忍者ブログ

伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ジプシー・ジョー

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

ジプシー・ジョー

ジプシー・ジョー
ジプシー・ジョーが死去した、享年82歳。ジョーは2011年に引退、痛風の影響で右足を切断していたのだが、現役復帰への意欲を燃やしていたという。


 ジョーが初来日したのは1975年の国際プロレスだったが、自分が始めてみたのは昭和56年の全日本プロレスで、ジョーは国際プロレスが崩壊後に全日本へ移籍、国際プロレスではエースとして扱われていたが、初参戦時にはジャンボ鶴田の保持するUNヘビー級、ミル・マスカラスの保持するIWA世界ヘビー級王座に挑戦など、それなりの扱いは受けていたものの、ブルーザー・ブロディ、新日本から移籍してきたスタン・ハンセンなど大型選手外国人選手が主流だったこともあり、小柄なジョーは全日本では脇役的存在・便利屋的ポジションとして扱われ、鶴見五郎、ジェリー・モロー、ドリーム・マシン(ケンドー・ナガサキ)と組んで国際プロレス時代の抗争相手だった阿修羅・原、マイティ井上組の保持するアジアタッグ王座に挑戦し、時には減量して大仁田厚の保持していたNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座にも挑戦するなど長らく全日本マットに活躍、ジャイアント馬場さんも柄ながらも激しい気迫とプロ根性とイス攻撃にも平然と耐えるタフネスさを高く評価していた。





 1985年に長州力らジャパンプロレズ勢が参戦したことで全日本マットは選手が飽和状態となり、その影響からかジョーは全日本マットを離れ、長らく名前すら聞かなかったが、1991年W☆INGに参戦、だがミスター・ポーゴとの金網マッチに敗れ、引退してレフェリーとなるも、時折り現役として試合復帰、IWA JAPANに参戦した後は、また名前すら聞かなくなり、名前の通りジプシー(放浪者)となって、メジャーシーンを避けて敢えてインディーマットを放浪していた。



 そのジョーが発見され、2010年にTAJIRIのオファーでSAMSHに参戦、このときもイス攻撃を受けて平然とし逆にイスが壊れるな健在ぶりをアピールしたが、翌年引退、しかし右脚が切断されても現役復帰を考えるとは、根っからの放浪者なのか、しかしプロレスラーは様々なテリトリー(団体)を渡り歩いて旅する放浪者、つまりフーテンの寅さんみたいなもの、ジプシー・ジョーはまさしくフーテンの寅さん的レスラーだったのかもしれない。


ご冥福をお祈りします

PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。