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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ドン荒川

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ドン荒川

 新日本プロレス、SWSでは中堅で活躍したドン荒川さん(本名・荒川真さん)死去していたことが明らかになった。享年71歳。荒川さんは11月2日に亡くなっていたという。


 、レスリング出身だが、レスリングの試合で松浪健四郎相手にドロップキックを放って反則負けとなる逸話を残し、荒川さんは1972年7月に新日本プロレスでデビュー、同郷で鹿児島出身の栗栖正伸とは『鹿児島選手権』と称され、前座ながらも激しい試合を繰り広げた。自分が知ったのはフジテレビのバラエティー番組「おれたちひょうきん族」での一コーナーである「ひょうきんプロレスアワー」では力道山に扮してお笑い芸人相手にお笑いプロレスを展開、(実はレフェリーとして永源遥さんも出演していたという)、この頃から黒のロングタイツを着用して"前座の力道山”として活躍しており、永源さんとのコミカルプロレスも新日本の前座の定番となり、アントニオ猪木も秘かな楽しみにしてたという。
 そして1984年に長州力、前田日明ら新日本を退団し大量離脱したことを受けて、荒川は手薄となったジュニア戦線に借り出されてザ・コブラの保持するNWA世界ジュニアヘビー級王座にも挑戦するも、その直後に新日本はWWFとの業務提携を解消したことで、コブラの最後の挑戦者となった。


 しかしその反面「(ガチで)行け!!」と選手を焚き付けることも多く、長州ら長州軍団がUターンしてきたことに面白くなかった若手時代の橋本真也を炊きつけ、ヒロ斎藤とのシングルで橋本はヒロの技を一切受けず徹底的に痛めつけ、手の甲を骨折させてしまうい、これに怒った長州軍団が橋本を制裁(リンチ)する。今思えば長州らが戻ってきたことに一番面白くなかったのは荒川さん本人で新日本を離れる理由の一つだったのかもしれない。また永源さん同様タニマチとの付き合いも多く、長嶋茂雄さんとも顔なじみだったが、その顔の広さもあってメガネスーパーの社長だった田中八郎さんとの縁も出来た。


 1990年に荒川さんはSWSに参加、ジョージ高野らの「パライストラ」に属したが、ここでも選手を炊きつけることが多く、北尾光司を焚きつけてビック・ジョン・テンタとのシュート事件を引き起こさせ、そのせいもあって天龍源一郎やブッカーだったザ・グレート・カブキからもとことん嫌われ、今でも天龍は荒川を嫌悪している。


 SWS分裂後はどこも属さずメガネスーパー社員として残り、SWS所属として全日本プロレスやビックマウス・ラウドにも参戦、ユークス体制となった新日本にも2007年に参戦し、2011年に新日本での功績が認められてNJPWグレーテストレスラーズを受賞した。


 近年表舞台にも現れず、アントニオ猪木のISM両国大会にも顔を出さなかったこともあって、荒川さんも現在の猪木の側近達に嫌われたのかなと思っていたが、病床だったとは思っても見なかった。猪木も荒川を可愛がっていたのもあって、一番悲しんでいるのは猪木本人なのかもしれない。


 ご冥福をお祈りします。

(荒川さんの試合は新日本プロレスワールドにはなく、ビックマウスでの試合があったのでアップしました)






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