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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

天龍源一郎のパワーボムはオリジナルホールド

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天龍源一郎のパワーボムはオリジナルホールド

 天龍源一郎の必殺技といえばパワーボムが思い浮かぶ、パワーボムは元々“鉄人”ルー・テーズが元祖だが、今で言う投げっぱなしの形で使われ力道山や豊登を破ったものの、テーズはパワーボムをなぜか嫌っていたという、パワーボムをテーズがテリー・ゴーディに伝授、日本で始めて喰らったのは天龍だった。


 昭和58年ごろの天龍は延髄斬りやDDT、テキサス・クローバーホールドを必殺技にしていたが、これぞ天龍という必殺技にはめぐり合っていなかった、8月にゴーディが来日を果たしタッグで天龍が迎え撃ち、天龍はゴーディのパワーボムを喰らってフォール負けを喫したが、天龍はダメージ以上に衝撃を受けたという。


 天龍は早速パワーボムの会得しようとするが、ゴーディのパワーボムは肩膝をついて落とすスタンプ型では膝に負担がかかる、ゴーディもそのためか膝の手術を受けていた、天龍は相撲の股割を応用して両足の裏をつけたまま膝を曲げてしゃがみこみ、落下のダメージよりも体重を乗せてがっちりエビで固めることの方を重視した「ホールド型」に改良した。


 以降天龍のパワーボムは天龍の代表的な必殺技になり、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田だけでなくアントニオ猪木や長州力まで破る代名詞的な技となった。


 そして天龍がパワーボムを最後にフィニッシュに使ったのは2002年7月17日、全日本プロレス大阪大会での小島聡戦、腰を悪くした天龍はパワーボムを使わなくなり53歳やラリアットをフィニッシュにしていたが、小島が全てクリアしたため天龍は奥の手としてパワーボムを解禁し小島を降した。


 天龍は引退試合でのオカダ・カズチカ戦でパワーボム解禁を予告した、天龍の代名詞と言われたパワーボムが果たしてオカダに決まるのか?

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