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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

WWE殿堂を果たしたばかりのアルティメット・ウォリアーが急死!

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WWE殿堂を果たしたばかりのアルティメット・ウォリアーが急死!

WWEモバイルより>
WWEは、WWE史上最も象徴的なスーパースターであるアルティメット・ウォリアー死去の報を知らされて衝撃と深い悲しみに包まれています。

1987年にWWEでのキャリアをスタートさせたアルティメット・ウォリアーは、WWE史上最大級のスターへと上り詰めました。
レッスルマニア6のメイン戦ではハルク・ホーガンとWWE王座、IC王座を懸けて対戦。そのキャリアの全盛を極め、1980年代のWWEを象徴する名勝負となりました。

レッスルマニア30前夜の4月5日に行われた2014WWE殿堂入り式典では、アルティメット・ウォリアーの功績を称えるべく、元WWE最高経営責任者リンダ・マクマホンが彼をWWE殿堂へと迎え入れました。
また、翌日のRAWではリングに立ち、WWEファンへの万感の思いを語りました。

WWEはアルティメット・ウォリアーと彼の家族、友人に心より哀悼の意を捧げます。
アルティメッット・ウォリアーは享年54歳、妻のダナと2人の娘を残してなくなりました 
 
 
 元WWWE世界ヘビー級王者のアルティメット・ウォリアーが急死したことをWWE側が報じた。


 ウォリアーは今年のWWE殿堂入りを果たして式典に出席、昨日のRAWでも20年ぶりにWWEのリングに上がりファンに挨拶したばかりだった。


 ウォリアーは1980年~90年代WWF時代のスーパースターの一人でレッスルマニア6ではハルク・ホーガンを破りWWF世界王者となった、日本では日米プロレスサミットやSWSに来日した。 
 自分がウォリアーを始めてみたときはリフトアップスラムから叩き付けてボディープレスで相手を短時間で倒す、ザ・ロードウォリアーズのシングル版というのが印象だった、当時はマッチョ体型がウケていたのもあって当時のWWFではトップに立つことが出来た。レッスルマニア6でハルク・ホーガンを破りWWF世界ヘビー級王者になったが獲得したのは1度だけ、ホーガンを破っても存在感だけは超えることはなかった。


 一旦WCWへ移籍した後でWWFへ復帰したが、ビンス・マクマホンと対立しWWF退団後は絶縁状態となり、2008年までインディーなどで試合を続けるもその後は消息は途絶えていたがWWEと和解し今年の殿堂入りを果たした、殿堂入り直後の急死は残念としかいいようがない。


 ご冥福をお祈りします。

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