忍者ブログ

伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ジュニア選手の座談会から始まったスーパーJカップ

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

ジュニア選手の座談会から始まったスーパーJカップ

 1994年4月16日、両国国技館にて各団体のジュニアヘビー級選手が集まったトーナメント「スーパーJカップ」が開催された、開催のきっかけは単発もののプロレス雑誌だったと思う、獣神サンダー・ライガーを始め全日本プロレスを除く各団体のジュニアヘビー級選手が揃って座談会が行われ、その延長線上で団体の枠を超えた交流を通してジュニアの活性化を目的とした大会のライガーが開催を提案、座談会に参加した選手達の賛同を得て開催へと動いた。
 ライガーは早速新日本プロレスへ企画を持ち込み、新日本側も乗り気となって4月16日の両国大会を提供、選手のブッキングに関しては新日本ではなく大会プロデューサーライガー自ら交渉に当たった。


<出場選手>
ワイルド・ペガサス(WCW、優勝)
ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス、準優勝)
外道(WAR)※負傷欠場した折原昌夫の代役
ディーン・マレンコ(WCW)
スペル・デルフィン(みちのくプロレス)
大谷晋二郎(新日本プロレス)
ブラック・タイガー(WCW)
TAKAみちのく(みちのくプロレス)
エル・サムライ(新日本プロレス)
茂木正淑(SPWF)
リッキー・フジ(FMW)
ネグロ・カサス(EMLL)
獣神サンダー・ライガー(新日本プロレス)
ハヤブサ(FMW


 新日本からはライガーを始め、サムライ、大谷、WCWの所属となっていたペガサス、ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)、ディーン・マレンコが参戦、新日本と提携関係だったWARからは当初折原昌夫がエントリーする予定だったが負傷で参戦できず、当時冬木軍に属していた外道が参戦した。FMWからは新日本出身だったフジ、そしてメキシコで修行していたハヤブサを大抜擢し、旗揚げしたばかりのみちのくからはサスケ、デルフィン、TAKA、SPWFからは茂木、メキシコEMLLからはカサスと豪華なメンバーが揃ったが、全日本プロレスは同日に武道館大会を開催していたため不参加となるも、同日は「スーパーJカップ」を意識したのか小川良成vs菊地毅が組まれていた。


 大会は前評判が良かったのか超満員札止めとなり、TV中継も1時間枠だった「ワールドプロレスリング」が2週にわたって放送した。
 1回戦から白熱とした試合が続出するも大ブレークしたのはハヤブサとTAKAで、日本に帰国したばかりのハヤブサは一回戦でいきなりライガーと対戦、ハヤブサはゴング前にライガーに奇襲をかけトペ・コンヒーロを炸裂させるなどファンの度肝を抜き、ライガーの最終兵器であるシューティングスタープレスまで披露したが、自力に優るライガーが反撃してフィッシャーマンズバスターで3カウントを奪うも、敗れたハヤブサはファンから高い評価を得た。
 TAKAはブラック・タイガーと対戦し敗れたものの、当時入場テーマ曲に使用していた「みちのくひとり旅」が中継でも放送されて視聴者にもファンに大きなインパクトを与えた。
 準決勝にはライガー、サスケ、ペガサス、外道が進出し、ライガーはサスケと対戦したがサスケも連戦の疲れが見え始めライガーに攻め込まれ、スワンダイブ式の技も失敗してしまう、だが一瞬のウラカンラナで逆転3カウントを奪い決勝に進出、ペガサスvs
外道も疲れは見え始めた外道にペガサスがワイルドボムを連発してからのダイビングヘッドバットで3カウントを奪い決勝に進出した。

PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。