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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ケンドー・カシンの生みの親 オットー・ワンツ

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ケンドー・カシンの生みの親 オットー・ワンツ

 AWA世界ヘビー級王者となり、第1、2回IWGPリーグでヨーロッパ代表として来日したオットー・ワンツさんが死去した。享年73歳。2000年にCWAを閉鎖してからプロレス界からも去り、タレントとして活躍していたという。


 ワンツさんの初来日は国際プロレスで、新日本プロレスには1976年1月にブルドック・オットーのリングネームで初参戦、1973年にはドイツを本拠地とする初代CWA世界ヘビー級王者となってからCWAのエース兼プロモーターとなり、1978年11月には1978年11月24日にはローラン・ボックが主催した欧州世界選手権シリーズではアントニオ猪木の挑戦も受けた。


 1982年にはアメリカにも進出しニック・ボック・ウインクルを破りAWA世界ヘビー級王者となったが、1ヵ月半後にニックに奪還され短期政権に終わり、1983年に開催された第1回IWGPではヨーロッパ代表として参戦したが、猪木戦で負傷し途中帰国、第2回にもヨーロッパ代表として参戦したが、4勝7敗と不本意な成績に終わり、以降CWAの運営のためにヨーロッパマットに専念した。IWGP以降来日することはなかったが新日本との関係を続け、若手だった蝶野正洋、船木誠勝、天山広吉、小島聡、石澤常光などが武者修行としてCWAに送り込まれた。石澤はワンツのアイデアでケンドー・カシンに変身したが。それを考えるとワンツがケンドー・カシンの生みの親にあたる存在でもある。


 今月末に津市体育館が閉館されるが、第1回IWGP津市体育館大会はワンツは途中帰国しており津市体育館大会には参戦していないだろう。しかしIWGPの証人が一人去っていったことには変わらない。


ご冥福をお祈りします

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