チャボ・ゲレロ
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チャボ・ゲレロ
元NWAインターナショナルジュニアヘビー級王者で新日本プロレスや全日本プロレスに来日したチャボ・ゲレロさんが肝臓ガンで死去した、享年68歳。
チャボは昨年8月に大仁田厚の「ファイヤープロレスリング」に来日し、また11月の全日本プロレスの両国大会でも参戦して元気に試合をしていたのだが、亡くなる1ヶ月前に肝臓ガンが見つかり入院していたという。
自分がチャボ・ゲレロというレスラーをTVで初めて見たのは全日本プロレスに移籍してからの昭和56年で、当時のジャイアント馬場体制の全日本プロレスが新日本のベルトだったインターナショナルジュニアヘビー級王座ごとチャボを引き抜き、この年の9月に福山でドスカラスと防衛戦を行ったが(結果は3本勝負で1-1の後で両者リングアウト)、初来日も意外にも全日本でアントン・ヘーシングと対戦していた。
昭和57年になると海外武者修行中だった大仁田に敗れベルト明け渡し、大仁田とのベルトをかけた抗争で全日本ジュニアを盛り立てていったが、大仁田が左膝蓋骨粉砕骨折で長期欠場となると、チャボの抗争相手は渕正信やマイティ井上に代わり、井上に王座を明け渡した後で、昭和60年10月に王者となった二代目タイガーマスク(三沢光晴)に挑戦して敗れたのを契機に役目を終えたかのように全日本を去り、二代目タイガーもこの試合を最後にヘビー級へ転向するために王座を返上、インタージュニア王座も封印され世界ジュニアヘビー級王座となった。
インタージュニア王座は元々新日本が作ったベルトでチャボが王者だった木村健悟を破って獲得したものだが、チャボ自身が持ち込んだベルトが全日本の意向で封印される、チャボはどう思ったのだろうか・・・
その後SWSやWAR、新日本プロレス時代のライバルである藤波辰爾が主宰する「無我」にも参戦、WWEではチャボ・クラシックの名前で登場しチャボ・ゲレロ・ジュニアのマネージャー役となって弟であるエディ・ゲレロと抗争を展開した。
11月の全日本両国大会に参戦しテーマ曲である「カリフォルニア・ハッスル」が流れたときは懐かしさを感じたが、突然の訃報は残念としか言いようがない
ご冥福をお祈りします
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