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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

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佐々木健介、自身のワガママを押し通しての引退・・・1990年代のプロレスも遠くなりけり

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佐々木健介、自身のワガママを押し通しての引退・・・1990年代のプロレスも遠くなりけり

プロレス格闘技DXより
 DIAMOND RINGの佐々木健介が13日、東京ドームホテルで会見し、現役を引退することを正式に発表した。“親子対決"となった2・11後楽園大会の中嶋勝彦戦で敗れ、試合後に引退を示唆していた。健介は「負けて嬉しかった。その時終わったと思った」と語り、「ここ数年ないくらいのベストコンディション」のまま引退を決断した。引退興行などは行わず、このまま引退する。引退後の進路については未定だが、「やったことの無いことをやりたい。スノボとか」と笑った。涙はなく、会見は笑顔が絶えぬまま進み、夫人の北斗晶から労いのキスを受けて大喜びしていた。


【会見の模様】
▼健介「本日は緊急会見にも関わらず、お越しいただき、誠にありがとうございます。2月11日、DIAMOND RING後楽園大会。その試合後に言った言葉がすべてです。長きに渡り、リングに上げさせていただき、ありがとうございました!」(※と言って深々と頭を下げる)


――引退を決意した理由は?
▼健介「常日頃から『今日が最後になるんじゃないか』と思ってずっと試合をしてきました。11日の勝彦との試合で負けた時、嬉しかったんですよね。どんなキツい練習にもついてきて頑張ってきた。色んなものも乗り越えてきた。その男が佐々木健介に勝った。メチャクチャうれしかったんですよね。でも、俺は今まで試合に負けたらメチャクチャ悔しかった。悔しかったから『よし!』と思って頑張ってきた。その“負けてうれしかった"って言葉が自分の頭をよぎった時、『もう佐々木健介っていうプロレスラーは終わったな』。そう思いました」


――引退を決断したのはあの試合直後?
▼健介「うん。でもたとえあの時勝ったとしても、試合の内容的に自分で納得できなかったら、その後出られなかったと思うし。勝ち負けを省いても、やっぱりあの時の試合内容で勝彦の気持ちを凄く感じることができた。だからこそ、うれしかったという気持ちがあったと思うんで。だからもう、もう…満足だなって。負けて言うのもなんですけど。俺はやるべきことをやってきた。リング上で言った通り、思い残すことは何もないです」


――コンディション的にはまだ現役続行可能に見えるが?
▼健介「実際、ここ数年ないくらいのベストコンディション。トシにも関わらず肉ガンガン食べて、練習もガンガンして、ベスト体重の115キロ。またこの体になれたことも自分自身、うれしかったし、『よし! まだまだ行けるのか!』って気持ちで11日の後楽園のリングに上がれた。そこで中嶋勝彦と戦って、あいつの気持ちをすべて感じることができた。プロレスラーやってて良かったな、って気持ちでしたね。勝彦がウチに来て10年。親子関係と言っても過言ではないくらいの環境だった。一緒にメシを食い、一緒に練習し、一緒に試合に行き…。でもさっきも言った通り、『負けてうれしかった』と思った時、俺のプロレス人生終わったなって。負けてうれしいなんて今まで一回もなかった。そういう気持ちにさせてくれた勝彦、そしてあの試合。試合をみていただいたお客さんに俺は感謝したいです」


――打ち明けた時、北斗は何と?
▼健介「『あんたが決めたならいいよ。あとは好きに生きなよ』って言ってくれましたね」


――今後は?
▼健介「そうですね…。まだ終わったばっかりなんで、どうしようかな? でも18歳でプロレスの世界に入り、今年で48歳になります。ずっと戦いの世界に身を置いてきた。自分のやりたいこともできなかったんで、いろんなことにチャレンジしたいですね。やったことが無いこと。去年、萩本欣一さんからも舞台のお話をいただきまして、やらせていただくんですが、舞台なんて初めてのことだしドキドキしてますけど…。そういうことも含めて目一杯やってみたいなと思います。あとは……スノボ(笑) オリンピックみてて十代の子達が銀メダル、銅メダル獲ってるじゃないですか。凄く応援したいし嬉しいし。ああいう風に頑張ってる姿をみたら滑りたくなりましたね(笑) みんなそんなに笑わなくても…(笑) いやね、僕ずっとプロレスやってきたじゃないですか。スキーとかスノボとか、そういう危ないことはずっと避けてきたんですよ。それで足を捻挫したり、骨折したりする可能性があるわけじゃないですか。そういうことはやって来なかったんで、ああいう気持ちいいものを見ると、やってみようかな…と思ってしまったわけで。これが終わったらスノボ入門かなんか買いにいこうかと思ってます」


――引退興行や引退試合は行わない?
▼健介「そうですね。自分の中で、11日の勝彦との試合が納得したからこそ、ああいう言葉が出てきたと思うし。もし引退興行やるとして、もしその試合が自分で納得がいかないものだったら、何にもならないと思うんで。だから僕は11日の試合で終わりたいなと思います。あの試合があったから、あの言葉が出た。この感情になった。僕はホント、スッキリしてますね」


【健介のみの囲み取材の模様】

――晴れ晴れとした表情に見えるが?
▼健介「こういう顔になれたっていうのは、勝彦との試合が凄く自分の中で満足できたってことだと思うよね。さっきも言ったけど、今までは負けて悔しかった。『この野郎チキショー!』って。だから誰にも負けずに人の倍練習してきた。だけど、勝彦との試合で“負けてうれしい"と思ったから、プロレスラー佐々木健介の終わる時だなって思ってリングの上でああいう言葉が出たんだよね。その言葉に後悔も何もないよね。うれしさしかない。勝彦はこれから伸びていく選手。その(中嶋の)年代の選手で、もっともっと熱いプロレス界にして欲しいですよね。俺も現役時代、凄いライバルがいた。越えられない先輩もいた。そのライバルや壁があったからこそ、練習してぶつかっていった。それでぶち壊していった。そういう諦めない気持ちがあったから、今の佐々木健介があると思う。勝彦は俺に勝ったけど、まだまだ壁は出てくる。それにチャレンジして欲しいですよね」


――コンディションは良いと言っていたが未練は?
▼健介「若い頃、海外遠征から帰ってきた時に言った言葉があるんですよ。『太く短く生きます』。その言葉が自分の心にしっかりあったし、その言葉通りにやってきたと思います。スピードを落とさず、力を落とさず、常に全力で練習をし、全力で試合をする。変わらぬ俺がいたんですよ。だから今年で48歳ですけど、ベストコンディション。その言葉(太く短く)を信じて自分自身を鍛えてきた。だから今のベストコンディションの俺がいる。勝彦に負けたけど、勝ち負け以上に内容もそうだし、あいつの気持ちもそうだし、全部感じるものがあった。結果、悔しくなかった。悔しくなかった…っていうのはダメなんですよ! プロレスラーとして。だから佐々木健介終わりだな、って本当に思えた。だから自分を偽ってやっても、何にもならないと思うし。太く短く生きると言った自分の言葉、気持ちにウソをつくことはしたくなかった。ホント、スッキリしましたよ」


――小橋ら同世代の引退もあって、いつかこの日が来ることを意識してきた?
▼健介「それはありましたよ。年齢的なものもあるわけじゃないですか。でも俺は自分に厳しくやってきた。俺の中でまったく後悔はないし。この世界は自分に厳しくないとダメだと思うんですよ。人に練習やれって言われてやってるような男じゃダメだと思うし。自分自身にムチを打ってやってくることができたから、俺はそうできて良かったと思いますよ」


――これからプロレス界との接点は?
▼健介「これから考えますよ。勝彦もいるんでね。見ていきたい気持ちはありますけど、僕はリングを降りるってことは、プロレスとは線を引かなきゃいけないとは思ってます」


――DIAMOND RINGの今後は?
▼健介「俺があれこれ言うことじゃないとは思うし、若い力やエネルギーでいろんなことを考えてやっていくとは思う。ただ、俺個人の意見として…健斗も巣立ったわけじゃないですか。巣立って大きい戦場に行ってやってる。だから巣立っていろんな経験をして欲しい。小さいところにいるんじゃなくて、いろんな大きいところへ出て行って、いろんな経験をして、最高のプロレスラー、最高の男になってもらいたいと俺は思いますね」


――体は鍛え続ける?
▼健介「まあ…多分ですけど、死ぬまでやってるんじゃないですかね(笑) やっぱりね、強い男でいたいってのもそうですし、強いパパでいて欲しい願いもあるだろうし。鍛えることはやり続けると思います」


――プロレス界からの反応は?
▼健介「北斗のほうにはあったみたい(笑) 俺にはあまり無かった。直接は言いづらかったんだと思うし。プロレスは確かに魅力ある仕事だけど、危険な仕事でもある。いろんなタイプに分かれると思う。燃え尽きるまでやる方もいると思うし。ただ俺は自分の気持ちを悟ることができた。そういう辞め方があってもいい。前例がないと躊ちょする部分もあるのかもしれないけど、こういう生き方もあるよ…っていうのも、後輩たちに教えてあげられたらいいと思いますね。やっぱり人生長いわけですから。その中で家庭ができて、待ってる人たちが望んでるのは“無事な帰り"なんですよね。そういうのも考えていかなきゃいけないのかな、と思いましたね」


――試合はせずとも引退セレモニー的なこともしない?
▼健介「何も考えてなかったんで。通常なら引退試合とか10カウントとかもあるんだと思いますけど、それはそれでいいのかな…とも思いますよ。自分が納得してリングを降りられる、その幸せっていうのもあると思えたんで……良かった!! ありがとう!」


 DIAMOND RINGの佐々木健介が会見を開き正式に引退を表明、引退試合や引退興行などは個人の意向で行われず、健介はこのままリングを去ることになった。またDIAMOND RINGの今後に関しては中嶋らで継続する意向だという。


 会見の感想は健介のワガママを押し切った、また健介の心が折れたという印象を受けた。体調問題にしろ先輩格である藤波辰爾や長州力、天龍源一郎だけでなく1990年代の新日本プロレスで戦ってきた武藤敬司や蝶野正洋も全盛期のようなコンディションでないもののまだ現役を続けている、しかし健介は自分のワガママを押し切った・・・口には出さなかったが手術を受けた首の影響、昨年の元所属選手のブログによる告発、DIAMOND RINGの運営、いろんなことが重なったのかもしれないが自身のワガママで48歳での引退はもったいない。


 健介の今後は未定・・・様々なことに挑戦したいということから、このままマット界から一線を画してしまうということなのか、一線を画したいから引退試合は引退興行を行わないのか・・・


 健介が決めたことだから自分らはとやかく言わないが、一つ問いたいのは本当に後悔はなかったのか、それだけである。


 昨年でかつての全日本プロレス四天王(三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太)がリングを去り、闘魂三銃士も武藤や蝶野は現役を続けているも、橋本真也が亡くなり、そして健介の引退。1990年代のプロレスも遠くなってしまった。健介はジャパンプロレスから入門し、ジャパンの分裂によって新日本プロレスへと移籍したが、新日本での健介は馳浩と共に三銃士を追いかける立場にいた、健介が海外武者修行から凱旋したが同じ時期に武藤も凱旋したことによって、武藤や橋本、蝶野に注目が集まり、健介は影の存在に追いやられそうになっていた。健介は馳とのハセケンタッグ、パワー・ウォリアーに変身してホーク・ウォリアーとのヘル・レイザーズなど存在感を出し、橋本を破ってIWGPを獲得するも、三銃士の影響力や当時現場監督で師匠でもあった長州が内部から批判を受けていたこともあって評価されることはなかった。


 現在の健介が評価されるようになったのは長州と袂を分かって、愛妻である北斗晶が健介をプロデュースしてからだった・・・、その健介も引退する・・1990年代のプロレスも遠くなり、時代の流れを感じる。

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