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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

 略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

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”大器晩成”という言葉が似合うレスラー・真壁刀義

真壁刀義  
今年で真壁刀義がデビュー20周年を迎えたが、真壁ほど大器晩成という言葉が似合うレスラーはいないと思っている。


それを表したのは2007年4月8日の後楽園大会で行われた中邑真輔とのシングルマッチだった。


試合は真壁の開始直前の要求に中邑が応じてチェーンデスマッチとして行われたが、真壁は急所蹴りやイス攻撃、テーブル攻撃、GBHの介入を駆使するなどラフで中邑を圧倒し流血に追い込む、最後も矢野通の介入に気を取られた中邑に真壁が後頭部ラリアットからチェーンラリアットを浴びせると、最後はキングコングニードロップで3カウントを奪い、試合後も勝ち誇る真壁が客席でこう叫んだ「新日本ファン、中邑のク○ファン、せっかくの日曜日に残念だったな。 小僧はここで負けた。そう、それが現実だ!」この真壁の叫びこそが今まで燻っていた真壁が覚醒して一気に弾けた証でもあり、ファンは真壁にブーイングを浴びせ、物も投げつけたが、ブーイングや物も真壁にしてみれば勲章みたいなものだった。新日本プロレスワールドですらない隠れた名勝負だったが、真壁の名勝負を挙げるとすれば自分はこの試合を挙げたい。


真壁の師匠格である長州力も不遇の時代を経験し、藤波辰爾に叛旗を翻すことで一気に弾けて、日本プロレス界を代表するレスラーとなったが弾けて覚醒するまで8年はかかったものの、真壁の場合は不遇の時代が長すぎて弾けて覚醒するまで10年もかかってしまった。
真壁刀義
90年代の新日本プロレスは闘魂三銃士(橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋)の全盛時代で、2000年に入ってもアントニオ猪木が格闘技路線を推進し始めたこともあって、真壁にとって不遇の時代が続いたが、ユークス期になり選手がリストラなどで次々と去ったことで残った真壁が台頭するきっかけとなり、またアパッチプロレス軍に参戦し一人敵地にたったことで真壁はヒールとは何か、プロレスとは何かを見つめなおすきっかけとなった。それを考えると真壁はユークス期の新日本が生んだ産物だったのかもしれない。
真壁刀義
またブシロード体制となってスイーツ真壁として違う一面を見せたことで、真壁は日本を代表するトップレスラーの地位を確固たるものにした。もし猪木体制が継続していたら真壁は台頭することなく新日本を去る選択をしてもおかしくはなかった。


今年で20周年を迎えた真壁だが、あの長い不遇の時代が過去のものとなりつつある、だが不遇の時代があって今日の真壁がある。真壁は雑草男の異名を取っているが、自分は大器晩成という言葉が似合うレスラーという異名も贈りたい。


最後に真壁刀義選手、20周年おめでとうございます。


 

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