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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

スティングがWWE Hall of Fameの場で引退を表明…スティングと日本マット

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スティングがWWE Hall of Fameの場で引退を表明…スティングと日本マット

 2日にWWE殿堂入りの式典である「WWE Hall of Fame」が開催され、今年はスティング、新日本プロレスではザ・ソウルテイカーとして登場していたゴッドファーザー、ファビュラス・フリーパーズ(マイケル・ヘイズ、テリー・ゴーディ、バディ・ロバーツ、ジミー・ガービン)、ビッグ・ボスマン、ジャクリーン、スタン・ハンセン、ラッパーで俳優のスヌープ・ドック氏が殿堂入りを果たした。
 今年は日本人選手の殿堂入りはなかったが、今年の殿堂入りはハンセンやスティング、ゴッドファーザー、フリーパーズ、ボスマンは日本ではお馴染みの選手ばかり、特にフリーパーズの場合はWWEにいた在籍期間が短かったことで殿堂入りが意外でもあったが、WWEのスタッフの一員となっているヘイズの尽力があったからだと思っている。


 そして式典でのスピーチの最中にスティングは引退を表明した、スティングは2014年11月からWWEに参戦、2015年のレッスルマニアではHHHとも対戦、そして9月にセス・ロリンズが保持していたWWE王座に挑戦したものの、試合中にターンバックルへのパワーボムを喰らった際に首を負傷、試合にも敗れて王座奪取はならなかったがロリンズとの試合が事実上のラストマッチとなった。


 スティングの初来日は1989年6月のジャイアント馬場体制の全日本プロレスで、既にNWAでトップだったスティングはシリーズにはフル参戦ではなく短期の特別来日扱いだった、初戦で田上明を破ったものの、5日の武道館でのダニー・スパイビー戦では首固めで敗戦を喫し、全日本はスティングの来日を最後にNWAとの関係を絶ったことで、以降全日本に参戦することはなかった。



 NWAがWCWとなり、WCWは新日本プロレスと業務提携を果たしたことで、スティングは新日本に参戦、NWA時代のライバル関係だったグレート・ムタとタッグを結成し、またムタが保持していたIWGPヘビー級王座にも挑戦した、そして1995年の1月4日東京ドーム大会ではアントニオ猪木引退記念ファイナルカウントダウン格闘技トーナメントに参戦して格闘家のトニー・パルモアと異種格闘技戦で対戦しスコーピオンデスロックで破り、決勝では猪木とも対戦してチョークスリーパーの前に敗れた、このドーム大会は自分も観戦していたが、猪木も1回戦でジェラルド・ゴルドーと対戦した際に足を負傷し最悪の状況でスティングと対戦していた。
スティング


 その後もスティングは新日本とWCWの提携路線でスポットながらも新日本に参戦していたが、WCWとWWEによる「マンデーナイトウォーズ」が激化すると、WCWも新日本にトップ選手を送り込むことが少なくなり、スティングも日本から遠ざかるようになるも、その間に現在のキャラにモデルチェンジし、日本にはニセモノだったnWoスティングが定着してしまった。
スティング


 2001年3月にWCWはWWEに吸収される形で崩壊し、ラストマッチのメインもスティングが登場してリック・フレアーと対戦したが、崩壊後も反WWEを貫きTNAに定着するまでは様々な団体を渡り歩いた、そのスティングがWWEと契約をかわして登場したときは驚いてしまったが、スティング自身も思うところがあったということだったのか、レッスルマニアではHHHと対戦し、セス・ロリンズの保持していたWWE王座にも挑戦したがスティング自身ももう一花という部分があったと思う、引退を決意したということは現役もこの辺で潮時という判断からなのかもしれない。


 スティング、ご苦労さまでした。

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