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伊賀プロレス通信24時「日常茶飯事(ちゃはんじ)」

略して「イガプロ!」、三重県伊賀市に住むプロレスファンのプロレスブログ!

中邑真輔デビュー10周年、アントニオ猪木によってレスラー人生を左右されたプロレスラー

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中邑真輔デビュー10周年、アントニオ猪木によってレスラー人生を左右されたプロレスラー

 中邑真輔が今年デビュー10周年を迎えるが、中邑は良くも悪くもアントニオ猪木によってレスラー人生を左右させられたレスラーの一人だと思う。


 自分が思い出に残る試合とすれば、2003年12月9日の天山広吉戦、天山は高山善廣を降しIWGPヘビー級王座になったばかりで初防衛戦、挑戦者の中邑はデビュー1年過ぎたばかりの新人、当時の中邑はデビュー直後にLA道場へ派遣されMMAのトレーニングを積み、INOKI BOM-BA-YE 2002ではダニエル・グレイシーと対戦、オーナーだった猪木が格闘技路線を推進していたのもあって藤田和之、高山善廣、鈴木みのるらと共に猪木軍の一員として扱われていた。

 
 試合は天山の一方的な展開で試合が進み、館内は天山コール一色、中邑は当時猪木が新日本の決定事項を成田会見を開くなどしてひっくり返すことが多く、新日本ファンから憎まれていたのもあってヒール扱いで、誰もが新人の中邑が勝つとは思っていなかったが、自分はあまりにも一方的な展開に“まさか”が起こるのではと思っていた、案の定中邑が下からの腕十字で捕獲し天山がギブアップで逆転勝利、IWGPをデビュー最速、また最年少で獲得するという偉業を達成してしまったが、猪木軍の一員として扱われていなかったら早くチャンスに恵まれていなかったと思う。


 もうひとつは2004年11月の大阪ドーム(現・京セラドーム)大会で中西学と組み藤田和之、ケンドーカシンと対戦したタッグマッチ、当初はファン投票によって選ばれた試合として棚橋弘至vs中邑真輔のU-30選手権がメインとして組まれていたが、これも猪木の鶴の一声によってカードが変更となったのだ。
 試合は藤田のサッカーボールキックの前に中邑が敗れてしまったが、館内は微妙な空気、そこで猪木が不甲斐ない試合をした中邑に激を飛ばす意味で中邑の顔面を殴り、強引に1・2・3ダーで締めくくった。あの時は自分も猪木がレスラー猪木の眼になっていたことから納得する意味で会場を後にするも、バックステージでは、カード変更だけでなく全て納得しなかった中邑は周囲に「今度、猪木さんが殴ってきたら殴り返していいですか?」と漏らし、レスラー廃業を考えて実家へ帰るなど、中邑の心に大きな傷を残した、その後2009年9月神戸で真壁刀義を降してIWGPを奪還した際に猪木へ挑戦表明をし新日本だけでなくIGFを大きく揺るがしたが、大阪ドームで猪木に殴られたことは未だに忘れていないんだなと思った。


 そして現在、中邑はIWGPから遠ざかりオカダ・カズチカの台頭によって、脇に回ることのほうが多くなった、自分は藤波-長州、鶴田-天龍、三沢-川田、小橋、田上がライバル関係を築いていったように、中邑はライバルというか向かい合う立場になっていなければならないのではと思っている、中邑は再び浮上し棚橋に向かい合う立場でならないのではと思っている。レスラー猪木が常にジャイアント馬場に対して反骨していたように、新日本の中で唯一猪木のスタイルを受け継ぐ中邑がこのまま沈黙してはいけないだろうと思っている。


 最後に中邑真輔選手、デビュー10周年おめでとうございます

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