロディとのタッグもまた解消した。
新日本とWWFが提携関係を解消し、スヌーカーもWWFを離脱したため来日が途絶えてしまったが、1987年に再びブロディのパートナーに抜擢される形で全日本に参戦、この年の最強タッグにブロディのタッグでエントリーしたが優勝することは出来ず、ブロディ死去後はタイガーマスク(三沢光晴)とのタッグで1988年の最強タッグに参戦した。
その後スヌーカーはWWFに復帰、日本にはWARに参戦してバックランドやミル・マスカラスとタッグを結成するなどしていた、1996年にはWWE殿堂入りを果たすもスヌーカーは現役を続けてインディー団体にも参戦していたという。
しかし2015年に交際していた女性が意識不明になったことで殺人と過失致死容疑で逮捕されたが、このときに末期の胃がんを患っていたことが明らかになり、脳の損傷のため裁判は精神的な能力が無いと判断されたものの、脳の損傷は過酷な試合が原因だったものだとしてWWE相手に訴訟を起こして話題になったのが、スヌーカーの最近の近況だった。
自分にとってスヌーカーはハンセンに次ぐブロディの名パートナーだった。
ご冥福をお祈りします
BREAKING: WWE is saddened to learn that WWE Hall of Famer Jimmy “Superfly” Snuka has passed away. https://t.co/VBNyosQIVL pic.twitter.com/L8MaD6Rezx
— WWE (@WWE) 2017年1月15日So sorry to learn of the passing of the legendary Jimmy Snuka. His career had such a huge impact on my life. pic.twitter.com/I4JZP7XICJ
— Mick Foley (@RealMickFoley) 2017年1月15日
— Randy Orton (@RandyOrton) 2017年1月15日Always representing the legacy.
Malolo i le filemu. #RIPSuperfly
— Roman Reigns (@WWERomanReigns) 2017年1月15日RIP SuperFly pic.twitter.com/aLgL6TxNae
— Charlotte Flair (@MsCharlotteWWE) 2017年1月15日RIP Super Fly, I send my condolences
— WWE R-Truth (@RonKillings) 2017年1月15日RIP SUPERFLY
— Zack Ryder (@ZackRyder) 2017年1月15日Respect for the family of Jimmy Snuka! Can't help but shed a tear thinking of you... Much Love! @TaminaSnuka @WWE
— Curtis Axel (@RealCurtisAxel) 2017年1月15日Sad to hear about the passing of Jimmy Snuka. My heart and prayers go out to his family. Rest easy uce. Gods got you now. #RIPSuperfly
— Dustin Rhodes (@Goldust) 2017年1月15日#RIPSuperfly one of the greatest icons in the history of our business. Sending our love and prayers to the entire family. https://t.co/AxmHKYrDj8
— Stephanie McMahon (@StephMcMahon) 2017年1月15日 -
ハーレー斉藤
ジャパン女子プロレス、LLPWで活躍したハーレー斉藤さん(本名・斉藤さよりさん)が死去した。享年48歳。(21日で49歳を迎えるはずだった)ハーレー斉藤さんの試合はLLPWで1回、全日本女子プロレスで2回生で観戦したが、一番の思い出だったのはダイナマイト・関西の引退のときに触れた全日本女子プロレス1994年8月24日の日本武道館大会、この日はちょうど水曜日、当時のハーレー斉藤は入場テーマ曲にドラゴンボールのオープニングテーマ曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」を入場テーマ曲に使用していたが、ちょうど7時(当時ドラゴンボールの放送枠は水曜夜7:00)にハーレー斉藤が入場してきて、全女サイドもフジテレビを意識したのかなと思ってしまった。
ただレスラーとしてはLLPWvs全日本女子プロレスでは割りを食う役が多かった、自分が憶えているのは1993年1月のハーレー、イーグル沢井、半田美希vsラスカチョーラス・オリエンタル(北斗晶、下田美馬、三田英津子)で北斗の標的はあくまで神取で、ハーレーは眼中になかった、試合は北斗が半田にノーザンライトボムを決めると当時燻っていた下田にカバーさせて3カウントを奪わせ、ハーレーは北斗に食い下がったものの、北斗はハーレーを罵倒し神取を挑発、乱闘となったが、この試合で全女があくまで上でLLPWは下という印象をファンに大きく植え付けた。
北斗とハーレーの対決が実現したのは同じ年の5月ジャパングランプリの公式戦、右膝を痛めている北斗相手にハーレーは健闘したものの、北斗のドクターボムの前に敗れてしまった。
LLPWは常に神取がエースだったが、全女との対抗戦の中でも神取には負けたくないと大きかったのではないだろうか・・・11日にダイナマイト・関西が引退した直後でハーレー斉藤の訃報、全女やJWP、LLPW、FMW女子の対抗戦時代の昔になりつつある。
ご冥福をお祈りします。
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永源遙
<グレート小鹿「小鹿注意報!」より>
突然のニュースでビックリしている、今から数時間前に亡くなったとの事、亡き永源遥とは日本プロレス時代からの付き合いが有り先日も電話で元気ですか?等個人的な会話が主だった、彼は日本プロレス時代に若い者を自分のマンションに泊めて面倒を見たりしたりしていた、たしか藤浪選手も彼のマンションに居た期間が有ったと思う、お互いに日本プロレスの選手だった頃の話しを思い出しては昔ばなしに華を咲かせては大笑いして盛り上がって居た、
真面目な彼はノアの大会がある時などには後楽園ホールで忙しそうに居た時には後ろから近くに行って冗談を言えばにっこり笑って言葉を返したりと逢えばお互いに健康には気を付けようなと励まして居たが残念で成らない、御冥福をお祈り致します。
永源遥さんが急逝されたそうです。先日のイベントでは木村健吾とのコンビでナニワブラザーズと対戦した試合を懐かしんだばかりでした。サウナにはいっていて体調が急変して亡くなられたという情報が入りました。ご冥福をお祈りします。https://t.co/OjwQPLLEGC
— ミック博士(昭和プロレス研究室) (@mickhakase) 2016年11月28日
東京プロレス、日本プロレス、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、NOAHと渡り歩き、NOAHでは営業を務めていた永源遥さんが急死した、享年70歳。永源さんが10月に発売された「Gスピリッツ」での東京プロレス特集でインタビューに答えており、先日もイベントで木村健悟と登場するなど元気な姿を見せていた、だが28日サウナに入った際に体調が急変し倒れたという。
アントニオ猪木と豊登が旗揚げした東京プロレスに入門、その後猪木に追随して日本プロレスに移籍、海外武者修行中に日本プロレスが崩壊するも、坂口征二の誘いで新日本プロレスに移籍、前座・中堅で活躍しつつ、猪木のボディガード役の一人としても存在感を発揮、人脈の広さからスポンサー筋との付き合いも多かったことで営業能力も高く評価されていた。
しかしクーデター事件がきっかけとなって永源さんは新日本を退団してジャパンプロレスへ移籍、ジャパン分裂時には谷津嘉章を引き止めて全日本に橋渡しするなど黒幕的存在となりつつ自身も全日本へ移籍、ジャイアント馬場さん、ラッシャー木村さん率いるファミリー軍団vs永源遥、渕正信、大熊元司、マイティ井上らとの悪役商会との対戦は全日本の名物カードとなり、永源さんが客席へ唾を吐くシーンも全日本の名物となった。永源さんは三沢光晴に追随してNOAH旗揚げにも参加、営業部長を務めつつ現役を続けていたが、2006年に引退。以降フロントに専念するも反体制勢力との交際が発覚すると一般社員へと降格となっていた。
自分が永源さんを生で見たのはプロレスを初観戦した日である昭和59年2月の新日本プロレス・旧大阪府立体育館で永源さんは試合から外れリングサイドで試合を見ていた、だから新日本での試合も1度も見たことがないことから全日本プロレスのイメージが強い。
馬場さん率いるファミリー軍団vs悪役商会も自分は何度も生で見たが、これがなければ全日本ではないと思わせるぐらい、全日本では当たり前の光景だった、馬場さんが亡くなり永源さんがNOAHに移籍しても、ラッシャー木村さん相手に全日本での名物対決を続け、ラッシャーさんが引退しても、百田光雄さん相手に名物対決を続けていた。晩年はキラーカーンさんからいろいろ告発を受けたり、不祥事で一般社員に降格されるなど不遇だったが、それでもNOAHを支えていたことは事実だった。突然の訃報は残念としか言いようがない。
ご冥福をお祈りします。
【訃報/NOAH】永源遥さんが70歳で死去 引退から10年https://t.co/xFqU5QX5cR#noah_ghc pic.twitter.com/IIemtIGLPZ
— プロレス/格闘技DX編集部 (@PKDX) 2016年11月28日【訃報】永源遥は11月28日逝去いたしました。生前のご厚誼に深謝申し上げます。12月2日後楽園ホール、3日ディファ有明大会にて献花台を設けファンの皆様とのお別れの場とさせていただきます。 https://t.co/gGEiN4aqnd #noah_ghc
— プロレスリング・ノア (@noah_ghc) 2016年11月29日すいません…まだ何も詳細もわかりません。
ただ昨日道場に行った時はいつも通り声をかけてくれたんだ。
— 丸藤naomichi marufuji (@noah_maru_fuji) 2016年11月28日本当にお疲れ様でした。
ありがとうございましたhttps://t.co/30YvGI45Cu
— 丸藤naomichi marufuji (@noah_maru_fuji) 2016年11月29日お会いする時は、いつも変わらず誰よりもお元気でした。
未だに信じられません。
永源さん…
永源さんのおかげです。
感謝しかありません。
ありがとうございました。#noah_ghc pic.twitter.com/yjWfkxj31N
— 潮崎豪 (@goshiozaki54039) 2016年11月29日信じられないです。
こないだ一緒に飲んだばかりでした。
最近どうだ?と会うたびに心配してくれてた永源さん。
いつもみんなの事を気にかけてくれてました。
ニッコリ笑った顔が大好きでした。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
— モハメド ヨネ (@muhammad_yone) 2016年11月28日昼に事務所で話たばっかりやのに。
明日も事務所に行ったら、オイッ!って呼ばれていつもと同じ話をすると思ってたのに。
なんら変わらなかった永源さん
信じられない。#noah_ghc
— 原田大輔 (@noah_harada) 2016年11月28日毎回、会うたびに
「おっ!小さな巨人、元気か?!」
と話しかけてくれた永源さん。
突然の事で…
信じられないです。
お疲れさまでした。
— 石森太二 (@taiji_ishimori) 2016年11月29日いつも通りの日常。でも、いつもと違う。
入門してから5年。本当にお世話になりました。心よりご冥福をお祈り致します。
永源さんゆっくり休んでください。また、ちゃんこつまみ食いしに来てください。
俺は前を向いて更にデカくなるんでまた褒めてください。#noah_ghc
— 熊野 準 (@kumano_noah) 2016年11月29日永源さん…
同郷でプロレス界の大先輩
引退試合も裁かせてもらいました
困ったことがあれば何でも言ってこいと、自分だけでなく、家族のことも気にかけてくれてました
まだ信じられません…
— 西永 秀一 (@shu_nishinaga) 2016年11月29日昨日、事務所で「おはようございます」と言ったら「おー、おはよう」といつもと変わりなく言ってくださって、元気でしたのに何故・・
今朝も勝手に永源さんの席に「おはようございます」と言いました・・
— 福田明彦 (@noahhukuda) 2016年11月29日どうも本当らしい…永源さん、あんなに楽しく話したじゃん…それは無いわ‼ https://t.co/GborPXgflP
— 内田雅之 (@masa_uchida) 2016年11月28日永源さんは、ノアの選手で1番最初に覚えた選手。(三沢さんよりも好きでした。)
小橋さんの結婚式の時も、腕を組んでニコニコ顔で写真を撮ってもらったりして優しく接して頂いた。
永源さん有難う御座いましたm(__)m https://t.co/3qRWxdilzK
— なかやん (@L4PO0cd9RqGC2zS) 2016年11月28日昨日、事務所に来られてたから今日は来ないかな?
明日は玉川病院ですよ?
そろそろ来月の予定、いつもの様に自分が書きますよ?
永源さん... pic.twitter.com/xxu2TUF5tK
— 秋山高志 (@akiyamanoah111) 2016年11月28日
— 平柳 玄藩 (@noah_genbasama) 2016年11月29日永源サン……
— Yoshihiro Takayama (@Takayamado) 2016年11月28日永源さん ありがとうございました.
— ダイフィス (@daichanbomber) 2016年11月28日永源遥さんの訃報。
ここ数年、ノアさんに参戦した時、東京の会場ではいつもいらしてました。
ご挨拶と少しの会話しかできませんでしたが…残念です。
ご冥福をお祈り申し上げます。
— 小島 聡【SATOSHI KOJIMA】 (@cozy_lariat) 2016年11月29日永源さん、色々ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。【訃報】永源遥さん死去「悪役商会」やツバ攻撃で人気 https://t.co/MjqqdKhuMy #tospo
— 永田裕志 (@nagata769) 2016年11月28日永源さんの訃報に驚いた。
6年前にこのtwitterにて勘太郎さんの訃報をお知らせしたら、5分もたたないうちに1番に電話頂いたのが永源さんだった。
謹んでご冥福をお祈り致します。
— 新日本プロレスリング新日企画 (@njkikaku) 2016年11月28日"苦労するし、母ちゃんにも心配かけるから社長にはなるなよ!"と言われたが…なった時に"頑張れよ!"と電話をくれた。その後も大変な時にかぎって電話をくれ、"大丈夫か?"と気にかけてくれた。永源さん…
— 秋山準 (@jun0917start) 2016年11月28日永源さんにはたいへんお世話になり、いろんな事を教えていただきました。ありがとうございました。大熊さんの葬儀の後「今日は辛すぎるな、今晩泊めてくれ。」と永源さんは僕の家に泊まり、一晩中語りあった思い出もあります。写真は80年代後半。 pic.twitter.com/l1MCd4fIud
— タイガー木原 (@tigerkihara) 2016年11月29日会場でお会いさせていただくと、いつもあたたかいアドバイスを与えてくださった永源さん。
そのいただいた言葉を胸にこれからもプロレスさせていただきます。
心よりご冥福をお祈りいたします。
— 大谷 晋二郎 (@4vqmjAuQtxVNgxe) 2016年11月29日興行のイロハを教えて頂き、いつも気にかけてくれました。
先週も話したばかり…。
「あんたはいつも元気だな〜」
「頑張って、そのうち会いましょう」
が最後の言葉でした。
永源さん
今までありがとうございました。
お疲れ様です。
御冥福をお祈り致します。
— BJサポートエンターテインメント (@bjjiro2626) 2016年11月28日永源さん。新弟子の頃から色々と声をかけて頂き、いつも気にかけてくださいました。楽しい思い出しかありません。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。別れは本当に寂しい。
— Hideo Itami / 伊丹英雄 (@HideoItami) 2016年11月29日NOAH参戦時に会場でお会いした時にはご挨拶させていただいてました。
名前はどうか分かりませんが顔は覚えていただいていたのではないかと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。#永源さん
— 田中純二 (@tanakajunji) 2016年11月28日能登出身のスター永源遥。高校卒業の3月末に永源さんが隣の鹿西町で引退興行するってんで電車乗って見に行きました。Tシャツにサイン、ありがとうございました。長らくおつかれさまでした。大好きでした。
— 軍団ひとり (@gundanhitori) 2016年11月28日昨日、永源さんが、お亡くなりになりました。70才は若い。
3日前にしゃべったが、いつもと変わりなく
永源さん「元気か?仕事順調?」
僕「元気なのは永源さんだけですよ(笑)」
残念でならない!
心よりご冥福をお祈り致します。
合掌
— 小橋建太 (KENTA KOBASHI) (@FortuneKK0327) 2016年11月29日永源さんのこと昨日しりました
麺ジャラスを始めてからプロレス関係者の中で一番通っていただいたお客様でした 先週の水曜日もお店で元気に会話をしていただけに信じられません
— 麺ジャラスK 店長 (@orenooudou) 2016年11月30日永源遙さんが逝っちゃった。長い間ご無沙汰していたが新弟子の頃よく声を掛けてもらったなあ。天気が良いとパンツ一丁、道場前で日光浴をしていた姿が印象に残る。永源さんの試合はいつも沸いてたなあ。私が新日を辞めて22歳の頃、全日本に誘ってくれたりと常に後輩想いの永源さん、冥福を祈ります。
— 髙田延彦 (@takada_nobuhiko) 2016年11月29日プロレスラー時代。過酷を極める試合前練習を終え、親方の付き人業務を全うし、慌ててグッズ売店の準備を始めていると、決まって声を掛けられた。「おいお前、今日も男ぶりいいな。(にやり)俺も次にな。」「… https://t.co/fpfMNMHzax
— 起田 高志 (@okita_takashi) 2016年11月29日1990年7月、私はSWS問題で全日本プロレス関係者と揉め、北を向いて担当記者を降りました。しばらくして「たまには道場に遊びに来いよ」と電話をくれ、世田谷区砧の旧道場でちゃんこを振る舞ってくれたのが永源遙さんでした。あの時、嬉しかったです。心からお悔やみ申し上げます。
— 小佐野景浩 (@osano2) 2016年11月28日1999年9月。全日本プロレスのファン感謝デー。公開抽選の結果、まさかのメインイベント登場を果たした永源遙。馳浩とのジャイアント・スイングの攻防、おなじみツバ攻撃、「やめれ~」の絶叫、デッドリードライブで投げられる姿・・・。すべてが懐かしい。永源さん、楽しいプロレスをありがとう。
— 市瀬英俊 (@gbtsubame) 2016年11月29日永源遙さん、日プロ、新日本、全日本、ノアの最深部を知る男。近々、変態座談会に出ていただきたいと思っていた矢先に旅立たれてしまった。謹んで御冥福をお祈りします。
— 堀江ガンツ (@horie_gantz) 2016年11月28日永源遥さんがお亡くなりになられたと訃報をお聞きしました。先ずは心よりご冥福をお祈り致します。
— 中村@来年2/16ラウェイ後楽園 (@Nakamura_zero1) 2016年11月28日昨日今日とプロレスに浸ってきた帰り道…。まだ本当なのか分かりませんが、信じられません…。もっともっと色々なお話しを伺いたかった。
— 元井美貴 Miki Motoi (@motoimiki) 2016年11月28日「悪役商会」が大好きでした。プロレスの仕事を始めるずっと前からお世話になり、いつも会場で気さくに話し掛けてくださっていた永源さん。こんなにも突然お会いできなくなってしまうなんて、悲しく寂しいです。
永源さん、楽しいプロレスをありがとうございました。心よりお悔やみ申し上げます。
— 元井美貴 Miki Motoi (@motoimiki) 2016年11月29日永源さーーーーん!(涙)#プロレス pic.twitter.com/cVfh3K4Ih2
— アカツキ (@buchosen) 2016年11月28日 -
米村天心
元国際プロレスの中堅選手だった米村天心さんが20日死去したことが明らかになり、21日NOAH会津若松大会で追悼セレモニーが行われ、親交のあったモハメドヨネが遺影を掲げて追悼の10カウントを行った、享年69歳。
米村さんは1972年に国際プロレスに入団、当時新日本プロレスの所属だった藤原喜明とも親交があったが、1981年に国際プロレス崩壊後はマイティ井上に誘われる形で全日本プロレスに移籍する予定だった。
ところがオープンする予定の「ちゃんこ料理屋やぐら太鼓」に来るはずだった料理人が来ず、米村さん自身が厨房に立たざる得ない状況となってしまった、ジャイアント馬場さんと話し合った結果、会津若松大会のみの限定レスラーとして全日本に参戦することになり、全日本が会津若松大会を開催する際には必ず参戦し、またちゃんこ料理屋にはザ・ロードウォリアーズなど数々の外国人選手が訪れた。
その後全日本が会津若松で興行をやらなくなり、米村さん自身もインディー団体にスポット参戦するなどして現役を続行していたが、近年はリングに上がることはなくなっていた、おそらくGスピリッツVol.30「続・金曜夜8時の新日本プロレス」特集に取材を受けたのが公の場に出た最後の姿だったと思うが、ジプシー・ジョーに続き、国際プロレスの生き証人がまた亡くなるのは淋しい限りである。
ご冥福をお祈りします。 -
ジプシー・ジョー
ジプシー・ジョーが死去した、享年82歳。ジョーは2011年に引退、痛風の影響で右足を切断していたのだが、現役復帰への意欲を燃やしていたという。ジョーが初来日したのは1975年の国際プロレスだったが、自分が始めてみたのは昭和56年の全日本プロレスで、ジョーは国際プロレスが崩壊後に全日本へ移籍、国際プロレスではエースとして扱われていたが、初参戦時にはジャンボ鶴田の保持するUNヘビー級、ミル・マスカラスの保持するIWA世界ヘビー級王座に挑戦など、それなりの扱いは受けていたものの、ブルーザー・ブロディ、新日本から移籍してきたスタン・ハンセンなど大型選手外国人選手が主流だったこともあり、小柄なジョーは全日本では脇役的存在・便利屋的ポジションとして扱われ、鶴見五郎、ジェリー・モロー、ドリーム・マシン(ケンドー・ナガサキ)と組んで国際プロレス時代の抗争相手だった阿修羅・原、マイティ井上組の保持するアジアタッグ王座に挑戦し、時には減量して大仁田厚の保持していたNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座にも挑戦するなど長らく全日本マットに活躍、ジャイアント馬場さんも柄ながらも激しい気迫とプロ根性とイス攻撃にも平然と耐えるタフネスさを高く評価していた。
1985年に長州力らジャパンプロレズ勢が参戦したことで全日本マットは選手が飽和状態となり、その影響からかジョーは全日本マットを離れ、長らく名前すら聞かなかったが、1991年W☆INGに参戦、だがミスター・ポーゴとの金網マッチに敗れ、引退してレフェリーとなるも、時折り現役として試合復帰、IWA JAPANに参戦した後は、また名前すら聞かなくなり、名前の通りジプシー(放浪者)となって、メジャーシーンを避けて敢えてインディーマットを放浪していた。
そのジョーが発見され、2010年にTAJIRIのオファーでSAMSHに参戦、このときもイス攻撃を受けて平然とし逆にイスが壊れるな健在ぶりをアピールしたが、翌年引退、しかし右脚が切断されても現役復帰を考えるとは、根っからの放浪者なのか、しかしプロレスラーは様々なテリトリー(団体)を渡り歩いて旅する放浪者、つまりフーテンの寅さんみたいなもの、ジプシー・ジョーはまさしくフーテンの寅さん的レスラーだったのかもしれない。
ご冥福をお祈りします
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モハメド・アリ
プロボクシングの元世界ヘビー級王者のモハメド・アリさんが3日死去した、享年74歳。アリさんは晩年はパーキンソン病にかかり闘病生活を送っていたが、日本時間の今朝になって呼吸器系病気で危篤状態という一報が流れていた。
今年はアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦が実現してから40年が経過することで、実現した6月26日は世界格闘の日と制定され、アリさん自身も余命いくばくもないという話も出ていたことから、せめて6月26日までは生きていて欲しいと思っていたが、あと3週間を前にしてアリさんは74歳の生涯を終えた。
猪木vsアリはアリさんが「東洋人でオレに挑戦する勇気のある者がいないのか」と発言したことから全てが始まった、その話に乗った猪木は新間寿氏と一緒にアリ招聘に動いたものの、実現には様々な障害が立ちはだかっていた。
やっとアリ招聘に漕ぎ着けて来日するも、猪木戦がエキシビジョンだと思っていたアリさん側がリアルファイトだと気づき、慌てて猪木に対してがんじがらめのルールを要求、猪木がルールを飲んで試合となるも、アリ側だけでなく猪木側もいつどちらかがルール破りをやるかどうかでの緊張感が漂っていた。
そして15ラウンド戦い抜き引き分けとなったが、見せ場のない攻防に猪木はバッシングを受け、莫大な借財を背負う羽目になった、そういった意味では猪木vsアリは実現に向けて動き出し、そして試合が終わってからも全てにおいて闘いだったのかもしれない。
猪木vsアリの戦いは後年になってから評価され、猪木のWWE殿堂入りの決め手にもなった、猪木vsアリは二人にとって戦いの中での1ページなのかもしれないが、双方にとって厚みのある1ページだったのではないかと思っている。
ご冥福をお祈りします
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チャイナ
WWEでは女子プロレスラーとして、新日本プロレスではジョニー・ローラーの名前で活躍しチャイナが死去した。享年45歳、本来ならジョニー・ローラーが本名だが、WWEで使用していたチャイナに本名を改めていたという。
チャイナはWWEでは女子プロレスラーにも関わらず男性顔負けの活躍をし、インターコンチネンタル王座を奪取するだけでなく、クリス・ジェリコやエディ・ゲレロとも抗争を展開したが、WWEと対立して退団。
2002年に新日本プロレスに来日したが、LA道場からのブッキングということでアントニオ猪木からのゴリ押しというイメージもあって周囲からの反発が強く、最初は試合をしないということで新日本に参戦していたが、猪木の鶴の一声で遂に男性レスラー相手に試合を始め、蝶野正洋と対戦したものの、蝶野もマルティナ夫人からも反発を買い、遠慮気味に試合をしていたが、それぐらい新日本でも扱いに困っていた。しかし新日本には長く定着せずシックスパックとの婚約のを契機に新日本を離れていった。
その後シックスパックとは婚約解消した後でTNAに参戦するも、こちらも長くは定着せず、プロレス界からフェードアウト、最近はポルノ女優に転進していた。
しかし新日本プロレスのリングに上がり試合をしたという事実はいつまでも残る。
ご冥福をお祈りします
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ブラック・ジャック・マリガン
新日本、全日本、国際プロレスの三団体に来日したブラック・ジャック・マリガンさん(本名バート・デロイ・ウインダム)が死去した、享年73歳。
マリガンの名前は日本では馴染みがないかもしれないが、三団体に参戦しても主戦場はアメリカのAWA、WWE(当時WWWFまたWWF)においており、日本にはレギュラーでは参戦してしていなかった。
国際プロレスに初来日した1970年、また1973年はAWAのブッキングで来日し、IWA世界タッグ王座を奪取、当時国際のエースだったストロング小林とは金網デスマッチで対戦、AWAの提携先が全日本プロレスに変わると、1974年に全日本に参戦しジャイアント馬場さんの保持するPWFヘビー級王座に挑戦した。
新日本にはWWEと交流していたトロントマットとのブッキングで1977年に来日したが、外国人エースはスタン・ハンセンで、ハンセンとはタッグを組んでいたものの仲間割れ、険悪な関係と思われていたが、ハンセンの素質を見抜いていたマリガンは敢えて一歩引いた立場を取り、ハンセンには先輩として親身になってアドバイスしていたという。
現役最後の来日は1983年1月の新日本、マリガンはこの頃にはザ・ファンクスからアマリロ地区のプロモートを譲り受けるなど次第に一歩引いた立場を取り始めていたが、当時の新日本は長州力の台頭で日本人選手同士の抗争が主流になり始め、またシリーズ後半にはハルク・ホーガンが参戦、開幕戦ではアントニオ猪木とシングルで対戦したものの、次第に扱いが悪くなり、カードからも外されるようにもなっていった。
新日本参戦を最後に日本マットとの縁が切れたかに思われたが、1984年にAWA世界ヘビー級王者となってアメリカに乗り込んできたジャンボ鶴田に挑戦したが、1990年に次男で全日本プロレスにも参戦したことのあるケンドール・ウインダムと一緒にドル紙幣偽造の嫌疑で逮捕され、2年の懲役刑を受けたのを最後に表舞台には立たなくなり、事実上の引退となった。
2006年にAWAでタッグを組み、WWEのスタッフの一員として在籍しているブラック・ジャック・ランザとのブラックジャックスでWWE殿堂入りを果たしたが、息子であるバリーとケンドール、そして孫のブレイ・ワイアットとレスラーとして輩出した功績はいつまでも残る。ご冥福をお祈りします
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PWF会長ロード・ブレアース
PWF初代会長でジャイアント馬場体制の全日本プロレスでお馴染みだったロード・ブレアースさんが死去した、享年92歳。自分がプロレスファンを始めたときにはもうPWF会長だったが、ブレアースさんは元々レスラーでハワイを主戦場にしており、アントニオ猪木ともタッグを組んだこともあったが、現役としての来日は僅か二回で引退後はハワイでプロモーターをやっていた。
そしてジャイアント馬場さんが試合だけでなくプライベートでも訪れるぐらいハワイ好きなのもあって、馬場さんとの縁が出来て、全日本プロレスが旗揚げしたときはPWF初代会長に就任、以降全日本の数々のタイトルマッチでの認定宣言や世界最強タッグの開催宣言を読み上げ、その中で、「コンバンワ」「サンキュードーモアリガトゴザイマシタ」と片言に日本語を入れるなどファンのお馴染みになるだけでなく、読み上げる最中に乱闘に巻き込まれそうになるなどが印象的だったが、時折レフェリーとしても裁くこともあった。
ブレアースさんは2001年に勇退し会長の座をスタン・ハンセンに譲った、この頃には馬場さんやジャンボ鶴田も死去し、三沢光晴らも全日本を去った、ブレアースさんの勇退も全日本の一時代の終焉の表れだったのかもしれない。
ご冥福をお祈りします。
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ハヤブサ
ハヤブサ(本名・江崎英治さん)が4日、クモ出血のため死去した(享年47歳)、ハヤブサは頻繁にFacebookも更新しプロレス会場に顔を出すなど元気な姿を見せていたハヤブサがブレークしたのは第1回のSUPER J CUPだったがこれは先ほど更新したブログで語った通り、だが更新したところで突然の訃報は愕然としたし悔しいとしか言いようがなかった。
SUPER J CUP後のハヤブサは凱旋帰国後は大仁田厚引退後のFMWのエースの座を担う存在となったが、大仁田との引退試合の相手を務め上げた後でFMWを任されたハヤブサは度重なる肘の負傷も重なり重圧に苦しんでいた印象を受けたていた。
そのハヤブサを変えるきっかけになったのは全日本プロレスへの参戦、今まで鎖国していた全日本は開国して他団体に門出を解放、現役としてFMWに復帰していた大仁田のブッキングで全日本に参戦を果たし、小橋建太との戦いや新崎人生とのタッグでアジアタッグ王座を奪取するなど、ハヤブサという存在を大きくアピールできた。その中での自分的ベストバウトは1997年11月神戸ワールド記念ホールで行われた世界最強タッグ決定リーグ戦の公式戦で新崎人生と組んでのスタン・ハンセン、ボビー・ダンカンJr戦、ハヤブサはダンカンではなくハンセンに果敢にも挑み、ハンセンも久しぶりにブレーキの壊れたダンプカーぶりを発揮してハヤブサらを振り回した上で、最後はウエスタンラリアットでハヤブサを吹き飛ばしたが、ハヤブサ自身はレジェンドであるハンセンのウエスタンラリアットを喰らい吹き飛ばされたことで満足していた。
しかしFMWは大仁田と袂を分かち、エンターテイメント路線へと変更、ハヤブサも一時は素顔となってHにキャラチェンジしたが、当時のFMWのエンタメ路線はファンから受け入れられられず、Hから再びハヤブサに戻ったが古傷である肘をまた負傷してしまい、長期欠場を強いられることになるも、その間にFMWの経営が苦しくなっていった。そして運命の2001年10月22日、FMW後楽園大会でハヤブサはマンモス佐々木と対戦、ちょうどスカパーでもPPVで生放送され、自分も視聴していたがハヤブサがセカンドロープのライオン・サルトを狙った際に脚を滑らせ、脳天から落ちるようにして失敗し、動けなくなった、起き上がったマンモスはストンピングを落としていったが異変に気づき、レフェリーも異変に気づいて試合はストップ、館内は騒然となり、ストーリー上失脚していた荒井昌一社長が登場して対処し、ハヤブサも意識はあり観客に「お楽しみはこれからだ!」とアピールしてファンを落ち着かせたが、この時も自分は事の重大さを認識しておらず、翌日の東スポで全身不随の重傷と報じられてから事の重大さを認識した。
その後でFMWは倒産しハヤブサを最後まで心配していた荒井氏も亡くなった、ハヤブサも補助が必要ながらも自力で歩けるようになり、歌手として活動しながらもDRAGON GATEではB×Bハルクにフェニックススプラッシュを伝授するなどプロレスに携わり続けた、そして昨年の「愛は地球を救う」で引退のテンカウントを鳴らされたが、ハヤブサは「引退じゃなくリスタートなんで」とあくまで現役復帰を諦めない姿勢を見せており、自分も「2019年、レスラーとして再びリングに立つ」と宣言していたことを信じていたし、気長に待っていたが、その矢先での訃報…一番悔しかったのは現役として復帰できなかたハヤブサ自身だったのかもしれない。
ご冥福をお祈りします
【訃報】プロレスラー・ハヤブサさんが逝去 https://t.co/jNoEd1cB2W pic.twitter.com/esM9HGpqhY
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) 2016年3月4日「彼の考えや、彼の思い、そういったものすべて飲み込んで、もう少しこのリングで頑張ろうと」ライガー選手が、ハヤブサさんに関してコメント。
スマホサイト(https://t.co/7xh3nqaLQZ)で詳報中。#njcup pic.twitter.com/afnzPCzMcx
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) 2016年3月4日復帰してリングで対峙しようなって約束したのに。コスチュームを着て自力でリングに上がるだけでもよかったのに。いくらなんでも早過ぎるだろ馬鹿野郎。英治…
https://t.co/4WiGYe524I
— ミスター雁之助 (@MrGannosukeFMW) 2016年3月4日ベビーとヒール、FMWで抗争を繰り広げられたのも根底に厚い友情と信頼関係があったから。熊本商科大で18才で知り合い何をする時も毎日一緒。FMWの入門テストも50人受けて結局残ったのは俺と英治だけ。毎日の辛い練習もお互い励まし合ったから夜逃げせずにデビュー出来た。あれから25年か…
— ミスター雁之助 (@MrGannosukeFMW) 2016年3月4日「お兄ちゃん」と呼んでくれて、友達のように接してくれた江崎さん。
新生FMWで2代エースと呼ばれたけど、何一つレスラーとして上回る事が出来なかったハヤブサと言う存在。
先週話したばっかやのに信じられへん。
ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/iv1xbOiWoJ
— 田中将斗(Masato Tanaka) (@masato_dangan) 2016年3月4日1997年FMW川崎球場大会で初対戦した時に華麗な技以上に真っ直ぐな情熱が心に残りました。2013年ファイナルバーニングでは車椅子から立ち上がり感動の開会宣言をしてくれた事を思い出します。
謹んでお悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/Hxs1cGxZQe
— 小橋建太 (KENTA KOBASHI) (@FortuneKK0327) 2016年3月4日朝から施術を続け、先ほど携帯を見たら…
メールで愕然。。。
— ミラノコレクションA.T. (@milano_c_at) 2016年3月4日ご冥福をお祈りします。RT @tospo_prores: プロレスラーのハヤブサさん死去 https://t.co/CdA62xuXyP
— 永田裕志 (@nagata769) 2016年3月4日Very sad to hear the passing of Hayabusa. Easily one of the most inspirational junior heavyweight wrestler of all time. RIP Eiji Ezaki
— Kenny Omega (@KennyOmegamanX) 2016年3月4日As a young teenager, I'd buy every FMW DVD off the shelf at Best Buy, run home & skip right to his matches. #RIPHayabusa
— The Young Bucks (@MattJackson13) 2016年3月4日ハヤブサさんの訃報を知りました。彼の決して諦めない姿勢には逆に何度も励まされてました。慎んで御冥福をお祈り致します。合掌。
— 大森 隆男 (@omoritakao) 2016年3月4日歳を重ねる度に、自分の”心の許容範囲”は大きくなると信じていた。しかし、それは”許容範囲”が大きくなったのではなく、上手く平然を”装う術”を身につけているだけなのだ。そして、ハヤブサさんが死んだ。先日、後楽園で挨拶を交わしたばかりだった。俺の心は動揺をしている。合掌。ライフ。
— KENSO (KENZO SUZUKI) (@bichitto1) 2016年3月4日これが最期になるとは...
ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/3qzBC27bwA
— 土方隆司 (@HijikataRyuji) 2016年3月4日入門して10代の頃から可愛がってもらってた。
いつも『兄貴』って呼んでたんだ。
ホントにお酒大好きだったね。
ゆっくり休んでください。
— 丸藤naomichi marufuji (@noah_maru_fuji) 2016年3月4日何度かライブに行ったり、ご自宅で過去のFMWの映像を観ながらお酒を飲み交わしたのがついこないだの事に思える…
よく潰れてましたが、あの時よりは少し酒が強くなったんですけどね…
ご冥福をお祈り致します。
— 石森太二 (@taiji_ishimori) 2016年3月4日大先輩にも関わらず自分にも笑顔で御挨拶をして下さってたハヤブサ選手。
叶うならリング上でもお会いしたかったです。
ご冥福をお祈り致します。
— 原田大輔 (@noah_harada) 2016年3月4日RIP Hayabusa
A true innovator and pioneer who gave his body and everything he had for this sport . God bless him .
— quiet storm (@qstormprowres) 2016年3月4日17年前の3月、アジアタッグを裁くため単身FMW札幌大会へ
ハヤブサ&新崎人生vs田中将斗&黒田哲広
初の他団体でのレフェリー、全日本の選手、関係者は無し
レフェリー生活の中で貴重な体験になりました
天国で思いっきり羽ばたいてください
御冥福をお祈りいたします
— 西永 秀一 (@shu_nishinaga) 2016年3月4日対戦はしたことないけど同じ歳だったアイツ。会えばいつも「今度さ、飲みにいこうよ」なんて言っててそのままになっちまった。UWFとFMW。スタイルは違ったけど同じ時代に闘った男。じゃあ...な...
— 鈴木みのる (@suzuki_D_minoru) 2016年3月4日人生...いつ、何が起こるのかわからないな...オレだって特別じゃない...何があるのかなんてわからない...だから...行けるところまで...地平線まで水平線まで...プロレスの道を全力で行きたい...現在の素直な気持ち。。。
— 鈴木みのる (@suzuki_D_minoru) 2016年3月4日心よりご冥福をお祈りいたします
覆面レスラーのハヤブサ死す 江崎英治さん47歳、くも膜下出血で(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース https://t.co/rlUYyMUbne #Yahooニュース
— Ikuto Hidaka (@hidakaikuto) 2016年3月4日2002年にWMFという団体に入門してからお世話になった先輩。いつも優しくして頂きました。江崎さんのご冥福を心よりお祈り致します。 pic.twitter.com/Kj09GjluUo
— 藤田 峰雄 (@minepyon3) 2016年3月4日公私に渡りお世話になっていたハヤブサさんが、昨日お亡くなりになった。
最初は信じられなかった…
親身になって頂き沢山のアドバイスを貰いました。
Kamikazeのロゴも作って頂いた。
心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌 pic.twitter.com/DNKxmoFmDh
— 鷹木 信悟(SHINGO) (@Takagi__Shingo) 2016年3月4日ハヤブサん、心よりご冥福をお祈りいたします。
現役の時の華やかな雰囲気や、
ドラゴンゲートのハワイ大会の試合後に一緒にお酒を飲ませて頂いた時の優しいオーラは忘れません。。
合掌。。。
— 谷嵜なおき (@tanizakinaoki) 2016年3月4日僕がハヤブサさんとお会いできたのは確か愚連隊興行。
挨拶させていただけて光栄でした。
— hideki-suzuki (@hidekisuzuki55) 2016年3月4日ハヤブサさん、心より御冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/Il10HVuNAW
— 高木三四郎 (@t346fire) 2016年3月4日デビューしたばかりの自分にもいつも優しく、最近でも会えばいつも冗談を言ってくれるとても素敵な方でした。
常に明るく、みんなを幸せにする雰囲気があって、スーパースターのオーラというものがおるならば、それなのだろうと感じていました。
心より江崎さんのご冥福をお祈りします。
— ヤス・ウラノ (@YasuUrano) 2016年3月4日ご冥福をお祈りいたします。
— 石川修司 (@g0925union) 2016年3月4日ご冥福をお祈り致します。
— 木高イサミ (@isami_777) 2016年3月4日生まれて初めて見たプロレスラーでした、 一度でいいからお会いしたかった
御冥福を御祈り致します。
— SAGAT@3/3蕨 (@SAGAT_BSR) 2016年3月4日ハヤブサが亡くなったという訃報が届いた。。。去年の24時間テレビで頑張っている姿を間近で見て、俺自身もエネルギーを貰った。かれこれ20年位前、共にアメリカWCWで試合をしたり、酒を酌み交わしたことが、走馬灯の様に思い出される。心からご冥福をお祈り申し上げます。
— 武藤 敬司 (@muto_keiji) 2016年3月4日ご冥福をお祈りします。
https://t.co/kvBJERj2Nj
— カズ・ハヤシ (@kaz_hayashi) 2016年3月4日さっき知った。人生って一期一会なんだな、と。毎日毎日、そういう気持ちで人と接して生きていかなければな、と。
— TAJIRI (@TajiriBuzzsaw) 2016年3月4日1年前FMW出させてもらった時に初めてお会いしてお話しさせてもらったのを覚えてます。
地元の学プロ出身と聞いて同じ学プロに入ろうとしたこともあります。
心よりご冥福をお祈り申し上げますます。 https://t.co/n1hchiSYGQ
— 吉岡世起 (@SEIKI1005) 2016年3月4日ショックです。。
ご冥福をお祈り致します。 https://t.co/wuqbv2dHb4
— 竹田 誠志 (@crazykid0813) 2016年3月4日ご冥福をお祈りいたします。 https://t.co/XS6k1RD41R
— 李 日韓 (@nikkanxct55) 2016年3月4日ハヤブサさんの歌声には戦ってきた人の強さ、深さがありました。
だからいつも本当にパワーをもらえたのです。
ハヤブサさんの戦いも歌声も、これからもずっとここに残ります。
心よりご冥福をお祈り致します。
— 中島安里紗 (@arisa_nakazima) 2016年3月4日ハヤブサさん、信じられないです。
ご冥福をお祈りします。
— 里村明衣子 meiko satomura (@satomurameiko) 2016年3月4日自分自身大怪我を負ったとき、
もっと重症であったのに諦めないお姿に勇気をいただいたのを覚えています。
ファルコンアローも使わせて頂き、お気に入りの技でした。
心よりハヤブサさんの御冥福をお祈り申し上げます。 https://t.co/t4DuruAyWZ
— 西尾美香【3月20日後楽園で引退】 (@nishio_mika) 2016年3月4日ハヤブサ、みちのくプロレスのツアーにも良く来てくれたな。楽しい人だった。今年は覆めんワールド最高顧問として登場予定でした。
— 《公式》みちのくプロレス (@michipro_jp) 2016年3月4日ハヤブサとの思い出、、、J-CUP当日新日本のバスで一緒に移動してな。ピリピリの中、やけにリラックスしていた。
古殿町参戦後、郡山市内で宴会したな。楽しかったよ。
ツアー中マジックマンと闘いたいって、ダダこねたのはハヤブサだけだったよ。
— 《公式》みちのくプロレス (@michipro_jp) 2016年3月4日<<ハヤブサよ、永遠に・・・>>
ここ数年は気丈にも立ち上がる姿を見せる場面が多かったのですが実はまだまだトイレも介助が必要な状態だったんです。人前では悟られないようにしてたんですね。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。 pic.twitter.com/NK5n7ImgEd
— ザ・グレート・サスケ (@the_greatsasuke) 2016年3月4日ハヤブサ選手、お疲れさまですm(__)m
福島県古殿町に来ていただいたのが、強く印象に残っています。
浪花と一緒に飲みましたね。
— 気仙 沼二郎 (@numajirou) 2016年3月4日RIP pic.twitter.com/IAr1a9BLb5
— iHeartDG (@dragongatejae) 2016年3月4日またどこかで会えるよね
あなたは不死鳥なのだから
大阪での激闘忘れません https://t.co/A4bYy4sVoX
— TAKAみちのく 4・17後楽園!!! (@takam777) 2016年3月4日ハヤブサさんがお亡くなりになられた。プロレスラーになってからもずっと夢を与えてくれていた選手。スーパーJカップ。新生FMW。世界最強タッグ。での試合はずっと記憶に残っています。心よりご冥福お祈りいたします。
— くいしんぼう仮面 (@kuisinbokamen) 2016年3月4日ハヤブサさん、
自分がプロのレスラーになるきっかけになった人。
中学、高校の約6年間病気で苦しい日々を過ごす中、ハヤブサさんの試合を見るのを生き甲斐に生きていました。
あなたは僕の命の恩人です。
御冥福をお祈りいたします。。
https://t.co/kTptscjOaR
— 神威@3.27FREEDOMS大阪 (@kamuy0827) 2016年3月4日本当に…嘘であってほしい…
ハヤブサさん本当にありがとうございました… pic.twitter.com/91UM0qjAOu
— NOSAWA論外 (@NOSAWARONGAI187) 2016年3月4日私は特別親しくしてもらった訳でもないのだけれど、まだ受け入れられない。消化できない。 思考がおかしくなる前に休みます。
— 藤田ミノル (@Tgurentaifujit) 2016年3月4日うそだ…信じたくない。
— 菊タロー (@kikutarochan) 2016年3月4日ハヤブサさんのこと、信じられないです。新人の頃、FMWの巡業に参加させて頂いたり、ライヴで歌を聞かせて頂いたこともあります。今もその試合や歌声が心に残っています。ご冥福をお祈りします。
— 米山香織 (@kaori_yoneyama) 2016年3月4日江崎さん、ごめんなさい、私、今直ぐに ゆっくり眠ってください、ありがとうございました。とは言えません。江崎さんが この世にいない現実をまだ、理解出来ず受け止められません、もう少し心の整理をする時間をください。ごめんなさい、1番辛く驚いているのは江崎ですよね...
— ミス・モンゴル上林愛貴ラ・マルクリアーダ (@MALCRIAKYMON) 2016年3月4日FMW代表からご連絡いただきました。
ハヤブサさん、先日の後楽園でお会いしたばかりでした…
ご冥福をお祈り致します。
— 花月 (@doranyanpa) 2016年3月4日先生の付き人の時に、ご挨拶したぐらいなんですが、僕なんかにも丁寧に挨拶してくださって...好きな選手だったのでショックが。。御冥福をお祈ります。
— 間下隼人 (@hayato820) 2016年3月4日ハヤブサさんに「ガッツワールドの翔太です」と挨拶すると「雁之助から聞いてるよ!頑張って!」と笑顔でお話をしていただいたことが印象に残ってます。ご冥福をお祈りいたします。
— 翔太 (@shota0810) 2016年3月4日バカヤロー江崎.....
練習から帰って、今知ったよ.....
俺もムーンサルトで首を骨折してしまったけど、生きて頑張ってる!おまえの分まで頑張るからな!こんなの聞きたくなかった.....
心よりご冥福お祈り致します pic.twitter.com/cmCwcNhFdl
— 金本浩二 (@k_kanemoto) 2016年3月4日ハヤブサさんの訃報を聞く。ご挨拶をさせて頂いた程度で深い面識はないが、日本のプロレスに変化をもたらした素晴らしい選手。謹んで哀悼の意を表します。
— MIYAWAKI (@omega_dp) 2016年3月4日虫の知らせではないと思うけれど、眠れなくて、今朝Facebookとmixiに書いたばかりの事でした。 pic.twitter.com/XWbNuy34ly
— MIKAMI. (@MIKAMI__) 2016年3月4日試合中、花道を颯爽と走ってくる一人の姿。ジャンプ一番リングに入ると二人にドロップキック一閃。場外に落ちた相手にガウンも脱がずトペ・コンヒーロ!まさかのハヤブサ登場に場内は割れんばかりの大歓声、沸き上がる天国プロレス。そしてマイクを掴むと叫んだ。『お楽しみは…これからだーっ!』
— MIKAMI. (@MIKAMI__) 2016年3月4日こんな風に、天国でたくさん飛び回ってください…
— MIKAMI. (@MIKAMI__) 2016年3月4日神様は居ない。ハヤブサさんご冥福をお祈りします。
— Hi69 (@69HIROKI69) 2016年3月4日自分がまだ学生の頃だったか大仁田さんが引退し新生FMWになってハヤブサさんが身体はってグラジエーターと戦ってる姿はほんとかっこよかった
— 木藤 裕次 (@910kito) 2016年3月4日寝つけない…。
最近、悲しいことや辛いことが多すぎる。
— ワイルド・セブン (@latinoheat3104) 2016年3月4日
— FUNAKI (@shofufu824) 2016年3月4日まじかよハヤブサ選手が亡くなるなんて(>_<)中学くらいかな?サンテレビでFMやってたからよく見てたのに。ご冥福を祈ります
— 長島☆自演乙☆雄一郎 (@jienotsu) 2016年3月4日信じられません…
御冥福を、心のそこから御冥福を御祈りします
もう、何も無いようレスラーのみんなが無事でいられるように
本当に本当に本当に… https://t.co/0BROmHYyFN
— 植松寿絵 (@uematsu_san) 2016年3月4日An innovator that captivated & influenced our gen.From ring style to attire,his memory will live 4ever #RIPHayabusa pic.twitter.com/ky0SATGo5P
— Finn Bálor (@wwebalor) 2016年3月4日華麗な試合スタイルの中に垣間見せる儚さ。絶対的エースなのに泣き虫でどこまでも人間臭い。それが自分が大好きなハヤブサというプロレスラーでした。そしてずっと憧れでした。もう一度お会いしてコールしたかったです…。
ご冥福をお祈り致します。
— 味方冬樹/モモタロウ (@mikata_fuyuki) 2016年3月4日どうもこうもねえなぁ・・・。信じられないし実感もないから冥福を祈ることもできない。
— 須山浩継 (@suyamahakusyak) 2016年3月4日いつだった菊池孝さんとミスター雁之助選手とハヤブサ選手とお酒をご一緒させて頂いて、その時にハヤブサ選手と雁之助選手が歌って下さったサザンの旅姿六人衆が泣けるほど格好良かったことを思い出しています<桑田佳右 旅姿六人衆 - Pideo https://t.co/DlzVxgd5Sn
— sayoko mita (@345m) 2016年3月4日今よりもメジャーとそれ以外のファンの垣根が高かった時代。「ライガー相手にどこまでやれるのかな?」と品定めするかのような両国国技館の空気を、奇襲のスワンダイブミサイルキックとトペ・コンヒーローで劇的に変えた。あの興奮の思い出は宝物。一生大切にします。
— 村田晴郎 (@MTharuo) 2016年3月4日ハヤブサ選手が再びリングに戻られる時を心待ちにしていました。鮮やかに空を舞う姿、ジュニア戦士の夢をさらに広げてくださったこと、ずっとずっと忘れません。心よりお悔やみ申し上げます。
— 元井美貴 Miki Motoi (@motoimiki) 2016年3月4日J-CUP復活が発表された日に亡くなっていたなんてなぁ…あの第1回J-CUPでハヤブサさんがライガーさんに放ったトペコンは、今でも目に焼き付いてる。ご冥福をお祈りします。
— 佐瀬順一(セコンドワークス) (@2works) 2016年3月4日新生FMWの頃のハヤブサ選手。本当に大好きでした。 pic.twitter.com/SMbBcL1J1y
— ファンキー加藤 (@fmb_funkykato) 2016年3月4日