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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

田上明はジャンボ鶴田の最後の正パートナーだった

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田上明はジャンボ鶴田の最後の正パートナーだった

 今日はジャンボ鶴田の命日、そして昨日に田上明が引退を表明したことで、鶴田と田上のタッグについて書きたいと思う。


 鶴田は過去にジャイアント馬場さん、天龍源一郎、2代目タイガーマスクこと三沢光晴、谷津嘉章、ザ・グレート・カブキと組んできたが、鶴田にとって田上は最後の正パートナーだった、
 

 1990年に天龍源一郎だけでなく中堅や若手が全日本プロレスを退団して設立したばかりのSWSへと移籍していった、当時の鶴田は谷津嘉章、ザ・グレート・カブキと組んで三沢光晴率いる超世代軍の壁となっていたが、谷津が退団してSWSへと移籍、鶴田はカブキと組んでテリー・ゴーディ、スティーブ・ウイリアムス組を破り世界タッグ王座を奪取したが、シリーズ終了後にカブキも全日本プロレスを退団してSWSへと移籍、鶴田は正パートナーが不在の状況となってしまい、その鶴田のパートナーに抜擢されたのは超世代軍の一員だった田上だった。
 

  
 田上は鶴田軍の一員となり、三沢率いる超世代軍やスタン・ハンセン、ゴーディ、ウイリアムス率いる外国人組と対戦していったが、タッグを結成した当時はいきなり超世代軍から鶴田軍へ移ったことでの戸惑いもあったのか田上自身がドタバタしていて、鶴田や鶴田軍の参謀格だった渕正信がリードしているという印象が強かったが、組んだ当初は鶴田も我慢していたと思う。田上も鶴田のファイトスタイルを模倣するなどして鶴田の足手まといにならないように懸命に喰らいついていった。


 世界タッグ王座はなかなか獲得することが出来なかったが1992年にゴーディ、ウイリアムス組を破ってやっと獲得、だがこの頃から鶴田の体調が悪くなった影響なのか、鶴田が一歩引いて田上がフィニッシュを任される機会が増えていった。そして10月にゴーディ、ウイリアムス組を破り王座を防衛した後、世界最強タッグリーグ開幕直前で鶴田がB型肝炎で欠場、長期欠場することで田上とのコンビは解消となった。チームとしての実働期間は2年で世界タッグ王座は1回だけだったが、鶴田とのタッグで田上も成長して今日があるではと思う。

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