伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

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浅野社長の体調不安に20年目の節目・・・・IWA JAPANが活動休止へ

東京スポーツより)
 旗揚げ20年目のIWAジャパンが、10月13日の東京・新宿フェイス大会を最後に事実上、活動を休止する方針であることが29日に分かった。同大会では団体を率いる浅野起州社長(61)の引退記念試合が行われる予定。過激なデスマッチ路線で始まり、新宿2丁目劇場で人気を博した伝統のインディ団体が大きな岐路を迎える。

 IWAは5月18日の「旗揚げ20周年記念大会」(新宿)に続き、今年2回目の興行を10月13日に行う。大会タイトルは「不滅の飯屋魂」と銘打たれ、団体の顔であると同時に新宿2丁目で定食屋「花膳」を営む浅野社長が中心になっている。

 だが、サブタイトルには「浅野起州引退記念興行」の文字が入り、メーンでは小峠篤司(28=ノア)with浅野社長対足立区の巨大モグラ(♂)withハル・ミヤコ戦が行われることが決定。同社長はいつになく神妙な表情で「老体にムチ打ってやってきましたが、一つの区切りをつけます」としみじみと語った。

 2000年2月のフレディ・クルーガー1&2号戦を皮切りに、これまで8試合に出場してきた。だが10月1日に62歳の誕生日を迎えるのを機に、引退を決めたという。きっかけは今年2月。体に異変が起こった。突然、目の前が紫色になったのだ。言語障害も出たため病院に行ったところ、診断結果は脳梗塞。血圧は200を超えていた。

 医師からは即入院を勧められたが「従業員の生活もあるから」と拒否。毎日店舗に足を運んだ。通院治療とリハビリにより3週間で言語障害は治ったが、体調面に不安を抱えている。浅野社長は10・13大会以降のスケジュールを「お天道様にも聞いてごらんなさい。『何も決まってない』って言うわよ」と強調した。

 IWAは1994年5月に旗揚げ。“荒馬”テリー・ファンクやUFC草創期に活躍したダン・スバーン、後にWWE殿堂者となるカクタス・ジャックら多彩な顔触れで過激なデスマッチ路線をひた走った。その後は「新宿2丁目劇場」にシフトチェンジ。ターザン後藤が無銭飲食事件を起こしたり、数々の流血の惨事が起きたり…の大騒ぎで人気を博した。

 ここ最近は規模を縮小し、年数回という興行数だった。それでも定期開催は継続してきたが、今後は白紙の状態。新宿2丁目劇場にも幕が下ろされようとしている


 IWA JAPANが10月13日新宿FACE大会をもって活動休止することが明らかになった。理由は浅野起州の体調不安、今年脳梗塞と診断されたという。


 IWA JAPANは崩壊したW☆INGの後続団体として1994年に旗揚げ、FMWから始まったインディーバブルの時代は続き、様々な団体が旗揚げされていった。最初のオーナーはビクター・キニョネスで荒谷望誉をエースにしテリー・ファンクやカクタス・ジャック(ミック・フォーリー)、ダン・スバーン、ディック・スレーター、テリー・ゴーディなど豪華な外国人選手を招聘、荒谷離脱後はFMWを離脱したターザン後藤、ミスター雁之助ら真FMWが参戦して団体の中心となり、川崎球場でビックマッチを開催したことがあったが大会終了後にはキニョネスは経営から撤退してしまった。


 真FMWが離脱してしまうと山田圭介ことバファローが社長に就任し東京プロレスを離脱したザ・グレート・カブキを所属選手として招いたが、カブキもすぐ引退しバファローも退陣、その後を受けたのは浅野社長だった。


 浅野社長はプロモーターだった頃の人脈をフルに生かしてNOAHと交流を行い、タイガー・ジェット・シン、テッド・デビアスやビック・ボスマン、武藤敬司体制の全日本プロレスからからリストラされたスティーブ・ウイリアムス、ジョニー・スミス、ジョージ・ハインズを招くなどしたが、近年は所属選手もなく、新宿FACEでの開催が主になり、UMA軍団としたコミカル路線を軸としてきた。


 自分も後楽園や地元の伊賀での大会を観戦したことがあるが、後楽園大会頃は日本人が軸ではなく当時ECWを主戦場にしていたテリーとキャクタスが軸で、伊賀大会の頃には真FMWが軸となるなど変わってきていた、あの頃は荒谷が伸び悩んで外国人エース路線にせざる得なかったのだろが、外国人エースは受け入れがたかったのか日本人エースとして後藤を招くも、あくまで外様だったこともあって日本人エースにはなりえなかった。そういった意味では日本人エースの不在がIWA JAPANの大きな欠点でもあったが、浅野社長が中心となって体を張って懸命に頑張り20年まで持ちこたえた。20年目の節目というのも活動休止にする要因にもなったと思う。


 浅野社長、そしてIWA JAPANにはご苦労様と言いたいし、浅野社長には無理せず養生して欲しいと思う。

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