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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

マット界の"ベルリンの壁崩壊"から始まった新日本と全日本のつかの間の共闘関係

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マット界の"ベルリンの壁崩壊"から始まった新日本と全日本のつかの間の共闘関係

 1990年2月10日、新日本プロレス東京ドーム大会「スーパーファイトin闘強導夢」に全日本プロレスからジャンボ鶴田、天龍源一郎、スタン・ハンセン、谷津嘉章、2代目タイガーマスク(三沢光晴)ら当時の全日本ビッグ3が参戦、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のB・Iの対立期がまだまだ続いていた時代に、新日本のドーム大会に全日本プロレスが参戦は今までありえない出来事だったことから「マット界のベルリンの壁が崩壊した」と言われた事件だった。


 きっかけは1989年に新日本プロレスがこれまで社長だったアントニオ猪木が政界進出を契機に社長を坂口征二に譲り渡して退任したことから始まった。全日本の社長だった馬場は猪木には何度も裏切られたこともあって信用できなかったが、日本プロレス時代の後輩でウマが合う坂口だったら話し合いが出来ると考えていた。


 新日本プロレスは1990年2月10日に東京ドーム大会の開催を発表、カードはこれまで政界進出でリングから離れていた猪木の復帰戦で、社長業専念で引退を決めていた坂口との黄金コンビで、これから売り出しにかかる橋本真也、蝶野正洋とのタッグマッチ、元横綱・北尾光司のデビュー戦(vsクラッシャー・バンバン・ビカロ)、NWA世界ヘビー級選手権試合で王者リック・フレアーに武藤敬司がグレート・ムタとして挑戦する豪華カードが組まれた。フレアーは元々全日本に参戦していたが、坂口がフレアーの新日本に貸し出しを申し入れ、代わりに馬場がスティーブ・ウイリアムスの貸し出しを申し入れたことで、取引が成立しフレアーが新日本、ウイリアムスは全日本に参戦することになった。当時の全日本は折り合いの悪いジム・クロケット・プロモーションことWCWの一部と化したNWAから離脱していたことから、フレアーが新日本に参戦しようが文句はなく、新日本もピークの過ぎた猪木に対して殺人バックドロップを決めるなど、手加減を知らずに痛めつけていたウイリアムスをもてあましていたことから、利害が一致してのトレード成立だった。



 ところが1月にWWF(WWE)のボスであるビンス・マクマホンが突然来日し、全日本プロレスの馬場、新日本プロレスの坂口と共同会見を開き、4・13東京ドームで「日米レスリングサミット」の開催を発表する。WWFはかねてから日本市場の参入を計画しており、そのために全日本プロレスでブッカーを務めていた佐藤昭雄を雇い極東支部長に据えたが、WWF単独による日本侵攻は無理と判断し、逆に国内で受け皿的団体を持つことを選択、佐藤のルートで師匠・馬場のいる全日本に話を持ち込まれ、馬場から坂口に話を持ち込んで共同開催となった。馬場がWWFに協力しつつ、新日本と協調関係を結んだのは、新日本とタッグを組んだことでWWFの日本侵攻を食い止められるという判断からで、いざとなれば新日本と組んで対抗するというものをWWFに示すためのものであった。


 しかしこの動きに面白くなかったのはWWFに対抗していたWCWで、新日本に対してフレアーとムタのドーム大会参戦にストップをかける措置を取ってしまう。フレアーが来日できないと坂口から報告を聞いた馬場に困った。フレアーが来日できないということはウイリアムスとのトレードは成立せず、日米プロレスサミットも馬場から持ち込んだ話だったこともあって、坂口に貸しを作ってしまうからだった。そこで考えたのは鶴田、天龍、ハンセンらの主力の貸し出しだった。馬場は坂口に「社長就任のご祝儀だ」としたのは、新日本にしてみればフレアーと全日本の主力を比重にかけると、全日本の主力勢の方が重い、ウイリアムスを貸し出すだけで全日本の主力勢を釣ることが出来たことを考えると、ウイリアムスは安いものだったが、馬場からしてみれば鶴田ら主力を貸すことで全日本に借りを作らせる。そういった意味では政治的な駆け引きでは坂口より馬場の方が上だったのかもしれない。


 「スーパーファイトin闘強導夢」も無事終わり、「日米レスリングサミット」も無事終わった。結局全日本とWWFの関係はこれ1回限りとなったことで、WWFの日本進出は一応食い止められることになったが、「日米レスリングサミット」が終わってしばらくして、天龍源一郎を始めとする選手達が全日本から大量離脱し、メガネスーパーが設立した団体SWSへ移籍する事態が起きてしまう。新日本もジョージ高野、佐野直喜(巧真)が引き抜かれるだけでなく、武藤敬司もSWSから引き抜きのターゲットにされたことで、全日本と新日本はWWFからSWSを相手にして共闘関係は継続されることになり、新日本からビガロが全日本に助っ人で派遣され、ウイリアムスも新日本との契約が残っていたことから両団体を股にかけて参戦し続けた。ところが新日本の役職から退いていた猪木が会長として復権すると、猪木の意向でSWS対策から新日本が手を引いてしまった。猪木からしてみれば政界で忙しくしている間に坂口が馬場と組んでいることが面白くなく、また選手から逃げられた全日本はまもなく潰れるから助ける必要はない考えていたのかもしれないが、せっかく崩壊したベルリンの壁はまたしてもB・Iという微妙な関係のせいで新たなる壁が作られてしまった。



 SWSと単独で戦わざる得なくなった全日本だったが、退団した天龍に代わってタイガーマスクから卒業した三沢が台頭、新しい時代を生むきっかけを作る。日本進出を諦めていないWWFはSWSと提携し、WWFとの提携に失敗した新日本もWCWと提携を結ぶ、全日本へトレードされたウイリアムスは新日本との契約がクリアされるまでは新日本と全日本の両団体を股にかけて参戦したが次第に全日本へと戦いの軸を置きはじめ、新日本との契約が終わると全日本の専属となってハンセンに代わるトップ外国人選手へと昇りつめていった。

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