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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

リアルファイトとは真逆のファンタジー、それが『WRESTLE-1』だった

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リアルファイトとは真逆のファンタジー、それが『WRESTLE-1』だった

東京スポーツより

新団体名を「W-1」とした理由は?
武藤敬司「愛着?ありましたね。選手たちを信じてるし、可能性も感じている。主義・主張をぶつかり合える“民主主義プロレス”ができたら」


選手の補強や他団体との交流は?
武藤敬司「具体的にはまだ何も決まってない。プロレス界をお騒がせしてしまったから、まだ信用もないだろうし。ただ、しっかりと基盤ができれば、女子レスラーなんかも10人くらいいてもいいかと思うよ。国籍だって関係ないし、たまにはタレントも使いたい。」


演出面に関しては?
武藤敬司「演出は工夫してやっていきたい。時代の流れに合わせて3Dを取り入れるとかね。金の問題はあるけど(笑)。何が出来るのかわからないけど、その中で『ファイティング・エンターテインメント』を見せる。2002年のムタとサップの試合は、入場から演出、会場の雰囲気・・・全てがあれに勝てるものはない。ああいう演出をやりたい」


今後の展望について
武藤敬司「本当はこんなこと(分裂)になるはずじゃなかったんだけどな。プロレスが生き残るために、俺にレールを敷いてくれてんだよ。全日本プロレスとの交流は当分ない。頑張ってくれよってことしかない。俺は10代や20代の若い世代にもプロレスを伝えていく」


 新団体『WRESTLE-1』を立ち上げた武藤が東京スポーツのインタビューに答え、今後の展望を明かした。


 今後の展望に関しては見方次第では白石伸生・全日本プロレス社長の提唱している“ガチンコプロレス”とは真逆、また女子の起用などは全日本プロレスという枠組の中では出来なかったことをやりたいといった感じだった。


 『WRESTLE-1』は2005年の焼き直しで名前からいって失敗するのではというイメージがあるが、そもそも『WRESTLE-1』とは何だったのか?


 『WRESTLE-1』は武藤敬司の全日本プロレスとK-1を当時運営していた株式会社ケイ・ワンの石井和義氏が組んで「プロレス版Dynamite!」のふれこみで開催、PRIDEを要するDSEも運営協力に携わっていった。


 武藤全日本の初期のマッチメーカーだった渡辺秀行氏によると最初は全日本プロレスに地上波放送を付けるというところから始まったが、日本テレビが捨てたコンテンツに他局は手を出そうとしなかった、それだったら新しいパッケージで、今の時代に合ったコンセプトでやる新しいプロレス、企画をフジテレビに持っていったがフジテレビ側はプロレスという言葉を使ってくれるなと言われたことで、『WRESTLE-1』というネーミングをつけ、K-1とPRIDEがリアルファイトを謳うとなればWRESTLE-1は真逆のファンタジー、コッテコテのエンターテイメントプロレスを見せる、それが武藤の考える『WRESTLE-1』だった。


 だがフジテレビ側は全日本プロレスに誰が所属しているのか知らず武藤敬司と馳浩しか知名度がないことから『WRESTLE-1』にGOサインを出さない。そこで当時人気を博しプロレスの経験のあるボブ・サップをWCWでプロレス経験のあるサム・グレコ、PRIDEで活躍し新日本プロレスに参戦経験のあるマーク・コールマンとケビン・ランデルマン、ヒース・ヒーリングを加えたことでやっとGOサインが出るも、フジテレビ側は視聴率を獲得するためにサップを主役としたイベントにすることを要求、全日本も地上波を獲得するためにフジテレビ側の要求を飲まざる得ず、『WRESTLE-1』もゴールデンタイムで放送されたがサップ中心に扱われたせいもあってプロレスファンからは批判的な声が多かった、おそらく全日本側も地上波中継を付くまでと批判の声に我慢はしていたと思う。


 WRESTLE-1は2回開催されたが、2回目である2006年1月8日の東京ドーム大会前にDSEの森下直人社長が急死したことで状況が一変、DSEが一時的に機能しなくなったことで大会にも大きな影響が出てしまう、大会後には石井氏が脱税で逮捕され、K-1とPRIDE双方共体制が変わってしまった、PRIDEがK-1からミルコ・クロコップを引き抜いたことで険悪となり、第1次WRESTLE-1はK-1とDSEの都合で頓挫してしまった。


 WRESTLE-1は「プロレス界のナンバーワンを決めるトーナメント」という形で2005年に復活、この時はFEGの代表だった谷川貞治氏が新日本プロレスを退社していた上井文彦氏を抱きこんでプロレス興行をやらせようということでWRESTLE-1を持ち出したが、上井氏がビックマウスを設立しスーパーバイザーに前田日明を担ぎ出してからFEGが前田を取り込み始め、谷川氏がWRESTLE-1より総合格闘技のHERO'Sに力を入れるようになってから双方の関係がギクシャクし始める、WRESTLE-1は2回延期の末、全日本やNOAHの協力で8月に開催されるも大会の主導権はFEGに握られ、上井氏は蚊帳の外に置かれてしまう。


 第二次WRESTLE-1も2回開催されたが、WRESTLE-1に協力していた全日本の役員が退社し、新日本プロレスもユークス体制に移行したのもあり、谷川氏のFEGも手を引いたことからまたしても頓挫してしまった。


 今度は武藤がWRESTLE-1を担ぎ出したが、昔と違うのは現在ではエンターテイメントプロレスが受け入れられるようになったことと、力を持っていた格闘技団体(K-1、FEG、DSE)などが携わるイベントではなく、プロレス団体として始動すること、武藤がWRESTLE-1を通じて新しいファンタジーを作り上げることが出来るか、じっくり見定めて生きたいと思う。

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