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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

“人間風車” ビル・ロビンソン死去

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“人間風車” ビル・ロビンソン死去

ビル・ロビンソン
“人間風車”の異名を取り、現役レスラーとして国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスで活躍し、引退してからはスネークピットで後進の指導にあたっていたビル・ロビンソンさんが死去した、享年75歳。ロビンソンさんは10年間日本に滞在後アメリカへ帰国していた。


 自分がロビンソンの試合を初めて見たのは全日本プロレス中継で天龍源一郎と組みジャイアント馬場、ジャンボ鶴田組の保持していたインタータッグ選手権に挑戦した試合、ロビンソンのアドバイスで天龍はアントニオ猪木の必殺技だった延髄斬りや卍固めを繰り出し、試合には敗れたものの天龍の出世試合となった。だがこの頃のロビンソンは既にピークを過ぎており、翌年の第10回チャンピオンカーニバルにもエントリーしたが、ブルーザー・ブロディの台頭で一歩引いた存在になっていた。


 ロビンソンといえばアントニオ猪木との名勝負、猪木は敢えてロビンソンの懐に飛び込んでキャッチスタイルでの試合に挑み1-1の時間切れ引き分けという名勝負を展開した。しかし新日本の参戦は1度きりで、その後は全日本プロレスを主戦場にしてジャイアント馬場さんと対戦、馬場さんはロビンソンのスタイルに付き合わずプロレスで勝負したことでロビンソンは冷静さが鈍り敗戦、しかし勝った馬場さんよりロビンソンのスタイルで対戦した猪木の方が評価された。ロビンソン自身は評価しなかったがジャンボ鶴田との灼熱の死闘も名勝負、7月の蒸し暑い季節、また館内は超満員での熱気、TV中継用の照明で館内は蒸し風呂状態で鶴田と60分フルタイムドローだけでなく5分間の延長戦、裁いたジョー樋口レフェリーによると控室に戻った両者はグッタリだったという。またキラートーア・カマタを破りPWFヘビー級王者になったがワンハンド・バックブリーカーの多用で膝を痛め、初防衛戦の相手であるアブドーラ・ザ・ブッチャーに突け込まれて敗れ短期政権に終わってしまった。


 ロビンソンは引退後はラスベガスでガードマンを務めていたが宮戸優光氏の招きでスネークピットの顧問として来日し10年間日本に滞在した、滞在の際には「タモリ倶楽部」に出演し日本文化に溶け込もうとしているシーンを放送した。


 最後にカール・ゴッチとの関係、Gスピリッツでの鶴見五郎の証言を聞く限りでは互いにレスリング論をぶつけ合っていたというから、兄弟のような関係なれど頑固者同士じゃないかなと思う、天国に行ってもゴッチとレスリング論をぶつけあっているのかもしれない。


 人間風車、ビル・ロビンソンよ永遠なれ!


 ご冥福をお祈りします

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