伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

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サイモン氏が社名変更でIGFは終焉も、IGFの看板だけは独り歩きしていた

(週プロモバイルより)
10日夜、東京・銀座で先ごろIGF株式会社より商号変更した株式会社アシストがマスコミ懇親会を開催した。

 商号変更後も引き続き、会社を引っ張る青木弘充社長やサイモン取締役らが出席し、9日に開かれた株主総会でも商号変更が承認されたことを報告。

これにより、名実ともにIGF株式会社の名は消滅。今後は株式会社アシストとして、中国初の本格的プロレス団体「東方英雄伝」を運営していく。東方英雄伝は4月21日に中国、北京のEvolution Training Clubでアシスト体制となって初の興行を、日本では5月27日(日)エディオンアリーナ大阪第二競技場で大会を開催する。

サイモン取締役は「次の北京、5月の大阪大会以降もイベントをやっていこうという話になっています。特に中国では話がかなり来ているのですが、その話をうのみにはできないので。本当にやれるのかどうかを見極めながら、できれば月に1回ぐらいのペースで大会をやっていこうと思います」とコメント。同社が入っているビル8階のバーで懇親会はおこなわれるなか、IGFあらためアシストが新たな船出をきった。

 IGFが社名を株式会社アシストに変更されたことが報じられ、公式HPも東方英雄伝の名前は変えられ、猪木関連の記事が全て削除されたことで、IGFは事実上消滅した。2007年6月29日に旗揚げした際にはカート・アングルvsブロック・レスナー戦実現など話題を振りまいたIGFは昨年で10周年を迎えたが、何もなかったら猪木を中心として10周年を迎えていたはずだったと思う、だがIGFの10年目は猪木のIGF完全撤退表明から始まって、猪木とサイモン氏らIGFによる泥仕合となり、そして終焉となったが、終焉も旗揚げ時と比べるとひっそりしたものだった。

 IGFは一体何だったのか、プロレススタイルとすれば猪木がプロレスと格闘技を分け隔てるつもりのなく扱っていたことで、猪木がかつで築いてきた異種格闘技戦のようなプロレススタイルであり、従来のプロレスとは一線を画して独自性があった。だがもう一つの面があるとすれば、プロレス界全体がアントニオ猪木の時代であると威厳を示すために作られた団体でもあり、消滅した理由もIGFという団体の価値観を高めるより、猪木の価値観を高めることに軸を置いた結果だった

 新日本プロレスを去った猪木は企業では新日本どころかマット界は再建出来ない、いや自分らが守ってきた秩序すら守られないと思い、自分が旗振り役としてマット界の秩序を守った上で再建させると考えていたが、皮肉にも猪木が新日本を去ったことで、マット界全体も新しい波が押し寄せ、新日本は企業という新しい力を得ることで再建することが出来たことを考えると新日本だけでなくマット界全体にも新しい波や秩序が押し寄せるきっかけを作ってしまったのも猪木自身だったのだ。

 猪木は10年前以前の感覚でしか持ち合わせておらず、それは現在も変わっていない。その猪木をサイモン・ケリー氏を始めとするIGFは長年にわたって神輿として担ぎ、マット界の中心と威厳を示してきた、それを考えるとIGF側も”猪木は”もう時代にそぐわない人間”であることは薄々気づきいたのかもしれない。だがIGFは猪木のおかげでスポンサーが集まり、客を集めてきたことから、時代にそぐわない猪木を神輿として担がざる得ず、猪木自身も"自分がいなければIGFどころかマット界は成り立たない”と考えていた。だが次第にIGFは「自分らが神輿と担いでいるおかげで猪木は成り立っている」と思い始めていった。

 IGFの一番のターニングポイントは選挙出馬と国政復帰だったとされているが、それは間違いないと思う。猪木が国政復帰する際にはIGFも大きくバックアップしたが、猪木という神輿は今まで自ら動いて勝手に担ぎ手を変えてきた。猪木の国政復帰は神輿の担ぎ手がIGFから変わってしまっていたことを意味していたのたが、IGFは猪木がいなくても、自分らが担いでいる神輿を猪木だとすればいいとしか考えておらず、また猪木自身もIGFは自分がいなければ成り立たないと考えて自身の名前を使うことを認め続けた。猪木が国政復帰した理由も、まだ国政に対する未練が残っていただけでなく、IGFが自分を下に置こうとする空気を猪木なりに察知し、その嫌な空気から逃れたかったからかもしれない。

 猪木から全てを任されたと思い込んでいたサイモン氏らはプロレスと格闘技を分け隔てるつもりのなく扱っていた猪木の意に反しMMA路線を敷くことでプロレスと格闘技を分けるようになったが、次第にプロレスよりMMAをメインに置くようになった。IGFがMMA路線を軸に置いた理由は新規スポンサーの獲得やフジテレビでの地上波放送も視野に入れてのことで、地上波のゴールデンでIGFをアピールすれば、また猪木の価値も上がり、プロレスだけでなく、格闘技全体にも威厳を示せると考えていた。ところがIGFのMMA路線は失敗、BSで放送していたフジテレビどころかスポンサーも撤退したことで、一気に資金源を失ってしまい、また猪木が一歩引いたことで選手とフロントの間で不協和音も生じ始め、IGFから選手が次々と離れ、遂には道場も閉鎖するなど綻びが生じ始めていく、だがIGFは猪木の名前さえあれば大丈夫であり、いざとなったら猪木が助けてくれるとして危機感を抱こうともしなかった。

 IGFは新ブランド「NEW」を設立したが、猪木はこの時点で自身の権利関係を持ち出し「コーラルZ」となる新しい猪木事務所を設立、IGFから撤退して猪木の名前を取り上げていたものの、サイモン氏らは猪木が撤退したことをひた隠しにして、猪木の名前を使い続けていた。この事が猪木の逆鱗に触れ、IGFから完全撤退していることを表沙汰にすると、サイモン氏らを追い出した上でIGFを整理しようとしたが、「自分らが神輿と担いでいるおかげで猪木は成り立っている」と思い込んでいたサイモン氏らは猛反発して、猪木の行状を暴露してコーラルZという新しい担ぎ手を追い出そうとしたが、サイモン氏らはいつの間にか新しい神輿を見つけ担ぎ出しており、そして裁判となったものの、猪木やサイモン氏ですら、IGFのことには誰も触れようともしなかった。

 IGFは裁判の末、猪木側の要求が通ってIGFは名称変更を余儀なくされたが、猪木も既にISMを設立していたこともあってIGFの名称を使う気はなく、サイモン氏もIGFの名称に猪木の名前がなくなった以上名乗る意味もないため、価値すらなくなったIGFの看板はひっそりと外して、アシストという看板に付け替えた。結局サイモン氏にとってIGFは猪木の価値観でしか見ていなかったのだ。

 誰も使おうとしないIGFの看板に、IGFに参戦していたケンドー・カシンと藤田和之によって、"はぐれ"と"インターナショナル"がつけられ、はぐれIGFインターナショナルとなって生まれ変わり、元IGFの選手を中心となって旗揚げ戦が開催された。新日本プロレスが猪木がいなくても独り歩きしていったように、猪木やサイモン氏がいなくとも、IGFの看板だけはしっかり形を変えながらも独り歩きしていたのだ。15日大日本プロレス・ススキノ大会で鈴木秀樹がストロングBJW勢を挑発している姿は「オレの首を掻っ切ってみろ!」と新日本の選手らに迫った猪木を彷彿させたが、猪木をメインでなく、ゲノムファイターとして育てられた選手達をなぜメインとしなかったのか…惜しいとしか言いようがない。

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