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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

天龍源一郎と反選手会同盟

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天龍源一郎と反選手会同盟


 WARを旗揚げした天龍源一郎だったが、旗揚げ前に「引退試合は長州力とやりたい」と発言してから長州も呼応したことで新日本プロレスに急接近し始め、対長州の気運が高まるかと思いきや、天龍の前に越中詩郎率いる“反選手会同盟”後の平成維震軍が立ちはだかった。


 天龍と越中は全日本プロレス時代からの関係で天龍はトップ選手だったが、越中はジャイアント馬場の付き人だった。メキシコ修行中の越中は新日本プロレスへ移籍を決意、越中は筋を通すため帰国し馬場も引きとめようとしたが、天龍が馬場を説得し馬場は渋々越中の退団を認め、天龍は退団する越中に餞別として餞別としてつかみきれないほどの一万円札を越中のポケットにねじ込んだ。越中にしてみれば天龍は恩人だが皮肉にも敵として天龍に立ちはだかり木村健悟、青柳政司、斎藤彰俊と共にWARのリングに乗り込んだ。


 WARに乗り込んだ越中らは早速WARを蹂躙、2戦目から天龍が対新日本に加わるも越中ら“反選手会同盟”の勢いに押され完敗、懐刀だった阿修羅原や冬木弘道も負傷欠場してしまい、新日本の勢いの前に天龍率いるWARは窮地に立たされる。


 背水の陣へと追いやられた天龍は1992年10月23日の後楽園大会で北原光騎と組んで越中、木村を迎え撃った、自分も今でも憶えているが越中は完全にアウウェイ(敵地)を意識してか木村と共にラフファイトを展開して天龍ファンの怒りを煽り、ファンは越中らに物を投げつけるなど館内は殺伐した雰囲気となる。(後になってわかったことだが新日本ファンと天龍ファンの間でケンカにもなったという)
 試合も北原が捕まる展開となるが、天龍が盛り返し青柳、彰俊の介入も対抗戦に乗り気でなかった石川敬士を始めとするWAR勢が懸命に阻んで大乱闘となる。最後は天龍が越中をパワーボム2連発で降して改めて新日本プロレスへ乗り込むことをアピールした。


 天龍は新日本プロレスに参戦し12月大阪で行われた越中とのシングル戦に勝利したあとで、翌年1月4日では久しぶりに長州と対決、パワーボムで降し長州から初フォールを奪った。

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