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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

箱舟から必要とされた男・・・秋山準デビュー20周年!

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箱舟から必要とされた男・・・秋山準デビュー20周年!

 b54efcb7.jpeg今年でNOAHの秋山準がデビュー20周年を迎える、ちょうど今月G+の『プロレスクラシック』で秋山の特集が放送されたが、秋山が入門しデビューの相手が小橋建太と聞いたときは、“破格な扱いだな”というのが率直な感想、永田裕志がヤングライオンの一人として扱われたのに対し、秋山はデビューしてからトップ扱いと正反対、二人の育成に関しても新日本と全日本の違いが現れていた。それを考えると秋山は野球でいえば1位でドラフト指名を受けた即戦力ルーキー、改めて秋山のデビュー戦を見てみた、序盤こそ秋山がレスリングでの勝負に挑んで必死で食い下がっていったが、小橋も敢えて付き合ったという感じで、打撃や不意打ち的ものを食らうと失速してしまう、秋山の良さを引き出しつつも小橋が厳しさを叩き込んでいった試合だった。


 



87242c3c.jpeg 自分が秋山を生で見たのは1992年の世界最強タッグ決定リーグ戦の12月2日愛知県露橋スポーツセンター大会、秋山はリーグ戦にエントリーする予定ではなかったのだが、田上明と組んで参戦予定だったジャンボ鶴田が内臓疾患で欠場となり代役に秋山が抜擢され、露橋大会ではアブドーラ・ザ・ブッチャー、ジャイアント・キマラ組と対戦、田上が秋山をリードして動かしていたが、ブッチャーのラフに苦しめられたというのが第一印象だった。 







IMG_0003.jpg 秋山は海外武者修行には出されず全日本のリングでトップ勢と対戦して経験を積んでいった、新日本だったら海外武者修行へと出されていただろうが、当時のジャイアント馬場さんは“アメリカのレスリングの質が落ちた”と考えていたことから海外武者修行というものをなくしており、馬場さんは秋山を側に置いて『リングの真ん中に立て、お前の周りを対戦相手が周ったら、お前の方が強く見えるだろ』『相手の顔を蹴るなよ、品が良くないから、品のないトップはダメなんだ』と王道哲学を叩き込んでいったが、守るものがあれば守らないものもあった。 
 馬場さんの教えを守らなかった部分があるとすれば、川田利明の影響だと思う。川田はデビューから破格な扱いを受けていた秋山に嫉妬して徹底的に痛めつけたが秋山もやり返した。川田との戦いから秋山は“素の感情をぶつけ合ってこそプロレスだ”というものを学び、現在の秋山のスタイルの根本を築いていった。


 



 そして三沢とのタッグで世界タッグ王座を奪取、このときもまだ三沢のリードを受けていたという感じで四天王に並び立つまでには至らないなかったが、秋山が自分を出し始めたのは四天王の一角である田上明を破ってから、1997年1月20日の大阪府立体育会館大会で自分も生で見た試合だったがスロースターターの田上相手に速攻勝負を仕掛け、ウラカンラナで勝利を収めた試合、このときは“今年の秋山は違うぞ”と思わせたが、秋山自身は大森隆男とアジアタッグを保持してから自分で試合を動かせるようになり、メインクラスの30~40分がざらだった全日本の試合の中で、新しいことをやってみてもいいのではと考えたことで速攻勝負を狙ってもいいのではと考えた末仕掛けたものだったという、だが最近では速攻勝負を狙っても裏目に出るケースが増えてきている。


 田上を破りやっと三冠王座への挑戦に漕ぎ着けるも王座奪取までには至らなかったが、小橋とバーニングを結成してから本格的にトップ取りへと動き出すが、三沢らが全日本を退団しNOAHを旗揚げ、移籍した秋山のトップ取りはNOAHへとシフトチャンジし、ディファ有明での旗揚げ2連戦では三沢、田上、小橋と連破して「NOAHの舵取りをする」とアピールしたことでNOAHの中心へと立った。


IMG_0004.jpg NOAHの中心に立った秋山は新日本プロレスとの戦いや、GHCヘビー級、タッグ王座を奪取し防衛することでNOAHという団体を外へアピールしてきた、旗揚げ当時のNOAHはTV中継などなくSAMURAI TVでの中継のみだった、秋山は自分が外へ話題を振りまくことでNOAHのプロレスを一人でも見て欲しいという思いから歯に着せぬ発言をするなどしてきた。NOAHも念願だった地上波によるTV中継がスタート、2004年7月10日に東京ドームに進出し秋山はメインで小橋の保持するGHCヘビー級王座へ挑戦、自分も東京まで乗り込んで観戦し、試合は35分の大死闘の末に小橋がバーニングハンマーで秋山を破り王座を防衛、この頃の小橋は絶対王者と言われるぐらいに長期政権を築き、ストップをかけるのは秋山なのではと思われていたが敗れてしまった、秋山は1度小橋を破っているものの、小橋という存在は今でも超えられない大きな壁となっている。


 しかし三沢、小橋と秋山の時代はいつまでも続くわけではなかった、小橋が病気で倒れ、復帰しても四天王プロレス時代のツケが来て負傷欠場が続くことが多くなり、三沢も四天王プロレス時代のツケだけでなくNOAHがTV中継が打ち切られたことで心労が重なり社長業の激務がたたってが体形が崩れるほど体調が悪くなった、丸藤正道らへの世代交代も上手くいかず、佐々木健介を破りGHC王座に返り咲いた秋山にNOAHの舵取りを託されたが、今度は秋山が今までの激闘のツケが来て腰や肩を痛め欠場しGHC王座を返上、このときは秋山にも引退という二文字がチラついてきた。


 IMG_0005.jpgだが秋山は三冠王座奪取とチャンピオンカーニバル制覇という目標を掲げてNOAHの選手として古巣・全日本に逆上陸を果たし、在籍時に果たせなかった三冠ヘビー級王座を奪取、三冠奪取は秋山にとってもやり残した宿題であり目標でもあったが目標を達成したからといってプロレス界から身を引くわけではない、秋山はGHC王座を奪還するだけでなく、低迷しているNOAHを復興させるという目標を掲げた。本当に復興できるのかという声もあるだろうが、一人でも目標に進んでいる限りは信じたいし、秋山準という存在がNOAHに必要とされているうちは大丈夫だと信じている。


最後に秋山準選手へ、デビュー20周年おめでとうございます!

 
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