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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

藤波辰爾がベイダー招聘へ・・・ベイダーと飛龍革命

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藤波辰爾がベイダー招聘へ・・・ベイダーと飛龍革命

藤波辰爾「ドラディションですが、今年もうこれが最後です。また来年、じつは僕自身がプロレス入りして、45年が過ぎました。その記念として来年は…と、言いますのはね、僕は昨年WWEの殿堂入りしたところにベイダー選手が来ていましたが、つい先ほどベイダー選手は僕の45周年を聞きまして、もしその45周年をやるんであれば、俺の名前はぜひ入れといてくれと4月20日の後楽園を予約しています。そこを45周年記念大会として、ベイダーも一つ日本にと思いますんで、ぜひまた連絡しておきます」

 ドラディション29日後楽園大会後に藤波辰爾が最後の挨拶で来年ベイダーを招聘することを明らかにした。ベイダーも一時は体調を壊していた時期もあった、現在でも現役を続け、今年は新日本に参戦しているウィル・オスプレイとも対戦、健在ぶりをアピールした。

 藤波とベイダー・・・・1988年4月22日の新日本沖縄大会後に藤波はアントニオ猪木と組んでベイダー、マサ斎藤組と対戦するも、ベイダーに苦戦させられていた猪木に藤波が自らの前髪を切って現状改革を訴える飛龍革命を起こし、負傷欠場した猪木に代わり藤波がベイダーと対戦、リングアウトながら藤波はベイダーを破り、5月の有明コロシアム大会では猪木の返上したIWGPヘビー級王座を巡ってベイダーと再戦、反則裁定ながらもベイダーを破り王者となった。

 飛龍革命は長州力の維新革命や天龍源一郎の天龍革命と違って、ピークを過ぎていてもトップを張り続けている猪木に対し、藤波が現状打破をするために決起した、当時の新日本はUWFブームや全日本での天龍革命に押され、テレビ朝日で放送されていた「ワールドプロレスリング」がゴールデンから土曜日夕方の不定期放送(時折りゴルフ中継が入ったため)へと降格するなど苦しい時期に差し掛かっていた。

 飛龍革命は藤波が猪木との60分フルタイムでの防衛戦を境に、1989年新日本プロレス最初の東京ドーム大会に向けてIWGP王座を返上することで尻すぼみとなっていったが、猪木がメインの第一線から退くきっかけにもなっていったのも事実だった。

 猪木が参議院議員選挙出馬でトップから退いても藤波はベイダーと対戦するが、ベイダーのバックドロップを喰らった際に藤波は腰を負傷、椎間板ヘルニアで1年3ヶ月も欠場し、復帰後は長州力を破ってIWGP王座に返り咲き、挑戦者としてベイダーを迎え撃ち1度は奪われるも、すぐ奪還。1991年に行われた「SUPER GRADE TAG LEAGUE」では藤波とベイダーはタッグを組んで優勝を果たした。
 

 飛龍革命またベイダーとの一戦、藤波なら低迷していた新日本を何かを変えてくれるというという期待があったからこそ名勝負になり、負傷欠場から復帰した後のベイダーとの戦いは復活を示すための戦いでもあった。SGタッグでの優勝を果たしたのは二人の関係の集大成だったのかもしれない。

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