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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

マサ斎藤さんの告別式に長州、健介が揃った…通夜にはアントニオ猪木も来ていた!



 7月14日に亡くなられたマサ斎藤さんの告別式が営まれ、武藤敬司とフロリダ時代の盟友だったザ・グレートカブキさんが弔文を読んだ後は、マサさんと共に外国人選手を発掘してきたブラット・レイガンス、WCW元副社長だったエリック・ビショッフ氏からもお悔やみのメッセージが届けられた、告別式にはマサさんとは疎遠となっていた長州力がタイガー服部レフェリーと共に列席、長州とは疎遠となっていたカン、健介&北斗夫妻も列席し、出棺の際には長州と健介が距離は取っていたものの棺をかついた。

 長州の維新革命は維新軍団の前身である革命軍からスタートし、マサと長州、カン、小林邦昭がメンバーだったものの、カンは最初から長州に賛同していたわけでなく当時の新日本に不満があって共闘していたに過ぎなかった。考え方の違う長州とカンを取りまとめていたのもマサさんだった。
 
 3人はジャパンプロレスへ移籍も、カンがWWFへ行っている間にジャパンプロレスは分裂、長州とマサさんは新日本へ戻ったものの、カンは日本マット界に嫌気を差して引退、それっきり長州とも会おうともしなかった。

 また健介もWJが経営悪化の際に金銭トラブルで長州と袂を分かっていたが、昨年からは距離は取っていたもののTV番組で競演する機会もあり、健介側も長州との和解に応じる構えを見せていた。

 長州は健介、カンとのこういった形での再会をどう思ったのか、亡くなったマサさんが引き合わせてくれたことから、「もう昔のことだから」と和解して欲しいが…

 最後にアントニオ猪木は告別式には列席しなかったが、上井文彦さんによると


猪木は通夜には斎場の前までは駆けつけていたが、斎藤倫子夫人にお悔やみの電話をかけるだけで留まり、猪木の出したTwitterも本人から出されたものだという。

なぜ猪木は列席できなかったのか。猪木は引退してもプロレスラーであり、いつまでも元気というイメージが付きまとっている。またマサさんは猪木にとっては東京プロレスからの関係で、敵対しても信頼しきっている間柄、本当は駆けつけたかったが、戦友を亡くしたことで落胆し元気でなくなっている姿を見られたくなかったのでは…、差し出がましいがこういったときは思い切り泣いてもいいと思う。多分猪木のことだから人知れず泣いているのかもしれない…

 自分にとってのマサさんは長州力の革命軍から知って、長州とのタッグではハイジャックパイルドライバーを含め様々な連係技を披露して、タッグマッチのあり方を変え、猪木との巌流島だけでなく、90年代は深夜枠に移行するまではワールドプロレスリングは土曜4時で時折りゴルフ中継が入るなどして不定期の放送で、その中でマサさんは実況の辻よしなり氏、解説の柴田惣一氏と共に解説を務め、苦境だったワープロを盛り上げてくれた。新日本にとっては最大の功労者、またマサさんが亡くなったと同時に80~90年代のプロレスが昔になっていく、マサさんの死は残念でもあり、寂しくなる。

 

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