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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

 略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

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中邑真輔とIWGP

 2003年12月9日、新日本プロレス・大阪府立体育会館大会。IWGPヘビー級王者だった天山広吉に中邑真輔が挑戦、当時の天山は11月の横浜アリーナ大会で高山善廣を破りIWGPヘビー級王座を奪取したばかりで初防衛戦、中邑はデビュー2年足らずながらも格闘技の申し子として期待を受けていた、また当時の新日本の図式は本隊vs鈴木みのる、高山善廣ら外敵プラス藤田和之などの格闘技路線の選手らによる猪木軍との対立が軸になっており、中邑は格闘技路線の選手ということで猪木軍に属していた。


 試合は天山が2年足らずの選手がIWGP挑戦はまだ早いといわんばかりに圧倒、館内の声援も天山に集中した、そして天山が勝負を狙って中邑をロープへ振ると中邑は切り返して下からの腕十字で捕獲、そして三角絞めへと移行してから再び十字で移行すると天山の腕が伸びきりギブアップ、中邑が勝利を収め、館内はまさかの番狂わせという大事件に騒然となった。
 そして中邑は翌年2004年の東京ドームのメインのリングに立ち、大晦日で対戦したアレクセイ・イグナショフ戦で顔面に負傷を追いながらも高山善廣を降し王座を防衛し、ドームの主役となった、新日本プロレスはプロレスも格闘技も出来る中邑を新しいスターとしようとしていた、だが連戦の影響で満身創痍の状態だったこともあって欠場し王座も返上した、当時の中邑にとってIWGPと新日本プロレスのエースの座は重い十字架だった。


 その後IWGP王座は天山へ戻り、佐々木健介からボブ・サップ、藤田、健介、天山、小島聡、天山、藤田、ブロック・レスナーへと渡った、中邑はサップ、小島、レスナーに挑戦したが王座を奪取することが出来なかったが、王座はサップが負傷を理由に王座を返上、藤田もレフェリーの不可解なレフェリングで王座を健介に明け渡し、そしてレスナーが棚橋との防衛戦を拒否して王座を持ったまま新日本を離脱するなど事件が続発、当時のIWGP王座は猪木が初代IWGP王座を持ち出して藤田に譲り渡したことにより権威が問われていたが、事件の続発でIWGP王座の権威はすっかりガタ落ちし、棚橋が新王者になったものの、当時のファンは棚橋プッシュと揶揄していたこともあって権威はすぐ回復しなかった。その間にも新日本は猪木が全株をユークスに譲り渡したことでユークス体制となり、2007年には猪木も新日本から去り、新日本は再出発することになった。


 2008年1月4日の東京ドーム大会で棚橋を破りIWGP王座に返り咲き、そしてカート・アングルを破り、レスナーに渡っていた三代目IWGP王座を回収することで新日本の主役になったと思われていたが、中邑の前に武藤敬司が立ちはだかった、4月27日の大阪府立大会で武藤の挑戦を受けるも武藤マジックの前に翻弄され、なす術もないままに敗れ王座を明け渡し、また10月の両国で対戦したものの武藤のフランケンシュタイナーの前に逆転負けを喫し、中邑はIWGPから一歩遠ざかってしまい、翌年の2009年1月4日の東京ドーム大会で棚橋が武藤を破りIWGP王座を奪取、2月に中邑が挑戦したが敗れ、新日本は名実共に棚橋時代の到来となるも、中邑は矢野通らと結託して反体制ユニットCHAOSを結成、存在感を誇示した。


 IWGP王座から一歩引いた中邑だったが突然チャンスが舞い降りた、中邑はG1の公式戦でこの頃から使い始めていたボマイェで棚橋を破り、棚橋は負傷で王座を返上、G1の優勝者である真壁刀義と王座決定戦を行った、G1の決勝戦では真壁には敗れたものの王座決定戦では必殺のボマイェでリベンジを果たし王座を奪取、しかし試合後にユークスに否定された猪木に挑戦状を突きつけたことで物議を呼んだ。だが猪木自身は引退しているとして対戦は実現しなかったが、この発言が中邑自身を大きく変えるきっかけとなった。


 2010年5月に真壁との再戦に敗れ王座から転落し、王座は真壁から小島、棚橋に戻り、中邑はそれぞれに挑戦するも敗れ王座には返り咲くことはなかったが、中邑はIWGPよりも自分自身を大きくアピールすることにシフトを変え、IWGPインターコンチネンタル王座を奪取してからは中邑自身が王座を自分色にすっかり染めてしまったことでIWGPヘビー級王座と同格に扱われるまで権威を高めてしまった。


 中邑真輔とIWGPは何だったのか?天山を破って初めて奪取してから、武藤に敗れるまではエースになるために宿命付けられたものだったのではと思う。しかし中邑自身がIWGPからは自分自身を高めたことで、IWGPいや新日本をも越えた存在になってしまったのではとないだろうか、中邑は更なる高みを臨んで新日本から旅立つ、中邑の次なる高みは・・・

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