“外敵”長州力を迎え撃った天龍源一郎
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“外敵”長州力を迎え撃った天龍源一郎
昭和60年に新日本プロレスを離脱、ジャパンプロレスへと移籍した長州力が全日本とジャパンとの業務提携で全日本プロレスへと参戦、今まで日本人vs外国人が主だった全日本に日本人抗争に波が押し寄せてきた。
その長州を先陣を切って迎え撃ったのは天龍源一郎、長州にいきなりジャンボ鶴田をぶつけなかったのは、「鶴田と長州を一緒にしてもらいたくない」というジャイアント馬場さんなりの考えがあったからかもしれない。
長州と天龍が初めてシングルで対戦したのは昭和60年2月20日の大阪城ホールでのジャパン主催興行、天龍はこの試合でパワーボムを初披露するが決め手にはならず、場外でのリキラリアットを喰らうと、エプロン際でバックドロップを喰らってしまいリングアウト負け、2度目は6月21日日本武道館で対戦するも反則勝ちとなって1勝1敗、しかし長州が次第に鶴田戦や天下獲りへの野望へとシフトしていったため、長州との抗争は一旦中断、天龍は谷津嘉章との抗争でお茶を濁すようになる。
全日本マットで最後に対決したのは1年後の昭和61年9月3日の大阪城ホール、試合は天龍の反則勝ちだったが、この時天龍は長州が新日本に戻るのではと予感していたという。
天龍の予感が当たったのか昭和62年にジャパンプロレスが分裂し長州は新日本へUターンしてしまい、天龍と長州が再びシングルで対戦するのは平成5年1月4日新日本プロレスのリングだった。
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