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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

人間発電所 ブルーノ・サンマルチノ

元WWFヘビー級王者で日本プロレスや全日本プロレスに来日したブルーノ・サンマルチノさんが死去した、享年82歳

 サンマルチノさんは1963年5月17日に、ニューヨーク・マジソンスクエアガーデンでバディ・ロジャースをカナディアン・バックブリーカーで僅か48秒で破り、WWWF世界ヘビー級チャンピオンとなり、272キロと体重があるヘイスタック・カルホーンをエアプレンスピンで投げるなどして怪力で、7年8ヶ月の間、ニューヨークの帝王に君臨し若手時代からの友人であり出世を誓い合った最大のライバルの一人である、ジャイアント馬場さんとも対戦。

 日本への初来日は1967年の日本プロレスで、この時は立場が入れ替わり馬場さんのインター王座にサンマルチノが挑戦も、この頃から腰痛に悩まされ得意のバックブリーカーを使わなくなっており、ベアバックを必殺技に使っていた。

 1972年10月には全日本プロレスの旗揚げに参戦、後にWWFは新日本プロレスと業務提携を結ぶも、サンマルチノさんは馬場さんとの友誼を優先して全日本に参戦し続けた。しかし1976年4月にスタン・ハンセンとの防衛戦の際に、ボディスラムの受身に失敗して首を骨折、サンマルチノさんは2ヶ月で首が完治しないまま復帰するも、この首の骨折が選手寿命を縮める結果となり、1981年に引退を表明、現役最後の試合は1981年10月全日本プロレス蔵前国技館大会での馬場さんとのタッグでタイガー・ジェット・シン、上田馬之介組だったが、実はWWFのリングで息子のデビット・サンマルチノとのタッグで一時復帰をしたこともあるという。

 その後ビンス・マクマホンと折り合いが悪くなり、WWFとは絶縁となっていたが、HHHとの交渉でWWEと和解、WWE殿堂入りを果たした。

 自分がテレビでサンマルチノさんの試合を初めて見たのは、日本で行われた引退試合、そして生で見たのは1999年5月2日東京ドーム大会での「ジャイアント馬場引退試合」だった。

ご冥福をお祈りします


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