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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ダイナマイト・関西、JWPの思い出

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ダイナマイト・関西、JWPの思い出

JWPのパンフレット
 11日のOZアカデミー後楽園大会をもってダイナマイト・関西が引退する。


 関西がエースとして活躍していたJWPは自分にとって思い出深い団体だった、JWPを始めて観戦したのは1993年大阪天保山のベイサイドジェニー、当時のJWPは所属選手層も薄かったものの少数精鋭、その中で関西は絶対エース的存在であり、また団体もアットホーム的な感じで、全日本プロレスがモットーとしていた「明るく、楽しく、激しく」に近い部分もあったため、JWPも頻繁に観戦するようになった。


 当時の女子プロレスは全日本女子プロレス、LLPW、FMW女子の4団体を中心とした団体対抗戦時代、関西はWWWA王者だったアジャ・コングに2度に渡って挑戦したものの惜敗、関西のアジャ越えは関西の最大のテーマであり、全女の至宝であるWWWA王座奪取はJWPの悲願でもあった。


 1994年8月24日、自分が始めて日本武道館でプロレス観戦したのは全日本女子プロレスだったが、メインはアジャ、そしてこの年の10月の東京ドーム大会をもって引退を表明していた北斗晶vsダイナマイト・関西、堀田祐美子で、試合形式はイリミネーションルール(オーバー・ザ・トップロープなし)で行われたが、堀田が退場後は関西が孤立するも、関西はアジャを降し、最後は残った北斗をスプラッシュマウンテンで降した、試合後は北斗にいじられていた山本雅俊氏が関西の腕を挙げるなど満面の笑みを浮かべていたが、山本氏にとって関西は自慢のエースだった。


 1995年8月30日の全日本女子プロレス大阪府立体育会館大会で山本代表のゴリ押しもあって、アジャの保持していたWWWA王座に再び挑戦、関西にしてみれば大阪での挑戦は背水の陣だったが、アジャの右手を破壊した関西は奥の手である通天閣スペシャルで3カウントを奪い念願だったWWWA王座を奪取、このときも山本代表が関西の王座奪取を大いに喜び、JWPのグッズスペースでも握手攻めにあったが、このときが関西の一番のピークだった。


 WWWA王座を豊田真奈美に明け渡した翌年に内臓疾患で長期欠場、奈良大会で復帰し自分も観戦するも、痩せた印象を受けたがこのときから関西の病気との戦いは始まっていたのかもしれない。


 関西は旗揚げメンバーが引退や死去などで次々去り、同期の尾崎魔弓の退団がきっかけとなってJWPを退団、フリーとしてGAEA JAPANに参戦、GAEA解散後はOZアカデミーと参戦するも、JWP時代の輝きは取り戻せなかった。(自分もJWPだけでなく女子プロレスからも足が遠のいていったが・・・)


 そして今日ダイナマイト・関西が引退する。また自分が始めてJWPを観戦した会場であるベイサイドジェニーも閉鎖していた、自分的にはJWPを見ていた頃ももう昔になったんだなと思うと寂しさを感じた…


 関西選手、ご苦労さまでした!

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