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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

マサ斎藤


 日本、アメリカと股にかけて活躍し、新日本プロレスではアントニオ猪木との巌流島の対決を繰り広げた。マサ斎藤さんが死去した。享年75歳。マサさんは2000年頃にパーキンソン病を発症も、その後は2020年に開催される東京オリンピックの聖火ランナーとして走るためにトレーニングを行うなど闘病を続けていた。

 マサさんは1965年に東京五輪レスリング日本代表として活躍した後で日本プロレスに入団も、相撲の縦社会的な日本プロレスに馴染めず、アントニオ猪木の旗揚げした東京プロレスへ移籍、だが半年後に分裂した際にはアメリカへ渡りフリーの一匹狼として活躍、高千穂明久とのタッグではフロリダマットで一世を風靡した。新日本や国際プロレスにも参戦して、ヒロ・マツダとのコンビで坂口征二、ストロング小林組から北米タッグ王座を奪取、昭和58年からは長州力率いる革命軍の影の総帥としても暗躍したが、主戦場はあくまでアメリカに置いていた。

 長州がジャパンプロレスに移籍した際には、マサさんも追随する、ケン・パテラによる器物は損事件に巻き込まれて実刑判決を喰らい1年半収監されるも、マサさんは刑務所生活を長年に渡って蓄積されていた身体へのオーバーホールとして肉体改造にあてた。出所後は長州の新日本Uターンでの先兵となって、新日本に戻った。

 猪木との巌流島での決闘の後は、長州の現場監督就任に伴い、外国人ブッカーに就任してWCWとのパイプ役となり、「ワールドプロレスリング」ではテレビ解説を務めたが、エル・サムライやマスクマン時代だったペガサス・キッドを本名で言ってしまうこともあって、実況の辻よしなりさんを困らせるも、現役選手としてはAWA世界ヘビー級王座も奪取するなどして活躍した。

 1999年に現役を引退したが、この前後で既にパーキンソン病を発症し、それでもWJプロレスを旗揚げした際には外国人ブッカーに就任も、WJプロレスが崩壊後は長州と疎遠となり、佐々木健介の招きで健介オフィスのアドバイザーに就任、だが健介オフィスがプロレス興行から撤退後は闘病に専念した。

 マサさんは2016年12月2日、大阪城東区民センターで行われた上井文彦プロデュース興行「Strong Style History~Go for Broke!! Forever~」でリングに上がった際に海賊男に扮した武藤敬司の強襲に応戦、レスラーとしての意地を見せつけた。自分もVTRで見たが、マサさんがこれだけ厳しい状況になっていることは思って見なかった。

 この興行に際し長州は「なぜ公の場にマサさんを出したんだ!」と上井さんに怒るも、上井さんは「じゃあ、あなたがマサさんに謝ればいいじゃないですか」とたしなめた。だが長州は謝る意志はあったがきっかけを作れないまま・・・、長州にとって一生の後悔だと思う。

 自分もマサさんが東京オリンピックの聖火ランナーとして走る姿を見たかったし、それまで元気でいることを信じていた。残念としか言いようがない。

 ご冥福をお祈りします 


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