伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

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プロレス2014①全日本プロレスの看板はジャイアント馬場さんへと戻った

 2014年7月4日、全日本プロレスは白石伸生氏のレッドウォールジャパン社から独立、新会社「オールジャパン・プロレスリング」を設立し秋山準が社長に就任、全日本プロレスの名前も引き続き使用されることになり、新体制となった全日本は再スタートを切った。


 白石伸生体制の全日本プロレス・システムズは今年初めからオーナーだった白石氏が「現場に更なる奮起を促すため」を理由にして資金注入を止めたが、本当の理由は白石側の資金繰りの悪化だった。

  
 資金を止められた全日本プロレスは選手やスタッフのギャラ、また取引業者への支払いが滞り始め、日程の発表の遅れが影響したのか、これまで放送してきたGAORAでの全日本プロレス中継も不定期となり、また武藤敬司側であるWRESTLE-1の北米支部長であるジミー鈴木氏がツイッターで全日本の内情と全日本の社長を務めていた井上博太氏が失踪したことを暴露・・・、おまけに白石氏の暴走ブログの影響で後楽園ホール大会も実数発表とはいえ689人にまで落ち込むなど、全日本が危機的な状況に陥っていることは明らかだったが、白石氏は自己満足を満たすためにブログで暴走し続け、現状を見向きもしようとしなかった。


 全日本が崩壊一歩手前まで追い詰められた状態で秋山が白石氏から独立を決意したが、その背後には全日本の創始者であるジャイアント馬場さんの未亡人である馬場元子さんの存在があった。


  元子さんは三沢光晴らが退団しNOAHを旗揚げしたために社長に就任したものの三沢らの離脱の影響が大きかったのか経営が芳しくなく、馬場さんの側近だった和田京平レフェリーが“このままでは馬場さんの遺産まで全日本につぎ込んでしまう”という配慮から元子さんに退陣を進言、元子さんも進言を受け入れて新日本プロレスから移籍した武藤敬司に全日本を譲り渡し退陣、以降は道場や三冠ベルトの貸し出しという形のみで武藤体制の全日本にはノータッチだった。


 秋山は独立にあたって元子さんに相談したとしているが、宝島社が出版した「プロレス疑惑の男」によると元子さんは11月頃から和田京平氏を社長とする「全日本プロ・レスリング」を設立していたという。この頃は元子さんはブログにて旧三冠ベルト返還を通じて白石体制の全日本に対して絶縁を通告していた。それを考えると秋山らの独立もかなり前から計画していたことになる。


 なぜ元子さんが再び全日本に携わることになったのか、決定的な理由は全日本が崩壊すればジャイアント馬場さんの名前が傷かつくからだと見ている、全日本プロレスは馬場さんのイメージが強過ぎる、いくら代替わりしたとしても崩壊となれば創始者である馬場さんの顔にも泥を塗ることになる。それに馬場さんは引退後は「全日本の看板はオレが持っていくから」と誰にも譲り渡す気はなかった、元子さんにしてみれば三沢や武藤には譲り渡しても、馬場さんの王道そのものを否定し、ファンからの信頼を裏切り続ける白石氏はどうしても許すことが出来ず“こんな人間に馬場さんの全日本を譲るわけにはいかない”と考えたのではないだろうか・・・


 7月に元子さんのバックアップでスポンサーを獲得した秋山の「オールジャパン・プロレスリング」は始動し、白石氏との話し合いの結果「全日本プロレス」の名称は使用できるようになったが、無償譲渡とされたはずが直前にまで話し合いが難航、その中で全日本システムズが抱えた負債までが秋山体制に引き継がれることが明らかになったが、秋山らは無事独立するまで白石氏に対して言いたいことは抑え、敢えてクリーンに別れるために白石氏の負の財産まで引き継ぐことになった。


 秋山全日本は無事再出発したが、今思えば三沢や武藤、白石氏に渡った全日本の看板が秋山ではなく馬場さんの下に帰ったに過ぎない。三沢と武藤が目指したものは馬場さんの存在を封じ込めて全日本を自分色に染めることだったが、三沢も武藤も馬場さんの存在は封じることは出来ず、三沢はNOAH、武藤はWRESTLE-1を旗揚げして全日本を離れていった。


 新日本プロレスが創始者であるアントニオ猪木色を廃し、新日本の独自カラーに染め上げて今日に至っているとおり、全日本プロレスはジャイアント馬場さんという存在から抜け出すことが出来ない、秋山体制の最大の課題は秋山が自分色に染めつつ、いかにジャイアント馬場さんと向かい合うかが課題となってくる。


 最後に全日本プロレスの看板は全日本が存在する限りジャイアント馬場さんという存在は脱することはない、果たして秋山はどう向き合っていくのだろうか・・・ 

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