千代の富士と大日本プロレス構想
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千代の富士と大日本プロレス構想
昭和の名横綱の一人である千代の富士こと九重親方が死去した、享年61歳。
なぜここで千代の富士のことを触れるのかというと、一度だけプロレス入りの話があったからだった。
仕掛け人はタイガーマスクの原作者である梶原一騎で、社長には当時野球解説者だった豊田泰光氏、役員には元日本プロレスである吉村道明と当時梶原氏の用心棒的存在だったユセフ・トルコが就任し大相撲の高見山(東関親方)と千代の富士をエースとした「大日本プロレス」を1978年に旗揚げしようと計画していた。
しかし役員の一人が出資金である1億5000万を全額使い込んでしまい計画は頓挫してしまったが、使い込みはなかったらグレート小鹿より先に大日本プロレスが旗揚げされていたのかもしれないが、高見山と千代の富士がプロレス入りをするかどうか、今となっては真意はわからない。
その後梶原氏とトルコ氏の「大日本プロレス」構想は昭和58年に再び再燃し、アントニオ猪木とジャンボ鶴田、維新軍団を起こしたばかりの長州力、アニマル浜口をエースとして計画されたが、ここでも若いスタッフが出資金を全額使い込んでしまい頓挫、梶原氏だけでなくトルコ氏も恐喝事件で逮捕され計画は永遠に封印された。
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