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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

榊原代表と猪木が再合体・・・猪木と高田という二つの神輿を担ぐRIZIN

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榊原代表と猪木が再合体・・・猪木と高田という二つの神輿を担ぐRIZIN


<東京スポーツより>
2017年の格闘界はどうなるのか。カギを握る格闘技イベント「RIZIN」の榊原信行実行委員長(53)を緊急直撃した。すると飛び出したのは「あの人」へまさかの“再合体”ラブコールだ。さらに、1997年10月の高田延彦VSヒクソン・グレイシーから20年目となる今年をメモリアルイヤーと位置付けたイベント開催や、男女プロレス界への“挑戦状”まで、「馬鹿になる」プランの数々を語った。


  ――今年は高田VSヒクソンからちょうど20年の節目だ


 榊原委員長:それに昨年はアントニオ猪木VSモハメド・アリ(1976年6月)からちょうど40周年でした。だから猪木さんも含め、今年は「温故知新」というものをテーマの1つにしていきたい。その2つの試合があって、現在の総合格闘技があるわけですから。


  ――これまで猪木氏がRIZINのリングに上がったことはない


 榊原:ええ。ですが、今年はお願いしたいと思っています。猪木さんの言葉に「馬鹿になれ」というものがあります。今、私たちに必要なのは「馬鹿になる」ことなのかもしれない…。小さくまとまってしまっては面白くないですから。そういう意味でリングで「猪木劇場」をやってもらうだけでなく、どうしたら成長していけるのか意見やアイデアをうかがえればと。


  ――いろいろな意見を取り入れたいと


 榊原:そう。猪木さんだけでなく(大手芸能事務所の)ケイダッシュの川村龍夫会長(76)のご意見やアドバイスも猪木さんと並行してうかがったりしたいですね。昨年9月までが「ホップ」。昨年末が「ステップ」。そしていろいろな方の意見を取り入れながら今年大ジャンプしたい。


  ――高田VSヒクソンについては


 榊原:今年はまず4月(16日)に横浜アリーナで大会を開催した後、7、10、12月と開催する予定です。そのなかでまさに20周年となる10月の大会を「メモリアル大会」にするつもりです。加えて大会前1週間をメモリアルウイークのような形に位置付け、様々なイベントやトークショー、出版などをできれば。


  ――RIZINの高田延彦統括本部長(54)はともかく、ヒクソン・グレイシー(58)は息子クロン(28)のセコンドとして会場に姿を現す程度


  榊原:今年はそれだけでなく、いろいろ協力してもらうつもりです。近々、ヒクソンとそうした相談をしてきます。あの時、2人はどんな気持ちでリングに向かったのか、相対したのか…、20年たった今だからこそ話せることもある。そういうものを2人の口から皆さんにお伝えできる場所をつくりたい。


  ――まさに「温故知新」。注目のトーナメント開催はどうなるか


 榊原:もちろん考えています。10、12月で。今年は男女同時開催するつもりです。階級などは細かく詰めて近々発表できると思います。年末も女子の試合は視聴率が上がった。今、女子格闘技には追い風が吹いていますから。そうだ、東スポで書いておいてよ。


  ――というと


 榊原:「我こそは」と思う女子プロレスラーがいましたら、うちの広報や東スポを通じて連絡してくださいって。というのも先日、ある女子プロレス関係者に「格闘技戦をやりたい選手はいるけど、どこに連絡したらいいかわからない」と相談されたんです。そういう選手がいたら自薦、他薦問わず思い切って連絡してほしい。すぐにRIZINとならなくても、しかるべきジムやイベントを紹介したりもできます。追い風が吹いている今こそ、挑戦を後押ししたい。男子も名乗りを上げてほしいですよね。全日本プロレスとかノアとか、新日本プロレスの選手に上がってほしい。今年は何とか大物プロレスラーをリングに上げたい!!


  ――現有戦力だけでなく、新たな参戦選手も発掘していくと


 榊原:そうですね。メダリストやアスリートとの交渉も継続してやっていきます。とにかく、格闘技を盛り上げるために今年も頑張りますよ!!


 東京スポーツがRIZINの榊原信行代表がアントニオ猪木と電撃再合体したことを報じた。猪木はかつてPRIDEのエグゼクティブ・プロデューサーに就任し猪木事務所に属していた藤田和之や新日本プロレス勢のPRIDE参戦を橋渡ししていたが、PRIDEを離脱した一派が「INOKI BOM―BA―YE」を日本テレビの後押しで開催することになり、猪木も加わることになったため、PRIDEは猪木を追放、「INOKI BOM―BA―YE」「Dynamite!!」「PRIDE男祭り」のTV局を巻き込んだ興行戦争に発展したが、「INOKI BOM―BA―YE」は惨敗に終わった。


 2015年の大晦日にRIZINが旗揚げした際は榊原代表は猪木に来場を求めていたが、同日にIGFが両国で開催したことで来場しなかったが、今回は猪木の後援者の一人である川村氏の橋渡しもあり、また猪木もIGFから独立し話しやすい状況となったことでRIZINとの合体が実現したと見ていいだろう。


  昨年度このブログで「周囲は猪木にプロレス・格闘技で威厳を示し、まだまだマット界の中心的存在になって欲しいという期待をかけている人間はまだいる」と更新したが、その猪木を担ごうとする人間に榊原代表が名乗りを挙げた、猪木を担ごうとしたのはIGFで扱いきれなかった猪木をRIZINなら上手く扱えると考えて合体を考えたのか?


 ただプロレス界だけでなく格闘技もPRIDE時代からは大きく変わっている。榊原代表は大物レスラーをRIZINに参戦させることでプロレスファン層の取り込みをまだ狙っているが、榊原氏が出した新日本を始めとする各団体が体制が変わり、猪木の影響を受けないDDTや大日本など主流となるなど、猪木の存在をもってしても時代の流れは変えることが出来ない状況になってしまっている。


 RIZINや榊原代表は猪木という存在をどう扱うのか、また猪木をPRIDEから追放を言い渡してPRIDE、RIZINで統括部長となっている高田延彦はこの状況をどう思うか、榊原代表は猪木と高田という二つの神輿を担いで双方を取りまとめることに自信があるのだろうが・・・・

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