忍者ブログ

伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

ボブ・サップもIWGPヘビー級王者だった・・・

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

ボブ・サップもIWGPヘビー級王者だった・・・

 話が少し遅くなるが新日本プロレス1月4日東京ドーム大会のカードが変更され第1試合の6人タッグマッチ(中西学、MVP、ストロングマンvs矢野通、飯塚高史、高橋裕二郎)が本隊側に曙、CHAOS側にボブ・サップが加わり、8人タッグマッチ(中西、MVP、ストロングマン、曙vs矢野、飯塚、裕二郎、サップ)に変更となった。


 曙とサップは「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」で対戦しサップがKO勝利を収め瞬間視聴率も紅白歌合戦を超えたが、あれから9年も経つとは時の流れを感じてしまう。


 またサップが新日本に参戦するもの8年ぶり、サップもかつてはIWGPヘビー級王者でもあった。サップは2002年からPRIDEに参戦、それ以降はFEG体制のK-1の“顔”となって「INOKI BOM-BA-YE 2002」での高山善廣戦では高視聴率を獲得、2002年のプロレス大賞も受賞、バラエティー番組などにも出演するなど絶大な人気を誇っていた。


 サップが新日本のリングに参戦したのも絶頂期である2002年から当時ブッカーを務めていた上井文彦氏がサップの人気とレスラー経験のあることに目をつけて谷川貞治氏にサップ参戦のオファーをかけ、同年の10月14日の東京ドーム大会では中西と対戦、サップはドロップキックで中西を場外へ吹き飛ばしリングアウト勝ちを収め、その後もビッグマッチ要員として新日本に参戦した。


 2004年3月28日に魔界倶楽部の一員となったサップは佐々木健介の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦して奪取、試合後に魔界倶楽部を裏切ってK-1ファイターらをリングに呼び込んでジャック、新日本vsK-1の図式を作り上げた。


 サップは5月の東京ドームで中邑真輔を破り初防衛を果たし、6月の大阪府立体育会館大会では棚橋弘至との防衛戦が決まっていたが、その直前の5月22日に開催された「K-1 ROMANEX」で藤田和之と対戦するも藤田の打撃の前にワンサイドで敗戦を喫してしまい、サップは試合後に負傷を理由にして王座を返上、6月の大阪大会ではサップの代わりに藤田が出場して棚橋と王座決定戦となるも、このときはアントニオ猪木が初代IWGPベルトである猪木ベルトを持ち出して藤田に巻かせるなどしてIWGPの権威が問われた。


 しかし藤田vsサップ戦がきっかけになったのかサップの商品価値が一気に落ちてしまい凋落の一途をたどってしまった、 今思えば新日本とサップは何だったのかというと、新日本にしてみればサップは人気もあったことから集客力のある存在だったが、サップを壊してしまったのは皮肉にも猪木の遺伝子を引き継いだ藤田だったということ、これも猪木からのメッセージだったのかどうかは定かではない。


 サップは今ではIGFのかませ犬要員、かたやサップが破った曙はプロレス界では引っ張りダコ、9年間は二人の立場を大きく逆転させてしまった。その二人がこうしてまた出会うのもプロレスの面白さかもしれない。

PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。