訃報
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ブルーザー・ブロディの参謀 バック・ロブレイ
故・“キングコング”ブルーザー・ブロディの参謀役だったバック・ロブレイさんが死去した、享年71歳。
ロブレイを知ったのはプロレスファンを始めた昭和56年10月、当時ブロディのマネージャー兼レスラーとして来日していたロブレイは上田馬之介と組んでザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)と対戦し、試合は敗れたが当時ドリーと抗争していたブロディが乱入、ロブレイは上田と共にドリーのセコンドとして帯同していた息子のディンクさんに襲い掛かり、ブロディはキングコングニードロップを放ってディンクさんKOするという暴挙を働き、ロブレイはドリーvsブロディの遺恨に一役買った、後は憶えている限りではレスラーとしては大した活躍はなかったがブロディの参謀役として活躍した。
またブロディにとってもレスラー人生を左右させた人物であり、ブロディがプロモーターとよく揉めるのもロブレイの影響もあったからだという。昭和57年にスタン・ハンセン、ブロディとの超獣コンビが復活した際にはロブレイもセコンドとして帯同したが、いつからか来日しなくなっていた。ロブレイはブロディのビジネス上のマネージャーもやっていたということから裏方の方が忙しくなっていたのか、全日本の方針なのかはわからない。
Gスピリッツではブロディが特集されたがロブレイもブロディの人生を大きく左右させた人物、ブロディのことを語ってほしかった・・・
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リード・フレアーが急死・・・アメリカへ帰国したばかりだった・・・
今年1月から留学生として全日本プロレスに参戦していたリード・フレアーが29日の朝、アメリカ・シャーロットのホテルにて急死した、リードは日本から帰国したばかりだったという。
享年25歳。 リードは17日の両国大会を最後にアメリカへ帰国、ラストマッチは17日両国大会での西村修、渕正信戦となった(パートナーはKENSO)
リードの父親はご存知“狂乱の貴公子”と言われたリック・フレアー、父を尊敬していた影響もあって幼少からプロレスラーになることを志していたという。
プロレスデビューは2008年とされているが、1998年に10歳でWCWのリングに立ちビンズ・ルッソー相手に2度にわたって試合をしているということから、10年以上のキャリアがあるということになる。
その後リードは学業に専念しつつ高校時代ではアマレスで多数の賞を獲得、アマレスの大会で日本にも何度も来日した。ハーリー・レイスのWLWで練習生としてレスラーとしてのトレーニングを積みレスラーデビュー、そして今年から全日本の留学生となっていた。
死因は明らかにされてないが、フレアーも一番期待していた息子だからこそ武藤敬司の下へ預けたんだと思う、その期待していた息子の突然の訃報、“狂乱の貴公子”はどう思うのか・・・・
ご冥福をお祈りします -
プロレスマスコミの大御所 菊池孝さん死去
プロレス評論家の大御所的存在だった菊地孝さんが死去したことが明らかになった。享年79歳。
菊地さんはいつだったか忘れてしまったが今年のSAMURAI TVでバトル☆メンに出演し元気な姿を見せてくれたが、糖尿病を患い人工透析を受けながらも最近はDVD付きマガジンである『ジャイアント馬場 甦る16文キック』の執筆していたという、アントニオ猪木には批判的な立場を取り、同じく今年亡くなれた竹内宏介氏同様ジャイアント馬場さん側に立ち、週刊ゴングでの三者三様では歯に着せぬ辛口な物言いをするなど、プロレスマスコミの大御所的存在であることを印象付けた。
自分が印象に残ったのは2001年ごろS-ARENAに大日本プロレスの登坂栄児氏(現在統括部長)が出演したが、当時の大日本は登坂氏と社長であったグレート小鹿との対立が表面化しつつあり、登坂氏が出演した際には「小鹿のヤロー!」とコメントしたところで、菊地さんが「業界の大先輩を呼び捨て呼ばわりするのは何事だ!」と怒り、登坂氏を黙らせスタジオも凍りつかせてしまった、このことが今でも記憶に残っている。ご冥福をお祈りします。