タカラトミーの社長だったハロルド・ジョージ・メイ氏が新日本プロレスの社長に就任
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タカラトミーの社長だったハロルド・ジョージ・メイ氏が新日本プロレスの社長に就任
新日本プロレスがコカコーラ社の副社長、そしてタカラトミーの社長として辣腕を振るい、赤字経営だったタカラトミー社を黒字経営に転換させV字回復を達成した、ハロルド・ジョージ・メイを社長として招き入れることが報じられた。
<経歴・人物>
経歴・人物
1963年にオランダで生まれる。少年期は日本や米国、インドネシアなどオランダ国外で長く過ごした。
ニューヨーク大学大学院を修了後、1987年にハイネケンジャパン(現ハイネケン・キリン)に入社する。その後、日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)、サンスターを経て2006年9月、日本コカ・コーラに副社長兼マーケティング本部長として入社した。『コカ・コーラ ゼロ』のPRで「ゼロ侍」のキャラクターを採用したのは大の日本通であるメイの意見が採り入れられたものとされている
2014年3月、タカラトミー社長の富山幹太郎に迎えられ同社経営顧問を経て副社長兼COO兼海外事業統括本部長に就任する。2015年5月に同社の次期代表取締役社長兼CEOに内定したことが報じられ、6月24日付で就任した。メイの社長就任は前身のトミー時代を含め、1924年の富山玩具製作所創業(法人化は1953年)から91年目にして創業家である富山家以外かつ日本国外の出身者からは初の抜擢となる。
メイは入社当時赤字経営だったタカラトミーを立て直し、大幅黒字に転換させⅤ字回復に導いた。(2017年3月期決算)株価も入社以来3倍以上に上がっている。空港にガチャを設置させたり、様々な企業とのコラボレーション、ライセンスビジネスへの注力など、柔軟な発想で次々と新しいことを取り入れ、成果を上げている。企業のイメージアップにも力を入れ、学生への就職説明会でも自ら壇上に立ち会社説明を行うことが多い。その結果タカラトミーは「学生1・2年生が就職したいと思う企業・業種ランキング」で前回調査の70位から17位と大幅にランクを上げた。
ハイネケンから現在に至るまで、新ブランドの立ち上げや育成・強化、プロモーションなどを行い、ブランド構築といったマーケティングに特に精通している。日本人のような流ちょうな日本語を操る。ハロウィンには仮装して出社し、社内や地域を盛り上げるなど、その明るく親しみやすい人柄でも知られている。日本の歴史とプロレス好きとして知られる。
経歴を見るだけでもカルロス・ゴーン的な人物が新日本の社長として招かれたということになる。狙いは新日本の企業力の強化、将来的には株式の一部上場も目指していることから、更なる強化が必要ということで、今回はブシロードからの派遣ではなく、外部から招いたと見ていいだろう。
外部からの登用は良いイメージをもたれていないのも事実かもしれない、2004年に新日本はオーナーだったアントニオ猪木の強権発動で、経営コンサルトだった草間政一氏を外部から社長として招き、草間氏はこれまでのドンブリ勘定的な経営体質を改めようとしたが、猪木の本当の目的は自身に金を出すことを渋り出した新日本が不正を働いていると疑い、草間氏に調べさせ経営を健全化させた上で、新日本から金を引き出させることだった。
しかし草間氏は任期半ばで退社に追いやられた、理由はいろいろ言われているが、周囲から反発を招いていた草間氏を誰もサポートする人間がいなかったこと、いや草間氏は業界の人間を誰も信用せず、猪木の後ろ盾だけを武器にして独走したが、経営は改善されても、経営体質の改善は望まなかった猪木からも梯子を外されたことで解任され、草間氏は報復として新日本の経営状態を暴露し、新日本の経営危機に拍車をかけたが、結果的には猪木体制の崩壊へと繋がっていった。経営体質の改善はユークス体制になってから成し遂げることが出来たが、今思えば草間氏一人の力では限界であり、草間氏自身がそれをわかっていなかったのかもしれない。
これからの新日本プロレスはますます企業力が上がっていくことは間違いないと思う、新社長が新日本プロレスの光景をどう変えていくのか、注目していきたい。
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