中邑真輔が新日本プロレスを正式に退団・・・自ら敷かれたレールをはみ出し、新日本をゆるがせた10年間
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中邑真輔が新日本プロレスを正式に退団・・・自ら敷かれたレールをはみ出し、新日本をゆるがせた10年間
<新日本プロレス公式HPより>
1月25日(月)12時から新日本プロレス事務所にて、2016年1月31日を持って新日本プロレスリングとの選手契約を解除、退団することが決定した中邑真輔選手が会見を行われた。
また、中邑選手が保持していたIWGPインターコンチネンタルのベルトは、中邑選手から菅林会長に返上された。
■菅林直樹会長のコメント
菅林「リリースされた通りですね、今月いっぱいで、中邑真輔選手、新日本プロレスを退団することとなりました。大変残念なんですけども、次なる闘いのリングでも中邑真輔選手らしい闘いを続けてもらいたいと、切に願っております。それはきっと私以外の社員や選手も皆、同じ気持ちだと思います。頑張ってください」
■中邑真輔選手のコメント
中邑「今月1月、残り2試合で、新日本プロレスを退団させていただきます。非常に大きな大きな決断でした。この決断を了承して下さり、かつ壮行試合等、非常に新日本プロレスには感謝しております。2002年に入団して、苦楽を共にし、共に歩んできた、菅林さんをはじめ、社員の皆様、選手、関係者の皆様、そしてファンの皆様には非常に感謝しております。ありがとうございます。今後は新たな刺激、環境、舞台を求めて、挑戦し続ける所存であります。改めまして、ありがとうございました」
■質疑応答
――新日本プロレスでやりたいことをやり尽くしたというようなお気持ちがあって、今回このような決断をされたということですか?
中邑「退団を決意したことに関しては、一つだけの理由ではないです。自分の年齢的なものも含め、かつ新日本プロレスで成長する上で培ってきた価値観や、自分の感情や、そういうモノを統合して、『今しかない』と思った上での決断ですね」
――改めて、退団を決意した時期は?
中邑「そうですね。悩んでいたのは、2年ぐらい前からですかね。決意という形になると、昨年11月あたりでしょうか」
――その決意に至ったポイントは?
中邑「そうですねぇ、ほんとに2015年の新日本プロレスにおける自分の試合というものをですね、常に100%以上のモノを自分としては求めて、かつ自分にとっては特別な、今の中邑真輔を形成する上で、特別だった人間とやり合えたっていうものですかね。1月4日の飯伏君、12月の後楽園、田口に至るまで」
――海外に新しい進路を見つけるという噂を聞いていますので、それを前提に質問させてもらいますが、例えばアメリカのリングですと、マイクアピールの部分も大きいですし、あるいは新日本プロレスに比べると試合表現もしにくい部分はあるかと思いますが、その点に関してご自身で考えていることはありますか?
中邑「そうですね。どういう状況下においても、そこに落とし込める遊びがあるのであれば、いかに小さな隙間であっても、そこに全人格で中邑真輔を投影するまでですね。これまでもそうしてきたように、これからもそうするであろうと、自分では思っております」
――ずっとライバルであった棚橋弘至選手に一言お願いします。
中邑「……直接言います(ニヤリ)」
――2002年に入団してからの13年間、改めて新日本プロレスで送った時間というのは、中邑選手にとってどのような時間でしたか?
中邑「自分で言うのもなんですが、『こんなレスラー他にいなかったな』と思いましたよ。まぁデビューまでの経緯から、デビューしてからの数々の挑戦や、もう時代がガラッと変わったわけではないんでしょうが、すべてが自分にとっては、かけがえのないものだなと感じれますね。その当時は、死に物狂いで、ただひたすら前見てやってたんですけれど。まぁでも今の新日本プロレスは、なにがあっても、誰もがチャンスを自ら作り、かつ掴める舞台になりえてると思ってますね。ちょっと答えになってないですけど」
――思い入れのあるIWGPインターコンチのベルトについて一言お願いします。
中邑「ベルトに対しては、返上という形で不本意な決着とはなってしまいましたが、一つ新しい価値観を想像できたという部分では、自分だけではないんですが、自分の誇りであるとは感じます」
――所沢大会、後楽園大会の残り2試合となり、中邑選手と非常にゆかりのある選手との6人タッグが組まれていますが、その闘いに向けて意気込みをお願いいたします。
中邑「そうですねぇ、年間100試合以上、それが2002年から約13年ですか。まぁ誰も彼も、ゆかりというか、仲間・兄弟のように思ってますが、その中でも所沢、後楽園で闘う人間っていう部分では、自分のプロレスラーとしての物語の中で、非常に重要な役割をしてきたメンツなので。まぁリングに立ってみないとわかりませんが、いろんな感情が自分の中に起こるんだろうなぁということは、一つなんというか、寂しさもありますが、非常に楽しみです」
新日本プロレスが会見を開き、改めて中邑真輔の退団を発表、中邑本人が会見に応じ菅林会長に保持していたIWGPインターコンチネンタル王座を返上した。
会見では中邑自身が『こんなレスラー他にいなかったな』とコメントしたとおり、デビューからいきなりMMAに挑戦して、デビュー2年目でIWGPヘビー級王座を奪取、そして新日本でタブー視されていたアントニオ猪木への挑戦発言など、中邑ほど新日本を揺るがした存在はいなかったし大きなインパクトを与えてきた。今思えば猪木への挑戦発言は、新日本が敷いたレールを自らはみ出すためのきっかけになっていたのかもしれない。
そしていつしか中邑自身が新日本だけでなく自身の高みを望むようになり、それが次第に新日本より自身の高みというものを占めるようになっていった、新日本を離れるという選択はある意味自然の流れだったのかもしれない。
ジャイアント馬場さんが生前「プロレス界は10年に1度、大きな事件が起きるものだよ」 というジンクスを残したが、新日本が猪木体制から脱して10年目でこれまで新日本支えてきた中邑が去るのは大事件でもあるが、大事件をきっかけにマット界は新しい時代への扉を開いてきた、中邑が去るのはある意味新陳代謝するためのいいきっかけになったしならなければならない
最後に中邑の次なる高みは明言しなかったが、同じく新日本を離れたAJスタイルズがWWEのロイヤルランブルに参戦したことを考えると、中邑もWWEなのか?
中邑真輔が退団会見でインターコンチ王座を返上し、深々と礼。 新日本プロレス時代を振り返り「こんなレスラー、他にいなかったなと」【1.25会見】 https://t.co/uIAOgaZMan #njpw pic.twitter.com/pGkg5jJsBo
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) 2016, 1月 25
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