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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

小橋健太の思い出③川田利明との激闘

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小橋健太の思い出③川田利明との激闘

 小橋建太の思い出の一つとしては川田利明戦、二人の試合は生で観戦した試合は3試合、最初に見た試合は1993年4月14日名古屋市体育館大会でのチャンピオン・カーニバル公式戦、この時は20分も越える熱戦だったが川田がパワーボムで勝利を収めた。この年の優勝はスタン・ハンセンだったものの川田はこのシリーズを最後に超世代軍を離脱し田上明と合体して聖鬼軍を結成、小橋は三沢の正パートナーに昇格となって四天王プロレス時代へと突入していった。


 そして最も印象深い試合は1995年1月19日大阪府立体育会館で行われた三冠ヘビー級選手権、当時は川田がスティーブ・ウイリアムスから三冠王座を初めて奪取し初防衛戦の相手として小橋が挑戦することになった、また大阪で三冠選手権が開催されるのは1989年4月の鶴田vs天龍源一郎戦以来で約6年ぶり、自分も大阪で開催される三冠選手権を楽しみにしていた。ところが17日に阪神淡路大震災が発生、全日本大阪大会の開催も危ぶまれていたが、選手らが無事だったのと府立体育会館に損傷がなかったこともあって予定通り開催されるも、TV収録はなくなってしまいノーテレビとなった。


 当日は冬空だったこともあって大阪も暗い雰囲気が漂っていたが、試合は序盤から白熱する攻防を展開、時間などあっと過ぎてしまい気がつけば50分経過のアナウンスが出る、この時自分は「時間がない!」と叫んでいたのを憶えている、終盤には川田のドラゴンスープレックスが炸裂しクリアする小橋はサードロープへすがって彷徨うも、川田がパワーボムを狙い小橋が踏ん張ったところで60分フルタイムのドロー、館内は“全日本”コールが巻き起こった・・・あの60分間は暗い雰囲気を忘れさせ、一筋の光明を見た気分となった。
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 最後に二人の試合をたのはあれから5年後の1月17日の府立体育館、この時の全日本は馬場さんが死去し三沢体制へと移行しており全日本も三沢、川田から小橋、秋山準へと雰囲気が出来つつあった、また大震災から5年ということでこのカードが組まれたが試合は小橋が豪腕ラリアットで完勝、川田も前シリーズの最強タッグを肘の負傷で欠場していたことから病み上がりで本調子にはほど遠く、時分もやらなくて良かったのではと思ってしまった。皮肉にも二人のシングルは三沢がNOAHを旗揚げし小橋が追随したことによって2000年1月の試合が最後となってしまった。

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