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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

“アメリカンドリーム”ダスティ・ローデス

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“アメリカンドリーム”ダスティ・ローデス

ダスティ・ローデス
(プロレス格闘技DXより)
 米WWEは現地時間11日、“アメリカン・ドリーム"ダスティ・ローデスさんが死去したと発表した。69歳だった。現地メディアが伝えるところによると、11日の早朝に体調が悪化し腎不全のため亡くなったという。

  ローデスさんは1968年にデビュー後、故ディック・マードックさんとのタッグチーム「テキサス・アウトローズ」で活躍。1971年に国際プロレスへ参戦して初来日を果たし、その後全日本と新日本にも参戦した。NWA世界ヘビー級王座を3度獲得し、尻を振るダンスなどで独特の存在感と地位を確立。多くのアメリカン・プロレスファンに愛された。

  息子であるダスティン・ローデス(ゴールダスト)、コーディ・ローデス(スターダスト)もWWEでレスラーとして活躍。2007年にはWWE殿堂入りを果たし、現在はWWEでプロデュース業にあたるかたわら、教官として後進の指導にもあたっていた。

  ご冥福をお祈りいたします。


 元NWA世界ヘビー級王者で“アメリカン・ドリーム"ダスティ・ローデスさんが死去した、享年69歳。


 ローデスは自分がプロレスファンを始めてから知ったレスラーで新日本プロレスに参戦していた、過去に国際プロレスや全日本プロレスに参戦した経歴をもっているが、ショーマン度は強いローデスはジャイアント馬場さんは高く評価せず、ローデスの相棒であるディック・マードックの方を高く評価していた。ローデスが主戦場にしていたフロリダマットが新日本とのつながりが深かったせいもあって日本では新日本を主戦場にしていた。印象に残っているのは昭和57年に開催された「第五回MSGシリーズ」の最終戦直前の愛知大会、ディック・マードックとのテキサス・アウトローズでアントニオ猪木、藤波辰己組と対戦し、当時左膝を痛めていた猪木に対してマードックと共に徹底的に左膝に集中砲火を浴びせ、猪木は左膝の負傷を悪化させてしまい、進出を決めていた優勝決定戦を棄権を余儀なくされてしまった。昭和59年の後楽園で行われた元日興行で猪木とのシングルが組まれたが両者リングアウトの凡戦に終わり、それ以降はローデス自身もアメリカでの活動を重点に置いたため、2004年にハッスルに参戦した以外は日本に来ることはなかった。


 最近ではNXTのGMを務めたりRAWでは息子であるゴールドダスト、スターダスト(ゴーディ・ローデス)との絡みに登場するなど元気な姿を見せていたが、アメリカンプロレスを象徴するレスラーの一人だった


 ご冥福をお祈りします。
 

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