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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

天龍の苦悩・・・・外からだけでなく内からのバッシングに悩まされる

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天龍の苦悩・・・・外からだけでなく内からのバッシングに悩まされる

 1990年10月9日、横浜アリーナでSWSが旗揚げするも、週刊プロレスのバッシングは治まらず、試合内容や演出まで酷評するも、遂にSWSは週プロに対して取材拒否を通達、週プロのバッシングはひとまず終息した。


 しかし次に天龍にまっていたのはSWS内からのバッシングだった、SWSには全日本だけでなく新日本プロレスからも選手が引き抜かれ、また全日本から引き抜かれた選手の中にも、元国際プロレスや元ジャパンプロレスと外様が中心という寄せ集めで、ほとんどが天龍を慕って退団したわけではなかった。


 天龍は相撲にちなんで部屋同士の対抗戦をカード編成の主体とした相撲部屋制度を提案し採用されると、天龍を慕って集められた『レポリューション』、ジョージ高野ら元新日本プロレスが中心となった『パライストラ』、谷津嘉章やケンドー・ナガサキなど元国際やジャパンまた全日本が中心となった『道場・激』と選手らが振り分けられたが、天龍が提案した部屋別制度が派閥に変わり、また現場責任者が「レポリューション」のザ・グレート・カブキが担当し、天龍中心のマッチメークを組むことから『パライストラ』、『道場・激』らから反発を受けるようになった。
『パライストラ』『道場・激』ら反天龍派は社長だった田中八郎氏に直訴し、田中社長も丸く治めようとして現場に介入するなど、外だけでなく内からのバッシングにも天龍は悩まされるようになった。


 その中で『レポリューション』所属だった北尾光司が対戦相手のジ・アークシェイク・ジョン・テンタに対して試合無視のセメントを仕掛け、試合後には“八百長野郎”と言い放つ事件が起きてしまう。背景にはカブキの指示に従わず折り合いが悪くなっていた北尾に反天龍派が“焚きつけた”ことが真相だったが、事件は内からの天龍バッシングに利用され、天龍は責任を取る意味で取締役を含めた全役職辞任を申し出るが、この時の天龍は全て投げ出したかったのではないかと思う。


 しかし北尾の解雇だけに留まり、田中社長は会長に下がって天龍が社長に就任、部屋別制度も一旦棚上げとなり、部屋別にこだわらないカード編成となったが、実際は田中氏がSWSを天龍に押し付けて下がったに過ぎず、また全てが丸く治まったわけでなく、派閥闘争の火種は燻ったままだった。

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