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" 暴走王"小川直也がレスラー・格闘技から引退、プロレスLOVEでなかったレスラー
<東京スポーツより>
バルセロナ五輪柔道男子95キロ超級銀メダリストで「暴走王」こと小川直也(50)が10日、本紙の取材に応じ、プロレス・格闘技から引退することを明らかにした。1997年4月の衝撃デビューから21年、50歳となった節目の年にリングを去る。すでに、師匠の“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(75=参議院議員)に引退の報告を済ませている。今後は長男で柔道世界選手権(9月、アゼルバイジャン)男子100キロ超級代表の雄勢(21=明大)を指導するため、古巣の柔道界への正式復帰を目指す。小川はいつも通りのひょうひょうとした語り口で、プロレス・格闘技からの引退を表明した。
「リングを離れることを正式に決断しました。猪木さんに導かれ、この世界に入り、ファンに支えられてここまでこれた。ファンのみなさんには本当に感謝している」
さらに、21年間のプロ生活を振り返り「本当に楽しかったよ。プロレスもオレが始めた当時とはだいぶ形が変わってきたし、自分の中では、やり切れなかった思いもある。でも、どこかで区切りをつけなきゃいけないし、その時、その時、精一杯やってきたので未練はないよ。今後は違った形で恩返しできればと」と話した。
引退を決めた理由については「子供の成長が一番。雄勢の置かれている立場を考えて。環境を整えるには、オレが(指導に)携わるべきかなと。今までは学生だったから柔道部の先生方にお願いしていたけれど、来年からは社会人。教育ではなくなるので」と説明した。
長男の雄勢は世界選手権代表に選ばれるなど柔道で急成長。2020年東京五輪出場が「夢」ではなく、現実的なものになってきた。小川としては自身が果たせなかった五輪金メダルへ息子を鍛え上げたいところだが、全日本柔道連盟の規定ではプロ格闘技に携わる指導者、選手の参入は認められていない。正式な形で雄勢を指導するためにはプロレス・格闘技からの引退を決断し、表明しなければならなかった。
今後は全柔連の指導者登録を目指す意向。「小川道場をやっているし、道場の子供たちともう少し距離を近づけたい。そのためにはルール上の問題もある。今はその辺をあいまいにできる時代じゃないので」と関係各所に相談しながら手続きを進めていきたいという。
小川は2007年から猪木氏が立ち上げたIGFに参戦。ただ近年は、IGFの分裂騒動もあってリングから遠ざかっていた。最後の試合は16年2月26日の青木真也戦(IGF東京ドームシティホール大会)。実際に2年以上、プロレスラー・格闘家としての活動実績がなく、事実上の休業状態だった。それだけに、柔道界復帰に大きな障害はないとみられる。
すでに雄勢を連れて猪木氏の元を訪れ、自身の引退と息子の世界選手権出場の報告を済ませた。引退について師匠は「そうか」とあっさりひと言だったが、雄勢に対しては「今度、メシに行こう」などと話しかけ、“闘魂注入”を約束してくれたという。
かつては猪木氏から「天下を取れる器」と評された。一方でプロレス界の常識にとらわれず我を貫いたことで、業界の評判は芳しくなく、頂点には立てなかった。
小川も「残念ながら、天下を取れなかったね~」と苦笑い。それでも「自分の中でやり切ったという気持ちは持っている。幸いなことに体がボロボロになって辞めるわけではない。猪木さんからは『必要とされているところに行け』との教えがあったし、実際にこのところリングのオファーはなかったからね。必要とされるところが違ってきたということなのかな」と悔いはない。
勝手気ままにプロレス・格闘界を闊歩した暴走王だが、最後は家族のためにリングを去る。
“暴走王”こと小川直也(50)がプロレス・格闘技からの引退を決断(当サイト既報)したことを受けて、最後の対戦相手となった格闘家・青木真也(35)が11日、自身のツイッターでコメントした。
2016年2月26日のIGF「GENOME35」で対戦し、STO4連発で失神KO負けを喫した青木は「最後の相手を務めたのは結果的に僕でした」と激闘を振り返ると、続けて「小川さんのキャリアの作り方は本当に賢くて、勉強させてもらいました。小川直也のようなキャリアを作れる選手は今後出てこないでしょう」と暴走王をたたえた。
また、千葉・我孫子市の市議会議員で“売名王”の異名を取るプロレスラー・澤田敦士氏(34)は、明大柔道部の後輩にあたり、小川からプロレスを学んだとあって「小川直也さんが新たなるスタートをきることになりました。小川さんにプロレスの世界を教わり小川さんなくして今の私はございません。小川さんに改めて感謝申し上げる次第です。小川先輩ありがとうございました」と感謝の言葉を並べた。
"暴走王"小川直也がプロレス・格闘家からの引退を表明した。暴走王というのはこれで最後かもしれないが、プロレスの試合から遠ざかって2年4ヶ月を経過しており、このところ息子である雄勢くんの指導、マネージメントに専念していたことから事実上セミリタイアの状態、今頃になっての引退表明は別に驚きもなかった。
自分が暴走王を好きになれない理由はプロレスラーと名乗っても、プライドの高さから暴走王の中にはプロレスLOVEはなかったからだった。プロレスは強さだけでなく、見せる要素もある。暴走王も強さはあっても見せる方は下手、けど下手は下手なりに見せ方もある。だが暴走王の場合は見せ方を充分に学べないままで、プライドの高さから教わるどころか学ぼうともしなかった。
プロレスLOVEでなかった理由、暴走王の中では柔道が一番であり、プロレスは下に置いていたこと、最近の一連の発言を見る限りでも柔道ばかりでプロレスに関して語ることはほとんどなかった。暴走王がレスラー時代を「本当に楽しかったよ。」と振り返っていたが、一番楽しかったのは橋本真也との抗争やOH砲だけで、それ以降は支持されることもなかったことから、面白くなかったというのが本音だったのではないだろうか、暴走王なりにプロレスに溶け込もうとしていたのだろうが、プライドの高さから結局プロレスにどっぷり浸かることは出来なかった。MMAへの挑戦もプロレスの強さを示すためでなく、柔道の強さを示すためにやっていたに過ぎなかった。
暴走王は結局柔道へ戻るが、全日本プロレスでデビューして通用しなかったアントン・ヘーシングも柔道、北尾光司が相撲へと戻ったように、暴走王も本来いるべき場所へ戻るに過ぎない。おそらく年齢的なことを考えるとレスラーとして復帰することはないだろう。
ただいえることは暴走王はもったいない存在であり、橋本真也との抗争やタッグで終わっていて、それ以上がなかったレスラーだった。そして最後にご苦労さんとしか言いようがない。
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休養から1年・・・藤田和之が始動!
<東京スポーツより>
“野獣”藤田和之(46)がいよいよリングに帰ってくる。藤田は昨年9月25日の総合格闘技イベント「RIZIN」さいたま大会で元大関把瑠都(32)に敗れ、涙ながらに引退を示唆。その後は表舞台から姿を消していたが、23日に突然本紙のインタビューに応じると、一転して強気に復活を宣言した。約1年間の潜伏期間を経て、引き締まった肉体を見せつけた野獣は「まずケリをつけないといけない相手が4人いる」と高らかに宣戦布告を放った。さあ、戦闘再開だ――。――電撃復帰するとの情報が流れている
藤田:復帰…? いや、そもそも俺はひと言も「引退する」なんて言ってないですよ。
――昨年、把瑠都(RIZINでのリングネームはバルト)に負けた際、涙ぐみながら「すっきりした」などと発言したのでそう思っていた人は多い
藤田:俺としては「ひと区切り」とは言ったけど「引退」とは言っていない。いったんリセットするっていう意味だった。いい迷惑だ、まったく。
――迷惑というと
藤田:仕事がなくなった。把瑠都戦の後、オファーがこなくなって「何でだろう?」と思っていたら、引退したことになっていたんだ。風評被害だ。マスコミのせいだ!
――……。引退したことになっていたと気づいたのは
藤田:年明けくらいかな。俺が引退したら面白いと思って、そういうことにしやがって。
――昨年10月には師匠のアントニオ猪木氏(74=参議院議員)をあいさつに訪れている
藤田:あれは、IGFを離れるあいさつに行っただけですよ。猪木さんはあいさつを大事にされる方だから。猪木さんにはその意志は伝わっていたと思う。
――ということはオファーがあれば…
藤田:どこでも出ますよ。MMA(総合格闘技)も、プロレスも。リングも、金網も、何でもやりますよ。オファーはないけど、コンディションもいいから。
――確かに強靱な肉体はさらに引き締まった
藤田:やることがないから毎日トレーニングばかりしていた。早寝早起きで規則正しい食生活。酒も飲まなかった。
――えっ、禁酒を?
藤田:…飲まれるほどは飲んでない。
――堂々たる復活宣言だ。標的は
藤田:オレとかかわった4人とまず決着をつけたい。石井慧(30=総合格闘家)、把瑠都、諏訪魔(40=全日本プロレス)、大仁田厚(59=大仁田厚プロレスリング)。この4人はその後、ろくでもないことになっているからね。石井は(北京五輪柔道)金メダリストの面影もないし、把瑠都は把瑠都でタレント業ばっかりやっているらしいじゃないか。
――大仁田に宣戦布告ということは電流爆破マッチもOKなのか
藤田:何でもやるよ。(年齢的に)時間に限りがあるのは事実だし、縛るものは何もないわけだから。もちろんその4人で終わりじゃない。決着をつけたい相手はその先にもいる。まずはその4人ということ。
――何はともあれ、この1年間は自分と向き合う時間になった
藤田:自分を見つめ直すことはできた。時間も自由にあったから、もう一度体をつくり直したし。食事の管理からトレーニングから走り込みまで、たっぷりとできた。
――古巣IGFのお家騒動については…
藤田:サイモン(取締役)は何やってんだ!
昨年9月25日のRIZINで把瑠都に敗れ、表舞台から消えていた藤田和之が東京スポーツのインタビューに応じ、一時取り沙汰されていた引退を否定、復帰を宣言した。
藤田の引退に関しては把瑠都に敗れた際に涙を流し「一区切りをつける」と引退が取り沙汰され、藤田よりのフリーライターである金沢克彦氏は「引退」としながらも、IGFのサイモン・ケリー氏は「引退はしてない」など意見が真っ二つに分かれていた。自分は曖昧な態度だったこともあってまだ可能性があるとして"引退としている"というスタンスを取っていたが、結局藤田の一区切りは休養という意味だったのかもしれない。(GKは怒るかもしれないが)
藤田の今後に関してはMMAだけでなくプロレスのリングにも上がるとしており、MMAでは早速RIZINがオファーを出すことを表明しているから、年内にRIZINのリングに上がる可能性が高いと見ていいだろう。
プロレスに関しては現時点では?の状態、IGFはアントニオ猪木の手から離れており、現時点では国内で活動する予定もなく、またアントニオ猪木も年内でビッグイベントを開催するとしているが、まだはっきりしているわけでない。
ただ気になるのは藤田の対戦したい相手として諏訪魔の名前が入っていること、実は9・5新木場、12後楽園、9横浜、16北本にXの参戦が発表されており、8・27両国でXの正体が発表されるというのだ。そのXが藤田の可能性も否定はできないが、全日本両国大会を控えてのタイミングで藤田の復帰宣言、きな臭い感じもしないでもない。もう一人の候補である大仁田厚は10月31日の後楽園大会で引退するため、残り2ヶ月の間に藤田相手に仕掛けられるかどうか、大仁田はまだケンドー・カシンとのつながりを持っていることから、これもまだ可能性はないともいえない。
最後に藤田は基本的にプロレス下手、強さはあるが見せる部分に欠けている。その藤田に興味を抱く団体はあるのか?デスマッチでも何でもやるとしているが・・・
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藤原に挑んだ垣原が高山にエール…丸藤がUWFルールに挑戦!
8月14日 垣原賢人復帰戦~カッキーライド 後楽園ホール 1054人
<アピール、コメントなどは週プロモバイルより>
◇第1試合◇
▼UWF道場スパーリングマッチ/時間無制限
藤原喜明(10分25秒 10-0)垣原賢人◇第2試合◇
▼UWFルール/30分1本
○船木誠勝(2分44秒 三角絞め)×田中稔◇第3試合◇
▼UWFルール/30分1本
○中野巽耀(4分38秒 しゃちほこ固め)×中村大介◇休憩後◇
(休憩明け、カッキー応援隊代表・山崎さんが入場して挨拶。山崎さんは垣原の復帰戦に関して「僕も18、19の頃、あんな感じでやられて、ひとつ一つの関節技が痛いんですよ。あの痛みに耐えられるのならどんな治療も耐えられるし、だいたいのことは耐えられるスパーリングだった」と語り、スペシャルゲストを呼び込むとキャプチュードが鳴り、前田日明さんが大「マエダ」コールでリングイン。)前田さん「2年前はいまにも死にそうだというのでオタオタすんじゃねえと言ったんですけど、きょう見たらピンピンしてたんで、元気そうで何より。人間はあきらめたらだめですね。常に奮起することによって新しいものが見えてくる」
◇第4試合◇
▼UWFルール/30分1本
○鈴木秀樹(6分59秒 風車固め)×野村卓矢◇第5試合◇
▼UWFルール/30分1本
○鈴木みのる(7分43秒 脇固め)×ロッキー川村【鈴木の話】「ルールを決めたのはてめえらだろ? それはてめえらの都合でしかねえんだよ。俺には俺の都合があるんだ。だから、俺は俺の都合のいいようにしかやらねえ。てめえらのやりたいようなんかさせねえ。俺は俺のやりたいようにやるだけだ」
◇第6試合◇
▼UWFルール/30分1本
○丸藤正道(8分44秒 KO)×冨宅祐輔
※虎王(試合終了後)
垣原「これがUWFです。最高の試合でした。冨宅さん、最後残念だったけど、すごいよ。僕の同期です。(出場選手たちや関係者たちをリングへ)僕には、こんな最高の仲間がいます。だから病気になんか負けるわけない。心配なのは、高山選手です。みんなで、高山選手のことを応援していきましょう! 高山はあれですよ、彼は帝王です! 僕がここまで回復してリングに戻ることができたんです。高山、帝王、オマエは絶対大丈夫。高山、絶対大丈夫だよ! 高山! 高山! 絶対大丈夫だからな! 負けるなよ! 高山は絶対大丈夫、大丈夫! みんなが応援してるし、絶対応援しよう。絶対大丈夫、高山は絶対このリングに戻ってきます。みなさんよろしくお願いします。これからも走っていきます。きょうはありがとうございました!(UWFのテーマが鳴って大「カキハラ」コールでエンディング。)【垣原のコメント】
――藤原選手と戦った感想は?▼垣原「メチャクチャ強かったですね、ホントに。手も足も出ないっていうのはこういうことを言うんですね。何もできない自分がホント悔しかったですね。諦めない心というか、そういった気持ちで立ち向かっていったんですけど、それがお客さんにどこまで伝わったかわかりませんけど」
――諦めない心を自分としては見せられたと思う?
▼垣原「どうでしょうかね? それはお客さんが決めることなので、何とも言えないですけど」
――会場からは声援が起こっていたが?
▼垣原「リングで聞く声援は最高ですね。やっぱりこれは大好物です(笑) やみつきになりますね。だから、これで終わらせちゃいかんなって。もともと復帰戦のつもりでいましたので、今後継続してチャンスがあるなら、またリングに上がって行きたいなと思ってますけど」
――大会の主催した側として、全体を見ると?
▼垣原「もっともっとお客様に感謝の気持ちとか、いろんな部分で伝えたかったなというところがあって、反省するところはまだまだあるので、何とも言えません。そういうのを次に活かしていきたいなと思います」
――もう少しで1本取れそうな場面もあったが、結局取れなかった。それについては?
▼垣原「まだまだ練習不足というか。今年1月からトレーニングを始めたばかりというか、それはそんな甘くないですよね。また胸を借りたいですね。1本取るまでは。1本取りたいですね」
――あれだけ攻め込まれながらも藤原選手に立ち向かっていった。垣原選手の姿勢が観客にしっかりと伝わったのではないかと思うが?
▼垣原「どうでしょうかね? それはお客さんが決まることなんで」
――試合が終わって体調やダメージは?
▼垣原「体中が痛いですね。あれだけヒジとか足首とか、体中の関節技を極められたわけですから、痛いです。もうミシミシ言いましたから。でも、まだ興奮しているんで、あと2〜3時間はアドレナリンが出ているんであれですけど、たぶん明日なんかは歩けないでしょうね」
――今後はどんな活動をしていこうと考えている?
▼垣原「3日後にまた検査があるので。で、検査の結果を踏まえて、その様子を見ながら徐々に。主治医を含めて、チームでこれからどうしていくのかを決めていきたいと思います。気持ちの中では『もう一丁』っていう感じですよね。もう一丁どころか、何丁でもやりたいなっていうか。そういうところはあります」
――病院から試合のOKは出ている?
▼垣原「正直、許可は出てないですね。見切り発車で。止めろと言われないようにはぐらかしてという感じで。こうやっていろんなマスコミに出ちゃって、それを主治医が見て、『やるの?』なんて言われて。『そうみたいですね』ってなんか誤魔化して(笑) 頭の中で自分は病気だって考えないようにはしてます。ただ、なかなか悪性リンパ腫というのがしつこいっていうのは主治医からずっと言われてますんで。舐めた感じではいたくないので、その辺はしっかりと足下を見つめながらやっていかなきゃいけないと。ただ、こういうチャレンジはしていかないとどうしても怖いので、ドンドンこういうチャレンジをして、立ち向かっていきたいなという気持ちですね」
――リングに上がるまでのコンディション作りは大変だった? 無理しなければいけないが、無理し過ぎてもダメという状況だと思うが。
▼垣原「凄くそのさじ加減が難しかったですね。ホントに誰にも相談できないので。自分の体調を見ながら、試行錯誤しながらという感じですね。それがうまくいったかどうかわからないですけど」
――自分自身としてはリングに上がる時点でどのぐらい仕上がってた?
▼垣原「どうでしょうかね? やっぱりまだ0点に近いのかなという感じですね。こんな状態で、こんなコンディションで上がったら、プロとしては恥ずかしいというか、情けないという感じはします。いろんな部分で反省して、また明日から頑張りたいなという気持ちです」
――娘さんからの手紙については?
▼垣原「あんなこと思ってたんだなって。普段はあんな会話はしませんので、改めてああいうことを言ってもらえて、彼女なりにいろんなことがあったんだなっていう」
――手紙の中で、仕事に行く時に「頑張れ」ではなく「輝け」という一言を言われるということだったが、どのような思いで口にしている?
垣原「やっぱりスターたる者は輝かないといけないので」
――前田さんからは「もう治っているようなものだ」という言葉があったが?
垣原「前田さんが言うなら間違いないなということで。前田さんはいろんなアドバイスを何年もの間、ずっとしてくださったので。それを1つずつ試していきながら、自分に合うものを探っていきましたので、参考になりましたし。ああいう前田さんの言葉を聞くと、ちょっと安心できますよね、病気に対して。いろんなことが見えている人だと思うので。でも、調子に乗らないように。これからも治療を続けていくし、調子に乗らないようにしていきたいなと思います。まだまだ長いので。本当に始まったばっかりなので。今日からスタートだと思ってますから」
――改めて高山選手への思いは?
垣原「本当に今は大変な状況だと。僕の闘病中、一番高山選手が僕のために髪を振り乱して動いて。情報を集めたり、本当に自分のために動いてくれたんでね。今度は恩返しする番というか、今度は高山選手の力になってあげたいなという部分で。凄く時間がかかると思うんですけど、応援していきたいなって。自分ができることは小さいんですけど、こういうことを発信していきたいし、仲間がいるんで、高山選手をサポートしていきたいなと思います。彼がリングに戻ってくるまで、続けなきゃいけないことだと思ってます」
――ファンが参加できるような形を考えている?
垣原「まだ具体的にどういったことっていうのは…。僕が勝手に進めることはできませんですけど。今日は自分の気持ちを発信させてもらっただけなんですけど、今後それによって、皆さんいろいろ立ち上がって。いろんな支援の仕方があると思うんですけど、みんなで知恵を絞って、彼が元気に戻ってくるようにバックアップして行けたらなと思うんで。本当に皆さんのお知恵を借りたいし、力を借りたいと思ってます」
――藤原選手と対峙した時に感慨深いものはあった?
垣原「Uの忘れ物であるスパーリングができたというのは感激しましたし、ホントに組長が強いなって実感しましたね。骨太だし、ヒジを使ったり、体重の乗せ方だったり、関節の極め方、騙すような動きだったり。超一流の技術を体感できて、今は最高の気分です」
――威圧感やオーラはあった?
垣原「ファイターとしてだけではなくて、癌を克服したというところもあると思うんですよね。人間としての大きさを感じました。正直、もうちょっと何とかなるんじゃないかなと舐めた部分もあったかもしれないですけど、いやいや、とてもとても…。本当に巨大に見えました。年齢だって、正直、70近くになっているので、年齢的な部分を考えると、若い自分が有利な部分もあるんじゃないかと思ってましたけど、組み合ってみたら凄いですね。あの威圧感が。技術も素晴らしかったです」
――癌を乗り越えて現役を続けているだけに、刺激を受ける部分もあった?
垣原「今日は大きな刺激を受けました。組長の胸を借りてよかったなとシミジミと思います」
【丸藤の話】「(こういう大会のメインを任せられて)俺っていうか、冨宅さんありきの部分で。俺は垣原さんのためと、垣原さんを応援しようとしている周りの人たちの声と、俺のこういう試合を見てみたいという。高山さんもこういうのをやってみなよ、とよく言ってたんで。きょうは来ることができなかったけど、必ずまた来てもらえると思うし、その時はまたレガースを履くかもしれないし。まだ練習が全然足りないけど(苦笑)。急きょだったんで。でもやりながらプロレスのキーロックや足4の字というのはふとしたところでかけれるもんなんだなって。
(UWFにない技術を?)だって、俺のなかにはUWFないもん(苦笑)。こんな言い方しちゃ悪いけど、でも、受け入れてくれた垣原さんもそうだし、冨宅さんもそうだしUWFファンのみなさんがああやって受け入れてくれたのは、それだけでもありがたかったし。今年で19年、来年で20年。俺も37、38になってなかなか新しいことに挑戦するきっかけがつかめないなかで、こういう試合をさせてもらえたのは感謝しかないです。
(得るものもあった?)全部、得るものしかなかったですよ。失うもの…負けたらそれは失うけども、とにかく感謝と喜びに尽きる大会で。あとはこれを、小さな力かもしれないけども、垣原さんや同じ病気を持つ人、そして高山さんに少しでも何か力になれば、俺的にはいいと思います」
悪性リンパ腫で闘病している垣原の復帰戦が行われ、藤原とUWF道場スパーリングマッチ形式としてノーレフェリー、ギブアップしても試合が続行される試合形式で行われた。
握手から始まり、垣原がグラウンドを仕掛けるも、藤原がアームロックで1本、グラウンドでも1本を奪い、その後も藤原が足を決め、垣原のスリーパー狙いも藤原が足を決め、垣原のアキレス腱固め狙いも、逆に決めるなどして藤原が5-0と容赦なくリードを奪う。
藤原はヘッドロック、垣原の三角絞め狙いを圧力で潰してから腕を決め、垣原の腕十字狙いも藤原が足首を決め、藤原が腹固めで捕らえて9-0となり、試合終了と思われたが、垣原がもう1本と迫り、試合は続行、垣原は膝十字で捕らえるが藤原がネックロックで捕らえて垣原がタップ、10-0となって改めてスパーリングは終了した。
試合後には藤原から激励を受けた垣原は頸髄損傷および変形性頚椎症で療養している高山善廣にエールを贈った。
高山は週刊誌によって「首から下が動かない」状態で、自力での食事・排泄も困難と公表され、現在も入院生活が続いているという。垣原さんは悪性リンパ腫と戦い、高山は頸髄損傷と戦う。昨日新日本に現れた柴田勝頼もそうだが、絶対リングに戻るって気持ちがあれば、可能性だってまだまだ大きくなっていくものでもある、自身が持っている希望だけは捨てないで欲しいし伝えて欲しい。これは自分が入院した際に垣原さんからSNSで励ましの言葉を頂いたお礼みたいなものかもしれないが、垣原さんがリングに立って試合が出来るのだから、高山だってまだ可能性はあるはず、その可能性を信じて頑張って欲しい。
メインはかつてUインターまたキングダム志望だったNOAHの丸藤がUWFルールでの試合に挑戦し、今回は冨宅飛駈ではなく本名の冨宅祐輔と対戦し、丸藤はレガース着用で試合に臨んだ。序盤はローキックで牽制し合いグラウンドとなるが、冨宅が膝十字からアキレス腱固めで捕らえると丸藤はエスケープでロストポイント1、丸藤は掌底からアームロックを狙うも、足を奪いに来た際に冨宅がアキレス腱固めで捕らえ、丸藤はエスケープでロストポイント2、また丸藤のクルックヘッドシザースも冨宅がアンクルホールドで切り返し、丸藤がエスケープでロストポイント3となるなど苦戦を強いられる。
丸藤は腕十字からキーロック、スタンディングでタックルから足四の字で冨宅がエスケープでロストポイント1になると、冨宅が膝蹴りで丸藤がダウンし残り1点となってしまう。そこで冨宅が打撃で攻勢に出ると、丸藤は虎王を炸裂させて冨宅はダウン、そのままKOとなり丸藤が逆転勝利となった。セミの鈴木vs川村のパンクラス同士による対戦は鈴木がレガースを着用していないのにも関わらずキックを使うなど反則で減点とされる中で、川村がパンチの連打で鈴木がダウンし鈴木は残り1点となるも、鈴木が藤原譲りの脇固めで捕らえ川村がタップ、鈴木が勝利となった。
休憩明けには山崎一夫の呼びかけで前田日明が登場、垣原だけでなく高山にエールを贈った。
(写真=週刊ファイトさんが提供していただきました)【カッキーライド】垣原が約6年ぶりに復帰、藤原とスパーリングで火花 欠場中の高山にエール▼前田がサプライズ登場「どんなことがあっても諦めてはダメ」▼Uルールで虎王さく裂 丸藤が鮮やか逆転KO…後楽園大会https://t.co/vuGwN7jyL4#カッキーライド pic.twitter.com/iAzx8LKjMk
— プロレス/格闘技DX編集部 (@PKDX) 2017年8月14日カッキーライドありがとうございました!
垣原さんお疲れ様でした!
冨宅さんありがとうございました!
初めてのUWFスタイル。とてもいい経験になりました!
もし次があるならもっと勉強と練習し… https://t.co/nOG0gb8D8b
— 丸藤 正道 (@noah_marufuji_) 2017年8月14日【たった一回の人生…おまえならどう生きる?…オレはこう生きる。。】これが今日の試合のメッセージ。生きろ。
— 鈴木みのる (@suzuki_D_minoru) 2017年8月14日【カッキーライド】
垣原さんの復帰戦、セコンドを務めさせていただきました。
バックステージは懐かしくて濃〜い方々がいっぱい! pic.twitter.com/lMl2Knl8TQ
— SAKU39 Official (@KS_SAKU39) 2017年8月14日 -
はぐれIGFが解散…カシンより一番厄介だったのは藤田和之
4月の月間MVP、ベストバウト、ベストシリーズ&興行の投票受付中!: https://t.co/WJr953UfuS
— 伊賀プロレス通信24時 (@igapro24) 2017年5月3日<東京スポーツより>
悪魔仮面”ケンドー・カシン(48)、鈴木秀樹(37)、将軍岡本(33)によるユニット「はぐれIGF軍団」が消滅したことが7日、分かった。
解散が表面化したのは6日のゼロワン横浜大会だ。鈴木は「ゼロワン軍」、岡本は「外敵軍」の大将として「5対5勝ち抜き戦」に出場した。2人はメーンで激突すると、パンチやヒザ蹴りが交錯する激しい攻防を展開する。最後は鈴木が岡本を卍固めに捕らえてギブアップを奪った。事件が起きたのは試合後。リング上でマイクを持った鈴木は岡本に対して「もう辞めよう。辞めるんだよな? もう辞めよう!」と吐き捨てたのだ。ここ数か月はほとんど活動休止となっていたが、やはりはぐれ軍は消滅ということで間違いはなかった。
はぐれ軍のリーダー兼広報だった鈴木は翌7日、「消滅か?」の問いに「はい!」と満面の笑みで応じた。詳細を語ることはなかったが、そもそもはぐれ軍のスタンスは「互助会」のようなもの。それが今や鈴木は大日本プロレスのBJW認定世界ストロングヘビー王者となり、岡本もゼロワンに定期参戦するなど活動の場を広げている。旅立ちの日がやってきたということなのだろう。
これまで何度も「放牧だ」「区切りだ」と解散をちらつかせてきたはぐれ軍。騒ぐだけ騒いだ後に、短すぎる歴史にピリオドを打った格好だ。【鈴木、岡本の話=週プロモバイルより】
鈴木「はぐれIGF軍団は解散です。理由? 1人は勝手に引退して、草むしりを初めて。1人はオファーを自分で断り続けて、オファーがなくなったとか文句を言ったり。1人は節操なくオファーを受けてやってたくせに、その割にあんまり定着してないっていう。それぞれの活動が還元されてない。(はぐれIGFは)互助会だったわけじゃないですか。互助会の体をなしてない。全然僕に還元されてない。その結果が僕の、1月の1試合! あの時点で僕は決意してたんです。僕は1試合しかありませんというのも(他のメンバーに)アピールしてたんですけど、なんのヘルプもなかった。(カシンや藤田さんの合意は得ているのか?)だって僕、リーダーじゃないですか。(カシンに)言ってないも何も連絡が取れないし。よく考えてください、カシンはずっとはぐれIGFのマスク被ってないじゃないですか。(見切りが)早いんです。だって最後に出たの9月ですよ!
(結局3試合しか出ていないが?)3回。この解散が嫌だったら、文句があるんだったら将軍岡本が大仁田厚と地雷爆破デスマッチをやれと。(…そんなの無理じゃないですか)文句があるなら、将軍岡本が受け付けますよ。
(はぐれIGF軍団の活動の総括を?)集団生活できない人たちが集団になっちゃダメだったなと、ハハハ。でも、藤田さんも寮生活を経験してるし、将軍も相撲部屋を経験してる。私も郵便局員時代に寮にいたんですけどね。でも、はぐれIGFの人たちは違いましたね。倫理観が違いました。
(みんな欠如していたと?)常識がない。1人は人間じゃなかったし。甘く見てましたね。解散の報告をしに、一般人になったプロの草むしりのところに行こうとは思っています。だいたい藤田和之は適当なんですよ! 勝手に引退しやがって。将軍だって、節操なく大仁田厚とタッグ組むし。対戦するならまだしも大仁田厚と組む! これがもう解散の引き金。キッカケになりましたね。だって、ケンドー・カシンと闘ってるわけじゃないですか、大仁田厚は。ファイヤープロレスでも闘った大仁田厚と節操なく組むっていう。断ればいいじゃないかって。それなのに、『あぁまた金が入った。今月もシグネットが儲かるな』って。将軍岡本のせいですよ、今回の解散は。(ZERO1 5・6横浜)制裁マッチもありましたし。将軍岡本がすべてですよ。
(解散という選択に悔いは?)もうホントに、1年3カ月ぐらい、短いようで長かったですけど、まったく悔いはないですね。やっと終わりました。
(我々マスコミの期待は裏切る形になったが?)ワハハ! 我々じゃないでしょう! アナタたち2人(週プロ&東スポ)だけじゃないですか! 確かにアオリにアオって何もなかったですね(苦笑)。違いますよ! アナタたちが勝手に盛り上がっただけでしょ! (我々や一部のはぐれ愛好家に対する謝罪の思いはないのか?)ない。ないです。勝手に盛り上がりやがって。もうそんなことどうでもいいから、写真だけパッと撮ってメシ行きましょう、メシ」
将軍「はぁ~どすこい、どすこい」
鈴木秀樹、将軍岡本が会見を開き、はぐれIGFの解散を発表した。はぐれIGFは昨年2月26日IGF・東京ドームシティ大会で藤田和之、鈴木、岡本、ケンドー・カシンが意気投合してユニットを結成、大仁田厚などが旬の存在として飛びつき、一時は藤田を巻き込んで抗争に突入かと思われたが、藤田の"引退"を契機に個々の活動が目立つようになって、ユニットとしては形を失っていた。
鈴木が藤田批判を展開していたが、はぐれIGFの一番の計算違いは藤田の"引退"だった。はぐれIGFは名の通りはぐれものの集まり、本来なら藤田が中心にまとめあげるつもりだったのだろうが、肝心の藤田がユニットという意識がなかったのもあり、プロレスを軸に置こうとしなかった。
カシンにしても藤田をありきで、藤田を中心にすれば他団体からオファーが来ると考えていたはず、現に大仁田が藤田という大きな獲物に飛びついて、一時は大仁田と藤田がにらみ合いまで発展して大仁田vsはぐれIGFの図式まで作り上げかけていた。鈴木は藤田には解散の報告はするそうだが、おそらく「あ、そう」とつれない返事をすると思う。"引退"として活動を休止してしまった藤田にしてみれば、はぐれIGFは今更どうでもいい話ととらえているのかもしれないが、ただ鈴木にしてみればメール攻撃をしてくるカシンよりも、重い腰をなかなか上げようとしなかった藤田の方が一番やっかいな先輩だったのかもしれない。
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「ゴング格闘技」休刊…「ゴング」の名前が再び消える…
格闘技専門雑誌である「ゴング格闘技」が休刊することが明らかになった。
2007年に日本スポーツ出版社の事業停止に伴い、プロレス誌である「週刊ゴング」と格闘技専門誌の「ゴング格闘技」は休刊となったが「ゴング格闘技」だけは発行元を移して復刊、2010年にベースボールマガジン社の「格闘技通信」が休刊に追いやられてからは、唯一の格闘技雑誌となっていた。
2014年に「ゴング」も復刊したが、親会社であるアイビー・レコードが出版業撤退のため休刊、そして「ゴング」格闘技も休刊となると「ゴング」の系譜を継いでいるのは年に4回に出版している「Gスピリッツ」のみとなるが、「ゴング」の名のつくものは消えることになる。
「ゴング」も復刊したが、親会社側は思ったより売れなかったということで撤退してしまい、今回の「ゴング格闘技」の休刊、残念でもあるが、「ゴング」というブランドが消えるというのは寂しいとしか言いようがない。
ゴン格も活動休止 pic.twitter.com/zEexAJ5V8g
— スズキの (@koremou) 2017年3月18日 -
蝶野正洋が休業を宣言・・・・遠くなる90年代のプロレス
<東京スポーツより>
“黒のカリスマ”蝶野正洋がプロレスラー休業を宣言。今後は社会貢献とプロレスを融合させたイベントプロデュース業に専念する意思を固めた。現在、蝶野は代表理事を務める一般社団法人ニューワールドアワーズ(NWH)スポーツ救命協会を通じて、「AED救急救命」「地域防災」の啓発活動を行っている。昨年5月には秋口をメドに「防災イベントの客寄せパンダ」として、2年ぶりのリング復帰プランを明かした。だが現状は、試合から遠ざかっているものの、蓄積されたダメージの影響は大きく「リングに上がれる状況ではない」という。
プロレスラー休業。今回の決断の裏には、レスラーとしての矜持(きょうじ)の問題がある。「新日本プロレス在籍時代はメジャーの誇りを持っていて、それをキープするためには、年間で最低100試合以上をこなさないと、という考えを持っていた。いまはそれに達しておらず、プロレスが本業になっていない」
また、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』の解説者として、新日本プロレスの最前線で活躍する選手たちの活躍を見るにつけ「選手たちは本当に頑張っている。こっちが線を引かないと迷惑だろうし。名前ばかり残って、彼らの老害にならないようにしないと」との思いもある。
テレビ朝日といえば、3月12日に放送された『プロレス総選挙』が、当初はゴールデンタイム放送予定ながら、ワールドベースボールクラシック日本戦が延長に突入し、時間帯が大幅にずれ込みプロレスファンの怒りを買う騒動になった。これについて蝶野は「ファンの気持ちは分かるけど、自分としては特集を組んでもらえただけでうれしいね。テレビ朝日がそういう体制にあるというのは、業界にとってはチャンス。俺がいた頃の10年前、20年前にはなかったこと。業界はその風を読むべき」との見解を示した。
休業を宣言した蝶野は、復帰の時期については明言を避けた。だからといって今後、プロレスとの接点がなくなるわけではない。「いまの自分は、アパレルとタレントのマネージメントをしている『アリストトリスト』の経営と、救急救命と地域防災の社会貢献活動が2本柱。ただ、プロレスに携わらなくなるというわけではなく、ここ何年か考えていたプロデュース業に専念したい」
では、本人が考えるプロデュース業とはどんなものなのか。具体的には、NWHスポーツ救命協会の社会貢献活動とプロレスのジョイントを指すもので、公益財団法人日本消防協会の消防応援団を務めている蝶野は「お手伝いをしている消防のイベントは、街頭で消防団員募集のチラシを配る活動から大きな防災イベントまで、規模に大きい小さいはあるけど、大きなイベントにはプロレスを組み込んでいきたい」とコメント。今年中には、消防の広報、プロレスの社会貢献につながる地域防災イベントを開催する方針だ。
蝶野が考えるプロデュース業はもう一つある。nWoグッズだ。nWoといえば、蝶野が中心となり、1990年代後半に日米で一大ムーブメントを起こしたユニットで、Tシャツについては記録的な売り上げを誇り、日本国内で40万枚近く売り上げたといわれている。現在、アリストトリストはWWEとライセンス契約を結び、nWoグッズの企画・販売を行っており、nWo JAPAN結成20周年にあたる今年は、nWoグッズのバリエーションを増やしていく予定だ。
蝶野正洋が正式にプロレス休業宣言し、イベントプロデュース業に専念することを明かした。昨年は実戦復帰プランを明かしていたが、蓄積されたダメージは半端なものではなく、実は今年も2月8日に開催されたPRE-WRESTLING MASTERSも盟友である武藤敬司からオファーを受けていたものの断っていた。
復帰時期も明言せず、引退もしないが川田利明みたいに「限りなく引退に近い休業」という形となるが、蝶野がいつ試合をしたのかを憶えていないぐらいに試合をしてないことが本当に当たり前のようになってしまっている。休業を決意した理由と体力的なものと、実戦から離れてしまっているのもあったからかもしれない。
蝶野が決意したのであれば仕方がないが、残念なのは全日本プロレスの四天王(三沢光晴、川田、田上明、小橋建太)を含め90年代に活躍している選手で現役を続けているのは武藤や獣神サンダーライガーぐらいになってしまったこと、改めて90年代が遠くなったことを感じてしまう。
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ビックバン・ベイダーが心臓の病気で余命2年の宣告を受けていた!
Told by 2.heart Drs at this time that my heart is wore out from footbal&wrestling I have 2 yrs to live , conjestive hesrt failure reality
— Big Van Vader (@itsvadertime) 2016年11月15日新日本プロレス、全日本プロレス、NOAH、UWFインター、WJ、ハッスル、WWE、WCWで活躍したビッグバン・ベイダーが心臓の病気であと余命あと2年の宣告を受けていることをTwitterで告白した。
ベイダーは昨年デビュー30周年を迎え、今年も新日本プロレスにも参戦しているウィル・オスプレイとも対戦して健在ぶりをアピールしていたが、その後交通事故に遭い顔面を負傷するなどトラブルもあった。
ベイダーも今年で61歳、体調との戦いもあっただろうが、現役を続けていたことは喜ばしいことだと思い、また藤波辰爾もドラディションにオファーをかけることを示唆していた。
おそらく現役続行に関しては医師からはドクターストップがかかっていると思う。自分もここは養生して欲しいし、生きながらえて欲しい。
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パーキンソン病と闘うマサ斎藤がリング復帰へ・・・・
<東京スポーツより>
パーキンソン病と闘うプロレス界のレジェンド・マサ斎藤(74)が、大阪でリング復帰を果たすことが本紙の取材で明らかになった。元新日本プロレス取締役の上井文彦氏(62)がプロデュースするプロレス興行(12月2日、大阪・城東区民センター)に“メーンイベンター”として登場するというのだ。上井氏は「マサさんのための大会です」と言い切り、斎藤も「這ってでも大阪に行く」と話している。大会名は「STRONG STYLE HISTORY〜Go for Broke!! Forever〜」(ストロングスタイルヒストリー〜ゴー・フォー・ブローク・フォーエバー)。斎藤のレスリングスタイルと口癖が大会名にされていることからも、斎藤が主役ということがわかるだろう。
大会をプロデュースする上井氏は「長年プロレス界に多大な貢献をしてきたマサさんにプロレス界は何の恩返しもしていない。ないがしろにしすぎ。パーキンソン病と闘っているマサさんをプロレス界全体でバックアップしてほしいんですよ。その呼び水になる大会にしたいんです」と趣旨を語る。
6〜7試合が行われる予定で、アマレススタイルからロープを使わない第1次UWFスタイル、総合格闘技的なものと、まさに斎藤が歩んできた格闘人生を再現する構成になるという。そして斎藤はメーンイベント終了後にリングイン。不屈の闘志で病魔と闘う姿を披露し、口癖である「Go for Broke!!」を観客とともに叫ぶ段取りだ。
上井氏からのオファーに斎藤は「16年もパーキンソン病を患っているので、いつどうなるかわからないが、当日は這ってでも大阪に行く」とキッパリ。現在はリハビリにさらに気合を入れて取り組んでいるそうだ。2020年東京五輪に何らかの形で関わることが目標の斎藤にとっては、この大会が大きな心の張りとなったのは言うまでもない。
当日、会場にはプロジェクターが設置され、弟子のスコット・ノートンをはじめとする斎藤ゆかりの人物からの応援メッセージが紹介される予定だが、実際に会場に駆けつけるメンバーも豪華版だ。まず、元新日本プロレスの過激な仕掛け人・新間寿氏(81)。斎藤とは立場こそ違え、新日マットを盛り上げた盟友と言えるだろう。
さらに初代タイガーマスクの佐山サトル氏(58)、初代ブラックタイガーの“ローラーボール”マーク・ロコ氏(65)、3代目タイガーマスク、5代目ブラックタイガーが登場。悪性リンパ腫を2014年に発症した元新日本プロレスの垣原賢人氏(44)もミヤマ仮面に扮して「忍者体操」を披露する。
そして、レフェリーのひとりとして参加するのが保永昇男(61)。ジャパンプロレス以来、斎藤と行動をともにしてきた保永は「マサさんのためなら、ひと肌もふた肌も脱ぐ」と上井氏に約束したという。まさに多士済々。しかも「ストロングスタイル」という芯が一本通った侍ばかりだ。上井氏は「ストロングスタイルが全盛だったあのころを再現しますよ。マサさんもプロレスラーだから、リングに上がれば元気になる」と目を輝かせる。師走の浪速は、マサ斎藤とストロングスタイルの復活祭になりそうだ。
☆うわい・ふみひこ=1954年4月4日、山口県下関市生まれ。77年、新日本プロレス入社。85年、新日本を退社してUWFに移るも翌年復帰。営業、渉外、マッチメーカーなどを歴任。87年のアントニオ猪木VSマサ斎藤の巌流島決戦を企画したほか、星野勘太郎総裁率いる魔界倶楽部の生みの親でもある。2004年に新日本を退社。「UWAI STATION」などを旗揚げしたが、08年の西口プロレスの興行を最後に活動を休止していた。
☆まさ・さいとう=本名は斎藤昌典(まさのり)。1942年8月7日、東京都中野区出身。明大卒。64年東京五輪レスリング日本代表。翌年、日本プロレス入り。68年に渡米し、全米でトップヒールとして活躍。82年以降は長州力の維新軍、ジャパンプロレスに参加。87年にはアントニオ猪木と巌流島で決闘した。99年に現役を引退。全盛時は180センチ、120キロ。得意技はバックドロップ、監獄固め。
パーキンソン病を患い、闘病中のマサ斎藤が上井文彦氏がプロデュースするプロレス興行でリング復帰することを東京スポーツが報じた。
斎藤の近況はダイヤモンドリング閉鎖後は夫人と共に東京へ転居、パーキンソン病の治療しつつトレーニングを続け、「東京オリンピックでは聖火ランナーを務める」とトレーニングをしている姿を披露して健在ぶりをアピールしていた。
<パーキンソン病とは>
パーキンソン病の症状 パーキンソン病では、主に、手足がふるえる(振戦)、動きが遅くなる(無動)、筋肉が硬くなる(固縮)、体のバランスが悪くなる(姿勢反射障害)、といった症状がみられます。 これらによって、顔の表情の乏しさ、小声、小書字、屈曲姿勢、小股・突進歩行など、いわゆるパーキンソン症状といわれる運動症状が生じる、近年はWWF王者だったペドロ・モラレスも同じ病気で闘病中だという。斎藤は新日本での引退後にパーキンソン病を発症、WJプロレス参加後に症状が現れはじめ、WJプロレス崩壊後は表舞台から消えるも、佐々木健介が健介オフィスをオープンさせた際に斎藤をアドバイザーとして招聘、その際にパーキンソン病であることを告白した。
東京オリンピックの聖火ランナーの話のときは20年まで頑張って欲しいなと思っていたが、リング復帰を果たせるまで体に自信が出来たということか、斎藤も74歳なだけにあまり無理はして欲しくないが・・・
大会には初代ブラックタイガーであるマーク・ロコ氏も来日、今月末に発売される「Gスピリッツ」ではインタビューが掲載されるという。ロコ氏も引退後には表舞台に出ることはなかったが、WWEヨーロッパ遠征の際にはNXTでGMを努めるスティーブ・リーガルと対面するなど健在をアピールしていた、初代ブラックタイガーもダイナマイト・キッドに次ぐ初代タイガーマスクのライバルの一人でタイガーマスク時代の生き証人の一人、あの時代のことをどう振り返ってくれるのか・・・
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拳剛も離脱…デビュー20周年のTARUは一人でブードゥー・マーダーズを背負っていく
9月2日 「TARU20周年興行~悪そうなヤツは、だいたい友達~」新宿FACE 266人 満員
<アピール、コメントなどは週プロモバイルより>
◇第1試合◇
▼悪そうなヤツらの華麗なルチャ/20分1本
○ツトムオースギ ヘラクレス千賀(5分37秒 ウラカンラナ)佐藤悠己 XCHANGO◇第2試合◇
▼喧嘩上等!!悪そうなヤツらの因縁対決!/20分1本
○フジタ“Jr"ハヤト(11分47秒 片エビ固め)X拳剛
※ヘルム(試合終了後)
ハヤト「第2試合で空気も読まず、勝っちまって、しかもマイクを持つなんて、本当にありえないんですけど、ちょっとだけ時間をもらいます。まずTARU選手、20周年おめでとうございます。そしてこんな素晴らしい大会で、こんな俺を使っていただきありがとうございます。きょう試合が組まれて、試合が終わったら、勝っても負けても言おうと思っていたことがあります。拳剛、みちのくプロレスに来て、俺たちBADBOYと一緒に、組みますか? 組みませんか? いや、組みましょう。たまたま、見てくれもこんななんですけど、同じような匂いがプンプンしますし、この次の次、BADBOYほかの3メンバーも出るんで、俺と組んでセコンドにつこうか。どうですか?」(TARUが花道に来る。)
TARU「拳剛、情けないのうオマエ。負けたんか? オマエみたいなもんはブードゥ・マーダーズに必要ないんじゃボケ! オマエはさっさとどっかいってまえ、ボケアホ!」【試合後のハヤト、拳剛】
ハヤト「この対戦カードが組まれて、その前からもZERO1の会場でちょくちょく会ったり、舎人興行で対戦相手としていたりしてて、拳剛がケガして帰ってくるまで待っていようと思ってたら俺もケガして、タイミング的に俺がちょっと早く復帰して、いつか帰ってきたら熱い試合ができればいいなと思ってて組まれた試合で。試合するまではもちろん負けちゃいけないし、負ける気もないし。かといって胸を貸すつもりもないし。みちのくにBADBOYというユニットがあって、似たような雰囲気で、似たような面構えで負けん気も強いし。BADBOY4人でやってきて、別に4人でもいいかなと思ってたけど、新しい顔が入ればみちのくも盛り上がるし、メンバーに入れたいのは誰だろうと思ったら拳剛だった。俺たちよりももっともっと上の先輩たちと一緒に動いてきて、やりにくかった部分もあるだろうし、俺らが誘ったことによってそこから抜けなきゃいけない。今日一番大変だったのは拳剛だと思うし。でもあれぐらい上の先輩たちと一緒にいたら、そこを立てるためだけのレスラーになってしまうから。俺たちは、俺らみたいな中堅ぐらい…自分の中では若手だと思ってるけど、中堅になりつつあるレスラーぐらいのところが目標じゃ、俺たちの上には到底勝てないよ。俺らがガキの頃から見てた人たちを倒して、『オッサンお疲れでした』って言ってあげた方がいいと思うし。そういうためにBADBOY、いやみちのくプロレスってレベル超高いから。みんないろんなところでもまれて、いろんな人たちとやってもまれて負けて悔しい思いして。そこで得たうれしかったこともあるだろうし。そういったレスラーと試合した方がためになると思って誘った。プライベートは仲いいし。でも仕事になったらそこは関係なくできちゃうところもBADBOY寄りだと思うので。俺が誘えば来てくれると思ったし、今日に関してはBADBOY4人揃ってるんで。アニキたちのセコンドについて、すぐそこで勉強ができるいい機会なんでよかったですよ」拳剛「紅白プロレスでBADBOYとブードゥーの抗争というのがあって、それ以前にも舎人一家興行で村上和成&フジタ“Jr"ハヤトvs長井&拳剛という試合があって、そこで初めて試合してんけど、この人は半端ないなという印象で、今日までフジタ“Jr"ハヤト、一切衰えることなく、やっぱり強いし、BADBOYというユニット素晴らしく魅力に感じます。ブードゥーもずっとそうやったけど、BADBOYは仲良しこよしだけのユニットじゃないから、みんなそれぞれがライバル。俺がここに入るからって一切、俺は下手に回るつもりないし、ほかの4人よりも俺が一番強いって自信もって言えるように、これからも頑張っていくつもりやし。BADBOYだけじゃなくみちのくプロレスも俺が引っ張っていくつもりで東北参戦、今日決意しました。オジキああやって言ってたけど、ホンマに今日までこんな出来損ないの俺をよく面倒見てくれたなと思います。オジキがいたから今の俺がいるし、ブードゥーでやってきたことに自信もってるから。もちろんみちのくには凄ぇ先輩いっぱいいるの知ってるよ。でも俺だってDIAMOND RING、ZERO1、天龍プロジェクト、メビウス、ダブ、いろんな団体に上がってきて経験に自信持ってるし、それを東北でみせるだけです」
ハヤト「まぁ、勝手に俺が言っちゃったんで、みちのくには何も言ってないんで。でもいいんじゃないですか、みちのくも俺とか卍とか、南野タケシ、Ken45°に任せてると思うんで。みちのくも試合いっぱいあるし、そこでいろいろ勉強してもらえればいいなと思いますし。みちのくの今のチャンピオンはやばいからね。それはたぶん一番知ってると思うし、みちのくのトップになって帰ってくると言った以上、卍丸とは同じチームだけど、やらなきゃいけない時もくるし。これからみちのくプロレスが面白くなりますよ。こういう場を借りてみちのくの宣伝をしちゃう俺とか、やばいですよね。空気を読まない。みちのく最強のチームなんで、ようこそ(と拳剛と握手)」
拳剛「TARUさんとはこれでお別れということになりましたけど、TARUさんへの恩は忘れてないんで、何かあったら俺はいつでも力を貸しに帰ってくる。ありがとうございました」
◇第3試合◇
▼悪そうなヤツらはランバージャックSM&カマ地獄スペシャル4WAYマッチだ!/無制限1本
○関本大介(11分25秒 ジャーマン・スープレックス・ホールド)×忍
※あと2人は大鷲透、円華◇第4試合◇
▼悪そうなヤツら集結!バッドボーイvs魔界水軍 仁義なき戦い/30分1本
九鬼義隆<葛西純> 村上武吉<真霜拳號> ○俵藤太<バッファロー>(12分24秒 エビ固め)XKen45°卍丸 南野タケシ
※スピアー◇第5試合◇
▼THE 女子プロ…金曜日の悪そうな女たち!/30分1本
○ジャガー横田 藪下めぐみ(分秒 ラ・マヒストラル)ダンプ松本 ×ライディーン鋼◇第6試合◇
▼クソ感謝。〜20年の軌跡〜/60分1本
○ウルティモ・ドラゴン KAMIKAZE TAKAみちのく(17分51秒 ラ・マヒストラル分秒)×TARU 諏訪魔 菅原拓也(試合終了後)
TARU「どいつもこいつもクソヤローが! 京平、足痛い言うたやろ! ロープ触ってるやろ! クソ、オマエ呼ぶんじゃなかったわ(場内笑)。20年の恨み、きょう晴らすことないやろ! 俺もオマエも、十分あの事件で反省しとるのや。まあ、最後にマイクを持って何かしゃべって、きょう来てくれたクソヤローどもに何かしゃべらなアカンから言うけど、オマエらその前にきょうはこの俺と、組んでくれた諏訪魔に拍手! 諏訪魔、よう来てくれた。ありがとう。それと菅原、いつも俺を見守ってくれて、ありがとう! きょうはホントに俺の20年ということで、20の成人式いうことで、KAMIKAZEのアニキ。いつもはこっち側にいるけど、敵になってくれて思いっきりやってくれてありがとう! やっぱりアニキは年下やけどアニキやね。これからもずっとアニキでおってくれ。久しぶりやったな、涙出そうになったわ。ROD、TAKAみちのく。久しぶり、ブーブーモーモーズ聞いたわ。言っとくで、ブードゥ・マーダーズやからな。それよりきょうは俺の大師匠…そう、こうやって20周年、オマエらの目の前にこうやって足痛めたけど、立てたのは、この人のおかげや。ウルティモ・ドラゴン校長、ありがとう!(ウルティモはソンブレロをTARUの頭に)一番似合わへんやつや(苦笑)。どうでもええから、きょうは被っとくわ。
いろんなことあって20年、きょう一日でオマエらに伝えることはすげえ難しいし、限られた時間でやらなアカンのもホント悲しいけど、そのへんプロレスファンの、TARUファンのオマエらやったらわかってるやろ。20年は一生に一回しかないからな。きょう来た客は、来なかった客に、思いっきり自慢したれや。普段はのう、ヒールでブーブー、ブーブーモーモーズじゃないけど、言うとるけどよ。きょうだけはオマエら全員にクソ感謝や。ホントおおきに。そういうことできょう集まってくれた選手、一回全員集まってくれや。こんなことはめったにないからよ。(選手たちがリングへ)悪い者ばかり集まって語ることもないから、写真に収めてきょうの記念に持って帰ってくれ。拳剛もみちのく行って頑張れよ
」【試合後のTARU&諏訪魔&菅原】
TARU「せっかくの20周年、俺が勝ってみんなに『これでこそブードゥー・マーダーズ』ってみせたかったけど、拳剛にあんだけ言って俺がこのザマで申し訳ないけど、これもプロレスっちゅうことで、今日は役者が多いわ。俺の出る幕やなかった。でもあんだけ足痛い、体硬いからやめろって言ってんのに、(和田京平レフェリーは)ロープ握ってもブレークせんかった。あれワザとや。20年の恨みやな。(諏訪魔と菅原に向かって)今日はホントありがとう。来てくれてうれしかったわ。この3人揃ったらホンマならプロレス界で最強やけどな。校長にも負けんつもりやったけど、校長は華あるな。俺も衣装にスパンコールつけるか。今日は感無量や。おおきに。みんながいたから俺の20周年ができたっちゅうことは間違いない。そういうこっちゃ。二人に俺の悪口を聞いてくれ諏訪魔「ヒールの20周年、どうなのかなって思ったけど、めちゃくちゃのヒールっぷりの試合になるのかなって楽しみにしてた。そこはヒールを越えた男の背中をみせてもらって勉強になりました。まだまだ20周年目指して頑張りたいと思います
菅原「20周年っていったらイチ通過点で、これから憎き大仁田もいるし、これを通過点にこれからまだまだTARUさんと一緒に生きたいと思います。おめでとうございます」
――20周年を迎えられた秘訣は?
TARU「金村キンタローが俺に『プロレスラーは絶対引退したらあきませんよって言っておいて、引退するからな。でも藤原組長、藤波さん、みんなまだ頑張ってるからね。俺みたいな中堅クラスがブーブー言うとったら申し訳ないから、今の若い奴らにもっと怖いジジイをみせてやらんと。女子の試合も凄かったでしょ。本当の女子プロレス。今日の興行、俺は見てて楽しかった。こういう面白いのがあるからまたプロレスやろうと思うし。楽しい時の感覚が忘れられへんし、生きがいがあるからやってると思うし」
――これからも生き方は変わらない?
TARU「もちろんや。ヒール一本で。たまにバッファローと外れたみたいなことやってるけど、それも全部ヒールの肥やし。いかに悪いことするにはどんだけいい人ぶるかも勉強やし。生きてること全てが勉強。生涯ヒールや。腕に彫ったろか『生涯ヒール』って」
――25周年、30周年を目指す?
TARU「月並みな言葉でみんな目指すって言って、やれたらありがたいことやけど、俺は地震4回も経験してるからね。いつ何時、死ぬかわからんからね人間は。今こうやってインタビュー受けとっても、この帰りに交通事故にあって死ぬかもしれん。だから明日のことはわからへんから、今全てを全力で生きようと。この年になって、20年を迎えて毎日毎日、目覚めたら頑張ろうと思いますよ。体が痛くても。拳剛もみちのくに行ってどこまでやれるかわからへんし、自分が試したいことを自分で確認してやっていかんとあかんし、俺もそうやって自分で確認してやってきた20年やったから。かわいい子には旅をさせよというか、そういう感じであいつにも飛び出してほしい。ブラザーもそうやったし。ブードゥーってユニットやけど、仲良しこよしやないからね。自分が思ったところに行ったらええし、何か困ったことあったら言えばええし。BADBOY、まれに見るええチームやと思う。だから勉強してきてほしい」
※拳剛がやってきて
拳剛「オジキ、今日までありがとうございました!」TARU「いつまでもブードゥーにおってもしょうがないしな、俺は弱い奴、好きやないねん。東北でも行って勝手に死んだらええと思うわ。それがお前が選んだ道やからな。どこでも行ってこい。金輪際、ブードゥーには戻ってくるなよ」
拳剛「頑張ってきます! お世話になりました!(と去るTARUの背中に向かって一礼)」
TARUのデビュー20周年記念興行が開催され、メインは主役のTARUが元VMの諏訪魔、ZERO1や超花火で共闘している菅原と組み、闘龍門からの縁であるウルティモ、菅原同様ZERO1や超花火で共闘しているKAMIKAZE、全日本プロレス時代ではRODとして敵対していたTAKA組と6人タッグで対戦、TARUの指名で和田京平がレフェリーとして裁いた。
試合はTAKAのマイクアピールでTARUが奇襲をかけて試合開始となり、諏訪魔とKAMIKAZEが場外でイスチャンバラを展開、リングに戻るとKAMIKAZEは諏訪魔に急所蹴りで悶絶させる。主役のTARUはウルティモをラフで捕らえ、諏訪魔や菅原と共に集中攻撃を加える。
しかしウルティモもコルタバで反撃するとKAMIKAZEはTAKAと共にTARUを捕らえ、ウルティモはジャベで捕獲するなど集中攻撃を加える。
必死でロープに逃れたTARUは諏訪魔に交代、諏訪魔はエンジン全開で試合を盛り返し、TAKAにブレーンバスターで投げたところで菅原に代わるも、TAKAが串刺しニーで応戦する。
終盤にTARUが登場するがウルティモがドロップキック、打撃のコンポ、ソバットで動きを止めると、TAKAはスーパーKやセカンドロープからのムーンサルトで援護、TARUは踵落としやトラースキックで応戦するが、TARUドリラー狙いをウルティモが逆さ押さえ込みで切り返すと、TARUがクリアしたところでラ・マヒストラルで3カウントを奪い、TARUはデビュー20周年を勝利で飾ることが出来なかった。試合後は京平レフェリーに悪態をつきつつも5選手に感謝の言葉を述べた。
TARUを生で初めて見たのは闘龍門JAPANから、TARUはCIMA、SUWA、スモー・フジ(ドン・フジイ)らと行動を共にCRAZY MAXの一員として活躍し、時にはCIMAらのマネージャー兼まとめ役、選手としては“ハリウッド”ストーカー市川相手にコミカルプロレスを展開していた。
そんなTARUが闘龍門JAPANからDRAGON GATEに団体が変わると退団、退団理由はウルティモ・ドラゴンが団体運営から撤退、またCIMAとの確執と言われているが明らかにされず本人も口にするつもりはない。そして2005年に戦場を武藤敬司体制の全日本プロレスへと移してヒールユニット“ブードゥー・マーダーズ”を結成、最初はジョニー・スタンボリーと二人だけで始めたユニットだったが、次第にチャック・バルンボなど外国人選手を引き込んでいったが、同じくDRAGON GATEを去っていった近藤修司と"brother"YASSHIが合流、2006年1月に小島聡の保持していた三冠統一ヘビー級王座にも挑戦して敗れたものの、試合後には諏訪間幸平が突然小島に襲い掛かりVMへと合流、リングネームも諏訪魔に改めた、この時期のVMはベストメンバーであり全盛期だったと思っている。
その後小島やジョー・ドーリングも加わるなどしてメンバーが入れ替わり、諏訪魔も近藤もVMから離れYASSHIも一時的にマット界から去っていったが、TARUは必死でVMを継続させた、しかし2011年に平井伸和への暴行事件が明らかになると全日本はVMを強制解散させ、TARUはプロレス界から去るもTARUは事件が起きようが起きまいが、全日本でのVMは行き詰まっており、解散か全日本からの離脱の選択肢しかなかったという。
2012年にリング復帰を果たしたYASSHIの呼びかけでVMがフリーのユニットとして復活、TARUもリング復帰を果たしたがYASSHIがVMを離脱してしまうと、拳剛と二人だけのユニットとなり、現在は個々の活動が中心となってしまったが、拳剛もハヤトの誘いを受けてBAD BOYS入りを決意しみちのくプロレスへ参戦することになった。
TARUは愛弟子・拳剛にエールを送って大会を締めくくったが、リング復帰やVM復活のきっかけを作ったYASSHIも去り、拳剛もTARUの元を去って、VMはTARU一人だけとなった。
TARUにとってVMとは何かというと、自分の育てたユニットであり、自分の居場所、武藤敬司体制の全日本プロレスが生みの親なら、TARUが育ての親でもある。
VMはTARUが一人で背負うことになったが、TARUがいる限りVMには終わりはない。
TARU選手デビュー20周年、おめでとうございます
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「カッキーエイド」開催、垣原賢人さん激励にUWF戦士が集結!前田日明も登場!
8月18日 「Moving On〜カッキーエイド〜垣原賢人応援大会」後楽園ホール 1104人 満員
<アピール、コメントなどはプロレス格闘技DXより>
◇第1試合◇
▼第2次UWFルール(5ノックダウン制)/15分1本
○松井大二郎(6分15秒 胴締めチョークスリーパー)X橋本和樹
◇第2試合◇
▼15分1本
岡林裕二 ○関本大介(10分14秒 ジャーマンスープレックスホールド)上山龍紀 X田村和宏
◇第3試合◇
▼15分無制限ラウンド
○菊田早苗 KEI山宮(8分37秒 胴締めチョークスリーパー)バラモンシュウ Xバラモンケイ【試合後の菊田&山宮】
――普段戦うことのない相手との試合だったが?
山宮「ビックリしましたね。聞いている話と全然違ったので、本当にビックリしました」
菊田「本当に水と油でしたけど。最初は冷静にと思ったんですけど、メチャクチャやってくるんで、やり返しました」
――垣原さんに対する思いは?
山宮「垣原さんはプロの世界に入る前からファンでした。今回呼んでいただけて光栄です。強敵だと思うんですけど、必ず勝ってくることを信じてます」
菊田「20年前から知っている先輩なので、ちょっとでも協力できて嬉しいです」
――躊躇なく墨汁を口にしていたが?
菊田「ちょっとやりたい放題だったので、やり返しておかないと収拾がつかないというか。勝っても気持ちよく終われないんでね。これ、本物の墨汁なんですね。苦いというか、ヒドいですよ。まあ、何とも言えない感じです」
――想定していた一族はやはりグレイシー?
菊田「坂口家とも縁があるんで、いろんな部分で考えてたんですけど。普段は格闘技をやっているんで、ちょっと意味がわからなかったですけど、お客さんは沸いてたんでね」
◇第4試合◇
▼20分1本
○藤原喜明 中野巽耀 田中稔(13分51秒 脇固め)X佐野巧真 成瀬昌由 金本浩二
◇休憩後◇
(カッキー応援隊代表の山崎一夫さんが挨拶)
山崎「この会場の熱気を聞いて、カッキーは必ず元気になって戻ってきてくれると信じてます。そして、この声援を聞いてカッキーはおそらくこのリングに上がりたくてウズウズしていることと思います。さて、きょうここに3人の御来賓がいらっしゃいますので、ご紹介したいと思います」
(丸藤正道登場)
丸藤「若干場違いと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、僕が練習生の時に垣原さんは高山さんと一緒に、次のステージに上がるために僕とともに毎日受け身を練習したという間柄でもあります。僕が思うに人の力、そして仲間の力、プロレスの力、僕はすごい力があると思ってます。きょうお集まりのみなさん、スタッフのみなさん、レスラーのみなさん、そしてこんなにたくさんのファンのみなさん、みんなで最高の空間を作ってそれを垣原さんのパワーに変えたいと思います。きょうは応援ゲストという形ですけど、次回もし何かある時はぜひともコスチュームを着て、このリングに立ちたいと思います」
(桜庭和志登場)
桜庭「僕のUインターの時の先輩の垣原さんがいまガンと闘っています。みなさん応援してあげてください。よろしくお願いします!」
(前田日明登場)
前田「本日は後輩、垣原のためにこんなにもたくさん集まっていただきましてありがとうございます。でもみなさん、心配しないでください。レスラーは、ガンとかでは死にません。垣原が出たらみんな言ってやってください。ガンぐらいで、オタオタすんじゃない! コイツはね、UWFに入門した時に垣原と話をした記憶があまりないんですね。なんでかって言うとね、当時垣原は入門テストを受けてですね、冨宅君と2人で一番元気があった鈴木、船木そのほか当時いたいろんなUWFの面々。もう朝から晩まで実験台ですね。みっちりしごかれてですね、そのうえ寝技のスパーリング、打撃、極まっても極まってもダウンしてもダウンしても、毎日毎日ですね、普通の人間だったら一日どころか1時間でも逃げ出すような、そういう練習をずーっと毎日毎日やったんですね。当時船木にしても鈴木にしても、あんまりそんなに追い込んだら壊れちゃう、ダメよって何回言ってもわかんないんです。でも、アイツは辞めなかったですからね。たぶんいまのレスラーだったら地獄のように思って続かない…まあ、そういう練習を何年も何年も続けて、コツコツと少しずつ少しずつ実力を溜めてやってきた。自分たちの師匠にあたる人はカール・・ゴッチ。みなさんご存知ですけど、ただの人じゃないんですね。ゴッチさんはよく当時、ある人に言われたことで『プロレスラーなんでしょ?』と言われた時に、ゴッチさんは『アイム・リアル・ワン』と。自分たちは、その"リアル・ワン"の弟子なんです。ただのプロレスラーではありません。だから垣原にもう一度言います。ガンぐらいでオタオタするんじゃない、垣原! オマエは、リアル・ワンのプロレスラーだろ? 家に行ったら、子供の前では父親だろ! だったらもっとしっかりしろ、しっかり! こんなにも大勢、オマエのために集まってきてくれて、こうやって応援してくれてるじゃないか。普通の人だったら怖がるような病気を治してきたかというのを、リアル・ワンのプロレスラーが見せてやればいいじゃないかい! もう一度言うぞ、オタオタすんじゃねえ、垣原! ありがとうございました」
山崎「一つだけいいですか。垣原に前田さん流のコメントをいただきました。そして、これはいま僕がしゃべることは予定になかったんですけども、実は垣原の悪性リンパ腫が発覚する前に、だいぶ僕と垣原と高山なんかが集まってですね、そろそろみんなで集まりたいねって話をしていて、このような形になってしまって。田中稔選手を始め、いろんな方がこの会場を大日本さんが提供していただいて、準備していただいた。結果的に考えてみれば、ここに前田さん、桜庭選手、丸藤選手、出場してくれた選手を集めてくれたのは、垣原なんです。カッキーありがとう!」
【丸藤の話】
丸藤「(あらためて垣原さんとの思い出は?)ボクが練習生の頃、垣原さん、髙山さんっていうのは、スタイルの違いを克服するために、練習生のボクといっしょになって、過酷な練習を、本当にキツい練習を、キャリアを積んでいたなかでもやっていたので。実際にボクもスパーリングをしてボロボロにされたこともあるし。三沢さんがいたときに同じユニットにもなったことがあるし、試合したこともあるし、自分のなかでは非常に思い入れの深い人なので。前田さんがリング上で言ってましたけど、垣原さんはそんなものには負けないと思ってます。必ず、またリング上に戻って来て、みなさんの前でカッコいい姿を見せてくれると思っているので。プロレス界でも力を合わせて、垣原さんのためにできることをしたいなと思ってます」桜庭「(垣原さんとの思い出は?)思い出というか、オレンジ色のコスチュームを着ているのは、垣原さんから“使ってみたら?”って言われたからなんで、いまオレンジを使っているのは垣原さんのおかげですね。(病気のことを聞いたときは?)ビックリしましたね。(自分なりにできることをしたい?)そうですね。頑張ってくださいっていう、そういう言葉しかないですね」
◇第5試合◇
▼ダブルバウト カッキーエイド特別ルール/20分1本
金原弘光 ○高山善廣(13分19秒 KO)川村亮 X伊藤崇文
※エベレストジャーマンスープレックス
◇第6試合◇
▼垣原賢人推薦試合〜Back to “1989 UWF DOJO"〜/30分1本
船木誠勝 ○鈴木みのる(17分26秒 片エビ固め)長井満也 X冨宅飛駈
※ゴッチ式パイルドライバー
(試合後)
鈴木「ただいま御勝利に預かりました、ホントはいいヤツなんだけど、世の中では世界一性格悪い男と呼ばれる鈴木みのるです。きょうはなんで、コイツらと闘ったか。きょうなんで、俺が船木と組んだのか。それはすべて、コイツに明日生きる力を、俺たちとみんなで与えるためだ!」
船木「そろそろ、きょうの主役、垣原を呼び込みたいと思います。垣原賢人、入場!」
(垣原登場)
「ただいま! みなさんの応援のおかげで、ここに戻ってくることができました。本当に、ありがとうございます。(場内は垣原コール)僕の体の中に潜んでいる悪性リンパ腫は、とてもしつこいガンです。ですので、これからも長い長い闘いが続くと思います。でも、僕は絶対に負けません。UWFは、強いんです!(場内はUWFコール)きょうはUWFの先輩、同期、後輩のみなさん、それに大日本の選手から大きな刺激、パワーを受けました。本当に感謝してます。そして娘のアイドルグループ、バクステも僕に元気をくれました。ありがとね。僕は、この病を必ず克服します! そして、同じ病で苦しんでいる人たちの希望の光になります。きょうはみなさん、どうもありがとうございました」
【垣原さんの話】
――大会を観た感想は?
垣原「まず自分のために応援大会を主催してくださった田中稔選手、藤本さん、カッキー応援隊の皆さん、そして会場を提供してくださった大日本プロレスさんに心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。今日は熱意が、僕に対する思いがファイト内容から凄く伝わってきました」
――特別に退院の許可をもらって参加した?
垣原「今は入院しているわけじゃなくて、通院という形でやっています。ただ、どうしても免疫力が低下していて、人混みに入ってしまうと、咳がひどくなって、何度か肺炎にもなったりしたので、その辺は凄く注意するように主治医から言われておりまして、なるべくマスクを付けるように義務づけられているんですけど。でも、調子は上がってきてます」
――久しぶりにリングに上がった感想は?
垣原「やっぱりもともと自分が育った場所なんで、帰ってきたなという気持ちでしたね。感無量と言いますか。帰ってきた、ただいまという気持ちでした」
――お嬢さんは格闘技経験があった?
垣原「格闘技はやってないですけど、僕は相模原の方のキッズ教室で掌底を教えていたことがありますんで、それで掌底が得意でね。まだまだ塩っぱいですけど」
――前田氏からの熱いゲキは?
垣原「控え室でもいろんな話を聞かせていただきまして。まずは気持ちを強く持てということで。みんなわかっているかもしれないですけど、僕はチキンハートというか、心が弱いところもあるんで。前田さんは新弟子の頃から知ってますから、そこを突かれましたね。気持ちを強く持てということを凄く言われました。あとは食事療法だとか、悪性リンパ腫に非常に効果的な治療方法をいくつか教えていただきまして。たぶん僕のためにいろいろと調べてくださったと思うんですけど、それは間違いなく効果的だと思うので、さっそく取りかかりたいなと思っています」
――今後の治療スケジュールは?
垣原「抗がん剤を6クールやったんですけど、この先、約2年間、分子標的薬というのをこれからも点滴で定期的に続けていくという形なんですが、それだけに頼らず。前田さんも抗がん剤だけに頼るのはよくないとおっしゃっていたので、東洋医学の漢方だったり、湯治だったり、そういう東洋的なもので。食事療法もそうなんですけど、そういったもので治していきたいなって。自分が知らない治療法もあると思うんで、前田さんのアドバイスだったり、日本全国各地に行って、悪性リンパ腫に有効な治療方法があれば、それに取り組んでいきたいと思っています」悪性リンパ腫で闘病中の垣原賢人を激励するために「カッキーエイド」が開催され、かつての元UWF、元UWFインター、元リングス、パンクラス、GRABAKAのU系の選手が揃っただけでなく、大日本プロレスやWRESTLE-1からも選手が参戦、休憩後にはUWFインター時代の後輩である桜庭、全日本やNOAH時代の後輩である丸藤、UWF時代の大先輩である前田も登場し垣原に「ガンでオタオタするな」と激を飛ばしエールを贈った。
大会も第三試合には当初GRABAKA勢の相手は大物一族と交渉中とされ、相手はグレイシー一族ではという声が出ていたが、相手に登場したのはバラモン兄弟でGRABAKAvsバラモン兄弟の異次元対決が実現、試合はGRABAKAがグラウンドや打撃で圧倒するが、菊田の腕十字にシュウが捕まるとケイが水を噴射してカットに入ってからバラモンワールドにGRABAKA勢が引きずり込まれ、バケツ攻撃やボウリング、とやりたい放題でGARABAKA勢を翻弄、しかし菊田がバラモン兄弟が持ち出した道路標識を奪って一撃を加えるとケイを胴絞めスリーパーで捕獲して勝利を収め、試合後もバラモン兄弟が腹いせに墨汁ミストを菊田に噴射すると、菊田も墨汁ミストをやり返すなど館内を大いに沸かせた。
メインは船木と鈴木がタッグを組み、長井と冨宅組と対戦。船木と鈴木が組むのも武藤・全日本以来で愛憎関係は継続しているものの、今回はカッキーエイドということで握手をかわして試合に臨んだ。
試合は船木、鈴木組が主導権を握り、現在NOAHでヒールをやっている鈴木が場外戦でイス攻撃を繰り出せば、船木も付き合い冨宅をイスで殴打する。
長井組も反撃して鈴木を捕らえ、長井が魔界ドライバーから冨宅がランニングローキックを浴びせてから同時に腕十字を決め、冨宅も鈴木にカッキーカッターや膝十字と垣原の必殺技を決めるが、張り手合戦で鈴木が競り勝つとゴッチ式パイルドライバーで3カウントを奪い、メインを勝利で飾った。
全試合終了後に垣原が登場。「僕はこの病を必ず克服します。そして、同じような病気で苦しんでいる人たちの希望の光になります」と病気に打ち勝つことを宣言した、7月に自分が胆石で入院しにFacebookで報告した際に垣原さん(ここからさん付けにします)は「お大事になさってください」とメッセージを贈ってくれた、だから自分もお返しとして垣原さんに「頑張ってください」「ガンに負けないで」とエールを贈ります -
200%の完全燃焼・・・安生洋二引退!
3月19日 安生洋二引退試合〜Y.A IS DEAD〜 後楽園ホール 2127人 超満員札止め
(コメント、アピールなどは週プロモバイルより)
◇オープニング◇
(リングマットはUWFインターナショナルのロゴマーク入り。開始予定時間を7分過ぎて「まもなく試合を開始致します」とアナウンスされると会場から拍手が起こる。
全試合開始前にオープニングアクトとして、安生が「オレのプロレス人生に欠かせない大物」というXによる開会宣言。客席から「高田!」と声が飛ぶ。前田コールも起こる。テーマ曲がヒットし大前田コール。登場したのはレイザーラモンRG。大ブーイング。)
RG「どうも、前田日明です。ごちゃごちゃ言わんとね、Uインターあるある歌わせてください。じゃあUインターあるあるをUインターの皆さんが飲んだあとに必ず歌っていたハウンドドッグの『ブリッジ』に乗せて歌わせてください。デンデンデデーン♪ Uインターぁ、あるあるぅ、言いたいよ、今ぁ♪ Uインターのぉ、あるあるうx言いたい♪ 思い出なんか~吹き飛ばしてぇ、Uインター、あるある言いたい、ファーラウェー♪ 時は流れていくよ~♪(略)Uインターの練習生はぁ、夜逃げしがち~♪(拍手が起こる。)ありがとう! それでは前田日明が開会宣言したいと思います!」
(島田二等兵が登場。)島田「ヘイヘイ! お前誰に断ってこのリングに立ってんだ! みんながご存知の、あの高田モンスター軍・島田二等兵だ!(ブーイング)」
RG「帰れ! 帰れ! おい、こんな格好だったか?」
島田「いや、どんな格好かすっかり…ユーチューブ見たけどないんだよ。衣装がまったく。さっきスタッフに買ってもらったらまったく違ったんで、自分でも驚いてる。そんなことはどうだっていいんだよ! 開会宣言は俺がいて、安生洋二さんの引退試合ということは、この人にリングに上がってもらいましょう。男の中の男、アン・ジョー司令長官、出てこいや!」
(アン・ジョーと思いきや、ジャージ姿の安生が登場。)
安生「すいません。本日はアン・ジョー司令長官で開会宣言しようと思っていたのがデスが、あのメガネ、なくしてしまいました。でもですね、その家を探してるうちに、このUインターのジャージが出てきたんですよ。それなので一言いわせてください。今日の引退試合、200%勝ちます!」
(盛り上る会場。)
RG「安生洋二あるある、一個だけあるので歌ってもいいですか? 短くする。ハウンドドッグの『フォルティシモ』に乗せて。いや、短くやる。安生、あるあるぅ、言いたい、言いたいぃ♪ つーよくぅ、つーよくぅ♪ 道場、破り、失敗、し~がち~♪」(ブーイング。安生がRGを抱え上げてヒザ上に尻から落とす。そこへレイザーラモンHGがテーマ曲に乗って登場。)
HG「どうも伝説のハードゲイ、HGでーす! セイセイ。(安生とにらみ合う。安生が右手を出し握手、ハグ)」
安生「HG、今日はよく来てくれた。この開会宣言、君がやってくれるかな」
HG「セイですよ、それは。いいんですか、私がやって。せっかく5年ぶりぐらうですかね、ハッスルがつぶれて。じゃあハッスルポーズで開会宣言させてもらっちゃっていいですか、みんなさん。覚えてらっしゃいますかね。リハーサルで全員忘れてました、われわれ。行くぞー、で皆さんがオー、3、2、1、ハッスルハッスル、フォー! これでお願いします。ほんとにこれが最後になるかもしれないんで」
RG「カメラを構えてる人がいっぱいいますけど」
HG「やってからしばらく止まってください。皆さん、やってから、撮る。これでいきましょう」(観客が起立。ハッスルポーズからのフォーを決め、しばらく止まる。場内が暗転しビジョンで全カードが紹介される。)
◇第1試合◇
▼15分1本
○MAX宮沢(4分03秒 ヒザ十字固め)X服部健太
◇第2試合◇
▼20分1本
○入江秀忠(6分01秒 KO)Xエドアルド・ホンダ
※カカト落とし
◇第3試合◇
▼ハードコアマッチ/20分1本
○佐野巧真 長井満也(9分22秒 体固め)金村キンタロー X黒田哲広
※ノーザンライトボム
◇第4試合◇
▼Uインタールール/20分1本
○中野巽耀(4分44秒 しゃちほこ固め)X岡田孝
◇第5試合◇
▼Uインタールール/20分1本
○上山龍紀(14分26秒 スピニングチョーク)X中村大介
◇第6試合◇
▼45分1本
○ミノワマン 金原弘光(13分06秒 ヒールホールド)藤原喜明 X松井大二郎
◇第7試合◇
▼安生洋二引退試合/無制限3本
船木誠勝 鈴木みのる 菊田早苗(3-0)安生洋二 高山善廣 山本健一
---1本目---
○船木(13分19秒 アンクルホールド)X安生洋二---2本目---
○船木誠勝(16分47秒 アキレス健固め)X安生洋二---3本目---
○鈴木みのる(23分03秒 体固め)X安生洋二
※ゴッチ式パイルドライバー
◇全試合終了後◇
メイン終了後に安生洋二引退セレモニー。マスコミ各社、協賛各社より記念のパネルや花束などが安生に手渡される。デビュー戦の相手である星名治さんから花束の贈呈。安生は「俺の先輩です」と地声で紹介する。靴を脱いでリングに入った星名さんは安生に花束を手渡し握手。安生の目に涙が浮かぶ。最後に「この方々より花畑の贈呈です」とアナウンスされ『スピードTKリミックス』がヒット。スーツにマスク姿の桜庭らしき人物がリングへ。花束を渡す。「誰だ?」との声にマスクを取るとやはり桜庭。大歓声。握手。肩を組んで四方の観客に向く。続いて『パワーホール』がヒット。長州コール。スーツ姿の長州が花束を持ってリングへ。大歓声。花束を手渡し何やら言葉を交わす。そして握手。安生は
握手をしながら何度も頭を下げる。長州は笑顔。大長州コールの中、長州は退場。安生が挨拶。
安生「はあ。へへへ。いやねえ、へへ。明日、焼き鳥焼けねえ…。もうなんも残ってねえ。0%だよ(涙声)。ほんと今日は、ホントに、30年間やってきてよかった…。(拍手)ホントに、ホントにあの、プロレスの黄金期に戻ったみたいなこの熱気、すごく懐かして、うれしかったです。この雰囲気をつくってくれたのがここにいる一人ひとり、古くからのファン、新しいファン、僕を応援してくれた関係者たち、応援してくれた人々、それによってこの空間は作られました。皆さん、ほんとにありがとうございました!(四方に礼)みなさん、また逢いましょう! 焼き鳥屋として」
ひざまづきマイクを置く。両手を上げて声援に応える。安生コール。安生がマイクを持ち「Uインター」コールをあおる。安生がマイクを投げ捨てると、引退の10カウントゴング。「180センチ、100キロ、安生洋二!」のコールでテープがリングに振り『JAMES BROWN IS DEAD』がヒット。リング上で選手、関係者との記念撮影へ。
▼垣原賢人さん、山崎一夫さんが書面でコメントを発表
垣原さん「安生さんには、新生UWFの新弟子の頃からお世話になり、たくさんのことを教わりました。その卓越した『打投極』のスキルを惜しげもなく僕たち後輩に始動してくださったことを今でも感謝しております。UWFの尊敬する大先輩がまたひとり引退してしまい、とても寂しいのですが、第二の人生の焼き鳥屋でも頑張ってください! 安生さん、長い間、お疲れ様でした。自分は今、悪性リンパ腫という血液のがんと闘っています。自分のためにたくさんの選手や団体が、募金活動をやってくださっているのを知り、感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんの善意に応え、必ずがんを治し、同じ病で苦しんでいる方たちの希望の光になります」
山崎さん「安生選手、現役生活お疲れ様でした。今日の引退試合に参加できなくて、すみません。今、おそらく…会場にお集まりいただいたファンの皆さんや、準備・運営して頂いた関係者の皆さん、そして引退試合を報道していただいたマスコミの皆さんの温かさを実感しているのではないかと思います。異業種での第二の人生も大変だと思いますが、レスラーの新弟子時代に戻ったつもりで頑張ってください。そして健康にだけは充分気をつけて! 自分が注意していても、アンラッキーなことは、起こったりするものです。家族や周りにいる人のためにも、どうか健康にだけは注意して、頑張ってください。安生選手がお店を出して、落ち着いた頃…こそっと、お店にお邪魔できればと思っています」
安生洋二の引退興行が開催され、オープニングではレスラー安生が最後に活躍したハッスルが復活、安生はコスチュームの一部であるサングラスを紛失したということでアンジョー司令長官としての登場はなかったが、高田モンスター軍の盟友である島田二等兵、宿敵であるレザーラモンHGとRGが登場、引退試合を控える安生を激励、ハッスルポーズでオープニングを締めくくった。メインはゴールデンカップスが18年ぶりに復活、安生はスケジュールの都合で来場できなかったビジョンに高田延彦が映し出され、「男の中の男、安生洋二…出てこいや!」の呼び出しで登場し船木、鈴木、菊田のパンクラストリオと3本勝負で対戦した。
試合はゴールデンカップスが久々とは思えないほどチームワークを発揮したのに対して、パンクラスは遺恨関係である鈴木と菊田が揉めるなどチームワークの悪さを露呈、だがパンクラスは安生を取らえて集中砲火を浴びせ、安生も船木にグラウンドクロス200を決め抵抗するが、打撃戦で船木が浴びせ蹴りを炸裂させるとアングルホールドが決まり安生はギブアップとなる。
2本目もパンクラスは安生の痛めた左膝に集中攻撃を浴びせ、最後は船木がアキレス腱固めで捕獲し安生はまたしてもギブアップ、2-0のストレートでパンクラスの勝利かと思われたが、「船木、鈴木、菊田…。今日は3本勝負の約束だろ? 今日は無制限の3本勝負だろ? 次の1本はジャンプアップチャンス! 次を取れば3本分だよ!お前らそれぐらい付き合えよ。あんなにガッチリ蹴っておいて逃げるのかよ。俺はまだ燃え尽きてねえぞ!」と主催者権限で3本目を要求し突入するも、山本に交代し左膝を押さえたまま場外へうずくまってしまうも、山本も菊田に投げられ左肩を負傷する。
失速するゴールデンカップスは高山が孤軍奮闘、船木にダブルアームスープレックスを決め安生に交代、既にガス欠状態の安生だったが鈴木にハンマーパンチを降ろし、高山と山本の援護を受けグラウンドクロス200を決める。
しかし鈴木のスリーパーに安生が捕まり絞め上げられると、最後はゴッチ式パイルドライバーで介錯され3カウント、安生は引退試合に向けて体調や体作りはしっかりしてきたと思うが、ハッスル崩壊以降は試合をしていなかっただけに11年間のブランクは半端ではなかったが、レスラーとしての意地はしっかり貫いて安生は無事完全燃焼となった。試合後の引退セレモニーには長州や桜庭が登場するも、高田や来場を拒否していた前田、都合により来場しなかった山崎は姿を見せなかった、オープニングはハッスルだったものの、4派に分かれたUが集い、レスラー安生の最期を見贈った大会となった。
前田に関しては「KAMINOGE」誌上で鈴木健氏を通じて来場のオファーがあったものの、前田は「俺はプロのくせに暗闇でうしろから大勢を誘って騙し打ちしてきたチンピラとは関わるつもりはないよ。正々堂々と前からくる勇気のないオカマとはね。いくら時間が経とうが、それを俺が会って許す、認めちゃうみたいなことをしちゃうと業界のためによくないんだよ。この業界にチンピラは不要だよ。」と来場を拒否、前田にしても安生との関係は過去のことを考えても安生が頭を下げるか、ターザン山本氏のようにデコピンで済ませるレベルではないということなのか、しかし安生にしても今更前田に頭を下げるつもりはない、それを考えると来場しなかったほうが正解だったのかもしれないが、UWFの全盛期だったあの時代にはもう戻れないんだなと思うと寂しさも感じる。
安生は鈴木健氏の下で焼き鳥屋の現在修行中だが年内に独立するという、安生洋二選手、ご苦労様でした。 -
ミスター200%!安生洋二が引退へ
(週刊プロレスモバイルより)
20日午後4時より都内・世田谷区の「串焼 市屋苑(いちおくえん)」にて、会見がおこなわれ、安生洋二が来年3月19日に東京・後楽園ホールにて引退することが発表された。安生はハッスル09年10・10両国大会以降、試合から離れており、現在は元UWFインター取締役で今大会の実行委員長である鈴木健氏が運営する「串焼 市屋苑」の焼き場で焼き鳥を焼いている。大会名は自身のテーマ曲である「James Brown Is Dead」をアレンジした「安生洋二引退試合 Y.A IS DEAD」。当日は安生の引退試合をメインに7~10試合を予定。出場選手は安生が希望する選手、レスラー生活30年に関わってきた選手と交渉中。師匠である高田延彦さんにも来場を呼びかけているという。
安生は引退試合で高山善廣&山本健一と組んで、18年ぶりにゴールデンカップスを復活させる。対戦相手は現在のところ未定だが、会見では長州力、船木誠勝、鈴木みのるらの名前が挙がった。会見中には上山龍紀が現れ、参戦を直訴し、了承される一幕も。
会見に出席した安生、高山、山本、上山のコメントは以下。
安生「このような形で引退試合をおこなうことになりましたが、本来、自分の中ではあんまり引退試合っていうのは以前はピンとこなかった。自分が本当に魂を込めて運営にも携わった団体はUWFインターとハッスル。この2つとも1つの時代を築いて、ブームを作ることはできたけど、はっきりとした形で継続させることができなかった。ある意味、既存のプロレス団体とは違う闘い…格闘技方向のUインターとエンターテインメントを極めたハッスル。このような団体を魂を込めてやってきたので、もうやり切った。このままフェードアウトしようかなとも思ってたんです。
でも、現在、市屋苑の焼き場で焼き鳥を焼かせていただいてるんですけども、毎日、焼き鳥を焼いて、最後に片付けで炭に水をジュッとかけて、火を消すんです。その中で、外面的にはしっかり火が消えた炭でも、中心にはかすかに火が残ってる部分がある。今のオレのプロレスとの関わり合い方では、ひょっとしたその炭と一緒じゃないかなって。もしかしたら、芯の部分で燃えカスが残ってるんじゃないかなって思うようになりました。はっきりとした形でプロレス界と決別する試合をやって、最後の燃えカスまで消し去って、気持ちよく引退を迎えようかなという気持ちになりました。
ゴールデンカップスというトリオ、ボクにとっては兄弟みたいな2人ですけど、このチームで引退試合を迎えたいというのが夢でした。プロレス界の帝王として頂点まで上り詰めた高山にとって、ゴールデンカップスは通過点でしかないのかもしれない。それでも高山の方から二つ返事でOKをいただいて…心の底から感謝しております。
そして、なぜか私よりも先に引退してしまった山本選手。山本君が引退するって話を聞いた時にはダチョウ倶楽部じゃないですけど、聞いてないよ!って心境でした。オレも引退してないのに、先に引退しやがって。オマエが引退したら、オレの夢はどうなっちゃうんだって。ちょっと力技ではありますが、先輩の特権のごり押しで、山本の墓を無理やり掘り起こして連れ出しちゃった形になりました。照れくさいですが、ありがとうございます。そういう経緯でゴールデンカップス一夜限りの復活を3月19日にやりたい。
対戦相手は自分の芯に残ってる燃えカスを完璧に何も残らないぐらい火を消し去るぐらいの強豪選手たちと交渉中であります。希望では、まだ正式決定ではないですけど、3対3の試合。まずは自分が今まで上がった中で最高のボルテージで闘えた選手の長州力。UインターVS新日本の7万人からブーイングを受けるという立場だった。あのエネルギーは一生忘れることのできない宝物。一人の人間に対して、それだけのエネルギーを発するという行為がどれほどの塊で自分のところに向かってきたか。東京ドームが震えるぐらいのエネルギーを受けた時の対戦相手が長州選手。長州さんとなら、燃え尽きられるんじゃないかな。
そして、以前、所属してましたUWFという団体が崩壊した後にそれぞれ別の道に行った戦友たち。船木選手であったり、鈴木選手であったり。実現したら、24年ぶりぐらいの対戦になる。2人とも現役バリバリで活躍してるので、この2人と闘うなら、オレも相当な覚悟が必要。リングに上がるからには全力で勝利を目指していきます。燃えカスが残らないぐらいの可能性が秘めてる。そういう時に高山君、山本君がいてくれると心強い。一人で立ち向かう勇気は今の自分にはなかった。3人そろってなら、オレも覚悟を決めてリングに上がれる。正式発表は決まり次第したいと思います。
最後になりますけど、3月19日、引退をこのような形で意識するようになってから、昔のUWF道場を思い出すようになった。道場裏で日光浴してる木戸(修)さんとか、なぜか薪割りしてるマット隼人とか…。車で乗り付けてくる先輩方の嫌な車の音。そういうことがすごく懐かしく思い出されます。今日はどんなしごきが待ってるのかとか。あの頃は本当に純粋にプロレスと向き合えていた。その頃の気持ちを思い出せてくれるな相手としっかりぶつかって最後にしたい。引退したら、一切プロレスと関わらずに焼き鳥道にまい進していきたい…高田(延彦)さんに『オマエ、復帰しろ』って言われたらわからないですけど(笑)。
(思い出の試合は?)自分はプロレスの歴史に残るような名勝負っていうのはあんまりしてない。UWF時代だと鈴木戦や船木戦。ハッスルで言えば、インリン様とか泰葉とかかな。冬木軍との対決とかは迷勝負だけど。どちらかといえば、事件でプロレス界に歴史を残しちゃってるんで。ひょっとしたら今回の引退試合が生涯最高の名勝負になる可能性もある。ネバーギブアップな試合を最後の最後なんで、体壊れるとかビビらずに思い切りいける。期待しててください。
最後なんで話が長くなっちゃいましたけど、3月19日の大会がいい大会になるよう、情報をたくさん拡散して、7万人のブーイングに負けないような熱気を作り上げれればいと思います。今回はブーイングではなく、2000人の大歓声で最後を迎えたいと思います」
高山「安生さんから電話がかかってきて、引退試合するからよろしくって。そういえば、引退試合してなかったなって。自分にとってゴールデンカップスはこれがなかったら、のちに全日本に参戦してノーフィアーだったりとかは一切なかった。安生の横にいたからこそプロレスを学んで、自分のキャラクターを作り、アピールすることを学べた。今のプロレスラーの基礎を作ってくれたのは安生さん。心より感謝を込めて引退試合のパートナーを務めたいと思います」
山本「喧嘩の“喧”の山本喧一は10月13日に札幌で引退しましたが、当時の健康の“健”の名前でパートナーを務めます。この世界は縦社会です。お世話になった安生さんから直接電話をいただいて『オレの引退試合に花を添えてくれ』と言われたら、後輩として断れない。最初はちょっとちゅうちょしましたけど『いいじゃないか。昔の名前のオマエで出てくれれば』と。それで肩の荷が下りた。ボクは引退してますが、昔を思い出して、できるだけ体を作り、ベストなコンディションで安生さんのパートナーを、あの頃とは違う成長した姿で務めたい。あの当時のファンの人たちが思い出せるようなことも含めて、いいパフォーマンスができればいいと思ってます」
上山「自分のUインターのメンバーなんで、ぜひとも花を添えさせていただいきたい。相手は決まってませんけど、安生さんがやれと言った相手とやります」
UWF、UWFインターナショナル、キングダム、ハッスルなどで活躍した安生洋二が3月19日の自身の自主興行で引退することを発表し会見にはゴールデンカップスの盟友だった高山と山本、元Uインターの上山が出席し参戦を表明した。
安生はハッスル崩壊後はセミリタイアとなり、近況を聴くことはなかったが、最近はUインター時代取締役として苦楽を共にした鈴木氏の経営している焼き鳥屋の焼き場を焼いていたという。
前田日明との確執、ヒクソン・グレイシー道場破り事件に関しては、おそらく年明けになるだろうが宮戸優光氏や鈴木健氏の証言を参考にして検証したいと考えるているが、これらの事件がなければUWFやUインターでは脇役として一歩引いていた安生が一レスラーとして飛躍するきっかけとなり、賛否は呼んでいるが安生やゴールデンカップスの存在がなければUインターは延命することはなかった。
安生が引退することでUWFまたUインターの一つの歴史にピリオドが打たれる、時の流れを感じてしまう。 -
新日本、NOAHにも参戦したFFF代表の南条隼人がストーカーと殺人未遂で警察へ連行される・・・
<南条隼人オフィシャルブログより>
9月3日午前4時50分頃、「株式会社C&Bグループ FFFプロレスリング」所属プロレスラー「南条マッハ隼人」こと植栗正和が、「株式会社C&Bグループ OFFICE C&B MUSIC」所属ミュージシャン「NINA」へのストーカー行為と殺人未遂罪で伏見警察署に連行された。以前から植栗は既婚者であるにも関わらず、「NINA」への異常なストーカー行為が目立っており再三の注意も聞き入れず、今回の件に至りました。
植栗は妻には『会社に拉致されている』と嘘をつき、毎日京都の事務所に寝泊まりし、執拗に『嫁と離婚するから結婚して欲しい』と「NINA」に迫り、嫁と愛人の悪口を散々言い、愛人には妻と「NINA」の悪口を言う虚言三昧。
「NINA」が自分の思い通りにならないと『お前を殺しておれも死ぬ』と二度も首を絞められ、救急車で運ばれ現在は絶対安静の状態です。「NINA」はこの件で身体中に30ヶ所以上も怪我をし、首にも植栗の手形がくっきりついており、精神的にもかなり怯えております。
なお植栗は、会社に「FFFプロレスリング」名義の借金が400万、植栗正和個人名義の借金が200万、「コミッショナー渡邊仁」に個人名義の借金が65万有り、返済しようともしない。
当社は警察の指示のもと、植栗がまた「NINA」に暴行を加えない様に24時間体制で警備を付け、「殺人未遂罪」での刑事告訴の準備中である。
満員御礼で3周年を迎え幸先良いスタートを切ったばかりの所に、この様な不祥事が有り、皆様には大変ご迷惑をお掛けいたします。
植栗正和への懲戒処分、刑事告訴の報告は追ってお知らせいたします。
株式会社C&Bグループ
元FMW所属で新日本プロレスにも参戦、最近ではNOAHの大阪大会では準レギュラーとして参戦していたFFFの南条隼人(本名=植栗正和)がストーカー行為で逮捕と殺人未遂で連行されたことが南条本人のオフィシャルブログにて発表された。
南条は大阪プロレスに参戦後は新団体FFFを旗揚げ、今年2月には丸藤正道やバラモン兄弟、8月31日には藤波辰爾、LEONA親子やスペル・デルフィンを招いてビッグマッチを開催していたが、最近では旗揚げに参加した京都プロレスとトラブルを起こしていた。
6月22日NOAH大阪ボディーメーカーコロシアム第二競技場大会がG+で放送され南条も出場して健在ぶりをアピールしていたが残念としかいいようがない。 -
週刊プロレスから突然消えた「ボーイズはボーイズ」
数分前に週刊プロレス佐藤正行編集長からクビ通告を受けました。理由は「ぼく(編集長)に対する態度が無礼だから」だそうです。連載コラム「ボーイズ」のみ年内継続ということだけど??
— 斎藤文彦 (@Fumihikodayo) 2014, 7月 22【ニコ生(2014/07/30 20:00開始)】緊急生放送!「週プロ」連載打ち切り!フミ斎藤がすべてを語る http://t.co/RjngCr0aYL http://t.co/PoUv86zY5G
— 香山リカ告知 (@KayamaRika_info) 2014, 7月 22週刊プロレスで長期連載していたコラム「ボーイズはボーイズ」は先週限りで打ち切りとなった。「ボーイズはボーイズ」はフリーライターで海外マット通の斎藤文彦氏が連載していたコラムで、海外マットのことだけでなく女子プロレスやUWF系など掲載するなど幅の広いコラムでで週プロでは長期にわたって連載していた。
ツイッターではコラムを書いていた斎藤氏が佐藤正行編集長からクビを通告されたと報告していたが、週刊プロレスサイドでは予告もなし、今週号の週刊プロレスでは目次で斎藤氏本人が少し挨拶したのみという歯切れの悪い終わり方だった。
打ち切りの理由は今日のニコ生にて明かされるが斎藤氏のギャラ(原稿料)が高いからという理由なら長期連載していたコラムだけに前から予告してもいいはず、斎藤氏もフリーながら週刊プロレスでは古株ライターだけに佐藤編集長にしてみれば扱いにくかったのでは・・・、真相は今日放送されるニコ生にて明かされるが、歯切れの悪い終わり方は残念としか言いようがない。斎藤文彦氏のコラム『ボーイズはボーイズ』は9月9日発売、ゴング復刊号に移るな。間違いなくそういう展開になる。斎藤氏は逆にこれから仕事の依頼が多くなるな………
— ターザン山本! (@tarzany) 2014, 7月 30ホントかどうか知らないよ。なんでも斎藤文彦氏をリスペクトしているある女子プロのレスラーがベースボール・マガジン社のビルに行き「佐藤編集長を出せ!」と言ったらしい。今時、そんなことあるんだ………
— ターザン山本! (@tarzany) 2014, 7月 30 -
“GK"金沢克彦氏の悲願・・・週刊ゴング復活へ!
<金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!」よtり>今回のブログ更新をもって、正式発表とさせてもらいます。
9月9日(火)、ゴング復刊・第0号の発売が決定しました。
販売元=徳間書店編集部=ペールワンズ(代表・井上崇宏)
編集長=金沢克彦
上記が決定事項です。それにしても長い日々でした。
ゴング復刊に向けて、月刊書籍『KAMINOGE』編集長の
井上崇宏氏が動き出してから、もう1年以上が経過しています。
ようやく正式決定をみたのは、今年6月に入ってから。それはそうです。
出版不況はこの10年、まったく変わりません。
そんな状況で、一時にはどん底状態まで落ちた
プロレス界を専門誌として扱うというのは、
いくら「ゴング」というブランド名があったところで
一朝一夕に進む話ではないのです。
まず、歴史と伝統をもった「ゴング」の名前を再び世に出してくれる徳間書店さんをはじめ、
発売に関して骨を折ってくれた各社、各氏に感謝します。
そして、粘り強く交渉を続けたうえで、ゴングのベースを作りあげ、
「金沢さん、編集長をお願いします!」
と、強引にふたたび私をゴングのステージへと
引っ張り出した井上氏にも感謝とともにご苦労さまと言いたいです。
そういえば、ゴングが思わぬかたちで呆気なく休刊を迎えたのは、
2007年3月のこと。
あれから、7年半…当時ゴングに関わっていたスタッフたちは、
みんなそれぞれの世界で生き抜いています。
昔の仲間たちが集合するとか、そういうノスタルジー的な考えは、
実際不可能だし、通用しないことも充分に分かっています。
それでもたった一人、私がもっとも信頼を寄せる男、週刊ファイト→週刊ゴング→フリーと同じ道を歩んできた
25年以上の腐れ縁にして、最高の仕事仲間である
”O・N君”が仲間としてまた駆け付けてくれました。
こんな素晴らしい友人に恵まれたことにも感謝!
さて、今回、私を見事に引っ張り出した井上氏は、私が2005年末にゴングを離れフリ―となって以来、
さまざまな仕事を何度も一緒にこなしてきました。
「風になれ」、「力説 長州力という男」の2冊の単行本も
井上氏の尽力があって、私の著書としてこの世にでたもの。
その際、井上氏はお金を受け取ることもなかったのです。
「僕は実より名を取りますから」
つまり、会社(ペールワンズ)にお金を入れることより、本を出したという実績のほうが大切だということ。
こんな人物に出会ったのは初めてでした。
だからこそ、私は井上氏を信頼しているのです。彼とO・N君と、その他の仲間たちがいてくれたら、
怖いものなどないのです。
遡ること、15年半前、1999年1月6日、私は『週刊ゴング』編集長に就任し、
2004年10月15日に辞任するまで、
6年弱、編集長を務めてきました。
恩師である竹内宏介さん(故人)に編集長就任を告げられたのは、
なんと就任12日前のこと。
あまりの電撃人事に愕然としたし、
葛藤や苦悩を感じる暇もないほど忙しい
世界へと突然放り込まれました。
あのとき、新編集長として最初に書いたコラム原稿の締めのフレーズはいまでも覚えています。
「正直いって、不安でいっぱい。ただし、不安より自分自身への期待のほうが遥かに大きい」
あのとき、私は37歳。いま、52歳になった私が「新生ゴング復刊」へ向けて、
心境を述べるとしたら、こうなるでしょう。
いま、オレは青春してる。ビッシビシ行くぞ!
某選手が発したコメントがイチバン近いような気がしています。いまは、復刊0号の制作に全精力を注ぎ込んでいる段階。
その先には、当然定期刊行という目標があるし、
そうしなければいけないと思っています。
こうやって、井上氏らと日夜作戦会議を開催しています。
これはあくまでミーティング終了後の記念写真。
ただ、飲んでいるわけじゃありませんよ、念のため(笑)。
みなさん、大変お待たせしました。新生ゴング、復刊させていただきます。
なお、本日正午更新の『ビッグファイト』でもゴング復刊をテーマにもう少し掘り下げて書かせてもらいます。
また、本日の午後10時~11時まで、ニコニコプロレスチャンネル『NICONOGE』生放送に
私がゲスト出演します。
今回は偶然にも井上氏の出演回でもあるので、
そこで相当に突っ込んだ会話ができるかと…。
金沢GK克彦氏が自身のブログにて週刊ゴング復刊を発表した。
週刊ゴングは週刊プロレスと並ぶプロレス雑誌だったが、当時発行元だった日本スポーツ出版社の経営者だった前田大作氏が民事再生法違反容疑で逮捕され、しばらくして休刊、ゴングの商標なども前田氏が所有したまま塀の中に入ってしまったため、ゴングの名前だけは使えないと思われていた。
しかし正午に更新された「THE BIG FIGHT」で金沢氏が連載しているコラムによると前田氏が商標を持っていなかったことがわかり(膨大な資料などは週刊プロレスのベースボールマガジン社に売却されたという),KAMINOGE編集長の井上氏が知っている出版社がゴングの商標を獲得、晴れて「週刊ゴング」を徳間書店から出版することが出来た経緯が報告された。
現在新日本プロレスが大攻勢をかけているなか、伝える雑誌が週プロのみは寂しすぎる、その中の週刊ゴングの復活は歓迎、9月9日が待ち遠しい!