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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

チャンピオンカーニバルヒストリー⑤ 復活チャンカン!三沢の前に立ちはだかった鶴田とハンセン

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チャンピオンカーニバルヒストリー⑤ 復活チャンカン!三沢の前に立ちはだかった鶴田とハンセン

 1982年の第10回を節目に総当りリーグ戦方式の「チャンピオンカーニバル」は封印、以降9年間は「グラウンドチャンピオンカーニバル」と銘打って通常シリーズとして開催されていたが、総当りリーグ戦での「チャンピオンカーニバル」が1991年に復活した。

<1991年の出場選手>
Aブロック=三沢光晴、小橋健太、スタン・ハンセン、ダイナマイト・キッド、ダグ・ファーナス、ジョニー・エース、テキサス・ターミネーター・ホス
Bブロック=ジャンボ鶴田、川田利明、田上明、ダニー・スパイビー、ダニー・クロファット、ジョニー・スミス、キャクタス・ジャック

 リーグ戦は2ブロック制が取り入れられ、この頃の全日本は天龍源一郎がSWSへ移籍したことを受けて、中堅選手などが大量に離脱するも、代わりに三沢率いる超世代軍が台頭、超世代軍の壁として鶴田と外国人トップだったハンセンが立ちはだかっていた。出場メンバーは9年前までのチャンカンを経験しているのは鶴田のみで、それ以外は初出場、後にWWEでミック・フォーリーとなるキャクタスはまだまだ無名だった。

3・23後楽園で開幕戦が行われ、まずAブロックではハンセンがキッドをウエスタンラリアットで下して白星発進、ホス、エースを降し、4・6大阪では三沢までも降し、ファーナス、小橋を降して全勝でAブロックを突破、Bブロックは鶴田が26日の秩父でキャクタスを降してから田上、クロファット、4・6大阪では川田を破り、スミス、スパイビーを降して、全勝でBブロックを突破する。(エースはシリーズ中に負傷欠場する) 全勝対決となった鶴田vsハンセンは4・16愛知県体育館で行われ、ショートレンジのウエスタンラリアットを狙ったハンセンを払いのけた鶴田がジャンピングニーパットを浴びせて3カウントを奪い、鶴田が全勝優勝を果たし、その勢いに乗った鶴田は18日の武道館大会では三冠王座をかけて三沢の挑戦を受け、バックドロップの連発で3カウントを奪い防衛を果たす。<1992年の出場選手>Aブロック=鶴田、渕正信、三沢、テリー・ゴーディ、エース、ジャイアント・キマラⅡ、ファーナス、ジョー・ディートン、ザ・マスター・ブラスター
Bブロック=川田、田上、小橋、小川良成、ハンセン、スティーブ・ウイリアムス、スパイビー、クロファット、ビリー・ブラック、デビット・アイズリー

 92年も2ブロック制ながらも前年度参戦しなかったゴーディ、ウイリアムス、キマラ、ディートン、ブラックだけでなく、渕などのジュニア勢も加わったことで総勢20選手が参戦、前年度覇者の鶴田はハンセンに敗れ三冠王座を明け渡していた。
 リーグ戦は3・20後楽園から開幕し、ハンセンはクロファットを破って白星発進、2連覇を狙う鶴田だったが、27日の和歌山でゴーディとフルタイムドロー、4・2横浜での三沢戦でもフルタイムドローとなり、4・14熊本でゴーディを破った三沢が鶴田戦での時間切れ引き分けの以外は全勝、鶴田とは1点差で優勝決定戦に進出。ハンセンも熊本でウイリアムスを降し全勝で優勝決定戦に進出する。
 優勝決定戦は17日、前年度同様愛知県体育館で行われたが、三沢のダイビングエルボーアタックをブロックしたハンセンが左のラリアットで3カウントを奪い、全勝優勝を達成する。この頃は三沢の前には鶴田とハンセンという壁がそびえ立っていたものの、後に鶴田はB型肝炎のために長期欠場となったことで、チャンカン参戦は92年が最後となった。


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