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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

"スーパーフライ”ジミー・スヌーカー

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"スーパーフライ”ジミー・スヌーカー

 全日本プロレス、新日本プロレス、WWEなどで活躍した"スーパーフライ"ジミー・スヌーカーが死去した、享年73歳。


 スヌーカーは初来日は日本プロレスだったが、このときは目立った存在ではなかったものの、次第とアメリカで頭角を現してトップスターとなっていった。


 全日本プロレスではブルーザー・ブロディとのタッグでザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)と抗争を繰り広げ、1981年の世界最強タッグではブロディとのタッグで初優勝を果たしたものの、新日本プロレスから全日本プロレスへ移籍してきたスタン・ハンセンのアシストがあっての優勝だった。
 ブロディはハンセンと組むことになり、スヌーカーもWWF(WWE)に転出することになって仲間割れという形でタッグは解消、WWFでも当時の王者だったボブ・バックランドと抗争を繰り広げ、ドン・ムラコとの金網マッチで最上段からスーパーフライを投下することでトップスターへとなった。


 そしてWWFと当時提携を結んでいた新日本プロレスに参戦し、新日本に移籍したブロディとのタッグを再結成して1985年のIWGPタッグリーグに参戦して優勝決定戦にまで進出するも、ブロディと新日本側が揉めて優勝決定戦をドタキャンする事態を起こし、パートナーだったスヌーカーも巻き込まれる形でドタキャンをせざる得ず、ブロディとのタッグもまた解消した。


 新日本とWWFが提携関係を解消し、スヌーカーもWWFを離脱したため来日が途絶えてしまったが、1987年に再びブロディのパートナーに抜擢される形で全日本に参戦、この年の最強タッグにブロディのタッグでエントリーしたが優勝することは出来ず、ブロディ死去後はタイガーマスク(三沢光晴)とのタッグで1988年の最強タッグに参戦した。


 その後スヌーカーはWWFに復帰、日本にはWARに参戦してバックランドやミル・マスカラスとタッグを結成するなどしていた、1996年にはWWE殿堂入りを果たすもスヌーカーは現役を続けてインディー団体にも参戦していたという。


 しかし2015年に交際していた女性が意識不明になったことで殺人と過失致死容疑で逮捕されたが、このときに末期の胃がんを患っていたことが明らかになり、脳の損傷のため裁判は精神的な能力が無いと判断されたものの、脳の損傷は過酷な試合が原因だったものだとしてWWE相手に訴訟を起こして話題になったのが、スヌーカーの最近の近況だった。


 自分にとってスヌーカーはハンセンに次ぐブロディの名パートナーだった。


ご冥福をお祈りします



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