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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

津市体育館で起きたもう一つのミステリー 長州力失踪事件

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津市体育館で起きたもう一つのミステリー 長州力失踪事件



 1983年5月6日、福岡市スポーツセンターにてアントニオ猪木が念願だった「IWGP」が開幕したが、シリーズの中盤に差し掛かる16日の津市体育館で長州力がアニマル浜口と共に大会出場をボイコットし、そのまま失踪する事件が起きていた。



 1982年10月8日、メキシコから凱旋帰国した長州はタッグを組んでいた藤波辰己と仲間割れとなり、藤波に対して「噛ませ犬発言」をしたことで、中堅レスラーからスターダムに一気にのし上がり、打倒・藤波を掲げて抗争を展開するだけでなく、そしてマサ斎藤とキラー・カーンと組んで"革命軍"を結成、猪木と藤波率いる正規軍だけでなく、ラッシャー木村と浜口率いる"はぐれ国際軍団"ともユニット抗争も展開、、83年4月3日の蔵前国技館大会では長州は藤波をリキラリアットで破りWWFインターナショナルヘビー級王座を奪取、21日の蔵前での再戦では猪木を差し置いてメインに登場、藤波をリングアウトで破り王座を防衛し、猪木に代わって蔵前のメインを飾ったことで長州は念願だった打倒・藤波を果たすだけでなく、新日本の主役に躍り出たかに見えた。しかしそれは一時だけのもので、IWGPリーグ戦が開幕すると主役はリーグ戦に出場する猪木、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアントに代わってしまい、長州はアジア予選リーグ戦を突破していなかったためリーグ戦には出場することは出来ず、主役からも外された。


 また長州の周囲でも変化が置き、革命軍で組んでいたマサ斎藤も4月シリーズを終えると主戦場であるアメリカへ戻り、カーンもIWGPが終わるとアメリカに戻ることになっていたが、国際軍団を離脱した浜口が長州に合流、革命軍も再編を余儀なくされ、ライバルの藤波は長州に連敗を喫するだけでなく『新日本で必要とされなくなった』と"傷心"の海外遠征に出てしまった。テーマを見失った長州はリーグ戦にも出場しないIWGPに参戦したが、タッグマッチでホーガンに敗れ、津大会前日の後楽園大会ではタッグマッチながらも猪木に直接フォール負けを喫し試合でも覇気を失っていた。長州は「いくら新日本で頑張っても主役は猪木、しょせんオレは藤波を倒すまでのレスラーかな」と危機感を抱いていた。そこで長州はシリーズ途中でボイコットという行動に出て、浜口も当初は「シリーズ最終戦まで出よう」と長州を説得していたが、長州に逆に口説き落とされ行動を共にした。


 『長州が姿を消した』と報告を受けた猪木は、すぐ長州の投宿するホテルに電話をかけ長州本人にコンタクトをとったが、長州の口から出たのは新団体設立の話だった。実はスポンサーから「3~4億出すから」と新団体設立を持ちかけられており、長州も乗り気になっていた。さすがの猪木も動揺を隠せず「新団体を作るのはオマエの考えている以上大変なんだぞ」と引き止めにかかった。長州が藤波と仲間割れした際も、猪木は"ヘビー級へ転向しても結果を出せない藤波に対して刺激材料になり、新日本マットがまた盛り上がる"と考えていたからこそ、長州の行動を黙認していたが、長州の離脱~新団体設立まではさすがに容認することは出来なかった。だが長州は猪木の説得には応じず、新日本との連絡を一切断って雲隠れした。


 雲隠れした長州は新団体設立に奔走、外国人選手もAWAを主戦場にしていた斎藤のラインで選手が派遣されることになり、TV局とも折衝し好感触を得るなど旗揚げは秒読み段階にまで漕ぎ着けていた。ところが斎藤が長州に「新団体は時期尚早ではないだろうか」と慎重論を唱え始めたことで新団体へと突っ走る長州にストップをかけた。斎藤も東京プロレス時代に社長に祭り上げられ、勝手にハンコを乱用されたことで不渡り手形を出し、銀行でもブラックリストに載せられ、銀行からの融資がままならなくなった過去があったからだった。斎藤は「打倒・猪木を果たしてから新団体を興してもいいのではないだろうか」と長州を説得。さすがの長州も斎藤の説得を聞き入れ、新団体設立を一旦凍結した。


 IWGP終了後の6月17日に姿を見せた長州は新日本に辞表を提出、浜口と共にフリーとして新日本に参戦することを選択した。当初は斎藤やカーンのように日本をアメリカを行き来して外国人選手と同じ扱いにするように求めたが、新間寿氏は辞表は受け取ったものの、猪木との対戦を条件にアメリカ行きは許さず全シリーズ参戦を要求した。新日本はIWGPを成功させたものの、猪木が決勝戦でホーガンのアックスボンバーでKOされ次期シリーズは全休することになり、猪木の穴埋めするのは藤波と長州しかないと考えていた。海外に出ていた藤波は山本小鉄の説得に応じて帰国を決め、長州は浜口や斎藤とも相談し新間氏の条件を飲む代わりに、海外武者修行中の谷津嘉章を新ユニット"維新軍団"に引き入れることを条件にして、長州は新日本に留まった。


 猪木を抜きの「サマーファイトシリーズ」は藤波、長州の名勝負数え歌を軸にして大盛況に終わり、猪木の抜けた穴を埋めきったが、シリーズ終了後に初代タイガーマスクの引退が引き金になってクーデター事件が起き、猪木と坂口も社長、副社長から降格され、新間氏も謹慎という形で失脚、このクーデター事件が後にUWF、ジャパンプロレスへの分裂劇に繋がっていったが、長州の新団体構想はクーデター事件の余震であり、新日本に鳴らされた非常ベルだったのかもしれない。


(参考資料 ベースボールマガジン社「移籍・引き抜き・興行戦争」)

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