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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ハヤブサ

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ハヤブサ

ハヤブサ ハヤブサ 
 

 ハヤブサ(本名・江崎英治さん)が4日、クモ出血のため死去した(享年47歳)、ハヤブサは頻繁にFacebookも更新しプロレス会場に顔を出すなど元気な姿を見せていた


 ハヤブサがブレークしたのは第1回のSUPER J CUPだったがこれは先ほど更新したブログで語った通り、だが更新したところで突然の訃報は愕然としたし悔しいとしか言いようがなかった。


 ハヤブサ
SUPER J CUP後のハヤブサは凱旋帰国後は大仁田厚引退後のFMWのエースの座を担う存在となったが、大仁田との引退試合の相手を務め上げた後でFMWを任されたハヤブサは度重なる肘の負傷も重なり重圧に苦しんでいた印象を受けたていた。


 ハヤブサ
そのハヤブサを変えるきっかけになったのは全日本プロレスへの参戦、今まで鎖国していた全日本は開国して他団体に門出を解放、現役としてFMWに復帰していた大仁田のブッキングで全日本に参戦を果たし、小橋建太との戦いや新崎人生とのタッグでアジアタッグ王座を奪取するなど、ハヤブサという存在を大きくアピールできた。その中での自分的ベストバウトは1997年11月神戸ワールド記念ホールで行われた世界最強タッグ決定リーグ戦の公式戦で新崎人生と組んでのスタン・ハンセン、ボビー・ダンカンJr戦、ハヤブサはダンカンではなくハンセンに果敢にも挑み、ハンセンも久しぶりにブレーキの壊れたダンプカーぶりを発揮してハヤブサらを振り回した上で、最後はウエスタンラリアットでハヤブサを吹き飛ばしたが、ハヤブサ自身はレジェンドであるハンセンのウエスタンラリアットを喰らい吹き飛ばされたことで満足していた。


 ハヤブサ ハヤブサ
しかしFMWは大仁田と袂を分かち、エンターテイメント路線へと変更、ハヤブサも一時は素顔となってHにキャラチェンジしたが、当時のFMWのエンタメ路線はファンから受け入れられられず、Hから再びハヤブサに戻ったが古傷である肘をまた負傷してしまい、長期欠場を強いられることになるも、その間にFMWの経営が苦しくなっていった。


 そして運命の2001年10月22日、FMW後楽園大会でハヤブサはマンモス佐々木と対戦、ちょうどスカパーでもPPVで生放送され、自分も視聴していたがハヤブサがセカンドロープのライオン・サルトを狙った際に脚を滑らせ、脳天から落ちるようにして失敗し、動けなくなった、起き上がったマンモスはストンピングを落としていったが異変に気づき、レフェリーも異変に気づいて試合はストップ、館内は騒然となり、ストーリー上失脚していた荒井昌一社長が登場して対処し、ハヤブサも意識はあり観客に「お楽しみはこれからだ!」とアピールしてファンを落ち着かせたが、この時も自分は事の重大さを認識しておらず、翌日の東スポで全身不随の重傷と報じられてから事の重大さを認識した。


 その後でFMWは倒産しハヤブサを最後まで心配していた荒井氏も亡くなった、ハヤブサも補助が必要ながらも自力で歩けるようになり、歌手として活動しながらもDRAGON GATEではB×Bハルクにフェニックススプラッシュを伝授するなどプロレスに携わり続けた、そして昨年の「愛は地球を救う」で引退のテンカウントを鳴らされたが、ハヤブサは「引退じゃなくリスタートなんで」とあくまで現役復帰を諦めない姿勢を見せており、自分も「2019年、レスラーとして再びリングに立つ」と宣言していたことを信じていたし、気長に待っていたが、その矢先での訃報…一番悔しかったのは現役として復帰できなかたハヤブサ自身だったのかもしれない。


 ご冥福をお祈りします 

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