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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

7年目の6月13日

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7年目の6月13日

 三沢光晴 三沢光晴が死去して明日で7年目の6月13日を迎える。


 忘れもしない6月13日の夜、「プロレス格闘技DX」での広島大会の結果速報で心肺停止という文字が出たとき、自分は事の重大さに気づいておらず『三沢のことだからすぐ起き上がる』と思っていたが、Yahoo!のトップニュースで三沢死去の一報を聴いて愕然し、その夜冷静になるまで眠れぬ夜を過ごした。


 死去する1ヶ月前の5月3日の京都KBSホール大会、それが自分が生で見る三沢の姿だったが、いつも会場入りする際にサインや記念撮影などファンサービスに応える三沢はしんどい表情を浮かべて誰も寄せ付けないまま会場へと姿を消していった・・・いつもの三沢らしくなかったが、この時期のNOAHは日本テレビによる地上波中継が打ち切られ、武道館での観客動員も芳しくなく、守ってきた選手の一部をリストラするなど経営的にも厳しい状況に立たされ、また四天王プロレス時代のダメージが齢と共に圧し掛かるなど、三沢にしてみれば最悪の状態、それが体型にも現れてしまっていたが、それでも三沢はトップとしてリングに立ち続けなければいけなかった…


 自分にとっての三沢光晴は今思えばプロレス界最後のスターだった、天龍源一郎が全日本離脱後に2代目タイガーマスクの覆面を取った三沢が台頭、ジャンボ鶴田が病気で一歩退いてから四天王プロレス時代へと突入したが、常に中心にいたのは三沢だった、しかしジャイアント馬場さんが死去後に三沢が全日本を受け継いだが、全日本は馬場さんの色が強すぎたため三沢は自分のカラーに染めることが出来ず、全日本を退団してNOAHを旗揚げ、三沢カラーを全面に押し出していった。


 昔は古くは力道山が日本プロレス、アントニオ猪木が新日本プロレス、ジャイアント馬場さんが全日本プロレスを旗揚げしたように、スター選手が団体を旗揚げして率いていったが、現在のマット界は新日本プロレスのようにそういった絶対的スター選手を必要とせず、団体の看板力を高めていく時代となったことを考えると三沢光晴はプロレス界最後のスターだった。


 明日広島で行われる「三沢光晴メモリアル」には三沢のテーマ曲である「スパルタンX」が流れるだろうが、今でも自分は「スパルタンX」が流れると三沢が出てくるのではと思えてならない。

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